468 思惑
《千変万化》、逮捕される。
その情報は静かに、だが確実に帝都内に広まりつつあった。
帝国側としても、これまで目覚ましい活躍をしてきたその男を捕まえたくはなかった。だが、そうしないわけにもいかなかった。
何しろ、《千変万化》は自白しているのだ。自分の罪を告白しているのだ。そこに情状酌量の余地があるかどうかは置いておいて、捕縛に動かねばあらゆる方面から舐められる事になるし、法治国家としての信頼も地に落ちる。
今回の《千変万化》の行いは、帝国で最も重い罪である十罪の内の一つに値する。帝都を宝物殿化して幻影が自由に歩き回れる環境にするなど、到底許される行いではない。《千変万化》がやらなくてもいずれそうなっていただとか、幻影が白旗をあげたので被害は最小限に抑えられるだろうとか、その辺りは別の話である。
《千変万化》の犯した罪は一般に公表すれば帝都中を混乱に陥れかねないものだ。情報統制を行ったため、その罪は極一部の人間にしか知らされていない。
そのため、《千変万化》がただ逮捕されたという情報だけを聞き、帝国には数多の苦情が来ていた。
探索者協会には《千変万化》がしでかした事と、レディとの交渉があった事は連絡してあるので、そちらからの苦情はなかったが、それでも膨大な数だ。
ゼブルディア帝国の皇城の一室で、フランツは大量に送られてくる、混迷した状況を示す報告書に、うんざりして吐き捨てた。
「クソッ、どいつもこいつも、こちらの事情も知らずに……」
「レベル8ハンターは英雄ですからね。捕まった理由を公にしていませんし」
「ああ、わかってる。わかってるわ。だが、公にできるわけなかろう!」
そんな事をすれば、余りにも影響が大きくなりすぎる。《千変万化》が宝物殿と帝都を融合させたという情報はもとより、その幻影達が接触してきた件についても公表はできない。
後者だけを隠して犯した罪の詳細を公表すれば、帝国は《千変万化》を処刑しなければならなくなる。あるいは国外追放だろうか……だが、もしそんな事になればどれだけのハンターが敵に回るかわからない。
普通に考えれば十罪に抵触したハンターに味方する者などいるわけがないのだが、その男は普通じゃない状況ばかり起こしている男なのである。
未来すら見えているとされる程の神算鬼謀を前にすれば何が起こってもおかしくないのだ。
だから、帝国はレディとの接触を経て、議論に議論を重ねた結果――自然な流れでクライ・アンドリヒを監獄にぶち込む事にした。
《千変万化》は偉大なる功績をあげていたが、公表もできないとてつもなく重い罪を犯した。功績と差し引きで処刑は免れたが、その代わり超高レベルハンタークラスの犯罪者をターゲットに設計された監獄島に収監する。まあ誰が聞いてもある程度は納得できる、自然な流れだ。
「《千変万化》がいなくなったら帝都も騒がしくなりそうですね」
「確かに、あの男が犯罪の抑制に一役買っていたのは間違いないが……そもそも、それも歪だったのだ。治安の維持は騎士団の役割だからな」
現在帝都の治安はその都市の規模にしてはかなり良好だ。元々潜伏していた厄介な組織は壊滅したし、逃げ出した。極めて珍しい、腕っ節ではなく頭脳でレベル8に至ったハンターが悪名高い《嘆きの亡霊》と共にやりたい放題しているのだから妥当ではある。
厄介なハンターがいなくなったその隙に、帝都に根を張ろうと目論む組織も出るだろう。神隠し騒動は一応の決着がついたが、今度はそちらの対応をせねばならない。
「まったく、次から次へと、休む暇もないな。しかも頭の痛い問題ばかりだ」
フランツがしかめっ面でティーカップを呷ったその時、また頭の痛い問題がやってきた。
「フランツ団長、ユグドラのセレン皇女がお見えです。今すぐに《千変万化》を解放しろ、と」
来たか……わかっていた。セレン皇女のフットワークの異常な軽さも、《千変万化》に肩入れしている事も。
人族のまともな国ならば何の事前連絡もなくトップがやってくるなどありえないし、何の交渉もなくいきなり逮捕した者を解放しろなどと言うこともない。
