436 剣尾の場合
ジーンが弾かれたように王塔の中に駆け込む。後は侵入者を止めれば剣尾の仕事は終わりだ。
「やれやれ、随分早かったわね」
「これでも、皆の期待を背負っているのでね」
塔の周辺に敷かれた道路。ジーン軍が両脇を固める、そのど真ん中を、堂々と歩いてきたのは――鍛え上げられた肉体をした、黒髪の青年だった。
紫電を纏うその身からは凄まじいエネルギーを感じた。エネルギーの総量だけならば、空尾より上だ。
迸る光。魔術の中でも一際難易度の高い一種。天の怒りを体現する雷の術の使い手。
《雷帝》クラヒ・アンドリッヒ。後ろには取るに足らないその仲間達を連れている。
「魔術はこの街じゃ使えないのではなくって?」
王命により組み込まれた魔術阻害のシステムは未だ健在のはずだ。
「――もう慣れたよ」
――発光。エネルギーが収縮し、金属製の道路を通じて地面を広がる。それだけで、警戒していた軍勢が吹き飛んだ。
凄まじい威力だった。
一応、雷に耐性のある靴を履いているはずなのだが。
「我が雷は、誰にも止められないッ!!」
《雷帝》が雷を纏いながら、一瞬で距離を詰めてくる。身体能力でも強化しているのか、魔導師とは思えない速度――おまけに、刀を持っている剣尾と違って素手である。素直に凄まじい。
真っ二つにされたいのだろうか?
だが、剣尾は自ら動かず、後ろで彫像のように立っているカイ――カイザーに言った。
「あれは任せるわ」
カイザーが無言で地面を蹴る。その動きは《雷帝》のそれより緩慢に見え、しかし全く《雷帝》に劣っていない。
雷を纏い駆ける《雷帝》とカイザーが交差する。
そして――《雷帝》が思い切り弾き飛ばされた。
《雷帝》が宙を回転し、地面に着地する。だが、その表情は驚愕を示していた。
雷を纏った《雷帝》と打ち合ったにも関わらず、カイザーは無傷だ。一見互角にも見えるが、違う。
所詮、いくら才気に溢れていても《雷帝》は魔導師。近接戦でカイザーに敵うわけがない。
「そうか……君が、クライの言っていた、カイザーだなッ!?」
カイザーが片足で立ち上がり、ゆらりと揺れる。それは、幻惑する足運びだった。
遅れて到着した《雷帝》の仲間達が構える前に、カイザーが襲いかかる。《雷帝》の仲間はもともと実力者とは程遠いが、その戦いは大人と子どもだった。仲間の中でも一番腕が立ちそうな盾持ちの女ですら、カイザーの流れるような一撃を受け流す事はできない。
《雷帝》が雷を飛ばすが、カイザーはそれをまるで見えるかのように跳んで回避した。
迎撃するならともかく、雷を避けるとは――さすがレベル8、イかれてる。
「クライめ、問題ないとは、言ってくれる。テンペスト・ダンシング…………厄介だな。だが、相手にとって、不足なしッ!!」
《雷帝》の纏う雷が更に輝きを増す。
用意した軍勢は働く気配がない。まあ間に入っても邪魔なだけだから別にいいのだが――そこで、《雷帝》が叫んだ。
「クウビ、予定通りケンビは任せた!」
その声に、それまで一切動いていなかった目つきの鋭い男がケンビの前に立つ。
逆だった髪に、黒のローブ。そしてその身から感じられる空虚な魔力。
かつて、組織のボスの一人として君臨していた、異質な魔導師。『空』を自在に操る空尾。
ケンビが苦労して捕らえ、監獄の最下層に監禁した男が、そこに立っていた。
「ふふふ……久しぶりね、空尾。少し痩せたかしら?」
「抜かせ」
剣尾が空尾をなんとか捕らえられたのは、組織の力を使い全力で追い詰めたからだ。その魔導師はいかに剣尾でも一対一で戦うのは危険な相手だった。
空尾の体内に魔力が渦巻き、左手にエネルギーの塊が生じる。この魔導師の天敵とも呼べる都市で戦えるのかと思っていたが、どうやら《雷帝》や空尾程になると、慣れれば問題ないレベルらしい。
