473 移送③
魔物や賊の襲撃を紙一重で撃退し、中継地点で護衛部隊を増員、再編成しながら進む事一週間。
ヒューはここしばらくの対応で疲労困憊だった。本来ならば自ら監獄に入ろうとするレベル8を護送するというなんという事もない任務だったはずなのに、毎日発生する謎の襲撃と、いくらやんわり拒否しても毎日転移してくる謎のセレン皇女は、二度の死地を切り抜け鍛えられたはずのヒューの精神を色々な方向から苛んだのだ。
フランツ団長がこれまでずっと似たような立場にいたとするのならば、騎士団長というのはその高い地位以上の苦労があるのかもしれなかった。
だが、ようやくその苦労も報われる。
いよいよイーストシール監獄島を含む、凪の領域に入るのだ。明日には全員監獄島に収監する事ができるだろう。
イーストシール監獄島が存在するのは広大なゼブルディア帝国の領土の中でも辺境も辺境である。一応区分としてはオルター侯爵領内に存在するが、おおよそ管理という管理はされていない。
呪われた地。マナ・マテリアルを奪取するという地形特性は天然の外壁となっており、強力な幻獣魔獣はもちろん、生き物という生き物はよりつかず、マナ・マテリアルがない故に付近には宝物殿も存在しない。
半ば放置された土地だったのでヒューも知らなかったのだが、イーストシール監獄島が作られるまでは本当にこの周辺は何もない、何も存在できない土地だったらしい。いくら危険人物の力を削げるからといって、補給も監視もままならない場所に監獄を作るなんて計画が実行できたのはゼブルディアの国力あっての偉業と言えるだろう。
今は一応、凪の領域のぎりぎり外に、監獄島への諸々の対応をするための監視拠点が存在していて、凪の領域近辺の唯一の人工物となっていた。
何もない荒野にぽつんと存在する砦にも似た構造物はどこか崩壊した文明めいた印象を抱かせる。
一台の護送車両を中心とした護送部隊を監視拠点の中に入れる。
ここまで来ればもう襲撃はないだろう。まだここは凪の領域ではないが、既に魔物などは生息していない。かろうじて、時折生えている植物だけがこの場所に未だマナ・マテリアルが通っている事を示している。
監視拠点を取り囲む外壁の上で冷たい風を浴びながら、今回の目的地である監獄島の方向を眺める。
凪の領域がどの辺りから存在するのかは一目瞭然だった。その領域の内部には、ここに来るまではまばらに生えていた草木が一切存在しないからだ。
だが、仮にそんな目印がなかったとしても、ヒューにはそこが異質な場所だという事がわかっただろう。
「なるほどなるほど……フランツ団長の言った通り、はっきりわかるな」
眉を顰め、ヒューは頷いた。
違う。遠目に見ただけではっきり伝わってくる、異質な空気。知性の低い魔物や動物も本能的に近づくのを避け、植物の類すら生じない完全なる空白地帯。
『呪いの精霊石』や、【星神の箱庭】から感じたものとも異なる怖気を感じた。きっと肉体が恐れ感じ取っているのだろう。その土地そのものが生命に及ぼす影響を。
イーストシール監獄島で活動する刑務官は騎士や元高レベルハンターなどの実力者から精鋭が選ばれるが、報酬が他と比べて桁外れに高い上に、三ヶ月で交代らしい。それでもその職は全く人気がないのだという。命をかけて鍛え上げてきた力が失われるのだから当然だろう。
今回護送に参加している騎士団がその地に立ち入るのはごく短時間だが、それでも特別手当と休暇が与えられる。帝国の騎士団の質は諸国と比べれば高いが、さすがに高レベルハンター程のマナ・マテリアル保持力はない。
第零騎士団のヒューは騎士の中でも上澄みだが、果たしてどれだけ力が落ちるか――。
毎日やってくるセレン皇女も、今目の前に広がる凪の領域の光景を見れば収監される《千変万化》の近くに転移しようなどとは思わないだろう。マナ・マテリアルとはマナの源、当然、セレン皇女の強みである魔術とも密接な関係があるのだから。
イーストシール監獄島に自ら入るなどと馬鹿げた事を言い出しても許容されるのは、《千変万化》クラスの怪物だけなのだ。
今頃、《千変万化》と一緒に収監される奴らも、イーストシール監獄島の恐ろしさを肌で感じ取って青ざめている事だろう。
§ § §
「いよいよ明日ですよ。心の準備はお済みですか?」
「待ちくたびれたよ、いや、本当に」
もう何日になるだろうか。手錠や目隠しから解放され、いつもの食事時間にヒューからかけられた言葉に、僕はため息をついた。
移動中は大体寝ていたので体感時間的にはそこまで苦ではなかったのだが、いくら何でもこんなに遠くに移動するとは予想していなかった。帝国は確かに広いが……だって解放のための手続きをするだけだよ?
