370 久々の帝都
何故か懐かしいクランマスター室の光景。特注の椅子に腰を下ろし、その感触に深々とため息をつく。
大きな窓から差し込む陽光。ユグドラも悪くはなかったが、ゼブルディアはやはり落ち着く。エヴァにより整えられたクランマスター室には自然物に溢れていたユグドラとは違った『秩序』があった。
空気の匂いもユグドラとゼブルディアでは少し違う。ユグドラの空気の方が綺麗なはずだが、ゼブルディアの空気の方が安心してしまうのは、いつの間にか僕もこの大都市に慣れていたという事だろう。
早速、机に両腕を投げ出し、倒れ込む。一月以上空けていたはずだが、執務机には塵一つ積もっていなかった。
エヴァが定期的に掃除してくれているのだろう。エヴァに会ったらお礼を言わなければ。
でも、今はとにかく――疲れた。一月以上もユグドラくんだりまで行っていたのだから、一月以上ぐうたらしていても誰も文句は言うまい。
しかし、今回はいつもより身体が重いなぁ…………やっぱり快適な休暇って大切だな。
他の人が使うとまずい状況になる事もわかったし、次は貸し出しなんてせずに自分で使おっと――。
と、そこまで考えたところで、僕は大変な事に気づき、眉を顰めた。
しまった…………快適な休暇、セレンに貸したままだ。
ちょこちょこ思い出してはいたんだよ。神だのなんだので大騒ぎしていたし、騒動が終わったら終わったで皆、忙しなく動いていたので、すっかり返してもらうのを忘れていた。
もう一回ユグドラに行かないといけないのか……すぐに必要なわけではないけど、参ったね。スマホも結局見つからなかったし、帰還は早まったかもしれない……今更気づいても、もう遅いけど。
まあ目的はなんとか達成できたんだし、細かい事は後で考えよう。
現実から逃避し、目をつぶる。うつらうつらしていると、不意に扉が開く音がした。
「!? え!??? あ…………え? ええ!??? クライさん!? なんで!?」
なんだか懐かしい声。そもそも、クランマスター室に入る事が許されている者はほとんどいない。
目を開き、僕は机にぺったりと頬をつけたまま、何故か愕然としているエヴァに笑いかけた。
「やぁ、エヴァ。久しぶり」
エヴァはいつ顔を合わせても完璧だ。
磨かれた靴に、乱れ一つないクランの制服。スリムな赤縁の眼鏡の中で、大きく見開かれていた瞳が歪み、額に皺が寄っていく。
「………………い、いつ、帰ったんですか?」
「たった今だよ。セレンに――ユグドラの皇女に送って貰ってね。リィズ達はもうちょっとユグドラの近辺を探検してから帰ってくるって」
ゼブルディアからユグドラまではかなりの距離がある。
行きは馬車を使い何日かかかったし、森の中に入ったり魔物に襲われたり散々な目に遭ったが、帰りは一瞬だった。セレンが転移魔法で直接クランマスター室まで送ってくれたのだ。それがなければ、僕もリィズ達のいつ終わるともしれない大樹海の探検に付き合う羽目になっていただろう。
転移魔法。それは、超長距離を一瞬で移動できる伝説的な魔法である。
知名度だけは高く、術式自体も既に存在しているらしいが、その複雑さと消耗の大きさから人間の使い手はほとんど存在していないと言われている魔法だ。一応、複雑な魔法陣を事前に設置する事で特定の二点間の転移を可能にする技術がかろうじて実用化されているらしいが、その事前に設置した魔法陣を発動する事すら腕利きの魔導師が複数人必要だというのだから、その魔法のレベルの高さがわかるだろう。言うまでもないが、ルシアでもまだ使えない。
負担はかなり大きいようだが、そんな魔法を事前準備なしで、おまけにたった一人で使えるなんて、精霊人の皇女の面目躍如と言ったところだろうか。
エヴァは疑いの目で僕を見ていたが、とりあえず笑いかけると、小さくため息をついて言った。
「色々気になる事はありますが…………入都審査はどうしたんですか? クライさんが帰ってきたら即座に連絡がくるようにしているんですが」
「いやー、色々大変だったよ。全部話すと話が長くなるから話さないけど」
「…………わかりました。審査はなんとかしておきます」
さすがエヴァ、話が早くて助かる。審査……完全に忘れていたよ。
高レベルハンターは帝都の出入りで発生される審査においても優遇されるので、特に取り調べを受けた記憶はないのだが、それは手続きを取らなくていいというわけではない。
「今回はガーク支部長も門にクライさんの帰還確認用の人を置いてましたよ。帰ってきたらすぐに話を聞きたいと」
僕の帰還確認用ってどういう事? しかも帰ってきたらすぐに話だなんて…………ガークさんは僕に恨みでもあるのだろうか?
