460 暇つぶし②
夢を見ていた。初めてサヤが能力を使った時の夢だ。
サヤの一族の人間は幼少期より変わったものが見え、五歳くらいから来訪者を呼び出す事ができる。そして、親から来訪者の扱いを学ぶのだ。視線だけでこちらの意思を伝える方法を。そして、能力に慣れたところで、一人になる。理由は不明だが、親も、親のそのまた親もそうだったらしい。
さらさらの能力には強弱がある。強ければ強い程、多くの来訪者が見えるのだ。
サヤの能力は特別強力だったから、物心がついた時には天涯孤独になっていた。
それ以来、サヤはさらさらと共に生きてきた。能力があれば何が相手でも勝利できた。時には来訪者がサヤの意思に反して動く事もあったが、問題はなかった。唯一失敗をしたのはコードでの出来事だけだが、あれだって問題は来訪者ではなくサヤの状態異常耐性が低かった事にあった。
来訪者達の力で歳を取らなくなったサヤに寿命はない。これから永遠に来訪者と共に戦い続けるものだと思っていた。
まさか――来訪者に裏切られる事になるなんて。
結局、探索者協会の懸念が正しかったという事になる。まったく……。
暗闇の中、サヤはぷかぷかと浮かんでいた。
不思議な気分だった。背中を穿たれたはずだが痛みはない。むしろ、心地いい。まるで温かなお湯の中を揺蕩っている気分。
精神もまた落ち着いていた。
来訪者に裏切られるのは予想外だったが、とりあえずルシアを助けることはできただろう。宝物殿から脱出できれば、ゼブルディアには強いハンターが大勢いる。《千変万化》だっているのだ、なんとかなるはずだ。
唯一の問題はさらさらが呼んでしまった来訪者をどうするかだが、サヤの能力が発動しっぱなしになる前、来訪者がこの世界で力を発揮できる時間は限られていた。サヤが目の前で見ていればずっと動けるが、目を離した場所では長くは持たないはずだ。
どちらにせよもう何もできないので、サヤは時間経過で来訪者達が帰る事を祈るしかない。
ルシアは果たしてサヤの死を悲しんでくれるだろうか?
――そんな事をしみじみ考えたところで、サヤは目覚めた。
真っ先に目に入ってきたのは、燃えるような赤髪の青年だった。
ぼんやりと目を開けるサヤを見て歓声をあげる。
「おお、起きた起きた。よくやった、アンセム! 俺はまだ模擬戦やってないからなッ!」
「うむ……」
「……胸を貫かれた程度で死ぬわけがないでしょう。その程度で死んでたら私達はとっくに全滅です」
「ふふ……ルシアちゃん、あんなに慌ててた癖に」
聞き覚えのある二人の声。どうやら、サヤはベッドに寝かせられているようだ。
痛みはなかった。熱を奪われていくような感覚も。
ゆっくりとベッドで身を起こす。
まず最初に確認したのは、来訪者の姿だ。サヤには来訪者が見えるし、近くに居れば気配を察する事もできる。
幸い、来訪者は近くにはいないようだ。
いや……そもそも、裏切ったのは来訪者達の総意なのだろうか?
「ルシア、大丈夫だった?」
「最初に心配するべきは自分の事でしょう。まったく」
「血まみれのサヤさんをルシアちゃんが連れてきた時には驚きました」
シトリーが両手を合わせてにこやかに言う。近くにはリィズやアンセムの姿もある。
どうやらここは《嘆きの亡霊》の拠点の一つのようだ。訓練場で見なかった赤髪の青年はきっと名前だけ聞いていたルーク・サイコルだろう。
「私の傷は……重傷だった?」
「全然大丈夫だったよー、ちょっと胸を貫通されていただけの致命傷だから。アンセム兄がいたからすぐに治せたけど、いなくても勝手に治ったんじゃない?」
リィズが快活に笑う。年中戦闘が起こっているテラスよりも考え方がクレイジーだ。
だが、とりあえず助かったらしい。ちょっとまだ頭はくらくらするが、傷の痛みもない。
ルシアが少しだけ心配そうな表情で言う。
「それで、サヤ。何が起こったんですか? 私には突然胸が貫かれたように見えたんですが――」
「…………さらさらが暴走した」
「えぇ!? あれが裏切ったの?」
来訪者がサヤを攻撃するなど初めてだ。だが、驚いたかというとそういうわけではない。
元々サヤのさらさらは来訪者を呼ぶだけの能力なのだ。
魔導師が使役する精霊は力を借りるという条件で契約を結んでいるため使役される側がする側を攻撃する事はないが、さらさらは違う。
サヤは目を閉じて、精神を集中させた。
元々サヤの能力は任意で発動するものだった。それが常時強制発動になったのはコードで昼に能力を使ってからだ。能力を止めれば来訪者達もこの世界への干渉能力を失う。
だが、しばらく能力を止めようとしてみたが、目は熱を持つばかりだった。
やはり、止められない。能力が暴走しているのか、あるいは成長した結果なのか――もしかしたら、物理的に目がそういう風に変わってしまったのかもしれない。
来訪者は果たしてこれからどうなるのだろうか? サヤがこの地から離れたら来訪者を認識できる者が誰もいなくなり消えるのか? それともずっと動き続けられるのか?