だが、セレン・ユグドラ・フレステルならばやるのである。彼女は人族の貴族を恐れないし、ユグドラに住む全ての精霊人は彼女の行動を止めたりしない。
個人の意思決定が国としての意思決定と同じなので、速度が早すぎて帝国でもついていけていなかった。
彼女は、では国交開始は明日からでとか言い出すのだ。そして逆もまた然りなのであった。
それなりにセレン皇女と付き合いのあるフランツには確信できる。
彼女は平気でやっぱり国交やめますね、とか言い出して全て白紙にする精霊人だ、と。
「探索者協会から絶対に機嫌を損ねないよう念押しが」
「……しでかしたのは探協所属のハンターだぞ?」
だが、皇帝陛下からも、セレン皇女とのやりとりには細心の注意を払うように言いつけられていた。
帝国とユグドラの間で国交の目処が立った事は既に他国にも知れ渡っている。ここで全てが白紙になればいい笑いものどころの騒ぎではない。
ずきずき痛みだした頭を押さえ堪えている内に扉の外が騒がしくなってくる。
「い、いけません、セレン皇女! 取り次ぎますからどうかお待ちくださ――」
そして、扉が勢いよく開けられた。
深い森の奥を想わせる薄い緑がかった長髪に、誰もが目を疑うこれ以上ないくらい整った目鼻立ち。精霊人の厄介な性質を知っているフランツでも思わず唸ってしまう美貌の持ち主は、フランツに冷ややかな眼差しを向けて言った。
「フランツ、クライを逮捕したというのは真実ですか? 真実ならば解放しなさい。今すぐに。彼はユグドラの恩人です」
完全なる内政干渉である。おまけに他国の貴族に命令口調だ。人族の国ならば相当野蛮な国でなければありえない対応だが、セレン皇女に悪気がないのはわかっていた。
精霊人とは、こういうものなのだ。
フランツは毅然とした態度で、真っ向から目と目を合わせて応える。
「真実だが、それは出来かねる。クライ・アンドリヒは帝国法に触れたのだ。何をしたのか知りたいのならば、お教えするが」
「ユグドラの法には触れていません。フランツ、いいですか? もう一度言いますよ? 私は、クライを、解放しろと、お願いしているのです。さもなくば、国交の件はなしにします」
ああ、頭がずきずきして吐き気がしてくる。クソッ。
「帝国側だけではない。ユグドラからも多くの人員が協力して国交開始に動いているはずだ。そもそも国交は互いの利益になる。それを全て無下にすると、セレン皇女はそう言うのか?」
「私の言葉に二言はありません」
二言はないけど約束は反故にするんだな。
セレン皇女はそこでにこりと花開くような笑みを浮かべる。突っ立っていた部下の騎士がその感情を揺さぶる笑顔に息を呑む。
まるで子供に言い聞かせるかのような口調でセレンが言った。
「いいですか、フランツ。精霊人は、人族と違って受けた恩は忘れない。例えそれが国の利益になったとしても――クライを見捨てて国と交流を開始すれば私はこれまでユグドラを守ってきた歴代の王に顔向けできません。わかりますね?」
「それでユグドラの民は納得するのか?」
「くだらない話は結構です。一秒でも早く、彼を解放しなさい。これが、最終通告です」
目を細め、セレンが威嚇してくる。その身に渦巻く魔力は強すぎて、殺意はないのにもはや禍々しい。
精霊人は生来の魔導師だ。それが、高位精霊人ともなれば、その力は人族の魔導師など足元に及ぶまい。最高位の精霊もついているそうだし。
「クライの苦痛を想えば、私はすぐに動くべきだったでしょう。それを、譲歩して、こうしてまず話をしにきたのです、フランツ。貴方は愚かではないはずです」
これで譲歩しているつもりとは…………とんでもない話だ。
だが、帝国のあらゆる機関がフランツの苦労も知らずにユグドラとの交流を求めていた。国益を考えたら選択肢がないのはわかるが、まったくもって忌々しい。
フランツは思わず舌打ちをした。他国のトップを前に舌打ちなど本来ありえないのだが、セレン皇女がそんな事を気にしないのはわかっていた。
よくも悪くも目の前の皇女は自由すぎる。そもそも何故護衛の一人もつけていないのだ?
