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73 金策③

 身体の中が燃えていた。凄まじい熱が心臓を中心に身体中を駆け巡り爆発的な力を四肢に伝える。


 《絶影》とは遥か昔、一人の盗賊が生み出した戦闘技術の名である。

 ひ弱で、幻影相手では補助役を務める程度の攻撃力しかなかった盗賊が手に入れた苦肉の策。

 激しい肉体鍛錬。精神統一と特殊な呼吸法の複合はまるで命を燃やしているかのような『速さ』をそれを修めた盗賊に与える。


 速さとは力だ。その本質はただ回避能力が上がるだけではない。

 音すら置き去りにする加速と優れた平衡感覚により繰り出される十分に力を伝えられた拳は幻影や魔物を容易く打ち砕く。


 その様は黒い嵐のようだった。

 広々と取られた訓練場の空間に、華奢な手足が空気を撃ち抜く轟々という音と、硬い物が金属にぶつかる音だけが絶え間なく響き渡っていた。


 一人は絶影だ。身体の動きを一切阻害しない特注のコスチュームに、そのシンボルになりつつある厳つい金属の靴。

 それに相対しているのは一体の人形だった。

 関節部のみ動くように作られた人間大の黒い金属人形だ。


 燃えるような熱を纏ったリィズが声を上げる事なく肉薄する。

 脚を引っ掛け転ばせ、踏みつける。掌底で身体を浮かし、地面に叩きつける。時に腕を取り投げつけ、時には股の間を蹴り上げる。摩擦により床から煙がのぼるが、リィズの動きは止まらない。

 息も付かせぬ流れるような連撃は相手が生き物だったらとっくに息の根を止めていただろう。


 金属人形は正真正銘、ただの人形だった。ゴーレムのように操作できたり、アンドロイドのように自立思考する力を持っているわけでもない、金属の塊だ。

 ハリボテではなく、中まで金属が詰まっており、外側は特殊な合金でコーティングされているため、非常に重く頑丈さは折り紙つきである。


 コーティングにより魔法にも物理攻撃にも極めて高い耐性を持つそれは、かつて『アカシャ』と呼ばれたゴーレムの模倣だった。

 アカシャにはその巨体を自在に動かすために高度な仕組みが施されている。リィズが相手をしている人形はそういう意味では余りにも酷い劣化品だったが、少なくとも頑丈さに限って言えばアカシャと同等だ。


 一撃一撃には殺意が篭っていた。人形がその拳に、蹴りに、何度も何度も床に、壁に叩きつけられる。


 戦場から少し離れた場所で、シトリーはノートを片手に姉の狂騒を観察していた。

 余りの騒々しさに前《絶影》から追い出され、クランの地下訓練場に篭って数時間。

 もともと訓練場を使っていた他のクランメンバーもその狂騒に辟易して出ていってしまった。


「お姉ちゃん、無理だって! 諦めよ? それの耐久はお姉ちゃんの攻撃に耐えられるように調整したんだから」


「っせー、シトッ! 訓練中、だから、黙っててッ! 次の準備しててッ!」


「もうッ! 私だって暇じゃないのにッ!」


 頬をふくらませるが、リィズはシトリーに視線一つ向けない。


 『アカシャ』の設計思想は単純である。


 《嘆きの亡霊》を超える。ただ一つだ。


 シトリーの持つ膨大なデータを元に、魔術結社『アカシャの塔』の持つ技術力と資金力、コネを最大限に活かし、長きに渡る研究の末生み出したその巨大なゴーレムは、ゴーレムなどという名には収まらない程強力だ。


