465 嘆きの亡霊は引退したい⑩
「この度はぁ、すいませんでしたあああああああああああああ!」
「!? な、何を謝っとるんだ、ぼけえええええええッ!」
「お、落ち着け、フランツ卿! まずは話を聞かねば――」
世界でも屈指の大国の一つである帝都ゼブルディア。
その中心に存在する皇城に今、僕ことクライ・アンドリヒは呼び出されていた。
帝都はここ数日で大きく様相を変えていた。
どうも、町中で幻影が出現するようになったらしいのだ。
幸運な事に僕はまだ幻影と遭遇してはいないし、にわかには信じがたい現象なので『らしい』としか言えないのだが、ハンターや騎士団は全て動員され、対応に追われているというので真実なのだろう。
今のところ凄惨な事件が起こったというニュースはないが、それも大国ゼブルディアの有する戦力の高さ故なのかもしれない。
案内された会議室のような一室。
開幕で華麗なる土下座を披露する僕に、浴びせかけられる怒声。なんだか聞き覚えのある声だ。
というか、フランツ卿――つまり、フランツさんだった。なんだか最近やけに関わる機会が多い気がする。
神妙な面持ち(もちろん絨毯にべったり顔をつけているが)の僕に、厳かな声がかけられる。
「立て、《千変万化》。そんな事をさせるために呼んだわけではない」
恐る恐る顔をあげる。
仮にも大国の皇城の中とは思えない、ほとんど装飾のない質実剛健とした内装。広々とした部屋には大きなテーブルが並べられ、険しい顔をした人達が囲んでいる。服装からして貴族だろう。
フランツさんは部屋の奥側で仁王立ちしていた。顔が真っ赤になっており、プルプルと震えている。
そして、部屋の最奥にどっしりと腰を下ろしている壮年の男。あれはもしや……皇帝陛下では?
てか、今の声、皇帝では?
呼び出された時点である程度は覚悟していたが、予想外の事態にゲロ吐きそうだった。
ゼブルディア程の大国の皇帝陛下となると、仮に会いたくてもそう簡単に会えるような存在ではない。
謁見でもないのに、皇帝陛下の前に呼び出されるなんて、僕はどうなってしまうのでしょうか。
フランツさんがふーふーと呼吸を落ち着け、僕を睨みつけて、問いかけてくる。
「…………《千変万化》、何故呼び出されたのか、わかっているな?」
わからない……と言いたいが、今回は珍しい事に、わかっていた。
というか、わかっていたから呼び出しに応じたのである。
僕はこれまで様々な事件に巻き込まれてきた、その多くは僕側には一切の非はなかった。あったとしてもせいぜい一割だとか、その程度であった。
だが、理屈こそわからないものの、今回の件については僕側にも明確に非があったのだ。
十割ではなくとも、七割……いや、五割くらいはあるだろう。
ここまで大事に至った以上は言い逃れはできないし、しらばっくれるなどできるわけもない。
というか、僕が吐かなくてもルシアが喋るだろう。そしてそれは正しい行為なのである。
僕は大きく息を吸うと、精一杯の申し訳無さを込めて言った。
「……僕がボタンを押して、外で幻影が現れるようになった件についてだろ?」
「!???」
部屋の中がしんと静まりかえった。
僕があの宝物殿でボタンを押した時に発生した変化はコード墜落に匹敵する凄まじい変化だった。
目に見える何かが変わったわけではない。だが、その変化は感覚の鈍い僕にも明らかだった。
強いて言うのならば、変わったのは周り全てだろうか。
あのボタンが何だったのか、結局僕は何も知らない。だが、ボタンを押したあの夜から帝都内で幻影が現れ始めたらしいので、因果関係があると考えるのが自然だ。
いや、もしかしたら偶然の可能性もゼロではないけどね!!