吐き捨てるように言う。
「……苦痛だと? 苦痛を味わっている男が、拘留中にチョコレートを要求したりするかっ!!」
「もしかして柄物のシャツを着ていませんでしたか?」
「着ていない」
「…………そうですかそうですか。それは、仕方ないですね」
仕方なくないわッ!
どんな恩を売ればセレン皇女をここまで味方につけられるのか、不思議でならない。確かに国交を結べればと、予言周りの事件の後始末を請け負いユグドラに送り出したのだが、やり過ぎであった。
あの男は、何をするにも、やり過ぎだ。
やはり人族の外交でセレン皇女を説き伏せるのは不可能だ。フランツは顔を顰めると、本命を試す事にした。
「それに、セレン皇女は勘違いしている。あの男は、自主的に捕まったのだ」
「…………どういう事ですか?」
ああもストレートで致命的なまでの自白を皆の前で行わなければ、《千変万化》が罪に問われる事は絶対になかった。あの男は我が身すら顧みずにフランツ達を全力で煽っている。
あんな自白をすれば捕まる事も、その行動が帝国法どころか十罪に値するのは神算鬼謀でなくても明らかなのだ。それを、あの男はあの場で全て吐いた。フランツ達をあざ笑うかのように。
「イーストシール監獄島。レベル8が罪を自白などすれば、重犯罪者を対象にしたあの監獄に収監される事は明らかだ。あの男がそれを理解していないわけがなかろう」
「なるほど……一理ありますね」
「そこで我々は、《千変万化》の判断を尊重して大人しく収監する事にしたわけだ。邪魔するのはやめて、な。あそこには超高レベルハンタークラスの犯罪者が何人も収監されているからな。どうせあの男、またろくでもない事を考えているのだろう」
コードで捕らえられた空尾と剣尾も収監されているしな。
イーストシール監獄島はただの監獄ではない。極めて危険な力を持った重犯罪者が収監される場所だ。レベル8程の功績がある状態では並大抵の罪では入れない。
本来ならば監獄の中に潜入するために罪を犯すなど絶対に許されないが、今回はその思惑を外そうとすれば逆に面倒な事態を引き起こしてしまうのでやむを得ない。
さすがに宝物殿を帝都と融合させるのは、やり過ぎだが――何が問題って、誰にも何も言わずに独断で実行したのが一番の問題だ。どこの世界に無断で大国の首都と宝物殿を融合させる高レベルハンターが存在しようか。
セレン皇女は思案げな表情をしていたが、腑に落ちたように頷き、笑みを浮かべて言った。
「わかりました。確かに、貴方が正しいようです。さすがクライの左手首なだけありますね」
それはやめろ。
「自ら潜入するというのならば、止めるわけにはいきませんね。それは恩を仇で返すようなものです」
先程までの纏った険しい空気がなくなっている。何とかなったか……。
ほっと息をつくフランツに、セレン皇女がにこやかに言った。
「それでは、クライへの便宜、お願いしますね。それで手を打ちましょう」
「便、宜……?」
何を言っているのだ、セレン皇女は。
思わず目を丸くするフランツに、セレン皇女が鈴を転がすかのような美しい声で無茶振りした。
「便宜、です。監獄島とやらには不便も多いでしょう。クライが一切、何不自由ないように取り計らいなさい。それを以て、国交白紙を白紙にしましょう」