 《嘆きの亡霊》のメンバーはそれぞれが特化した強みを持つ。

 初めはただの好奇心だった。いつしかシトリーはその研究にのめり込んでいった。


 一極型のメンバーが揃う《嘆きの亡霊》に匹敵するのは並大抵のことではない。


 素晴らしい日々だった。試行錯誤しながら研究を進めていた頃を思い出すと、シトリーは今でもその頃に感じていた胸の高鳴りを思い出す。

 多数の優秀な兄弟子達と、そして偉大なる元賢者の協力を得て思考を重ねた結果たどり着いた結論は単純だった。


 一つ一つ、丁寧に強みに対する対策を行う、だ。それは、ハンターが高難易度の宝物殿に挑む際に行うことでもある。


 妄執とも呼べる執念の末、完成した『アカシャ』はこれまで存在するいかなるゴーレムをも越えた素晴らしいゴーレムだった。

 その目的故に、『アカシャ』は《嘆きの亡霊》の天敵とも言える性能をしている。


 ルークの斬撃を受け切るだけの盾。並外れた膂力と体力を持つアンセムに匹敵する継続戦闘能力に、人が操作する事で実現した高度な情報判断能力。


 中でも特に力を入れたのはボディの開発である。

 アカシャを《嘆きの亡霊》の『敵』にするためには、回避がほぼ不可能な攻撃範囲を誇るルシアの魔法と、その速度故に盾をあわせる事すら困難なリィズの一撃に耐えられるだけの金属が必須だった。

 

 恨みがあったわけではないが、シトリーはそこに一番、金と時間をかけた。兄弟子や師匠、その更に上からの苦言を受けても妥協しなかった。


 姉であるリィズの才能は本物だ。習得には年単位の時間がかかると説明を受けた《絶影》を使いこなし、今ではその二つ名を名乗ることを許された。

 その一撃は躊躇いや恐怖とは無縁で、それ故にその肉体性能以上の威力を発揮している。


 リィズも人間である。その拳は金属の塊を殴るように出来ていない。

 訓練の間に、握られた両の拳は血まみれになっていた。恐らく骨も何本か折れているだろう。

 だが、風が吹く度にぽたぽたと床が血痕で汚れるが、その勢いや踏み込みが弱まる気配はない。痛みもあるはずだが、その爛々と輝く眼からは弱っている様子は見えない。


 戦士として、ハンターとして、姉が一流であるのは明らかだ。

 年齢的な全盛期もまだ先だ。事実、リィズの運動能力はボディの金属を開発した当初と比べて大きく向上している。


 だが――たったそれだけの理由で、年単位で開発に時間を掛けたアカシャのボディを突破されては堪ったものではない。

 当然だが、成長は考慮している。シトリーはしばらくこの姉にこの優位を譲るつもりはなかった。


 何かと便利だった『アカシャの塔』との繋がりも、もうないのだ。


「かったいッ! 性格ッ! 悪いッ! くそッ! 装甲打ちぬけるッ! 秘伝の必殺技も、なかったしッ!」


「……『盗賊(シーフ)』に、そんな強力な技あるわけないでしょ」


 『盗賊(シーフ)』の役割は戦闘ではない。そもそもこのゴーレム相手にたった一人、素手で勝とうとする事実自体、どこか間違えているのだ。

 


 困ったように眉をハの字にしながら、シトリーはさらさらとメモを取っていく。

 錬金術師の強みは積み重ねる事。リィズの特訓はシトリーにとっても貴重なデータを取る機会だ。


 《嘆きの亡霊》は互いに切磋琢磨しパーティを成長させてきた。アカシャの装甲が破られた時の事を考え、次の案を出さなければならないのでシトリーもいつまでも余裕ではいられない。


 その時、弱まる気配のなかったリィズの動きが急に停止した。

 翻弄されていた人形が思い出したかのように床に崩れ落ちる。荒く呼吸をしながら、リィズがシトリーを向いた。

 眼は充血し、顔全体は燃えるように赤く、汗も出ているがその足取りはまだしっかりしている。


「シト、壊れた。次ぃッ!」


「…………」


 深々とため息をつき、打ち捨てられた人形の方に向かう。

 人形には目立った傷はなかった。自慢の合金はリィズの血で汚れていたがほとんど傷もついていない。


 リィズがその人形の右腕を掴み無理やり立たせる。シトリーの眼の前に、右腕の関節部――肘部分が露わになった。

 関節部分は可動させるため、どうしても周りよりももろくなる。特殊合金によるコーティングも不十分だ。

 本命のアカシャではそこも稼動を邪魔しない幾重もの保護装甲をつけることで対策しているのだが、流石にこんな玩具にまで手が周りきれていない。


 案の定、見せられた関節部分は衝撃に耐えきれず大きくひびがはいっていた。

 リィズが舌打ちをして、地団駄を踏む。


「もうちょっと何とかなんないの?」 


「文句言わないで! 同じ金属用意するだけでもすっごく大変だったんだから」


 アカシャのゴーレム研究は既に完了してから久しいのだ。材料だってほとんど残っていないし、ゴーレム一つにアレほど力を掛けられたのはアカシャの塔の持つ資源があったからだ。再現するにはそれと同等かちょっと劣るくらいの資源と人が必要だ。


 シトリーの資産だって無限ではない。

 いくら姉のためとはいえ、こんな役に立つかわからない訓練に大金は使えない。


 ポーションバッグから金属修復のためのポーションを取り出し、丁寧に罅に流し込んでいく。

 小さく煙が上がり、先程まであった罅はやや歪ながら消えていた。強度は元通りではないが、どうしようもない。


 そもそも、関節が折れたところでただの人形なのだから訓練に問題はないんじゃ……?