常々、幼馴染達が何かとんでもない事件を起こしたら帝都から逃げ出そうと思っていたのだが、実際に起こしてみるととても逃げ出す気にはなれない。
わざとじゃないんだよ…………いや、本当に、巧妙な罠だったのだ。
しばしの静寂。フランツさんが、かすれた声で問いただしてくる。
「ちょっと待て、今、なんと言った?」
「えっと……僕が神隠しに遭った先でボタンを押したから幻影が現れるようになった?」
「??? つ、つまり、なんだ? 貴様は、こう言っているのか? 今のこの大混乱を招いたのは、自分だ、と?」
「まぁ、多分?」
「………………」
顔を真っ赤にし、鬼の形相で震えるフランツさん。他の貴族達も困惑と怒りの入り混じった表情をしている。皇帝陛下に至っては、眉間にシワを寄せ目をつぶっていた。
なるほど、本当にやばい事件を起こされるとこんな反応になるのか……。
帝国法についての知識はある程度持っている。今回の件は故意ならば間違いなく極刑の案件であった。
いかにしてこれが事故であるとわかってもらえるかによって僕の罪の重さは変わるだろう。
「で、でも、わざとじゃないんだ。ほら、なかなか神隠しの事件が解決しなかったせいでもあるし」
「………………」
ルシアがどうしてあそこにいたのか、事情は聞いていた。
神隠しの件が解決していれば僕は騙されて宝物殿に行くこともなかっただろうし、ボタンを押すこともなかったのだ。事件の捜査は騎士団が主導で進めていたので、ボタンが押されてしまったのは騎士団の怠慢とも言える………………無理かな?
「…………」
なんかやばい雰囲気だ。激怒されるのは覚悟の上で来たのだが、今はただただこの静寂が怖い。
心配になりそうなくらい顔が真っ赤になっているフランツさん。もう平謝りするしかない。
僕はただひたすら申し訳無さそうな表情を作って言った。
「本当に、すみませんでした。……ところで、神隠しの被害者は奇跡的に皆無事だったって聞いていたんだけど」
「…………全員無事だ」
「騎士団やハンター達が待機していたおかげで現れた幻影による死者も出ていないって聞いてるんだけど…………」
エヴァ情報である。毎回確認しているのだが、被害者の数は大切だ。
僕のミスで死者が出たらどれだけ謝罪してもしきれない。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
僕の言葉に、再び嫌な沈黙が室内に立ち込める。この緊張感、なんか夢に見そうだ。
やがて、フランツさんが震える声で言った。
「い、いつもは、知らないと言い張る癖に、今回は自分がやったとは……どういうつもりだ?」
どういうつもりだと言われましても……僕はやってしまった件で呼び出されたと思ってここに来たのだが? 隠したっていつかはバレるし、謝罪は早い方がいいのだ。
「…………いや、いつもは本当に知らないんだよ。でも今回は知ってるからさ……正直は美徳でしょ? 僕の言葉が真実かどうか確かめたいならほら、いつもの『真実の涙』を使えばいいよ……」
虚偽を明らかにする帝国の至宝『真実の涙』を使えば僕が嘘をついていない事など簡単に明らかにできるはずだ。
だが、自ら宝具の使用を進言する僕に対して、フランツさんの表情は変わらなかった。
ただ、大きく何度も深呼吸をして、震える声で確認してくる。
「つまり、《千変万化》。貴様は、この神隠しの事件について全てを知っていると考えても良いのだな?」
「え……良くないけど」
知らないから! 全てを知っているどころか何も知らないから!
