455 星神の箱庭
トレジャーハンターたるもの、夜目が利くのは当然だが、サヤの眼は闇夜をまるで昼間のように見通す。
サヤは、教室の扉――幽霊教室にやってきた際に通ってきた空間を注意深く観察した。
ここに突入した時にこじ開けた歪はどこにもない。恐らく、あの少女型の幻影が閉じたのだろう。
「閉じ込められた……出口を探さないと」
ここは間違いなく宝物殿だ。現実世界とは異なる次元に存在するタイプの宝物殿。
元々宝物殿は、内部の広さが見かけと比べて遥かに広いという事が度々発生する。規模こそ違うが、ありえないという程ではない。
宝物殿を探索するというのはそういう事なのだ。
少なくとも、どのように神隠しが発生しているのかはわかった。
知性ある幻影というのは一般的に危険である。あの少女型の幻影がこの世界の支配者なのだろう。
と、その時、大きく深呼吸をしていたルシアが一歩近づき、やや低めの声で確認してきた、
「ふー、ふー………………サヤ。ここは?」
「…………幽霊教室。宝物殿、だと思う。無理やり入口をこじ開けて入ったけど、出られない…………ごめん」
ルシアを巻き込んでしまった。少なくとも、こじ開ける前に一言伝えるべきだった。
どうしてサヤに入口をこじ開ける事ができたのかはわからない。
だが、恐らくこの宝物殿の特性は、サヤの魔眼が見ているものと似た存在なのだろう。
だからサヤは、(恐らく)本来獲物を罠にかける時にしか現れない幽霊教室の入口に干渉する事ができた。あの意味不明な行動を取ってきた幻影にダメージを与える事ができた。
そして、《千変万化》はきっと、その事に気づいたからこそ、この事件解決にサヤを送り込んだのだ。
一体どこまで読んでいるのか、未来視に近い神算鬼謀という前評判は伊達ではないという事なのかもしれない。
だが、今の問題はルシアだ。せっかく友達になれると思ったのに、つい格好いいところを見せようと気が急いて巻き込んでしまった。
恐らく、出口はある。外と繋がっている場所が――何故ならば、外と繋がっていなければ、マナ・マテリアルの供給が遮断されて宝物殿としての形を保てなくなるはずだからだ。だが、これは推測に過ぎない。
どう弁明したものか。手がじんわりと汗ばんでくる。
と、そこでそれまで黙っていたルシアが不意に大声をあげた。
「ああああああああああああ、もうッ!! もうッ! もうううううううッ!!」
「!?」
「またやられた……まさか、やってきたばかりのサヤまで使うなんてッ!!」
駄々っ子のように地団駄を踏むルシア。その様子にあっけにとられていると、ルシアがサヤを見て言った。
「ごめんなさい、サヤ。うちのリーダーが……良くやるんです。弱点をぶつけるやつ……そのせいで何度面倒事に遭ったか……」
逆に謝られるとは……初めての経験にサヤは一瞬、言葉を失った。
ルシア・ロジェは、この宝物殿に閉じ込められた事をサヤのせいだなどと微塵も思っていない。逆に、サヤが被害者だと思っているのだ。
街中で恐れられ半ば腫れ物のような扱いをされていた《夜宴祭殿》を、被害者だと。なんという心優しい娘だろうか。
「ルシア、大丈夫。私に弱点なんてない」
これ以上気に病まないよう力を込めた言葉に、ルシアは何故か自分を納得させるように何度も頷く。
「…………そうなんですね。なるほどなるほど…………」
「ルシア、私を責めないの? 閉じ込められてしまったのに……」
「大丈夫。大丈夫です、サヤ、落ち着いて。ここは宝物殿、出口がないなんてありえない。絶対に、あり得ないのです。マナ・マテリアルの供給は遮断できませんからね、落ち着いて」
顔をぱんぱんと叩きながらルシアが言う。明らかに落ち着いていないのはルシアの方だと思うのだが…………まぁ、いいだろう。
出口がなかったとしても、先ほど遭遇した幻影を探して叩けばいいだけだ。
あの幻影は間違いなくサヤ達の入ってきた入口を操作していた。言語も理解できているようだし、捕まえれば神隠しの被害者達がどうなったのかもわかるだろう。多分もう生きてはいないと思うけど。
問題はあの幻影に勝てるかどうかだが――確かに、あの幻影は普通ではなかったが、サヤからの攻撃を必死に回避していたあたり、戦闘を苦手とするタイプに見えた。
