48 レベル8②
闇の中、何も見えない中を後ろも振り返らずに駆ける。
苦しい。自分の心臓のなる音がやけに近く感じる。白い呼気が闇の中、おぼろげに浮かんでいた。
辺りには完全に闇の帳が下りていた。
先程まで辛うじて光を落としていた月は分厚い雲に覆われ、辺りは真の闇に近い。
背の高い草が生い茂り、非常に走りづらい地面をただ遮二無二駆けた。右手に掴んだティノの手の感触だけが唯一確かなものだ。
遠く背後から断続的にあがる甲高い金属音が、リィズの戦いが未だ終わっていない事を示していた。
よほど強敵なのか……久方ぶりに感じる無力感を噛み殺す。
見捨てたわけではない。断じて見捨てたわけではないが、僕の戦闘能力はゴミ以下だ。ティノですらお荷物なのだから、僕を守りながらではリィズも本気を出せない。これはベストの選択である。
宝具が使えればサポートくらいは出来ただろうが……やっぱり宝具抜きで外に出るべきじゃないな。
今使えるのは結界指とチャージし直した『狗の鎖』。
それと、白狼の巣では結局使わなかった一発だけ魔法をストックできる宝具くらいだろうか……とてもあんな化け物とは戦えない。
しばらく走り、聞こえる音が小さくなった所でようやく立ち止まる。
何も見えないのでどのくらい距離を取れたのかはわからないが、これくらい離れればいきなり攻撃を受ける事はないだろう。
後ろからわざわざ速度を落としてついてきたティノも僕に合わせる形で立ち止まる。息の荒い僕と違って、ティノの呼吸に乱れはない。
ティノは何も言わず、ただ純粋そうな眼で肩で息をする僕を見上げた。
まるで師匠を置いて逃げ出した僕を責めているかのようなその視線に、思わずため息をつく。
ずっと僕は仲間たちに頼り切りでやってきた。レベル8の地位は彼らの功績――砂上の楼閣のようなものだ。
だが、決して僕だって頼りたくて頼っているわけではない。僕とリィズ達は親友だ。いつもベストは尽くしてきたつもりだ。
言い訳がましくなってしまうことを自覚の上で言う。
「大丈夫、あれはリィズ一人で十分だ。ティノ、僕たちは僕たちのできることをやるべきだ」
「はい。ますたぁッ」
これは無様な逃走ではない。戦略的な撤退である。
わかってくれたようで、ティノも真剣な表情で頷く。
さて、落ち着いたところで新たな問題が一つある。
呼吸を整えながら、僕はぐるりと辺りを見回した。
ここは――どこだ?
もともと、宝物殿までの道のりもティノの先導ありきだったのだ。帰り道がどちらなのか、その方角すらわからない。
大きな道に出ればわかるはずだが、眼の前、数メートル先すら見えない状態ではどうしようもない。
できの良い後輩が黙ってじっと僕を見ている。よく見るとその視線に篭った感情は非難ではなく期待のようだ。
まるで憧れの人と出会ったかのようにきらきらと眼が輝いている。
きっとリィズにあることないこと吹き込まれているせいだ。まだ非難されたほうがマシであった。
何かこの間、『白狼の巣』でも似たような事あったなぁ。
あの時は偶然にも遭難者の元にたどり着けたから良かったが、今回もなんとかなるとは思えない。ゲロ吐きそうだ。
僕は白旗をあげた。もったいぶって、諭すような口調で言う。
「ティノ……僕は弱い」
「……はい……ますたぁは弱いです!」
……自分でいい出したことだが、そうあっさり肯定されると来るものがあるなぁ。
「で、でも、人間、強さが全てじゃないよね」
「はい。強さが全てじゃないです!」
ティノが目を見開き、こくこくと頷く。どうやらただ全肯定しているだけのようだ。信奉者かな?