「僕が知ってるのはやってしまった事だけだ。それも、騙されていたんだ! 幻影の巧妙な罠にかけられたんだよ! 大体、ずっとクランマスター室で謹慎していた僕が知ってるわけないでしょ!」
「ッ…………ぐっ……言うに事欠いてッ――」
なんか今日のフランツさん普段よりも大人しいんだけど、良く考えたらこれってもしかして隣に皇帝陛下がいるからかな? 貴族も勢揃いしているわけで、迂闊に怒鳴りつけられないのかもしれない。
今なら……質問をしても大丈夫かもしれない。
僕がここに来た目的の一つは謝罪であり、もう一つは確認しなければならない事があったからだ。
被害の規模とか数も確認しなくてはいけなかったが、もう一つ。
「あの……一つ確認したい事があるんだけど」
「なんだ?」
恐る恐る挙手をする僕に、フランツさんが殺意すら感じさせる眼差しを向けてくる。
僕は大きく深呼吸をすると、勇気を振り絞って聞いた。
「今回の件って…………帝国法に触れますか?」
「!? ???」
フランツさんの目が見開かれ、一瞬その表情から怒りが消える。
そして、再び悪鬼の如き表情に代わりかけたところで、隣に座っていた皇帝陛下がため息をついて言った。
「《千変万化》、お前の主張はわかった。今回の件は前代未聞、当然帝国法にも触れるが――状況を正しく把握するまで時間が必要だな。謹慎の継続を命じる。沙汰を下すまで大人しくしていろ」
§ § §
《千変万化》が、小憎たらしい、あからさまな、少し申し訳なさそうな表情で会議室を出ていく。
フランツ・アーグマンは久々に何もかもを放りだして叫びたい気分だった。
まだそれをせずにギリギリ耐え凌げているのは、隣に皇帝陛下がいるという状況と、これまで《千変万化》から受けてきた仕打ち故だろう。
会議室には得体のしれない空気が蔓延していた。誰も何も言えなかった。帝国貴族が集まった会合の場ではあり得ない事態である。
だが、そんな状況になってしまうくらい、《千変万化》の発言は酷すぎたのだ。
フランツ達が《千変万化》を呼び出したのはこの事件の詳細について聞くためだ。だが、フランツは実際のところ、《千変万化》が答えをくれるとは思っていなかった。これまで発生した重大な事件の数々で何も知らないを貫き通していたのだから、当然である。
だが、それでも良かった。今回の神隠しの原因――宝物殿については、ある程度ヒューが情報を持ち帰ってきているからだ。
人間の恐怖を利用する宝物殿――【星神の箱庭】。
神殿型宝物殿の跡地に帝都を移す事にした時点である程度のリスクは織り込み済みである。リスクを踏んででも、移さなくてはならない理由があったのだ。大都市を建設する事でマナ・マテリアルを吸収し、再び神殿型宝物殿が顕現するのを止めねばならないという理由が。
そして、その成果は確かにあらわれていた。
宝物殿から溢れ出してきた幻影達は大した強さではなかった。少なくともフランツが敷いた布陣を突破できる程ではなかった。
本来の神殿型宝物殿の幻影とは比較にならない弱さの幻影達は、間違いなくマナ・マテリアル不足によるものだ。そしてそれは、遷都を決めた当時のゼブルディア皇帝の決定が正しかった事を示している。
帝国内部では今回の出来事は天災のようなものだという判断がなされていた。
死者も出ていないし、遷都していなければこの場所には更に強力な宝物殿が顕現し、今とは比べ物にならない被害が出ていただろう。事件を早期解決できなかったハンターや騎士団を含め、誰も責める事はできない……はずだったのだ。
それが、全てぶち壊された。呼び出した《千変万化》の証言によって――。
自分がやった、だと? しかもこの公の場で――まさしく、最悪である。
誰の責任でもなかったはずの事件に、首謀者が出てきてしまった。冗談では済まされない、済ましてはならない状況になってしまった。
正直は美徳、だと!? あの男、何を考えているのだ!
必要な情報を出さずに、いらない情報を出すとは本当に最悪である。
ましてや、自分がやった、だと?
防げなかったならばまだ許せたものの、自分がやったとは、どういう事だ!
