461 暇つぶし③
神隠し対策本部。フランツ・アーグマンは、とうとうやってきた、やってきてしまった報告に、反射的に席から立ち上がった。
「ふっふっふ……はっはっはっはっは! とうとう、動き出したか……《千変万化》ッ!」
膠着状況に陥っていた神隠し事件はここ数時間で目まぐるしく変わっていた。
サヤとルシアが神隠しの原因となった宝物殿への潜入に成功した事。サヤがその能力でゲートをこじ開けられる事。
そこで現れた幻影や宝物殿の性質。攻略失敗した事も含めて、これからいよいよ本格的な作戦を立てねばと思っていたところである。
動き出すとは、思っていた。あの男の性格を考えても、このような事件を放っておくとはとても思えないのだ。これは、ここしばらくの《千変万化》との付き合いでフランツが学んだ事である。
「その……監視していた者の中で、《千変万化》の言葉を聞いていた者が――『ようやく来たな、暇つぶしが』とか」
「ッ……くそッ!」
深呼吸をして、一つの悪態だけでなんとかぎりぎり怒りを抑える。
あの男が動き出した以上、もはや事態は一刻の猶予もない。
宝物殿の攻略のために優れた魔導師の選定を始めていたセージが面白そうに言う。
「どうする? フランツ卿。こちらも解決部隊を編成するか? 《千変万化》に負けるわけにはいかないだろう?」
「…………できるわけが、なかろうッ! 悔しいが、な」
「ほ?」
あの男が動き出す。
それはすなわち――終わりという事だ。
いとも容易く監視から逃れ、宝物殿に消えた以上、やつはもう準備を整えてしまったという事。片やこちらはようやく宝物殿の存在を把握したばかり。とても相手にならない。
どのような手法を使うのかフランツには想像もできないが、皇帝陛下の護衛の時も、予言の騒動の時も、そしてコードでも、ヤツは好き放題やってフランツ達が期待するものとは異なる形で事件を解決している。今回もそうなるに決まっている。自分でも嫌な信頼だと思う。
となると、今フランツがこの対策本部のリーダーとしてすべき事は何か?
幸い、夜中だが主要メンバーは揃っていた。神隠しはどちらかというと夜に起こる事が多いからだ。
フランツは、謹慎中にも関わらず動き始めたと聞き、顔を真っ赤にして震えるガークに言った。
「ガーク支部長、戦力を集めてくれ。騎士団の連中も叩き起こすぞ、何を起こすのかはわからないが、やつの起こす被害を最小限に食い止めるのだッ! 今すぐだッ!」
「ッ…………承知した」
ガーク支部長が震えながらも立ち上がる。謹慎中の《千変万化》が動いたのは探索者協会に責任が生じる。ガーク支部長はあらゆる手を使い、高レベルハンターを揃えてくれるだろう。
最近余り寝ていない。だが、気分は悪くない。フランツは仁王立ちすると、感情のままに笑った。
「ふはははははッ! 矢でも鉄砲でももってこい、《千変万化》ッ! お前の好きにはさせんぞッ!」
「フランツ団長……こ、壊れてる……」
§ § §
宝物殿【星神の箱庭】。
侵入者の追い出しに成功し、ひとまず落ち着きを取り戻した宝物殿で、レディは幻影の一体、『かくれんぼのメアリー』からの報告に、耳を疑った。
「え? それ、本気で言ってる!? 本気で電話の噂で人が引っかかったの!?」
信じられない言葉だった。だが、頷くメアリーからは強い興奮が伝わってくる。
『かくれんぼのメアリー』は現代文明では本領を発揮できない電話の怪異である。
メアリーはまずターゲットに電話をかけ、名乗りをあげる。そして、少しずつ近づいていくのだ。
最初は同じ国、次に街、次に同じ番地、家の近所、家の前。最終的にはターゲットの真後ろから電話をかけ、そして、その次の電話でターゲットはメアリーに襲われ、消える。まどろっこしいはまどろっこしいが、恐怖を与えるには十分だ。
だが、この世界では無意味だった。無意味なはずだった。
何しろ、どこにもメアリーからの通話を受けられる電話がないのだから。
「しかもあんな怪しいスパムメールに引っかかったの!? どこの馬鹿よ!」
この世界には電話はほとんどない。メールを受けられるものとなるとなおさらだ。
スパムメールも未知数の存在のはずである。それなのにあんな怪しいメールを開き、おまけに内容を鵜呑みにして電話をかけてくる者がいるなんて――。
「しかも指示を聞いたの!? 四時四十四分四十四秒に鏡を覗き込むっていう……え? 一時にしてくれって言われた!?」
もうめちゃくちゃである。レディはもう数え切れないくらいの数の人を攫ったが、神隠しの条件を変えてくれといってきた者は初めてだ。
罠なのだ。噂は神隠しを誘発するための罠なのだ!