だが、来訪者は馬鹿ではない。サヤを殺そうとしたのには何か理由があるはずだ。
わかっているのは一つだけ。
来訪者を放っておいてこの地を去るわけにはいかない。
来訪者達に対抗するにはサヤの瞳が必要だ。
帝都で能力制御のヒントを得るつもりだったのに、とんでもないものを解き放ってしまった。
瞳を伏せるサヤに対するリィズの反応は――歓声だった。
「え? つまりそれって、あれと全力で戦えるってこと?」
「うおおおおおおおおお、燃えてきたッ! また俺を仲間はずれにしたのかと思ったが、そういう事なら歓迎だッ! 剣士はいるんだろうな?」
ルークが拳を握り、にやりとワイルドな笑みを浮かべる。
え? それでいいの? とんでもない事になったと思っているんだけど……。
あっけに取られるサヤに、シトリーが言う。
「実は一つ面白い実験を考えているんです。サヤさんの瞳を他の人に移植したらその人に異能が引き継がれるのか、気になりません?」
「気にならない」
「もちろん摘出した目には代わりを移植します。私の目をあげます」
「シト、やめろ!」
ルシアがにこにこしているシトリーの頭を思い切り叩く。冗談に聞こえなくて怖い。
帝都って凄い。テラスで同じ事が起こったら街の住民全員が避難するような事態になってもおかしくないのに……。
色々な意味で衝撃を受けているサヤに、ルシアが言った。
「とりあえず、事情はわかりました。あの奇妙な空間については既に報告してあります。サヤの能力でゲートをこじ開けられる事も」
「大変だったでしょう。ルシアちゃん昔からホラー苦手だから」
「…………」
「いいんですよ、苦手でも。ちょっとくらい苦手なものがあったほうが可愛げが――」
「うっさい、シト!」
仲良さそうでいいなあ……。
一瞬思考が別の方向にいきそうになり、頭を振って切り替える。
「閉じたゲートをこじ開けられるのは本当だけど、そもそもゲートがないとどうしようもない。多分あの幻影はゲートを消せる」
「めんどくせえなあ。斬れればいいのに」
「試してみたら?」
剣術馬鹿だとは聞いていたが、これは剣術馬鹿というレベルではないのでは?