「皆の意見を聞こう」
あの剛腕で知られる皇帝陛下がため息をついて意見を求める。
「……まぁ、帝国法に照らし合わせて順当に考えれば、極刑か良くて国外追放でしょうな」
「これまでもあの男は帝国に協力的ではなかった。ただのハンターがこれまで追放されてなかったのが奇跡みたいなものだ」
馬鹿げた言葉だ。ただのハンターではないから、追放されていないのだ。
あの男がこれまで罪に問われていなかったのはおかしな話だが、順当な事なのであった。
フランツは確かに《千変万化》を監獄にぶち込んでやろうとは思っていた。
だが、それはあくまで、謹慎処分を破り動いた件について罪を問うつもりだったのであって、その罪状が幻影を解き放った事になると、余りにも事が重大になりすぎる。
確かに、帝国法に則れば極刑か永久国外追放処分が妥当である。どんなイカれた賊でもやらない事をしでかしたのだから。
だが、それは余りにも浅慮と言わざるを得なかった。
そこで、貴族の一人が異議を唱える。
「待て待て待て。忘れてはならんぞ、ユグドラとの国交の事を。今《千変万化》を極刑に処せば国交は白紙になりかねん」
「そんな馬鹿な…………セレン皇女は相当乗り気だと聞いたぞ。いくら縁があるとはいえ、犯罪者を処罰する事で白紙にするなど、国家の代表がやることではないし、国民も許さないはずだ」
いや――セレン皇女ならば間違いなくやるだろう。そしてその決定に、他のユグドラの住民達は異を唱えない。
言わば、ユグドラとはセレン皇女をトップとした独裁国家なのだ。
このゼブルディアでも皇帝は強大な権力を持っているが、セレン皇女がユグドラで持つ権力はその比ではない。ユグドラの住民にとって、セレン・ユグドラ・フレステルとは、ごく身近にいる神なのだ。彼女がイエスと言えばイエスだし、ノーと言えばノー。その側近である高位精霊人達はセレンに意見する事はあっても、決定に異を唱える事はない。
「今ユグドラとの国交構築が白紙になるのはまずい。どれだけ期待されているかわかっているだろう? そして、どれだけの国がその座を狙っているのか、も」
それはその通りである。神隠しなどというわけのわからない事件が起こっても帝国が賑わっていたのは、ユグドラとの国交開始というそれ以上のイベントがあったからだ。今更それがなしになればそれこそ帝国建国以来の大失態だし、自由人であり、割と気軽に帝都内を観光しているセレン皇女の帝国内の人気は相当高い。
そして、《千変万化》の追放は更に最悪の選択肢である。
あの男は最悪だが有能極まりない。今回だってあの男が動き出した途端に事件は解決に向かって収束した。
しでかした事は最低だが、本来その最低な行為はやろうと思ってもできるようなものではないのだ。たとえ犯罪者だったとしても、あの男を召し抱えたいという国はいくらでもある。
「しかし無罪放免にするわけにはいかない。法は法だ」
「その通りだ! ヤツが自ら罪を告白した以上は裁かないわけにはいかん」
あがった意見に、拳を限界まで握りしめ、フランツは断言した。
当然である。ゼブルディアは法治国家だ。いくら不都合があるとはいえ、罪を犯した者を裁かねば臣民に示しがつかない。ましてや、自白しているのだから。
「だ、だが、被害者はいないのだろう? フランツ卿がすかさず布陣を敷いたためと聞いているが」
その通りだ。被害者は――少なくとも、今回の件で死者は、出ていない。
いや、今回だけではない。これまでも《千変万化》が起こした騒動で死者が出たことは一度もない。
つまりそれは腹立たしい話だが、今回のフランツの動きをあの男が読み切っていたという事だ。眠りについていたハンターや騎士団を叩き起こし全力で態勢を整える事を予測していたという事だ。そして、そのメンバーが幻影の出現に対応できると踏んでいたという事だ。
全て、何もかもが《千変万化》の手のひらの上という事である。
そして今もきっとあの男は右往左往するフランツ達を想像して楽しんでいる。これが最低でなくてなんだろうか?