もちろん、一時でも攫う事はできる。自分から罠に踏み込もうとしているのだから、その前に罠を仕掛けるだけでいい。
だが、余りにも間抜けなのが気になった。間違いなくこれまでの獲物の中で一番である。
「私、メアリー。どうするの?」
メアリーが消え入りそうな声で尋ねてくる。だが、その声からは絶対に攫わせて貰うという意思が感じられた。
『かくれんぼのメアリー』にとっては――いや、他の電話に纏わる怪異の幻影にとっても、唯一にして最大の好機である。今回の獲物を脅かしたところでいずれ消える運命は変えられない気もするが、それでもいいのだ。
何しろ、恐怖を与えるのは彼女たちにとって存在理由に等しいのだから。
そして、レディもそれを拒否する気はない。彼女達の気持ちはよく分かるのだから。
「許可するわ。ただし、しっかりと恐怖を刻みつけなさい」
「私、メアリー。わかった……大丈夫、ここにくれば、さすがに私の事も見えるはずなの……」
「え? 今なんて言った!?」
「私、メアリー。今あなたの眼の前にいるの……」
いや、確かに眼の前にはいるけど…………正直、不安しかない。
§
誰も引っかからないだろうと皆が思っていた酷い噂で引っかかったのは、中肉中背の黒髪の青年だった。
その身から感じる力もこれまで神隠しで消してきたどの人間よりも低く、余裕でレディの神隠しのターゲットの基準に入っている。
この男ならば確かにあの噂にも騙されるかもしれないが同時に、どうしてこの男が電話を使えたのかがわからなかった。
この男が使っていたのはスマホ……この時代では宝具としてしか存在しない貴重品である。
男は唐突に鏡の中に吸い込まれた後も、特に騒ぐ事はなかった。スマホ片手に、どこかぼんやりとした表情で周りをきょろきょろ見ている。あちこちから幻影達が様子を観察しているのも知らずに――。
なんだか皆で隠れてターゲットを見ていると、過去に戻った気がしてくる。
何も考えずに迷い込んできた者達を脅かすだけで良かった、過去に。
メアリーを見て確認する。
「名前は何て言うの?」
「私、メアリー。彼の名前はクライ・アンドリヒなの」
「え? クライ、アンドリヒ?」
思わず目を見開き、男を見る。
聞いた事がある名前だ……というか、知ったばかりの名前だ。
それは、ルシアに『悪夢の檻』を使えるかどうか確認した際に読み取ったルシアの兄の名前だった。
まさか……この男があのルシアの兄なの? 義理の兄らしいけど、ぜんっぜん似てないわね。
だが、格好である。クライ・アンドリヒはルシア・ロジェの弱点だ。
ルシアは――兄を失うのを何よりも恐れている。うまく使えば、ルシアをより深い恐怖に叩き落とす事ができるだろう。
だが、それはそうと、まずはクライ本人に恐怖を与えるところからである。
あの怖がりのルシアの兄だ、きっとクライも容易く強い恐怖を抱いてくれるだろう。まぁ、クライはルシアと違って力が全くないのでそこから取れる恐怖もレディ達の力には大してならないだろうが――。
暗闇の中、クライがスマホを耳に当てる。レディにはわかっていた。
現時点でクライはこの闇に何の恐怖も感じていない。
「もしもし? 宝具ってどこにあるの?」
ここまで来てもまだ騙されている事に気づいていないのか……というか、この男は一体何と話をしているつもりなのだろうか?