帰ってきてそうそう、やる気の低下が著しい僕を見て、エヴァが話を変えてくれる。
「それで…………ルークさんの呪いは解けたんですか?」
「あぁ、なんとかね。後、ガークさんから頼まれていた、ユグドラに探索者協会支部作らせてもらう話、おっけーだって」
「!? は? はぁ?」
「詳しい話は今度、ユグドラの皇女が来て話を聞くらしいから、ガークさんにその辺り伝えておいてくれるかな。悪いけど、僕は忙しいから」
「…………すみません、何がなんだか……」
まあ、それはそうだろう。だが、今話した事以上の話はない。そして僕はガークさんとなるべく顔を合わせて話したくない。ハンターにも休日は必要なんだよ。
エヴァは何か言いたげな表情で僕を見ていたが、僕がこれ以上何も言わない事を察したのか、今日二度目のため息をついて言った。
「わかりました、連絡しておきます。しかし、ユグドラは前人未到の都市だったはずなのに、支部を置くのを了承するとは……なんだか意外ですね」
「うんうん、そうだね。セレンって人がユグドラのトップなんだけど、好奇心旺盛で革新的な人だったみたいでさ。試しに話してみたら即答でOK貰っちゃったよ。ははは…………実は半分くらいダメ元だったんだけど、意外だよねえ」
「………………クライさん、もしかしてなんですが…………何か話、抜けてません? そのセレンさんって精霊人ですよね?」
「抜けてないよ。今度セレンが来たらエヴァの事も紹介してあげるよ。すっかり友達になってさ」
「!?」
確かに、精霊人は人族を見下している事で有名だ。にわかには信じがたいかもしれないが…………支部を置く話を出した時のセレンの食いつき、凄かったよ。ガークさんもああ見えてうまいこと帝都ゼブルディアの探索者協会を統括しているわけで、いい関係を築けるのではないだろうか。
セレンはエヴァとも気が合いそうだ。特に真面目なところとかそっくりだし……もしかしてエヴァも『快適な休暇』を着たらあんな感じになったりして。
話はこれで終わりだ。後、できればしばらく僕に面倒事がこないように取り計らって欲しいが、余計な事は言うまい。何か言われたらリィズ達が戻ってきていないからと言い訳しよう。
「とりあえず、ガーク支部長には連絡しておきます。ユグドラとの交流ができたら……クライさんもいよいよ、レベル9ですね」
レベル9。その言葉に、停止しかけていた思考が再び動き出す。
顔をあげ、エヴァにやる気の無さを目一杯アピールする。レベルの上昇は常日頃の態度も重要なのだ。
「そう言えばそんな事言ってたねえ。レベル9、か…………正直、あまり興味ないな」
「そういう人がレベル9になるんですよ。レベル9にもなると、狙ってなれるものでもありませんから」
「《深淵火滅》も長くレベル8のままだし、若手最強のアークがまだレベル7なんだよ? まだまだだよ。そもそも僕は少し若すぎる」
「………………まぁ、確かに若すぎますね。レベルに年齢の下限なんて存在しませんが」
呆れたような眼差しから出される、僕の希望を一刀両断する言葉。
帝都にやってきてすぐにトレジャーハンターを諦めた僕にとって、レベルというのはずっと押し付けられた数字だった。
探索者協会が認定するハンターのレベルはハンターへの信頼度の指標だ。その数値は単純な強さでなく総合的な評価を以て定められており、トレジャーハンターが隆盛を誇る現代ではレベルはそのまま社会的な地位を意味していると言っても過言ではない。
原則、ハンターの認定レベルは探索者協会で受領できる依頼や宝物殿の攻略を繰り返し、一定のラインに到達した時にレベル認定試験を受ける権利が得られ、それに合格する事で上昇する。だが、それはあくまでただの原則だ。レベル周りはトレジャーハンターの根底に関係する部分であり、シトリーの受けたレベルダウンペナルティからもわかる通り、そこには細かいルールや例外、開示されていない情報などが存在している。
例えば、その中の一つに――レベルを上げたがらないハンターに対する対処がある。
レベル認定試験を受けるかどうかは原則自由だが、認定レベルは信頼度の指標だ。信頼度の低いハンターのレベルを上げるのは論外だが、逆に信頼度の高いハンターのレベルがずっと低いのも探索者協会にとって都合が悪い。
僕はもともと、レベルを上げたくなかった。ハンターとしての大成を諦めた時点で僕にとって高いレベルなど重荷だったからだ。だが、そういうメンバーに対処するために、探索者協会には様々な例外のルールが存在していた。
それは、時に強制的なレベル認定試験の受験、時に支部長権限による強制レベルアップという形で僕に襲いかかった。既に達成した実績を評価しいつの間にかレベルが上がった事さえあった。いつの間にかレベルが上がるなんてありえないという人もいるが、事実は小説よりも奇なりとは良くぞ言ったものだ。