そこで、ルシアがこほんと咳払いをして言った。
「色々わからない事はありますが、一つだけ打てる手があります。うちのリーダーのところに行くことです」
確かに、クライならば何か知っているかもしれない。
何しろ、サヤの能力が神隠し事件解決に最適だと言い切ったらしいし、先日のコードの事件を鑑みても、さらさらについて何か知っていそうである。
「でも、クライは謹慎中じゃないの?」
「大丈夫大丈夫、サヤちゃん気にしすぎよ。クライちゃん優しいから困ってたら助けてくれるって。ねー?」
「うむうむ」
この間は友達だからといって何でも頼るのは良くないと言っていたリィズがあっけらかんと言う。
なるほど、友人関係というのは複雑でありながらも温かいものだったらしい。
リィズは時計を確認すると、立ち上がって言った。
「もう一時過ぎてるから寝てるかもしれないけど、今から聞きにいこっか?」
§
《嘆きの亡霊》のメンバーと連れ立ってクランハウスの階段を上っていく。
そう言えば帝都にやってきてからクライとは会っていないので、会うのは久々だ。
もう夜中のせいか、クランハウスも静まり返っていた。
「自分達が無能だからってクライちゃんを謹慎にするなんてとんでもない話だよねー」
「まぁ、気持ちはわかるけど。お金はもらえるんだし、まだいいのでは?」
クランマスター室はクランハウスの最上階に存在していた。
大理石の床材に、大きな木の扉。扉の前には、様々な衣装の人間が陣取っていた。
疲れ果てているような、不機嫌そうな表情。クライの謹慎を確認するために派遣されてきた者達だろう。もう一時なのに本当に大変だ。
「すみません、クライさんに話があるので入りますね」
「……我々にはそれを止める権利はない」
本当に見ているだけなのか。本当に大変な仕事である。
シトリーが機嫌良くノックをした後、扉を開ける。
クランマスター室は広々とした一室だった。
応接室を兼ねているのだろう。立派なソファーとローテーブル。執務机にはほとんど書類もおいておらず、余計なものがなく整頓されている。
クライ・アンドリヒは壁際の大きな鏡の前に立っていた。耳元に小さな板のようなものを当て、話しかけている。
「え? まだ時間じゃないって? わかってる、わかってるよ。でも僕さ、四時は起きていられないかもしれなくて……鏡は用意したんだし、なんとかならないかな? 一応一時十一分十一秒のゾロ目にしてみたんだけど…………」
あの板は――共音石のようなものか。こんな夜に誰に話しかけているのだろうか?
シトリーが目を丸くしてクライを見ている。クライはサヤ達の来訪に気づいていない。
「え? 後ろ?」
クライが後ろを見る。その瞬間、クライの背後に小さな女の子が現れた。
「!?」
レディよりも更に小さな、人形のような女の子だ。包丁を持っている。
間違いない、あの宝物殿の幻影である。
青ざめるルシア。だが、クライはきょろきょろと後ろを確認すると、もう一度鏡を見た。
「何もいないよ。メアリー? いないって。うん、そう。さっきも言ったけど……」
!?
人形のような女の子が跪き、涙を流しながら包丁をがんがん床に叩きつける。
だが、クライはその様子に意識の欠片も払っていない。まるで本当に見えていないかのように――。
すっと空気に溶け消えるようにメアリーと呼ばれた幻影が消失する。上機嫌で話し続けるクライ。
「うんうん、そうだね、ありがとう。よろしく頼むよ。すぐに終わらせるからさ」
そう言ったその時だった。
サヤの目にははっきり映っていた。
巨大な鏡にゲートが開き、強い紫の光が放たれる。
光が消えた時――鏡の前に立っていたはずのクライは消えていた。
サヤ達の後ろ、扉の隙間から部屋を覗いていた監視が急に消えたクライに声をあげる。
「な!? 《千変万化》はどこにいった!? 返事をしろ!」
ルシアが焦ったような叫び声をあげる。
「え? に、兄さん!?」
「ありゃー……確かに部屋の外には出ていませんねえ」
「でもこれセーフなの?」
「おおおおおおおおおい、くらああああああい! ずりーぞ、俺も連れてけええええ!」
「うーむ」
目を細め、鏡を見る。だが、先ほどまで存在していたゲートは影も形もなかった。
性質が違うのか……どうやら何らかの条件を満たさなければゲート自体出現しないらしい。
ルシアがサヤを見てくる。心が痛かったが、サヤは首を横に振らざるを得なかった。
「ダメ。これは開けない。でも、どうやってクライはここにゲートがあると知ったの? 謹慎中だったのに……」
「あー、それはね。クライちゃんっていつもそんな感じだから」