来訪者が見えているという点はこれまで戦ってきた魔物や幻影とは違うが、ルシアにカバーに入ってもらい、奇襲でダメージを与えれば捕らえる事もできるはず。
コードではヘマをしてクライに情けない姿を見せてしまった。妹にも同じものを見せるわけにはいかない。
むしろこれから友達になるのならば、サヤの長所を見てもらいたいところだ。
だが、ルシアにはルシアがなさねばならない依頼もある。すなわち、神隠しの原因を調べ、消えた者たちの行方を探す事だ。
通常、被害者が既に亡くなっていた場合は、亡くなっていた証拠が必要である。
「ルシア、コードで私とクライは別行動だったけど――」
「一緒に行動します! ここは未知の宝物殿ですから」
「………………そう。わかった」
別行動で効率よく探索を進める事を提案しようと思ったのだが、食い気味に拒否されてしまった。
まぁ、未知の宝物殿を探索する上で単独行動を避けるのは常識ではあるのだが……ルシア程の優秀な魔導師ならば単騎でも行動できるだろうに、随分と用心深い。もしかしたらずっとソロで活動していたサヤの行動が一般とズレているのかもしれないが――。
「わかった。隊列はどちらが前にする?」
「サヤが前で…………いや、待って。私が前の方がいい? でも………………」
「…………?」
何事かぶつぶつと呟くルシア。思い詰めたように独り言をするルシアはとても凄腕の魔導師には見えない。いや、確かにその身に秘めた膨大な魔力は目に見張るものがあるのだが――。
ルシアはしばらく呟いていたが、大きく頷いてサヤに言った。
「横並びにしましょう」
「横並び…………それで構わない」
宝物殿の探索で横並びとは珍しい。普通前衛後衛に分かれるものなのだが、もしかしたら帝都では常識なのだろうか?
だが、悪くはないかもしれない。前後に並ぶよりは話しかけやすくなるし、ルシアの表情だってわかる。
ルシアが隣に立つ。見れば見るほど整った顔をした娘だ。
余り兄には似ていないが、変な事を言い出すあたりは少しだけ似ているかもしれない。
早速、扉を開け、廊下の様子を確認する。
ここに来る途中は随分立派な建物だと思ったゼブルディア魔術学院の学舎も、闇に包まれた状態だと全く印象が違った。
暗く、自分の足音が響き渡る程静かで、肌寒いくらいひんやりとした空気が流れている。
生命の気配は今のところないが、ここが宝物殿ならば間違いなく幻影が存在するだろう。生き物かどうかはわからないが――。
歩き始めてすぐにルシアが小さくサヤに声をかけてきた。
「サヤ……明かりをつけてもいいですか?」
「え? ……前が見えないの?」
「……見えますよ。でも、明かりがあった方が、サヤも見やすいかなと」
ルシアが真剣な表情で言う。だが、闇夜を見通せるハンターにとって明かりをつけるメリットはない。
むしろ、幻影の注意を惹く結果になりかねない。
「ありがとう。でも、このままでも見えるから大丈夫。それに、明かりをつけた方が襲われると思う」
「………………わかりました。仕方ないですね」
ルシアが俯き、小さく首を縦に振った。
魔導師というのは大抵のパーティにとって要である。状況に応じた適切な魔術を使用し、いついかなる時にも戦況を支えるには常に冷静沈着な立ち回りが必要とされる。身を守るだとか索敵だとかの仕事はフルメンバー揃ったパーティでは魔導師の仕事ではない。
今のルシアは少し周りを気にしすぎのように見える。これもまだサヤの能力を推し量っている段階という事だろうか。
何気なく窓の近くに行く。窓の外は真っ暗で、何も見えなかった。闇が濃いというよりは何もないのかもしれない。
窓枠に触れると、埃が積もっているのがわかる。ルシアが薄暗い廊下を慎重に見回しながら言う。
「この空間、本物の学院とはちょっと違いますね」
「何が違う?」
「こう、なんというか……古いです。外の学舎は先日兄さんが大騒ぎした結果、壊れて建て直したんですが――」
「……クライはいつもそんな事をやってるの?」
謹慎になったと聞いた時には何故なのかわからなかったが……もしかしたら妥当なのかもしれない。