かくして、ここに実力が空っぽなのにレベル8になってしまったハンターが爆誕した。本来、レベルというのは実力のないものに見合わぬ地位を与えないために定められた数値なのだが、天才に担ぎ上げられる凡人を想像していなかった探索者協会の偉い人の失態であった。
だが、レベル9となると、レベル5や6などとはわけが違ってくる。
レベルというのは基本的に上がれば上がる程、上がりづらくなってくる。
ハンターとして中堅クラスでレベル3、そこから生き残り経験を経てレベル4、才能があってレベル5、運もあってレベル6。一つの探索者協会で認定できるレベルはそこまで。そこから先は――どんどん要求が厳しくなってくる。レベル8からは試験を受けるための前提条件も完全に伏せられていた。
ゼブルディアで絶大なる人気を誇るロダン家の嫡子、アーク・ロダンや、数多くの人を救い教会や貴族達から絶大なる信頼を得ているアンセム・スマートでレベル7、長きに亘り帝都トップクラスの魔導師として君臨し、人も魔物も幻影もあらゆるものを灰燼に帰し恐れられてきた魔女、《深淵火滅》のローゼマリー・ピュロポスでもレベル8。それも、《深淵火滅》はレベル8になってしばらく経つが、未だレベル9認定試験を受けたことがないらしい。その時点でレベル7より先にレベルを上げるのが如何に難しい事なのかがわかる(まぁ、あの婆さんは人を燃やしすぎて信頼度下がったせいで試験を受けられていない可能性もあるけど)
レベル9というのは、流されるままにハンターを続けてきた無能な男がなっていいレベルではなかった。
おまけに……ゼブルディアではレベル9の男が一人だけ存在しているが、それも《深淵火滅》よりも高齢なのだ。僕のような若い男がレベル9認定試験を受けるなんて、冗談でもあっていいことではない。ちょっと考えただけでゲロ吐きそうだよ。
だがまぁ、心配し過ぎだろう。レベル9はガークさん一人のゴリ押しでどうにかなるものではない。
「ま、レベル9は世界を救うレベルの功績と実力、知名度がないとなれないらしいからね……大丈夫でしょ」
何もかもを持っていても至れるかどうかわからない境地。それがレベル9だ。
レベル8と9の間には分厚い壁がある。限りなく厚い壁が。
「何の心配ですか…………そもそも、世界の危機なんてそうありませんからね。でも、ユグドラは可能性の塊ですし、本当にユグドラとの行き来が始まり、そこで莫大な利益が発生したのならば――クライさんに味方する人は多いと思いますよ。ただの噂ですが、レベル9を決める際に探索者協会は貴族や王族のみならず、商会にも話を聞くらしいですからね」
そんな話初めて聞いたよ。だが、ウェルズ商会出身のエヴァがそういうのならば真実なのだろう。
《嘆きの亡霊》は帝国貴族からは評判悪いし、僕も特に信頼度を上げるための行動などはしていない。
ユグドラの可能性は認めるが、仮にユグドラとのやりとりが始まって莫大な利益が出るとしても、長い時間がかかるはずだ。しばらくは安心かな……。
ちょっと気分が良くなってきた。
身を起こしエヴァを見る。宝具はほとんどがみみっくんの中なので手持ち無沙汰だ。
「レベル9の試験って何やるんだろうね」
「私の集めた情報によると――内容はその時々みたいですが、ソロの試験らしいですよ。個人の能力を見るのだとか……」
「………………へー、詳しいね。レベル9の認定試験って極秘扱いじゃなかったっけ?」
「うちのクランマスターはレベル8なので、調べるのは当然です」
再び気分が悪くなってきた僕に、エヴァはさも当然のように言った。
ソロとか死ぬわ。今回は《嘆きの亡霊》が揃っていても死にそうだったのに、絶対に受けたくないぞ。
セレンに支部を置かせてもらう話をするの、早まったかな……だが、後悔してももう遅い。
「それでは、ガーク支部長に連絡してきます。今日はゆっくり休んでください。話はまた後ほどしましょう」
僕の心情を読み取ったかのように、エヴァが話を終え、踵を返す。
ぼんやりその背中を見ていると、エヴァが退室する直前に、振り返って言った。
「クライさん、言い忘れていました……おかえりなさい」
「あぁ…………ただいま」
今話から第9部、始まります。またお付き合いください。
ユグドラ編の所感を活動報告に投稿しました。是非ご確認ください。
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/槻影
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