セレンが毎日来るので僕の情報はシトリー達にも伝わっているとは思うが…………いい加減帝都の甘味が恋しいよ。
「途中でなんかあったの?」
「……いえいえ。貴方からすると大した事ではありませんが、十五回程襲撃があっただけです」
「………………なるほど」
十五回なら……大した事ないな! でも僕の運が悪いせいだったら申し訳ない!
僕は話を変えた。
「手続きって、僕は何をやればいいの?」
「特にこちらからやっていただく事はありません。そういった諸々はフランツ団長が手配してくれているはずなので…………」
「それは…………助かるねえ。フランツさんにお礼言っといてよ」
それならなんで僕はここまで来たんでしょうか?
まぁやることはないに越した事はないし、あえて文句を言うつもりもないんだが。
なんか長旅で疲れてしまったし、クランハウスに戻ったらしばらくは私室でごろごろしよう。宝具に釣られてとんでもない事をしでかしてしまった件について反省文でも書こうか……ハンターってのは無能も罪だからな。
そんな事を考えていると、ヒューが話しかけてくる。
「ところで、明日には目的地に着くのですが、一つだけ注意点があります。貴方の特別待遇を知る者は……ほとんどいないという事です」
「? というと?」
「フランツ団長が色々手を回している事を、周りは知らないという事です。賊はもちろん、帝国側の人間でも知る者は多くありません。表向き公平性を欠くのはまずいので……」
「?? ……ふむふむ、なるほど……?」
なんだか凄い理解しづらい言い方である。だが、なるほど、確かに……罪は罪である。帝国法に抵触した以上は結果的に問題がなかったとしても捕まって然るべきだろう。捕まらなかったらゼブルディアで真面目に生きている人からのバッシング間違いなしだ。
だが、僕が無罪放免なのは変わらないわけで……つまり、周りから見たら僕は罪を犯して捕縛されたはずなのに何故か監獄に入れられずに自由に帝都を歩いてる人って事になるのでは?