『かくれんぼのメアリー』が緊張したような声で電話に答える。
「もしもし、私、メアリー。今……あなたの後ろにいるの!!」
恐怖を与えるにしては余りにも勢いの強い語気。少しずつ近づいていくというセオリーも守っていない。だが、それでも、メアリーの接近は魔法でも察知できない。突然背後に現れればルシアならば効果抜群だろう。
メアリーがクライの背後に転移する。振り上げられる包丁、クライがゆっくりと後ろを見る。
そして――クライの視線はあっさりとメアリーを素通りした。
はい?
「いたずら電話はやめてよ。やっぱりいないじゃん。僕は宝具を探しにきたんだけど?」
メアリーが悲鳴を上げてクライに斬りつける。だが、包丁はあっさりとクライを素通りした。メアリーの絶叫も全く聞こえている気配はない。
完全に――完全に、メアリーの姿が見えていない。
えぇ? こんな人間いるの?
レディはサヤを見た時とは別の意味で信じられない思いでいっぱいだった。
レディやメアリーは幻影だが、特殊な存在だ。霊感とでも言うべき能力がなければ見えないし、触れられない。存在が特殊だからこそ、人間の攻撃はなかなか通用しないし、レディ側も肉体のダメージではなく精神的なダメージを与える事を目的としているのだ。
だが、それはあくまで原則である。外ならばともかく、ここは宝物殿の中、レディ達の存在も大抵の人間が認識できる程度に強化されている。
にも拘らず、この男は――メアリーの事が全く見えていない。見えないふりをしているわけでもない。
振りならばメアリーの包丁が素通りするわけがないからだ。
サヤはとてつもなく強かった。本来ならばレディ達にはそう簡単に与えられないはずのダメージを警棒をかすっただけで与えてきた。
この男は――逆だ。サヤの霊感が100ならば、この男は限りなく0に近いのだ。
今の時代は皆、マナ・マテリアルで強化されているはずなのに、ここまで霊感がない男がいるなんて――。
「な、なんでこんな男を連れてきたのよ!!」
「私、メアリー。だ、だって、貴重なターゲットだからなの……」
思わず大声で突っ込む。メアリーがだんだんと包丁を床に叩きつけながら言う。
だが、クライは振り返りすらしなかった。レディの声が全く聞こえていないのだ。ついでに包丁の音も聞こえていない。
この宝物殿の中で最強クラスの存在強度を持つレディの声が聞こえないならば、誰の声も聞こえないし、見えないだろう。この男にとってレディやメアリーは、存在しないのだ。
電話を通した声が通じたのは奇跡というか、恐らくはスマホ側の能力なのだろう。
別にサヤのように恐ろしくはないが、サヤとは別の意味で相性最悪だった。
オーケストラのお化けがクライの真上で盛大に音楽を奏で始める。空間を揺るがすような、思わず耳を抑えたくなるような騒々しい演奏だ。だが、クライは目を瞬かせるのみだった。
彼はオーケストラの奏でる音も衝撃も何も感じていないのだろう。感じられないとは、そういう事だ。
霊感がゼロというのはつまり、存在する次元が違うという事。
彼はレディ達が仮に物を投げたとしても当たる事はない。万事休すであった。
というか、余りにも酷すぎて対策を打つ気にもならない。
…………ま、まぁ、ルシアを脅すのに実際にクライを害する必要もないし。
「……まぁ、どうしてもって言うなら、デーモンシャークあたりの攻撃は当たりそうだけど……」
この宝物殿の幻影は大きく二種類に分けられる。
霊感がないと感じられないレディのような怪異タイプと、物理的な存在であるデーモンシャークのようなパニックモンスタータイプである。
クライが察知できないのは恐らく前者だけだ。タイプが異なるデーモンシャークやモンスター・ディギー、人食い熊のブルーあたりならばクライにも見えるし、ダメージを与えられるだろう。
だが、レディの言葉に対して巻き起こったのはクレームの嵐だった。
「私メアリー。反対! 絶対反対なの!」
「クライは電話を持っているんだ」
「我々の獲物を奪うなー!」
声をあげたのは『かくれんぼのメアリー』を始めとした、電話を使う怪異達だ。