リィズが肩を竦めて言う。
そういえば、コードを攻略した時も、知っているはずのない事をまるで知っているかのように行動していた。
「んー、この鏡はただの鏡ですね。この前来た時にはなかったから多分新品かと。エヴァさんに聞けばわかると思いますが……」
「鏡自体には何もない。多分これは――宝物殿のルール」
あの宝物殿の幻影は噂を使って人を攫っている。あえてそういう風にする理由もないはずなので、間違いなくあの宝物殿に変わったルールがあるのだろう。
対策本部が調査した噂を洗えばクライがどんな噂を使ったのかわかると思うが――と、その時、執務机をチェックしていたシトリーが一枚の紙切れを持ち上げて言った。
「皆さん、ここにクライさんのメモが」
走り書きのメモに残されていたのは、四つのワードだった。
『鏡』、『四時四十四分四十四秒』、『スマホ』、そして、『求めるものが手に入る』。最後のワードは丸で囲われている。
メモを読んだリィズが呆れたように言った。
「……クライちゃんって、一体どこで手に入れてくるんだろうね、こういうの」
「しかもまだ四時じゃないけど…………」
まだ一時である。四時までは三時間もあるのにゲートが起動するとは……それはつまり、《千変万化》は完全にこの神隠しの事件を――宝物殿の性質を見切っているという事だ。
「なんてことだ。絶対に部屋からでないと約束していたはずなのにッ」
「んー……でも出てはいないからねえ」
「そんな言い訳が通じるわけないだろう。補填もしているんだぞ、こっちは!」
「フランツ卿に連絡しろッ! 大至急だッ!」
天井を見上げるリィズに、わらわら集まってきた監視役達が慌てふためき動き始める。
どうやら《千変万化》に権威は通じないらしい。それとも、サヤが来訪者に裏切られたのを察して事態の収拾に動き始めたのだろうか?
もしそうだったなら、余りにも申し訳ない。
サヤの心情を察したのか、ルシアが表情を変えずに言う。
「……サヤ、兄さんはそんな事を考えてませんから、気にしなくていいですよ」
「しかしこれは困りましたね」
シトリーが両手を合わせてにこにこと言う。
「鏡と時間はともかく、スマホはクライさんしか持ってないし……あれは貴重な宝具だし、どうにもならないなー」
「……………………」
頬が少し紅潮していた。とても困っているようには見えない。
しかしあのクライが持っていたのは、スマホというのか……初めて聞く名前だ。
宝物殿でしか見つからない宝具は余程ポピュラーなものでもない限り、めぐり合わせが良くないと手に入らない。
スマホが貴重な宝具だとしたら、この大都市でもすぐには手に入らないだろう。
しかし、どうしてクライはそんな宝具を持っているのだろうか?
と、そこで、じっとシトリーを見ていたリィズが、シトリーの肩に腕を回し、笑顔で言った。
「シートー?」
「なあに、お姉ちゃん?」
「…………出せ」
「!?」
シトリーの笑顔が凍りつく。リィズはそんなシトリーに顔を近づけ、恫喝するように言った。
「持ってんだろ、おら! 出せ、シト! 今は出し惜しみしてる場合じゃないだろ!?」
「ちょ、お姉ちゃん、そんなわけ――」
身を捩り逃げようとするシトリーを押し倒し、ローブの中に手を突っ込む。
シトリーが顔を真っ赤にして転がるが、リィズは全く容赦しない。シトリーが音を上げるまで時間はかからなかった。
「ッ……わか、わかったからッ! 出すからぁッ!」
「マジで持ってんのかよ……」
「うーむ……」
呆れたような声をあげるルークと、唸り声をあげるアンセム。ルシアも髪をかきあげ、冷ややかな目でシトリーを見下ろしている。《嘆きの亡霊》がどういうパーティなのかわかってきた気がする。
観念したシトリーが取り出したのはクライが持っていたものにそっくりの板だった。
ただし、色はピンク色だ。シトリーが不服そうな表情で言う。
「せっかく苦労して手に入れたのに……」
「いいじゃん、役に立つんだから。それに奪おうってわけじゃないし」
「クライさんと楽しくおしゃべりしようと思っていたのに……」
「っぱ没収してパーティ管理な。非常事態なのに隠した罰って事で」
とりあえず必要なものは揃った。後はメモに書かれた時間を待てば何かが起こるだろう。
時間までは後三時間弱……クライはきっと無事だろう。何しろ、一度もまともに戦闘する事なくコードを落とした男だ、サヤが心配するような相手ではない。
だが、それがわかっていても、サヤはクライが無事でいる事を祈らずにはいられなかった。
来訪者は如何に《千変万化》と言えど、作戦でどうにかなるような相手ではないのだ。