「……それって、僕が自由に動いていたら問題じゃない? なんで拘束されてないんだって思われるでしょ?」
「そうですね。まぁ、貴方はレベル8なのでどうとでもなるとは思いますが……ご留意ください」
対策とか特にないんかい。ご留意くださいって……まぁ、帝都に戻ったらエヴァかシトリーに相談すればなんとかしてくれるかな。なんとかなるまでクランマスター室に引きこもっていてもいいし。
「ところで今日はセレン皇女がきませんね……」
そういえばそうだな……ここ最近は毎日来てたのに……。
「まぁ、セレンもほら、忙しいからね。今日は来ないんじゃないかな。そもそも僕が捕まるまでは来てなかったし」
しかも、セレンは来て何をやるでもなかった。特に重要な話をするでもなく、駄弁ってご飯を食べて帰るだけだ。何をしに来ているのか本当に謎である(本人は心配してとか言ってたけど)。
「タイミングが悪い……明日にはイーストシール監獄島に到着するって言うのに」
「!? ……ああ、そうだね。タイミングが悪いなあ」
そして、僕って監獄島に向かっていたのか! 初めて知ったよ。
監獄島の噂はシトリーから聞いていたので珍しく僕でも知っていた。何でも集団脱獄事件をきっかけに作られた重犯罪者向けの監獄なんだとか。
高レベルハンタークラスの犯罪者が沢山入れられているとかで、シトリーが一度は見学に行きたいけど外部からの接触が完全に遮断されているって残念がっていたんだよ。変わった趣味だが、シトリーは好奇心旺盛なのであった。
僕は監獄になんて興味も何もないのだが、色々見たものを話してあげれば喜ぶに違いない。
しかし、解放手続きが監獄で行われるとは、知らなかったなあ。
「なんか楽しみになってきたなあ、監獄島」
「!? そんな事を言えるのは、《千変万化》、貴方くらいですよ。一緒に移送していた賊達は監獄の気配を察して大人しくなってますからね」
「他の人達は監獄島に収監されるの?」
「?? もちろんです。もちろん、《千変万化》と比べたら大した格ではありませんが……それに、貴方が高機動要塞都市コードで捕まえた連中も収監されていますよ」
…………捕まえた記憶ないんだけど、多分サヤやカイザーが捕まえた連中の事なんだろうなあ。収監されている状態なら危険はないんだろうけど、余り会いたくはない。
若干他人事な気分でいると、ヒューがおかしな事を聞いてくる。
「そういえば、先ほども言った通り、明日には監獄島に到着しますが、気分はどうですか?」
「気分……? いつもと特に変わらないけど……」
馬車の中はほとんど揺れもなく快適だったし、ずっと眠っていたので体力も減ってはいない。
「むしろいつもより調子がいいかも……」
ずっとアイマスクつけていたからかな。暇といえば暇だったけど、まあ寝てしまえば良いことだから。
「そんな馬鹿な……まあ、余裕そうで大変結構ですよ。明日凪の領域に入った後、もしも気が変わったら言ってください。まだ間に合いますから」
「え……あー。うんうん、わかったよ」
気が変わるって何の気が変わるというのだろう。間に合うって何に? それに、凪の領域とは一体……?
僕は別に何もわかっていなかったが、ハードボイルドな笑みを浮かべて見せた。
難しい事情なんてどうでもいい。手続きをして貰って帝都に戻る。それだけなのだ。
§ § §
監獄島への護送は血塗れのジャックにとって想定外の連続だった。
異様な程多い襲撃に、ジャックと同じ馬車で護送されている間ずっと沈黙を保つ元レベル8のレッドハンター。そのレッドハンターからの命令でジャックの夕食にドラゴンが出てきた時は、囚われの状態で騎士に命令できるなんてどれほど巨大な権勢を誇っているんだと驚いたものだが――その驚きも、今肌で感じているこの感覚と比べれば霞む。
全身が冷水に沈んだような悪寒。マナ・マテリアルにより培われた感覚が囁く最大限の危険。
いや――前日からわかっていた。妙な胸騒ぎがしたのだ。恐らく、護送される他の者達も大なり小なり似たようなものを感じていただろう。
そして、現地についた瞬間、予感は確信に変わったのだ。
「お、おいッ! 俺を、どこに連れて行くつもりだッ!」
叫ぶ事に意味などない。体力を無駄に消耗するだけだ。だが、気がついた時には、ジャックは全力で叫んでいた。