僕は馬鹿らしくなって率直に確認した。
「ティノ、帝都がどっちだかわかる?」
「?? はい。もちろん、あちらです」
体内に方位磁石でも持っているのだろうか。
ティノが不思議そうに瞬きして、さも当然のように右斜め前を指す。
今回はバックする必要はないようだ。そりゃそうだ。いくら僕が方向音痴でも、そう毎回毎回真逆の方向に逃げていられない。
「ティノ、警戒は任せた!」
「はい。ますたぁ!」
元気のいいお返事ありがとう。だが、ティノは立ち止まったまま、先に進もうとしない。
しばらく待ったが動く気配がないので追加指示を出す。
「そうだな。先導もしてもらおうかな」
「え!? でも、私じゃ迷惑を――……は、はい。おまかせください、ますたぁ」
指示出さないと動けない人かな? 指示出さなくても動いちゃいけない方に動いてしまうリィズちゃんとどっちがいいんでしょうか。
「急ぐ必要はない。走る必要はないからゆっくり行こう。ティノなら問題ないと思うけど、ここら辺は暗いから慎重にね」
「……はい。ますたぁ」
追加で要望を出す。情けない話だが、もうくたくただった。
走ろうと思えば走れないこともないが、いざという時のために体力は温存したい。
ティノが僕の要望通り、まるで足音でも殺すかのような慎重な足取りで歩き始める。
全身黒ずくめで黒髪のティノは油断すれば見失いそうになるくらい闇と同化していた。ここでティノとはぐれたら僕は終わりだ。その小さな背中にしっかりついていく。
真の闇は怪物のように僕たちに纏わりついていた。まるでここだけが世界と切り離されているかのようだ。
せめて『梟の眼』だけは魔力を再充填しておくべきだった。だが後悔してももう遅い。
「あの……ますたぁ。さっきのゴーレムは……何だったんですか?」
歩きながら、ティノが息が詰まったような声で聞いてくる。
そんなの僕が知りたいわ。
もしかしたら滅多に現れないボスなのかもしれないが、あんなのが出てくるのに、あの宝物殿をレベル1認定するなんて完全に詐欺である。僕の運かティノの引きが悪い可能性もあるけど、帝都に戻ったら資料を更新しなければいけないだろう。
だが、僕には見覚えはなかったが、リィズは見覚えがあるようだった。
そう、なんと言ってたんだったか――。
「あれはね……そう、『アカシャ』だよ。まあまあ強力なゴーレムだし、ティノの攻撃が通じなかったのも仕方ない」
しっかりティノへのフォローも入れておく。自信満々に言っておけばティノの不安も和らぐだろう。
決める時は決める。それがこの『千変万化』なのだ。
「アカシャ!? それはまさか、あの悪名高い『アカシャの塔』の……?」
アカシャの塔?
その単語に眉を顰めた。
全く聞き覚えのない単語である。悪名高いというからには悪名高いんだろうが、残念ながら僕の記憶のデータベースにはないようだ。
ティノの声は真剣だった。悪名高い組織なんて帝都付近でも腐るほどあるが(というか、嘆きの亡霊も悪名高いが)、声からすると有名な組織らしい。
だが、恐らく今回の件とは無関係だろう。
あれは幻影だ。ただのボスだ。あんな巨大なゴーレム、一時期ゴーレム研究にはまっていたシトリーでも生み出したところを見たことがない。
そもそも、レベル8宝物殿を攻略するリィズと拮抗するほどのゴーレムである。現代技術で生み出せるような代物ではないことは錬金術に全く詳しくない僕にでもわかる。
だが、完全に無関係と断じるには情報が少なすぎる。名前似てるんだからちょっとは関係あるんじゃないだろうか。関係あると言えなくもないんじゃないだろうか。いや、言える。
僕はふんわりした感じで答えた。後でリィズに詳しいことは確認しよう。
「関係なくもないけど、僕の言った『アカシャ』ってのはあのゴーレムの名前だよ。ティノが知らなくても無理はないな……僕だってそんなに詳しいわけじゃないし――」
「な、なぜ、貴様がその名前を知っているッ!?」
「……へ?」
その時、ふとこの場にいないはずの第三者の声が割り込んだ。年老いた男の声。
前を歩いていたティノが体勢を落とし、その腰の鞘から短剣を抜く。
ゼブルディア北の平原はとても広い。しかもここは敷かれた街道から離れている。人間なんているわけがない。
何がなんだかわからず目を丸くして声の聞こえた方向を見る。
そして、僕は信じられないものを見つけた。
「あり……えん」
「……ぷっ」
嗄れた声。ありえんはこっちの台詞である。
何故? その疑問が出る前に、思わず吹き出してしまった。
地面に空いた穴――さっきリィズがサンドラビットの巣と言っていた穴から、灰色のローブ姿の老人が上半身を出していた。
男だ。皺の刻まれた顔は引きつり、まるで親の仇でも見るかのように僕を睨みつけているが、それより意味わからなさすぎて面白すぎる。
状況だけあげるとホラーだが、僕はこういうシュールなシチュエーションに弱いのだ。
ニヤニヤしている内に老人はその年にしては信じられない俊敏な動作で穴の外に這い出てきた。
ティノが左腕を横にあげ、僕をかばうかのように前に出る。
「なんて魔力……只者じゃない」
何か言ってるが、こっちはそれどころではない。
「?? 何? ウサギ?? 笑わせにきてる?」
意味わかんねえ。初対面で失礼なのは自覚しているが、これは相手も悪いと思う。
どうしていいやら。混乱しながらニヤニヤする僕の前で、巣穴から追加でローブ姿の人間が這い上がってくる。
それも一人ではない。老若男女問わず、必死の表情で這い出てくるその姿はコメディ以外の何者でもない。
「ますたぁ」
ティノが僕を呼ぶ。その表情はにやけるのを止められない僕と異なり、酷く真剣だ。
冷たい印象を抱かせる端正な横顔に一筋の冷や汗が流れ落ちる。空気がひりついていた。今にも飛びかかっていきそうだ。
あれ? もしかして……まずい?
