39 増援
僕の言葉に、リィズが再びファイルを確認し始める。
僕がリストアップした宝物殿は十個。その内七つがレベル1で、残りの三つはレベル2だが、ぎりぎりレベル2に認定されている、ハンター見習いが行くような簡単な宝物殿だ。
才能がないハンターでも二、三年経験を積めば攻略出来るようになるレベルの宝物殿である。
逆にリィズ程のレベルになるとメリットがなさすぎてまず行くことがない、ある意味レアな宝物殿かもしれない。
何度もファイルをぱらぱら捲っていたリィズの表情が顰められていく。
クランの資料室に纏められていた宝物殿の情報は、探索者協会からもらってきた資料や、所属ハンターが持ち帰った情報を事務員の皆さんが整理してくれたものだ。
『足跡』のメンバーからも割りと好評な資料である。精度も高い。
リィズが顔をあげ、僕を見る。
何か、優れたハンターの感性で気になる点でもあったのだろうか?
「ねぇねぇ、クライちゃん……これさ、何が起こるの?」
「え?」
何も起こらなければいいと思っている。
「いや、疑っているわけじゃないんだけど……ほら、私にやってもらうことって言ったじゃん? ってことはぁ、あいつらが向かった『白狼の巣』よりもやばい状態にあるって事でしょ?」
「……うんうん、そうだね」
「うーん……別にこの辺りには強力な魔物も生息していないし……ギミックもほとんどないし、そもそもレベル1や2の宝物殿にたまるマナ・マテリアル程度じゃ、ティーを苦戦させることも難しいしぃ……うーん……」
「うんうん、そうだね?」
頻りに首を傾げ小さく唸るリィズ。
とりあえず危険に飛び込もうとするその性格は改めた方がいいと思う。
リィズはしばらく思案げな表情をしていたが、大きく自分を納得させるかのように頷いた。
「……まぁ、クライちゃんの言うことだもんね。判断が間違っているってこともないだろうし……」
「うんうん……そうだね」
身内に甘いんだなぁ。
そこで、ティノが戻ってきた。
シャワーを浴びて着替えてきたようで、髪がまだ湿っている。そのまま僕とリィズの前に来ると、手を横にしっかりつけて気をつけする。
「只今、戻りました。お姉さま、ますたぁ」
「疲れてない? 大丈夫?」
僕の言葉に、ティノはちらりとリィズの方を窺って答えた。
「……はい。問題ありません」
「あの程度で問題あるわけないでしょー? 手加減したんだから!」
自慢げに胸を張るリィズに、ティノは無表情だった。
だが、僕は姿勢を正す直前、足元がふらついたのを確かに見た。
言わされてる言わされてる。
いつもやり過ぎなんだよね……なまじティノが真面目で反論しないせいで歯止めが効かないのだ。
これは是非とも師匠の親友として、そして一人の先輩ハンターとして休ませなければ。
簡単な宝物殿に行かせて……って、やっぱり、もうリィズだけ行かせた方がいいな、これ。ストッパーがまったくいなくなるのは不安だが……。
「やっぱりティノは疲れているみたいだし、リィズだけに行ってもらう事に――」
言いかけた所で、ティノが目に涙をためて僕を見ているのに気づいた。
まるで捨てられた子犬のような目だ。
いや、だから戦力外通告じゃないから。別に戦力外通告じゃないから。
「……と思ったけど、やっぱりティノにも行ってもらおうかなぁ。はい、幾つかピックアップしたから好きなの選んでいいよ」
「は、はい! ……ピック……アップ?」
ティノが受け取ったファイルを捲り始める。
リィズがじっと側でその様子を見ている。何故か傲岸不遜な笑みを浮かべて。
プレッシャーでティノが集中出来ていない。
萎縮したように身を縮め、一心不乱にファイルに視線を落としている。
そう言えば以前ティノに、リィズの弟子になってどうだか聞いたことがあった。常時鍛錬ですと答えてくれたが、もしかしたらこういうところだろうか。
ティノがそっとリィズの方を見る。
「あの……お姉さま?」
「なぁに?」
「…………な、なんでもないです」
視線に圧されたように、ティノが再び必死にファイルを捲り始めた。先程のリィズのように、一枚目から何度も何度も捲り見直す。
いや、別に正解なんてないんだけど。好きなの選んでいいって言ってるだろ。
「リィズ」
ちょいちょいと手招きし、両手を耳に当てて見せる。
リィズは不思議そうな表情をしながら、僕がやってみせたように自分の耳を塞いだ。