それでも発動速度や威力は減少している様子だが――空尾が腕を持ち上げ、手のひらを向ける。
その先にいたのは――カイザーと対峙する《雷帝》だった。
「ッ!?」
勘がいいのか、《雷帝》が大きくステップを踏む。それと同時に、強い風が吹いた。
いや、風ではない。それは――衝撃だ。空とは空間を操る術。道路にひびが入り、取り囲んでいたジーン軍の一角に文字通り、穴が空く。
大きく天に打ち上げられた傭兵が地面に叩きつけられる音。
「…………クウビッ!? 一体、どういうつもりだ!?」
「不思議だとは、思っていた。観察すればするほど、《千変万化》は、剣尾が部下として取り立てるような人間ではない、と。あの巫山戯た行動を見るたびに、疑問は確信に変わった」
空尾が手のひらを空に向けたまま、つらつらと言う。剣尾は笑みを浮かべた。
空尾が剣尾に連絡を取ってきたのは、昨日の事だ。
内容は――空尾の天敵、《千変万化》について。
どうやら、空尾は《千変万化》が剣尾の手先で、空尾をその地位から引きずり落とすために武帝祭に送りつけたと考えていたらしい。その根拠は《千変万化》が余りにも内部情報に詳しく、相当な地位の人間が絡んでいないとあの動きは無理だという事だったが、とんでもない話である。剣尾は空尾と違い、謀略などに興味はない。
そして、剣尾は空尾と話し合った結果、知ったのだ。
武帝祭で大地の鍵を発動しようとしていたのが、《千変万化》だったという衝撃の真実を。
呆れた策である。観客も国も組織も全てが騙された。誰だってあの状況を見れば《千変万化》が大地の鍵の発動を食い止めていると思うだろう。逆だなんて、誰が思おうか。
そして、剣尾と空尾は和解した。
剣尾は真実を組織に報告する事を誓い、空尾はこれまでの事を水に流して剣尾に協力する。どちらにも利がある取引だ。
空尾の戦力を当てにしていた《千変万化》にとっては青天の霹靂だろう。だが、もともと空尾と剣尾は同じ組織のボスであり、諸悪の根源が自分である事は《千変万化》が一番知っているはずだ。
一対四の状況だ。一瞬で窮地に立たされた《雷帝》が、一歩後ろに下がる。
「ッ…………馬鹿なッ……裏切り……だと!?《千変万化》……これが、『千の試練』なのか!?」
「言ってる場合ですか、クラヒさん!! に、逃げないと……」
裏切りに気付けなかったのが、《千変万化》を信用しすぎたのが、運の尽きだ。
カイザーに一度吹き飛ばされた仲間たちが、《雷帝》を中心に円陣を組む。だが、構えたところで、所詮は《雷帝》以外は烏合の衆。
絶対的有利を悟ったジーンの軍勢が殺せ殺せと叫び始める。弱いやつ程よく吠えるものだ。
剣尾はそこで、気になっていた事を確認した。
「《千変万化》は?」
「別ルートで内部に入った。ここを片付けたらすぐに追いかけて、私を侮った事を後悔させてやる」
別ルート……それは、聞いていないわよ?
恐らく、空尾はあえて言わなかったのだろう。それを伝えたら、剣尾が《千変万化》を殺しにいくと考えて――空尾の悪い癖だ。
だが、すぐに剣尾は考えを切り替えた。
各個撃破で確実に《雷帝》を片付けられるのは悪い話ではない。
先頭に立ち、大きな盾を構えるぼやっとした娘。及び腰になりながらも徒手空拳で構える盗賊に、冷や汗を流しこちらを睨みつけるピンクブロンドの術師。
どれもこれも《雷帝》には釣り合っていないが、組織の恐ろしさを知らしめるのにはちょうどいい獲物だ。
圧倒的に有利な状況。一振りでバラバラにしてやろう。
刀を構えたその時、剣尾はふと、ジーンから命令を受けていたのを思い出した。後ろにぼうっと佇む白面を被った娘に命令する。
「サーヤ――いや、サヤ。能力を使って奴らを殺しなさい」