その時、貴族の一人、帝国の剣と呼ばれるグラディス卿がふと思い出したように言った。
「……そう言えば、噂で聞いた話だが、あの男は人を試す癖があるらしいな。相手が受け入れる受け入れない関係なしに、力量ギリギリの試練を与えるのだとか」
「…………つまり、グラディス卿はこう仰るのですか。あの者はフランツ卿を試したのだ、と」
その言葉に、会議室がざわつく。普通に考えれば貴族を試すなどありえない話だ。
だが、あの男ならばやる。相手が貴族だろうが同僚だろうが友人だろうが無関係に――それが、フランツが調べさせ、そして体感した《千変万化》という男だった。
「遺物調査院としては、今回の出来事は未知の領域だ。一個人の罪を問えるものではないと考えている。たとえ《千変万化》が何かをしたとしても――帝都中に幻影が現れるなど予想できまい」
「占星神秘術院としても同意です。騙されたというのならば、裁く際も考慮に入れるべきでしょう」
「神算鬼謀で知られるレベル8が騙されたなど誰が信じる?」
議論が徐々に紛糾してくる。フランツの考えでは、ここにいる貴族達の半分程度は《千変万化》の事を余り良くは思っていないはずだ。だが、それでも皆が《千変万化》の処遇を決めかねていた。
罪に問うのか問わないのか。問うとしたら罰はどの程度の重さが適切なのか?
そして、何よりあの得体のしれない能力を持つ男を封じ込められる監獄が存在するのか?
皇帝陛下が重々しい声で言う。
「試しだったとしても、罪は軽くなるまい。騙されたなどという言葉を信じれば、それこそゼブルディアが侮られる」
「……陛下の仰る通りかと。現時点で死人は出ておりませんが、このままではいつ死者が出てもおかしくはありません。いくら大した幻影ではないとはいえ――帝国法と照らし合わせれば、現時点では《千変万化》の極刑は避けられますまい。罪を軽くするには理由がいる」
正直なところ、出現するようになった幻影は大した力はない。現在確認されている限り、姿形こそ異質ではあるが、戦闘能力は低めだ。強力な幻影も出たには出たが、高レベルハンター達が問題なく対処した。
ヒューが仕掛けられたという恐怖を具現化する能力の持ち主が現れたという報告も聞いていないし、今のところは騎士団とハンター達で十分対応できている。
だが、いつまでも厳戒態勢を続けるわけにもいかないし、もっと戦闘能力に特化した存在が現れないとも限らないのだ。
それらの可能性が存在する限り、《千変万化》の極刑は免れない。
だが、それらをどうにかするのは絶対に不可能だ。宝物殿を消滅させるにはその源泉であるマナ・マテリアルの流れる地脈をどうにかする他なく、それは世界的に禁止されている。臣民の安全第一ではあるが、帝都の住民達が神殿型宝物殿の顕現を妨げている以上、帝都を捨てるわけにもいかない。
事が事だ。極刑について探索者協会は異を唱えたりはしないだろう。だが、そこまで条件が揃っていても――あの男を切るのはあらゆる意味で危険すぎる。
と、そこまで考えたところで、フランツは眉を顰めた。
いや――そもそも、どうしてあの男は今回に限って正直に自分のした事を告白した?
悔しいがあの男の神算鬼謀はレベル8に相応しいものだ。いや、神算鬼謀でなくとも、少しでも頭が回るのならば、あんな告白すれば極刑に処される事はわかっていたはず。最後にやつは罪に触れますかなどと聞いてきたが、触れないわけがない。
そもそも、《千変万化》の告白は、本人が行わなければ誰にも知られない事だった。
いつだってあの男の行動には目的があった。フランツ達を困らせるためにやった説を否定しきれないのが困るところだが、今回の告白についても何かしら目的があって然るべきだ。
極刑に処されなくてはならない理由……? まさか、死んだ振りでもするつもりなのか?
