365 仮面の神④
状況は混迷を極めていた。
ルーク・サイコルの石像を中心に対峙する異形の神とセレン達、精霊人。
双方の力は今、突然飛んできたルーク・サイコルの石像に向けられている。
何が起こっているのかは相変わらずわからない。ケラーの力の正体も、やってきた目的も。
ケラーが呪いと口に出した時には、石像の破壊を目論んでいるものだと思った。だが、その想定は本人の言葉により覆された。
そもそも、ケラーの力は強大だ。最上級の精霊であるミレスとフィニスに加え、ユグドラの戦士達全員で攻撃を仕掛けても、ケラーにはまだ余裕があった。
戦ってみて、わかった。仮にルーク・サイコルが世界最強の剣士だったとしても、ケラーの力には及ばないだろう。
文字通り、存在の格が違う。最上級の精霊をも上回る圧倒的な権能――まさしく、神と呼称するにふさわしい。
ケラーが石像を復活して何を狙っているのかはわからない。だが、そもそももう勝ち目は限りなくゼロに近いのだ。
ケラーがギロリとセレンを睨みつけ、叫ぶ。
「どういうことだ? 何故、どうしてッ、解呪のッ、邪魔をするッ!?」
「そんなのッ! 知らないッ!!!!」
「!?」
何も考えず、力を振り絞り、ルークに全力で負荷をかける。
呪いというのは基本的に解くよりかける方が簡単だ。ユグドラの皇女とはすなわち呪術師の王でもある。呪いの源泉は強い感情である。ルークに恨みのないセレンではシェロ程の呪いはかけられないが、質は数で補う事もできるのだ。
先程まで放っていた攻撃魔法は完全に止まっていた。この場にいる精霊人全員がセレンの声を受け、ルークの石像を呪っている。
ケラーの能力は強力だが、解呪はそれほど得意ではないようだった。
石像に触れていたケラーの指先がまるで痙攣するかのように震える。
ルークの石像に呪いをかける事で、ようやくセレンはケラーの力を感じ取った。
見えない何かが、石像に掛けられた呪いの源泉を取り除こうとしている。魔術とも呪術とも違う、恐ろしく――強い力。
強くなった雨足がその力を浮き彫りにしていた。
不可視の何かだ。完全に透明な物体が、ケラーからルークの周囲を守り、ルークの石像とも繋がっている。
「小癪なッ…………虫けらめッ。下手に出れば、意味不明な事を言って…………ッ」
ケラーの体表を覆っていた物体の一部が延び、天高く上がる。そのまま物体は錐状に変化すると、勢いよく地面に突き刺さった。
地面が激しく揺れ、盛大にめくれ上がる。地面を伝わってきた激しい衝撃に、ルークに向け力を放っていたユグドラの戦士達が吹き飛ばされる。
「くっ……!!」
とっさに防御魔法を構築する。負傷はないが、立っているだけで精一杯だ。
殺すつもりはないのだろう。殺す気だったら直接力をぶつけていたはずだ。
だが、死にはしないが、この状態ではルークを呪い続けられない。
ケラーが大きく手を伸ばす。空気が掻き回され、強い風が吹いた。雨粒が吹き飛ばされると、ケラーの力は完全に見えない。
「大人しくしていろ…………契約が先だッ……」
ケラーを中心に、周りの空気が回転していた。無理やり全員を排除するつもりだ。
皆が動けなくなったところでルークの解呪に集中するつもりなのだろう。
セレンは残っていた仲間達にとっさに叫んだ。
「防御陣形ッ! 防御班は風を防ぎッ! 攻撃班はルークに呪いをッ!」
「!? 何がッ! 貴様らをッ! そうもッ! 駆り立てるのだッ!!!」
「そうだッ! ミレスッ! フィニスッ! 皆を守ってッ!」
ミレスやフィニスは精霊だ、呪術は使えない。だが、二柱が守りに入ればユグドラの戦士達は全員呪いに集中できる。
セレンの言葉に、フィニスとミレスが動き出す。それを見て、ケラーがその骨ばった腕を思い切り振り下ろした。
「理由もなくッ! このケラーの邪魔をッ! するなあああああああああああッ!!!」
雷鳴をも上書きするような激高。抵抗は無意味だった。
何かが、大地を薙いだ。
視界が揺れ、衝撃が身体を貫いた。感覚が引き伸ばされ、気がつけばセレンは宙を舞っていた。
ユグドラの戦士達がケラーの邪魔をするためにとっさに放った攻撃魔法が、ミレスの立てた土壁が、フィニスの生み出した枯渇の霧が、そしてケラーに対峙していた戦士達が、全てまとめて吹き飛ばされる。
ほぼ反射的に構築した防御魔法により、墜落のダメージを軽減し、なんとか立ち上がる。
ケラーの周囲には何もなくなっていた。
存在するのはルークの石像一つだけで、地面に転がっていた瓦礫や生えていた草木も根こそぎ排除され、綺麗に更地となっている。