 そんなシトリーの内心を知らず、リィズが叫ぶ。 


「こんなんじゃ、訓練にならない。ねぇ、あのムカつくでっかいの持ってきてッ! 今すぐ!」


「勝手なこと言わないでッ! なくしたのは、お姉ちゃんでしょッ! 私が記念に貰う予定だったのに! どこにやったの!?」


 眼に涙を浮かべ、シトリーが反論する。


 最高傑作だった。皆で切磋琢磨した証。性能が高い以上に思い出があった。

 もともと『アカシャの塔』を抜ける時にはもらう予定だったのだが、今は行方不明になっている。


 シトリーが帝都に戻った時には既に影も形もなかったのでどうしようもなかった。

 聞いた話では、荒野で戦った後、放置して帰ってきたらしい。急いで探しに行ったがどこにもなかった。


 街の外に放置されているものは暗黙的に取得者の物だ。巨大な『アカシャ』を持ち帰るのは難しいにしても、盗まれないように対策くらいはして欲しかったというのが本音である。


 シトリーの言葉に、ぴたりとリィズの激情が止まる。


「……で、無駄話は置いておいて――もう一回作るとしたら、いくらいるの? ちょっとなら出すけどぉ?」


 感情の起伏の激しさはこの姉の特徴だ。わがままだし激高しやすいが、リィズは馬鹿ではない。

 汗に濡れた前髪を鬱陶しげに払い、熱く吐息を漏らす。


「このままじゃあ、クライちゃんに苦手を作ったままだと思われるわけ? わかるぅ? これは、プライドの問題、なのッ! 放っておけないのッ!」


「……設計図は頭に入っているけど、今ちょっと現金がなくて――別件でポーションも原価提供してるし、時間がかかるかも……」


 シトリーは商人ではない。総資産のほとんどは貴重な機材や資材として保有している。

 ポーションのストックはあるが、一気に大量に売れるものでもない。処分には時間がかかるだろう。


「…………チッ。しょうがない、ティーと修行がてらどっかの宝物殿で狩りでもしてくるか……」


 シトリーとしてもアカシャの再現はやぶさかではない。ノト達がいなくなった以上、シトリーが研究を再開しなくてはあの素晴らしいゴーレムは二度と発展しなくなる。それは『アカシャ』の親として非常に残念な事だ。


 しかし、まさか自分がお金に困る時がくるとは……。


 その時、ふといつも頼み事をしてくる親友の姿を浮かべ、シトリーは相好を崩した。


「あぁ。そう言えば、クライさんに貸したお金を返してもらえれば――」


 思ってもいない事を呟いてみる。


 貸したといっても、利子もなければ返済期限もない。

 エヴァが、もう借りないように言い聞かせたという話と、返済についての話をしてきたが、シトリーはお金を貸している事など特に気にしていなかった。


 ハンターとしてかなりの収入があるあの『親友』が無駄使いをするために借金をするとは思えないからだ。

 もともとシトリーが金を集めはじめたのはできることを増やすため――選択肢を増やすためである。宝具を買い込む趣味についても、その宝具が時に嘆きの亡霊の探索に役に立つ事を考えると止めようとは思わない。


「あ、いたいた。シトリー、とリィズ。ちょうどよかった」


 その時、ちょうど考えていたその相手が訓練場に入ってきた。

 姉の表情が花開くような笑顔に変わる。クライはシトリーの近くまで来ると、どこか申し訳ない表情で言った。


「シトリー、悪いけどさ――」

活動報告にて、一巻発売一週間経過と二巻についての話を投稿しています。

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短編集1、2025/03/31、発売しました!
店舗特典や初版特典がまとめられている他巻末に書き下ろしSSがついておりますので、
よろしくお願いします!
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