そんな事を考えたところで、不意に部屋の中の明かりが掻き消えた。
反射的に立ち上がり、叫ぶ。
「!? 総員、戦闘態勢に入れ! 陛下を守れッ!」
突然の暗闇にざわつく会議室。貴族達が立ち上がり、護衛の騎士達が瞬時に戦闘態勢に入る。
光がない程度で動けなくなる程ゼブルディアの騎士は軟ではない。戦える力を持つ事は貴族の義務だ、この会議室内に夜目が利かない者なんていない。
だが、一体何が起こった? 魔法ではない。事故でもない。
多数の優秀な騎士が守る皇城の最奥まで、騒ぎを起こさずに来られる者が果たしているのか?
…………まさか、またあの《千変万化》が何かしでかしたのか?
嫌な予感に打ち震えるフランツの前で、扉が勢いよく開いた。
扉の向こうから入ってくるほのかな青白い光。闇の向こうからやってきたのは――一人の、ゼブルディア魔術学院の制服を着た少女だった。
フランツは反射的に叫んだ。
「報告にあった例の幻影だッ! 絶対取り逃すなッ! 総員、攻撃開始ッ!」
フランツの号令に、騎士達が速やかに動き出す。
未知の存在に対する訓練は日頃から力を入れて行っている。何しろ、最近の帝都は物騒なのだ。そして、予言騒動で大立ち回りを繰り広げた騎士達の能力は過去類を見ないくらいに高まっていた。
一の実戦は百の訓練に勝るのだ。
「少女の幻影がなんだッ! 先日戦った『マリンの慟哭』を思い出せッ! あの呪いと比べれば、首を伸ばす程度なんだッ! 我らの武勇を見せるのだッ!!」
速やかに、研ぎ澄まされた殺意をもって、恐怖を上書きする。
洗練された動きで接近してくる騎士達。一人やられれば二人目が、二人やられれば三人目が、その幻影に立ち向かう。ゼブルディアの騎士は勇猛だ。
真っ先に飛びかかった騎士の剣が振り下ろされる。
刃がその幻影に到達する瞬間、少女の声が室内に響き渡った。
「もういやッ! 降参よッ!」
「…………なに?」
§ § §
最悪だ。あの男がボタンを押してからのレディ達の状況はまさしく、最悪だった。
もともと、あの男が押したボタンは恐怖を十分に収集してから押されるはずのボタンだ。そして、人間の恐怖を十分に集めたレディ達はもっと強化されていたはずだった。
だが、全ては後の祭りである。あの男の迂闊な行動によって別の次元に存在していた宝物殿と表の世界は統合されてしまった。
もう元の状態に戻すのはレディでも不可能なのだ。
ルシアに集中するべきではなかった。あの男の対応を自ら行うべきだった。
真に危険なのはブチギレたルシアではなく、何をしでかすかわからない、レディ達が見えないレベルで無能なクライ・アンドリヒだったのだ。
宝物殿と帝都の融合は人間側からしても避けるべき事態だったはずなのに――。
そして、中途半端な状態で帝都に放り出されたレディ達を待っていたのは、地獄の鬼ごっこだった。
「出たぞッ! 鮫だッ!」
「絶対に逃すな、追い込めッ!!」
人間に恨みを募らせた恐るべきモンスター、縦横無尽に、凶悪無比に、人を襲うはずの鮫――デーモンシャークが大勢のハンターに追いかけ回されている。かつては数多の人間を地獄に叩き落としたモンスターも、この世界のハンターにとってはちょっと変わった動物に過ぎないようだった。
「再生するぞ、脳天を狙え!」
「ただの鮫だッ! 噛まれたくらいじゃ問題ねえッ!」
なんでこの時代の人間はデーモンシャークに噛まれても平気なのだろうか? モンスターなのはどちらなのか? 矢や魔法が飛び交う空中を、デーモンシャークは必死に逃げ惑っていた。
「おおお、おでっ! おでっ!」
「キルキルキルキルキルッ!」
モンスター・ディギーはどこからともなく現れた紙袋を被ったパンツ一丁の怪人に追いかけ回されていた。振り回し十分な遠心力を乗せて投げつけられた首を片手で粉砕し、止まる事なく追い詰めてくるその姿は【星神の箱庭】に顕現してもおかしくない威容だった。