「はぁっ、はぁっ、余計な手間を掛けさせるッ! くそっ、この結界も、鬱陶しいぞッ!! この街は、鬱陶しいものばかりかッ!」
苛立たしげなケラーの声。あれだけの事をしでかしたのに、その身から感じるプレッシャーは微塵も減っていない。
後ろを振り返るが、ユグドラの戦士達の姿は半分も残っていなかった。
あれだけの衝撃だ、遠くに飛んだのだろう。防御魔法の展開が間に合わなかった者もいるに違いない。
ミレスとフィニスが、佇むケラーに空から襲いかかる。雨あられと降り注ぐ水の槍と枯渇のオーラに対して、ケラーは激高したように叫んだ。
「この世界の精霊はッ! こんなふざけた連中に味方するのかああああッ!!」
水の槍が、漆黒のオーラが、見えない壁にぶつかり止まる。
ケラーはヤケクソ気味に右掌を握ると、地面がみしりと音を立て、先端が尖った柱が生み出された。
恐らく不可視の力で大地を削ったのだろう。続いて、ケラーが左手を大きく振るうと、フィニスとミレスの球状の体が歪んだ。
離れて浮かんでいた二柱が、不自然に引き寄せられる。謎の力は相当な射程と精霊に干渉する力を有しているらしい。
そして、ケラーは右手を振りかぶると、軽く振り下ろした。
並び空中に繋ぎ止められる二柱に向かって柱が飛ぶ。回避は不可能だった。飛来した柱が二柱に綺麗に突き刺さる。
精霊に物理攻撃は効きづらいはずだが、二柱は力を失ったように地面に墜落した。柱に串刺しにされ、球体に浮かんだ悲しげな顔がセレンを見る。
「ふはははははッ! 串団子だッ! はははははははははははッ!!」
ケラーの狂ったような笑い声が響き渡る。どうやらだいぶストレスが溜まっているらしい。
だが、このままではルークの呪いが解かれてしまう。やはりセレンでは《千変万化》のような真似はできないのか?
身体はまだ動く。だが、闇雲に術を使ったところで無意味だろう。ケラーの力には、隙がない。
何か…………何か、方法を、弱点を、探さなくては――。
勝ち誇ったようにケラーが叫ぶ。
「二度と、このケラーの邪魔をするなッ!! 無駄な力を使わせるなうッ!?」
――その時、ケラーの身体が大きく宙を舞った。
大地を踏みしめる音。宙に浮き上がったケラーに、疾風のような速度で小柄な影が迫る。
流れるまとめられたピンクブロンドに、輝く金属の靴。肉食獣を想起させる笑みを浮かべ、リィズ・スマートが宙を踏み、さらに跳んだ。
これは……増援ッ!
「来てくれたのですねッ!」
「ごめん、宝物殿の方を確認してて、遅れた」
いつの間にか傍らにきていたエリザ・ベックが答える。
杖を握るルシアに、キルキル君を傍らに、ケラーに観察するような眼差しを向けるシトリー。
険しい表情のティノ。アンセムの姿は見えないが、もしかしたら結界の準備をしているのかもしれない。
だが――。
「《千変万化》は!?」
「…………クーの事は、わからない」
肝心のあのニンゲンはまたいないのですか……。
だが、《千変万化》抜きでも《嘆きの亡霊》の強さに疑いはない。
リィズの動きはこれまでセレンが見た何よりも速かった。蹴りが、突きが、その動作の一つ一つが速すぎて見えない。
頬に触れた雨粒が蒸発しその全身から湯気が立っている。輝く瞳はまるでその奥で炎が燃え盛っているようだ。
神速の突きに、遅れて伝わる空気を貫く音。だが、その攻撃の尽くを、ケラーはぎりぎりで回避していた。
ケラーが後ろに下がりながら叫ぶ。
「ッ、まだ、邪魔が入るかッ! 何者だッ!」
「クソッ、なんだこいつ、何か、纏ってるッ!!」
「愚か者ッ! 蹴りで、この『外部感覚』が破れるかッ!!」
「お姉ちゃん、下がってッ!!」
「ッ!?」
いつの間に投げたのだろうか。上から落ちてきたポーションの瓶は、明らかにリィズへの警告が放たれる前に投げられていた。
毒々しいポーションの瓶が割れ、発生したこれまた毒々しい霧がリィズとケラーを包み込む。
物理攻撃が効かないと察した瞬間に攻撃を切り替えたらしい。
「シトッ、てめえええええッ!! リィズちゃんごと、攻撃するんじゃねえッ!!!」
リィズが霧の中から一人、脱出する。その全身は爛れたように真っ赤に焼けていた。短時間で高レベルのハンターの肉体をそこまで溶かすのだから相当強力な毒なのだろう。
一瞬希望をいだきかけるが、すぐに霧は内側から四散した。
風を起こせるのだから当然と言えば当然の結果である。
ケラーは無傷だった。肌に触れてすらいないのだろう。リィズは完全に巻き込まれ損だった。
シトリーがため息をつき、意気消沈したような沈んだ声で言う。
「なんか最近、私、力不足ですね……もっと強力な薬を作らないと……エクスプロージョンポーションも効かないだろうし…………クライさんに相談してみないと」