気を取り直して、ルシアに言う。
「とりあえず、この宝物殿に入れたのは幸運かもしれない。被害者と出口を探してさっさと脱出しよう。多分もう、潜入できないから」
サヤが見えない扉をこじ開けられると知った以上、あの幻影も何かしらの対処をしてくるだろう。余り時間をかけるわけにはいかない。
さっさと事件が解決できたら遊びに行く時間もできるかもしれないし。
「被害者の探索は私の能力でやるから、私達は出口を探そう」
もしも被害者が生きているのならば、脱出経路を確保しなければならない。
出口の言葉に、ルシアの眉がぴくりと動く。
「出口……サヤ、確認しておきたいんですが、サヤのその目には幽霊教室の前に別の扉が見えていたという事であっていますか?」
「そう」
端的に状況を述べただけなのに、理解が早い。ルシアはしばらく唇に指を当てて考えていたが、
「もしかして、『告白のマジックツリー』の前にも扉が見えました?」
告白のマジックツリー。学院の敷地に入り、来訪者達に調査させた結果引っかかったものだ。
その木の下で愛の告白を行いそれに失敗すると二人とも木に食べられてしまうという誰も試さないような馬鹿げた噂。
来訪者達がサヤを呼んだのはその木の前に奇妙な靄のようなものが浮かんでいたからだ。
結局、すぐに消えてしまったがなるほど、確かにあれも扉だったのかもしれない。
「確かに、今思い返すと幽霊教室の前にあったものと似ていた。すぐに消えてしまったけど……」
どうして消えたのかはわからないが、意図的に消したというよりは自然に消えたのだろう。
そして消えてしまった扉はサヤの力でもどうにもならない。
「となると、マジックツリーも神隠しに繋がる噂だったって事ですよね」
「可能性はある。被害者が出ていないだけで」
神隠しにまつわる噂をまとめた資料は見せてもらったが、本当に色々な噂が流れているようだった。それだけだったら、ただ色々な噂がありますよというだけの話で終わるが、宝物殿や人語を解する幻影が関わってくるとなるとまた話が違ってくる。
あの噂を考え流したのが幻影だとしたら、余りにもクオリティに差がありすぎた。
あの幻影は、質は二の次で沢山の噂を流して引っかかった者を宝物殿に引き込んでいるのかもしれない。
そう、蜘蛛が巣を作り獲物を待ち構えるかのように。
ルシアは大きく深呼吸をして数秒目を閉じると、覚悟を決めたように言った。
「サヤ、ゼブルディア魔術学院には……他にも幾つも噂があります」
「!! なるほど…………」
他の噂。マジックツリーの前の扉は消えてしまったし、幽霊教室の扉は消されてしまったが、確かに他の噂の場所には扉が残っているかもしれない。
現実世界とこの世界との行き来を可能とする扉が。
問題は、あの幻影が残された扉を消そうとしてくるかもしれない点だ。ルシアが最後まで言わなかったのも、あの幻影に聞かれている可能性を考えたからだろう。
だが、試してみる価値はある。サヤは近くにいる影人に視線で指示を出した。
――先ほどの幻影を探し攻撃しろ。サヤ達に構う暇がないくらい執拗に。
どうやらここでは新たに来訪者を呼ぶ事はできないらしく、使える来訪者はサヤが幽霊教室に侵入した時にすかさず追従した個体だけだ。
だが、数は少ないが、十分だろう。朝にも能力を発動できるようになったとはいえ、やはり闇の中でこそ、《夜宴祭殿》の本領は発揮される。
三体の影人は顔を見合わせると、その場で足元から細切れのようにばらばらになった。それぞれの欠片が小さな影人となり、廊下内を散っていく。
いくらゼブルディア魔術学院が広くても、彼らならばすぐにあの幻影を見つけ足止めしてくれるだろう。
何かを察知したのか、ルシアがゾクリと肩を震わせる。
サヤはじっと影人達が消えるのをその目に焼き付けると、どこか不安げな表情をしているルシアの方を向いて言った。
「これでよし。ルシア、順番に見ていこう。大丈夫、二人で力を合わせれば絶対にうまくいく」
書籍13巻、9月末に発売です! 活動報告、投稿されています。
アニメ二クールも間もなく始まる嘆きの亡霊は引退したい、よろしくお願いします!
/槻影