ほぼ反射的に拘束を解こうとする。ぎしぎしと軋む拘束衣に、手錠。
「大人しくしろ、ジャック、グランド、ザック! 騒いだって無駄だ」
力が――苦労して取り込んだマナ・マテリアルが、抜けていく。
そりゃ、取り込んだマナ・マテリアルは宝物殿の外にいる際には抜けていくものだが、今回はその速度が違った。
普段の街中でマナ・マテリアルが抜ける速度は自分でも気づかない程度なのだ。だが、今感じているこれは――。
その時、ジャックは帝国が作り出した重犯罪者用の監獄がどのような代物なのか理解した。
どういう仕組みかはわからないが、マナ・マテリアルを肉体から奪い取り物理的に重犯罪者を弱体化する非人道的な監獄。
元レベル6でそれなり以上のマナ・マテリアル保持能力を持つジャックでも自覚できる速度で力が抜けるのだ、超高レベルハンタークラスの賊でも長くいれば弱体化は避けられまい。
まさしく、最悪の監獄だ。愕然とするジャックに、騎士が声をあげる。
「おかしな事を考えるなよ。この現象は全て地理的な影響によるものだ、回避する方法はない。脱獄しようとしても無駄だ、監獄の職員や兵は定期的に交代する事で強さを保っているからな」
「ッ…………思い切った手を打ったもんだな」
監獄を運営する側もマナ・マテリアルを奪われるなど、金銭では代えられない莫大なコストだ。だが、その話が真実ならば、この監獄の入れられた囚人達にとっては絶望だろう。さすがの高レベルハンターでも地理的な影響をどうにかするなど不可能だ。
「それだけお前達が脅威だって事だ。今更罪を悔いたって遅い。せいぜい、監獄で刑期が過ぎるのを大人しく待つんだな」
刑期が過ぎるのを待つ、だって? とんでもない話だ。その間にマナ・マテリアルが全て抜けきってしまう。
そんな状態で解放されても、恨みを買った連中に報復されるのが関の山だ。
どうにかして、逃げなくては……ジャックだけでは不可能だ。ジャックは叫んだ。
「おい、レベル8! 逃げるぞ、協力しろ! わかるだろう? これはやばい! このまま連れて行かれたら一巻の終わりだぜッ!」
拘束衣など意味がないという理由で手錠しか装着されていない元レベル8。その力ならばこの場にいる騎士を皆殺しにして逃げ延びる事も可能なはずだ。
――だが、やはり元レベル8はジャックの言葉に何の反応も見せなかった。
言葉を返さないどころか、身じろぎ一つしていない。まるで……何も聞こえていないかのように。
突然のジャックの行動にも、騎士は全く焦っていなかった。馬鹿にしたような口調でジャックに言う。
「無駄だ、この男はそういう下らない提案に乗るようなレベルじゃない。そもそも、逃げるくらいなら昨晩の段階で動いている。この男はジャック、お前など比較にならん重罪人だが、同時に一種の信頼もあるわけだ。《千変万化》はゼブルディアの元英雄だからな」
「ッ…………クソッ」
もっともな言葉だ。そもそも、元レベル8をこの程度の人員で護送するなど正気の沙汰じゃない。騎士達が《千変万化》の要求を聞き入れている事を考えても、《千変万化》が大人しくしているのには何か理由があるのだろう。
この全身から力を抜かれる気持ち悪さを凌駕する理由が。
その理由さえわかれば、あるいはその男と共に行動する事も可能かもしれない。
マナ・マテリアルを抜かれていく感覚に吐き気すら感じる。監視として付いている騎士の声もどこか重いし、馬車の進む速度も落ちているようだ。馬車を引く馬からもマナ・マテリアルが抜けているからなのだろう。
その時、馬車が停止した。
水の気配。監視の騎士の声が聞こえる。
「ここから先は船で移動する。ようやく目的地だ。《千変万化》、そろそろ起きろ」
まだ寝ていたのか!? この感覚の中で!?
マナ・マテリアルが抜けても平然としていられる程豪胆なのか、あるいはこの環境でも影響ない程のマナ・マテリアル保持能力を持っているのか?
少なくとも…………ジャックには、そこまで圧倒的な気配には感じないが――。
「ふあああああ…………やっとついたの? 待ちくたびれたよ。監獄島、楽しみだなあ」
欠伸の音と共に、レベル8レッドハンターのどこか間の抜けた声が初めて聞こえてきた。