彼らにとってスマホを持ち、言葉を素直に聞いてくれるクライは救世主のような存在なのだろう。
実際に脅かそうとして視認されず崩れ落ちたメアリーまでもが一緒になってクレームの声をあげる程に、幻影達は獲物に飢えていた。
「クライをばらばらにするなんて絶対に、ゆーるーさーんー!」
「くく……ばらばらにするぞ。クライを、ばらばらに、しようとしたら、そいつをばらばらに、してやる」
怒りと怨嗟の乗った声。たちの悪いことに、電話を使う怪異は決して少なくないのである。
既に相当な数が恐怖を得られずに消えているが、消える側から新しい幻影が顕現している。普段は電話がないので大人しくしているのだが、期待の新顔の登場で期待が爆発しているらしい。
彼らが団結すればこの宝物殿にいるパニックモンスターのほとんどはばらばらだろう。元々、能力自体は怪異型の方が強いのである。
何より仲間割れは無意味だ、避けねばならない。
まぁ、今は第三勢力としてサヤを裏切った異形もいるんだけど。
クライが、スマホのライトをつけ、廊下を歩き始める。
レディは仕方なくその隣をふよふよ浮かびながら、疑問を口にした。
「…………しかし、どうしてこの男、全く恐怖を感じていないのかしら」
「私、メアリー。多分ここが安全で、望む宝具が手に入る宝物殿だと思っているからなの」
……そんな事ある?
確かに安全な宝物殿という名目で攫ってはいるが、そんな場所が存在するわけがない事はちょっと考えればわかる事だ。なんというか、危機感が致命的にない。
怖がるものは何なのか確認してみたが、なんというか、ルシアやサヤのように一つのものを怖がるタイプではないようだった。
なんというか、あらゆるものを薄ーく怖がっている。
怖い顔をした探索者協会の支部長。宝物殿で出てくる鬼の幻影。人を片っ端から切る幼馴染がいつか一般人を斬り殺さないかも怖がっているし、もっと酷いものでいうなら、パクチーなんかの癖の強い野菜なんかも怖がっている。子どもかッ!
こんな無意味な存在さっさと追い出したいが、メアリー達はまだ諦めていないようだ。
どうしようかしら……いや、待てよ?
そこでレディはいい事を思いついた。
「そうだ、電話は通じるんだし、うまく誘導してタブースイッチを押させましょう。」
タブースイッチとは、この宝物殿に於ける仕掛けの一つだ。
この宝物殿には様々な幻影が顕現しているが、中には人間の力を借りて初めて目覚める強力な幻影が存在する。
例えば、御札で封印された怪異や、全身を拘束された怪物だ。そして、それらの幻影を封印している御札や拘束具は、レディ達では解けない――人間でなければ解けないのである。
人間にとって決して解いてはいけない禁断の封印。それが、タブースイッチだった。
「私、メアリー。さすがにそれは難しいと思うの……」
メアリーが眉を顰めて言う。
封印されている幻影が強力なだけあって、タブースイッチはそう簡単に押せないようにできている。実際にレディは何度か人間を誘導して封印を解かせようとした事があるが、一度も成功しなかった。
御札や拘束具はあくまで一例だが、総じてタブースイッチというのは人間に忌避感や恐怖感を与えるようにできているのである。
解くための行動自体はボタンを押す程度の簡単なものばかりなのだが、これまで一度も達成された事はない。
だが、この危機感のない男ならば、もしかしたら――。
それらの強力な幻影が解き放たれれば、サヤを裏切ったあの異形達に対する牽制になるかもしれない。
あれらはレディ達と似たようなものだが、仲間ではない。手札は多ければ多い程いいだろう。
とりあえずあの異形達に見つからないようにしないと……まあ、問題はないだろう。あの異形達の場所はチェックしている。遠ざける事くらい簡単だ。
「順番にタブースイッチに誘導しましょう。どこまで封印をとけるかわからないけど、一つでも解ければ御の字ね」
レディはため息をつくと、自分でも力が全く入っていない声で指示を出した。
先行上映会、ご参加頂いた方ありがとうございました!