肩を掴み身体を回転させ、軽く押してティノから数メートル離す。
ティノが全然選べないからちょっと大人しくしといて。
弟子の少女は目を丸くして師匠を見送った。これで邪魔者はいなくなった。
「さぁ、ゆっくり好きなの選ぶといいよ。リィズには口出しさせないから」
「……でも、ますたぁ。私には……判断が、つかないです」
判断……やはり正解を探してたのか……正解って何さ。
その真面目さをリィズにもわけてあげたい。……いや、リィズもハントについては真面目か。
僕くらい適当に生きたほうが人生楽しいと思う。
胸を張って何の根拠もなく自信満々に言う。
「大丈夫大丈夫。どれを選んでも大丈夫だよ。なんとかなると思う……多分?」
「!?」
何故かティノの唇から短い悲鳴のような声が漏れた。ドン引きしたように一歩後ろに下がる。
怪物を見るような目つきだ。
何故かティノの視線は今日に限らず、リィズに対するものより僕に対するものの方が酷いことが多い。
大丈夫だって言ってるのに何が不安なんだか……。
か細い、震えた声でティノが言う。
「あの……ますたぁ…………私、まだレベル4で――」
「え? うんうん、そうだね?」
「…………」
「うんうん、そうだねぇ」
なんか凄いデジャブを感じる。まだティノが逃げないのは近くに師匠がいるからだろうか。
ファイルを持つティノの手は完全に震えていた。唇が必死に結ばれている。
顔も真っ青で、せっかくの美人さんが台無しだ。
残念ながら僕には彼女が何を怖がっているのか全然わからない。今回のは『骨拾い』じゃないし、臆病な僕が選出した楽勝宝物殿ベスト10だ。不安材料はないと思うんだが……。
リィズが耳を塞ぎ後ろを向いたままこつこつ床を蹴って待っている。
「やっぱり休んだほうが……」
「い、いえ……やります」
真面目だなぁ。無理しなくていいのに。
ティノがファイルから顔をあげ、僕を上目遣いでみた。
「……それで、あの……なんでも、いいんですよね?」
「うん。なんでもいいよ」
「………………ここに、ないのでも、いいですか?」
え……?
想定外の言葉だ。ティノの表情は真剣である。
わざわざ簡単な宝物殿を選んであげたというのに……まぁでも、別に僕はティノの事を考えて簡単な宝物殿を十個ピックアップしただけで、他に確固たる理由があって選出したわけではない。気を悪くしたりもしない。
いきなり地面が揺れる。広い空間に反響した金属音にティノがびくりと身を震わせる。
リィズの脚が金属張りの床をぶち抜いていた。金属のタイルが陥没しひしゃげている。また交換しなくちゃならないのか。
リィズは耳を塞いだままこちらを振り向き、ティノを見てニッコリ笑った。
これ、絶対聞こえてるな。脅すなって言ってるのに。
ティノが今にも死にそうになっていた。ふるふると首を横に振っているのが儚い抵抗だ。板挟みになっている。
僕は可哀相なティノに安心させるように笑いかけた。
「もちろんいいよ。むしろその言葉を待っていたんだ」
「……え?」
ティノの表情が凍りつく。その手からファイルが離れ、地面に散らばった。
§ § §
緊急事態の笛の音は鳴ることなく、時間だけがただ経過していた。
太陽も既に半分沈み、『白狼の巣』の前に作った臨時の拠点は薄っすら朱色に染まっている。
戻ってきたパーティの報告を聞き、地面に広げた地図と照らし合わせる。
『白狼の巣』はもともとそこまで難易度の高い宝物殿ではない。地図もほぼ完全な物が流通している。
持ってきた精度の高い地図に調査した範囲を示していく。慎重策を取っているので進展は遅いが、それでも既に無数に伸びる道の七割の確認が完了していた。
スヴェンの眉根は寄っていた。
間もなく夜が来る。灯りの準備はしてあるが、なるべくならその前に片付けたいところだ。
「異常なし、か」
「相変わらず、現れる『幻影』のレベルは高いらしいけどな」
仲間の言葉に、スヴェンが腕を組んだ。
決死の覚悟で乗り込んだパーティは今のところ誰も欠けることなく戻ってきていた。重軽傷者は数人出たが、死者は出ていないし傷を負った者も既に回復している。
スライムが発生する可能性が一番高いと見ていたボス部屋も既に確認が終わっている。特別注意して調べるよう指示していたが、特に変わった点はなかったようだ。