そう思った時には、巣穴から這い出てきた集団は体勢を整えていた。
よく見たらこの人達――魔導師のようだ。ローブに杖。人数は六人。
暗闇のせいでよく見えないが、各々杖を握り、僕とティノの進行を阻むかのように前数メートルの位置で立ち塞がっている。
ん???? んん? 一体これはどういう状況だ?
「千変万化、何故ここにッ――いや、それよりも、どこで、その名を知ったッ! まだ一度も、実戦に出してない兵器だ――ありえんッ!」
僕以外の全員がぴりぴりしていた。
この集団のリーダーなのか、一番最初に出てきた老魔導士が激昂したように叫ぶ。なんで僕の二つ名知ってるんだよ。
……確かに笑ってしまったのは悪いけど、でもそこまで怒る事はないと思う。
僕は短剣を構え威嚇するティノの肩を叩き、その前に踏み出した。老人達が気圧されたように一歩後退る。
なんだかわからないが、こういう時は誠心誠意謝るべきだ。たとえこちらに非がなかったとしても、だ。
ハンターには争いを避けようとするスキルが欠けていると思う。
「ああ、悪かったよ。僕達が全面的に悪かった。配慮が足りていなかった。まさかサンドラビットの巣から人が出てくるなんて思わなかったから、つい驚いてしまってさ」
ほら、こうやって謝罪すれば相手もわかってくれ――。
「!? な、何を、白々しい事をッ!」
「……いや、だって、普通こんな小さな巣穴に人が何人も入ってるなんて思わないよ? ごめんって。別に踏んだわけじゃないんだから――」
おかしいな……謝っているのに老人(多分サンドラビットの研究家か何か)の顔がどんどん歪み、赤くなっていく。暗闇の中でもわかるのだから相当怒っているのだろう。
「いや、別に、馬鹿にしていたわけじゃないんだ。巣穴の中に入ってはいけないなんて法律はないしね。うん、それも立派な仕事だと思うよ」
「ど、どこで名前を聞いたのか、と聞いて、おるのだッ!」
話が……通じない。まぁ偉そうな貴族にはよくあることだ。
僕は雑魚っぱだが、一応レベル8なので偉そうな貴族との面会経験くらいある。リィズ達が大暴れしてしまって出禁をくらってしまったが。このご老人は貴族ではないだろうが、格好から見て上流階級だろう。
しかし、名前って何のことだろうか?
腕を組み、老人を観察する。もしかして、さっき直前にティノと話していた内容を聞かれたのだろうか。
僕は警戒させないように穏やかな笑みを浮かべて言ってやった。
「『アカシャ』の事? あれなら……友達が教えてくれたんだよ。とても優秀な子でね」
「ッ……なん……だとッ……」
老魔導師が目を見開き、ぎりぎりと歯を食いしばる。反応おかしくない?
うーむ……年齢があまりに違いすぎるせいか何考えているのか全然わからない。
後ろをちらりと確認するが、ティノも身構えたままだ。まぁ怪しい男たちがいきなり巣穴から現れたら誰だって身構えるだろう。
もしかしたらこの人たちはあのゴーレムを恐れ警戒しているのだろうか?
表情から見ると微妙な線な気がするが、それ以外に思いつかない。まだ音が聞こえる後ろを親指で示し、努めて穏やかな声で言う。
「ああ、大丈夫。あのゴーレムなら僕の友達がさっさと片付けるから心配しなくていいよ。何なら終わるまで町に戻ってもいいし……」
「ッ……」
なんとか落ち着かせようとする僕に対して、ご老人の表情は全く和らがない。怒りでぷるぷる震えている。血圧上がるぞ。
もしかして土下座スキルの出番だろうか?
だが、何について謝るのかわかっていないのに土下座するなんて土下座マスターのプライドが許さない。可愛い後輩も見てるしなぁ。
どうしたものか困っていると、不意に冷たい何かが背筋を通り抜け、思わず身を震わせた。
これは――幻影や魔物を前にした時に感じる感覚。殺意と呼ばれるものに他ならない。
……殺意を向けられる程怒らせたつもりはないんだが。
「貴、様、愚弄するつもりか――ッ! 我々を、何だと思って――」
来たな。プライドを刺激しないように。プライドを刺激しないように……。
敵意のなさを微笑むことで示しながら答える。
「わかってるって。こんな時間にサンドラビットの巣穴の中にいるんだから――帝都に名高い、サンドラビットの研究家の方、ですよね。…………実は、ファンでした。サインください」
「ッ……こ、殺せええええええええええッ!」
「えッ!?」
老魔導師が杖を振り上げ、発狂したように叫ぶ。
あけすけすぎたか!?