「うおおおおおおおおおおッ! 獲物だあああああああああッ!」
「ルークちゃんずるいいいッ!」
「捕まえてください!! 改造します!!」
「!?」
クライが解放した宝物殿に封印されていた者達もレディ達を救う事はなかった。
決して封印されていた者達が弱かったわけではない。
要因は大きく分けて三つある。
一つ目は、帝都のハンター達が強すぎた事。
いや――強すぎたというか、慣れすぎていた。突然幻影が現れたのにろくに動揺もしないなんて、レディが顕現時に与えられた一般常識と食い違い過ぎている。
二つ目は、何故か帝都側の態勢は万全だった事。
一般市民を先に襲えていればレディ達ももう少し強くなれていたはずなのに、待ち伏せのような形で対応されては何もできない。
そして三つ目が最悪なのだが――帝都には既にレディ達を超える怪物達がいた事だ。
紙袋を被った怪人もその中の一人だが、身の丈四メートル近い巨大な全身鎧の男に、顔をあわせると同時に燃やそうとしてくる魔女。一瞬の動揺もなく斬りかかってくる血に飢えた剣士。完全にインパクトの面で負けている。
逃げ惑い、隙を見て、顔を血まみれに変形させ、脅かしにかかるレディに、通りがかりの小さな女の子が目を丸くする。だが、それ以上に恐怖する様子はない。
どうして自分を恐れないのか、純粋に疑問を投げかけるレディに、一般人の女の子は言った。
「え? だって、この間もっと怖いものが出たもの。お姉ちゃんとキャラが被っているの。『マリンの慟哭』っていうんだけど――」
――そして、レディは今更ながら知った。
つい先日、帝都中を恐怖のどん底に突き落とした存在がいたという事を。
剣士を殺人鬼に変える呪われた剣。ゼブルディア魔術学院を破壊した黒き世界樹に、教会に封印されていた最凶の呪物。プリムス魔導科学院を混乱させた秘薬。そして――巨大な動物の姿を取り、破壊の嵐となって帝都中を練り歩いた伝説に謳われる精霊人の呪い。
なんとか手に入れた新聞に掲載されていたその姿ははっきり言って、レディ陣営のいかなる幻影よりも派手で、恐ろしかった。その時はまだ宝物殿へのマナ・マテリアルの供給が滞る事もなく、ひっそりと神隠しを実行していたので知らなかったのだ。
こんな者が現れたのならば、恐怖されないのも当然である。
むしろ、レディ達はここまでよくやっていた方だ。
恐怖の収拾がうまくいかなかった以上、星神が戻ってくる可能性は低いだろう。
ろくに恐怖を得られない以上、レディ達の未来は暗い。
レディの持つ能力も外の世界と宝物殿が融合する事で大きく制限されていた。もうゲートを自由に出し入れする事もできないし、自由に転移する事もできない。
宝物殿自体が消える事こそないが、宝物殿の性質として、恐怖されなくなった幻影は消失してしまう。マナ・マテリアルの供給も減っているので、この状況を打開できる強い幻影が顕現する可能性も低い。星神が用意した隠し部屋にあった彫像の幻影が解放できればまた話が違うのかもしれないが、スイッチである冠は何を考えたのか、クライ・アンドリヒが持ち帰ってしまった。
つい一週間前までは割とうまい事できていたのに、サヤの参戦から一気にどうしようもない状況に崩れてしまったのだ。となると、残された選択肢は少ない。
このまま幻影として最後まで戦い続けて散るか、あるいは――。
レディの話に、フランツを名乗った男が引きつった表情で言う。
「な、なるほど……それで、我らのところにやってきた、と…………馬鹿な……ここまであの男は予想していたというのか?」
「幻影が話をしにやってくるなど前代未聞だな。まったく、こうも立て続けに色々な事が起こるとは」