まだ調査を終えていない残りの三割は袋小路である。それも後二、三時間もあれば確認が終わるだろう。
既に初めにあった危機感も霧散していた。もちろん、弛緩の瞬間に何かが起こるのは千変万化の常套手段なので油断はしていないが、緊張感は長くは続かない。
「クライの神眼も曇ったか?」
「これで何も起こらなかったらどうする?」
「ラッキーだったってことだな」
仲間の言葉に、スヴェンが冗談めかして答えた。
調査が進むにつれ、まるで馬鹿にしたかのような視線を『黒金十字』に向けるパーティも出はじめていた。
ヘンリクがむっとしたように見返すが、ニヤニヤ笑うだけで問題は起こしていないのでこちらからは何も言えない。
まだ表立って糾弾してきていないのは、残りの三割の調査を終えた後に糾弾するつもりだからだろうか。
指揮役の『黒金十字』と同じく、スライム対策パーティとして宝物殿に一度も侵入していないタリア達も居心地が悪そうだ。
少し申し訳ないが、判断を誤ったつもりはない。
「まだ調査は終わってねぇ」
「あんたらが余計な事しなければもう終わっていたはずだったけどなぁ?」
揶揄するような口調に、スヴェンが顔をあげる。視線の先にあったのは、事ある毎にスヴェン達に文句を言っていた茶髪ハンターのパーティだ。
耳に開けたピアスにメッシュに染められた髪。見た目からするとチンピラのようにも見えるが、嫌そうにしながらもスヴェンの作戦に従ったハンターでもある。
パーティメンバーも同意なのか、敵意と警戒の混じった目をスヴェン達に向けている。
スヴェンは首を鳴らし、ため息をついた。
「文句は後から聞く。お前らの順番は済んだばかりだろ。大人しくしてろよ」
「……チッ。せいぜい、ここに来てすらいないそのやばいマスターとやらに祈るんだな」
怒りを押し殺し、捨て台詞のような言葉を吐いて一行が離れていく。
だが、そう言いたくなる気持ちもわからなくもない。
スヴェン達がいなければ、そして慎重策を取らなければ、とっくに残りの三割の調査も終わっていただろう。
そうなれば今頃町の酒場で打ち上げでもしていたはずだ。もちろん、残りの三割で何も起こらない事が前提だが。
ふと、先程離れていった茶髪のハンターがパーティから離れ、茂みの奥に向かっているのを見て大声をあげる。
「おい、持ち場を離れるんじゃねえ!」
「うっせえ、小便だよ! すぐに戻ってくる。武器も持ってる」
腰の剣を叩き、木々の奥に消えていく。スヴェンが深々とため息をついた。
まぁ、パーティの他のメンバーも残っているし、『白狼の巣』に入っていったわけでもない。
ここが危険地帯である事はわかっているはずだ。すぐに戻るなら問題ないだろう。
「あの人、死にましたね」
「おいおい、物騒な事言うなよ」
ふと冗談めかしてヘンリクが漏らした言葉に、スヴェンは苦笑いを浮かべた。
初めは千変万化の言葉に猜疑心を抱いていた新人も、スヴェン達の立場が悪くなるにつれ不思議と打ち解けてきていた。
向けられた視線に込められた感情にヘンリクが照れたように笑う。
「僕はクライさんの事は知りませんが、スヴェンさん達の事は信頼しているので」
「……じゃあ、その信頼に応えられるようマスターに祈るとするか」
と、その時、物音が森の方から聞こえてきた。
スヴェンが立ち上がる。待機していたパーティの面々が警戒を浮かべ、各々武器を抜き視線を音の方向に向ける。
入ってきたのは一台の大型の馬車だった。『足跡』のメンバー達が使ったものと遜色のない立派な馬車だ。
幌に刻まれたシンボルに、スヴェンが目を見開く。集中する視線の中、その扉が開いた。
一人の巨漢がのっそりとした熊のような動きで降りてくる。
真紅の鎧に、脇に抱えた棘のついた真紅の甲。
身長はスヴェンとほとんど変わらないが、どちらかと言うとスマートな体躯のスヴェンと比較しがっちりした肉体をしているため実体以上の巨躯に見えた。
入れ墨と古傷の入った顔が油断なくぐるりと辺りを見回し、その視線がスヴェンを捉える。
その見知った顔、予想外の顔にスヴェンは目を瞬かせた。
「ガーク支部長? どうしたんだ、そんな格好で?」
馬車の後ろから帝国の『遺物調査院』の制服を着た優男が二人、恐る恐るといった様子で地面に降り立つ。
状況を理解出来ていないスヴェンに、元『戦鬼』が鼻を鳴らして言った。
「おう、待たせたな。スヴェン。様子を見に来たぞ」