「ッ!! 貴様ら…………そうか、《千変万化》の仲間か。ならば話が早ッ――!?」
ケラーが一歩前に踏み出そうとしたその時、その周囲を取り囲むように氷の柱が生える。
そして、立ち止まったケラーに向かって、どこからともなく出現したアンセムが全力で巨大な剣を振り下ろした。
氷の柱がへし折れ、臓腑を揺らす音と共に大地が震える。
相手の反応を意に介さない、息もつかせぬ攻防に、セレンは言葉を失っていた。
だが、まだだ。まだ、仕留めきれていない。
アンセムの大剣は、地面を深々とえぐっていた。だが、それはつまり、ケラーには当たっていないという事。
ケラーは――宙に浮いていた。いや、正確に言うのならば、見えない何かに乗っているのだろう。
全身を守護し、自在に収縮し、魔術も結界も遮断し、呪いを排除できる、そんな何かに。
戦闘態勢の《嘆きの亡霊》を前に、ケラーが先程よりもだいぶ落ち着いた声で言う。
「我が時代にもなかなか存在しない力――面白い。だが、落ち着け。我は敵ではない」
「…………どういう事ですか?」
どうやら、猛攻を受け、逆に落ち着きを取り戻したらしい。それがいい事なのか悪い事なのかはわからないが――。
全身にのしかかる、膝が砕けそうになるような重圧。
シトリーの問いに、超越者は呆れたように言った。
「やはり、聞いていないのか。貴様らのリーダー、クライ・アンドリヒは、このケラーと契約を交わした。ルーク・サイコルの解呪と引き換えに、忠誠を誓う、と。それを果たしにきただけの事。少し後悔しているがな」
それは、セレンにとって、予想外の言葉だった。
クライ・アンドリヒが忠誠を誓った? ルーク・サイコルの解呪と引き換えに? そんな事――あり得ない。
ルーク・サイコルの解呪は本日、セレンが行うはずだったのだ。昨日の時点であのニンゲンはセレンに何も言っていなかったし、そんな素振りを見せてもいなかった。
怒りよりも悲しみよりも困惑が勝っていた。恐らく、他のメンバーも同じ気持ちだろう。
本来ならば、あのニンゲンがセレン達を裏切った可能性も考えるべきかもしれない。このケラーが嘘をついている可能性も考えるべきだろう。
だが、何しろあのニンゲンの行動は尽く突拍子がないのだ。
どうするべきか困惑するセレン。黙り込む《嘆きの亡霊》のメンバーに、ケラーが続ける。
「だが、どうやら貴様らのリーダーはまだ話をしていなかったらしいな。ふぅ…………怒りを抑え、話し合う時間をくれてやる。いや待て、クライ・アンドリヒをここに呼んでこい。話はそれから――ッ!?」
アンセム・スマートが大地を蹴ったのはその時だった。
四メートルを超える身体が大きく地面を飛び上がり、刃渡り二メートルを優に超える巨大な刃が宙を浮くケラーに真上から叩きつけられる。
不可視の力と金属がぶつかり合い、衝撃が空間を伝播する。
奇妙な音。アンセムの膂力は《嘆きの亡霊》でトップだと聞くが、やはりその刃はケラーまで届いていない。
止まった刃が再び持ち上げられる。今度は真上からではなく横薙ぎで――かつて竜の首を切り落としたらしい一撃に、ケラーは更に天高く飛び上がり距離を取ると、アンセムを睨みつける。
「ッ……どういうッ、つもりだッ今の話を聞いていたのかッ!?」
苛立ちと焦りの含まれたケラーの声。大剣を担いだアンセムは、朗々とした声で言った。
「笑止…………クライが、この《嘆きの亡霊》が、邪悪な神と契約を交わすなど、ありえんッ!!」
「なん……だと?」
自信に満ちたその声に絶句するケラー。近くで様子を窺っていたクリュスがぼそりと呟く。
「いや、ヨワニンゲンは……交わすかもしれないぞ、です」
真実はわからない。だが、セレンは今できることをやるのだ。
《嘆きの亡霊》が助力に来た。吹き飛ばされたユグドラの戦士達も、無事ならば時間が経てば戻ってくるだろう。
ケラーの力は絶大だ。だが、消耗がないわけではないはず。まだセレン達には切り札が――《千変万化》が、残っている。
ならば今のセレンにできるのは――。
その時、近くに立っていた、スルーされていたルークの石像が目に入る。
セレンは近くでぶるぶる震えているティノ(とカーくん)に叫んだ。
「ティー! 石像を持って逃げるのですッ!! ケラーに渡してはいけませんッ!」
「!?」
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/槻影
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