結局、レディが選択したのは――人間と交渉する事、だった。
突然やってきたレディに対する人間達の反応は様々だった。驚愕、猜疑心、僅かな恐れ。だが、そこには怒りの感情はない。
もともと、レディと一般的な他の幻影達の間には大きな違いがある。他の幻影達にとって立ち入ってくる人間達がただの邪魔者なのに対し、人間の恐怖を糧にするレディ達は人間を必要としているのだ。レディ達の中では最も人間への殺意が高いデーモンシャークでさえ、人間がいないと生きていけない。
だから、レディはより効率よく恐怖を集めるために都市の発展は妨げないよう注意して人を攫ってきたし、なるべく人間を殺さないように厳命していた。
星神に下された使命も、人間を全滅させる事ではなく、その恐怖を知る事だった。莫大なる力を誇る星神にとって人間を全滅させるのにレディ達の力など不要だったのだ。
つまり、プライドさえ捨ててしまえば、レディ達は人間と共存できるのである。
席についた男達のうちの一人が言う。
「交渉になど応じないと言ったら?」
「簡単な話よ。永遠に、無秩序に幻影が湧き、人を襲うだけよ。確かに貴方達は強いわ。でも、いつどこに湧くかわからない私達に対抗できると思う?」
この都市の人間は恐怖への耐性が強いが、決して全員が耐性を持っているわけではない。レディ達が勝てないのはハンターや騎士や魔導師といった、戦に関わるスキルを持っている者だけだ。
この都市の大多数は非戦闘員なのだ。そこに活路がある。ほんの僅かな活路が。
人間が幻影をすぐに信じるとは思っていない。交渉が簡単にまとまるとも思わない。
だが、時間さえかければ、レディとの交渉に乗ったほうがメリットは大きいとわかってもらえるだろう。
仲間のために虚勢を張って言葉を出すレディ。
対する反応は、予想外のものだった。
本来ならば切って捨ててもおかしくない言葉に、真剣な表情を作っている。
「この事態をどう収束させるつもりなのかと思っていたが、これは、そういう事なのか……」
「絶対に不可能だと思っていた幻影を制御する方法がある、と」
「《千変万化》め…………まさか、こんな策を、実行するなんて……」
「確かに、これならば情状酌量の余地も出る」
一体何の話をしているのだろうか? …………策?
フランツの隣に腰を下ろしていた、恐らくこの中で一番地位の高い壮年の男が言う。
「……いいだろう。幻影、貴様は何を求める?」
「私が求めるのは……棲み分けよ」
殺さない。特定のタイミング、特定の範囲から外に出ない。
その代わり、仲間達をむやみに脅さないようにしてもらう。
もちろん、このレディの条件を満たせないような者も存在している。
たとえば――契約を結んだサヤの異形だ。あれらは人を害する存在であり、そもそもレディの命令も聞かないし、基本的にレディ達とは相容れない。
だが、そもそも、あれらは終わりだ。サヤを裏切り且つ、サヤを始末する事ができなかった。
あれらはサヤを甘く見ている。レディ達と本当に手を組むつもりなのならば、絶対にサヤの息の根を止めねばならなかったのだ。
レディ達はサヤ・クロミズを絶対に敵に回したくはない。
異形を呼び出し、そしてその異形に干渉できる、サヤの能力にはまだ先がある。
恐らく、異形達もそれを本能的に知っていたはずだ。だからこそ、サヤの一族を一人だけ残して排除してきた。
自分たちをこの世界に呼び出せる数少ない存在にして、自分たちの天敵である一族を。
サヤの能力は、異形と似た存在であるレディ達と相対する事で高まっていた。
レディ達に甚大なダメージを与えた黒い紫電を纏った攻撃。
そもそも、異形自身にも開けられない異次元への扉を開けるような能力が、見るだけで終わるなどありえないではないか。




