363 仮面の神②
弱きは罪、力こそ我が教え。敗北者と交わす取引などない、か。
その理屈で行くと、僕が一番この神にとって無価値な人間という事になるのだが……神のくせに見る目がないのかな?
一瞬眉を顰めるが、これが夢である事を思い出し、考え直す。
やたら鮮明とはいえ、夢は夢だ。その内容につっこむ事程、馬鹿げた事はない。
ユグドラに来てからけっこう経つからなあ…………僕の潜在意識も案外神の幻影について気にしていたのかもしれない。やるじゃん、僕。
しかし、僕も案外想像力があるじゃないか。ケラーが小さな人型というのは安直な気もするし、もうちょっと強そうでもいいのではと思わなくもないが、頭の中に伝わってきたケラーの能力は僕がこれまで想像すらしたことのない力だ。
うんうん頷いていると、頭の中に再び声が響き渡る。
『忠誠か、死か。答えよ、英雄』
……なんだか面倒くさいな。夢の中でまで神の事なんて考えたくない。
「…………例えばなんだけど、忠誠を誓ったら何かいい事でもあるの?」
一度ため息をついて、確認してみる。なんかいいものとかくれるんだろうか? 宝具?
ケラーはしばらく沈黙していたが、
『そうだな…………あの小娘から、貴様の目的は聞いている。忠誠を誓うのならば、貴様の仲間がかけられたという呪いを解いてやろう』
なるほど、そうきたか…………よくできた夢だね。
確かに神の力ならば呪いも解けるかもしれないな。僕の想像力も本当に捨てたもんじゃないようだ。
まぁ、仮に現実世界で思いついたとしても実行は難しそうだけどね……いくらなんでも神の幻影の力を借りるとか、現実味がなさすぎる。神を使役しようとしていたアドラーの事を笑ったばかりだ。妹狐だったらまだ目はあったかもしれないけど。
世界樹を取り込んでいた【源神殿】もシトリーの作戦で弱っているわけで、後はルークの石像を世界樹の近くまで持っていってセレンに解呪して貰えば事足りる。
だが、明日セレンに頼んで無理そうだったら妹狐に連絡取ってみようかな…………忘れないようにしないと。僕、けっこう夢の内容覚えていられないからなあ。
『して、答えは?』
脳内に苛立たしげなケラーの声が響く。うるさいなあ、横から声をかけられると妹狐に連絡を取る事、忘れてしまうじゃないか。
僕は肩を竦めて答えた。
「じゃあ忠誠を誓うのでお願いします」
『!! …………どうやら、この時代の英雄は存外に賢しいようだな。だが、良かろう。貴様の願い、しかと聞き届けた。神との契約は確実に果たされる。次は現世で相見えようぞ』
「よろしく頼むよ」
強い風が吹き、ケラーの姿がかき消える。仰々しい夢だなあ。
僕は大きく欠伸をすると、夢から覚めた後に忘れないよう、妹狐に連絡する妹狐に連絡すると呟きながら横になり、目を閉じた。
§
意識が覚醒する。陽光の差し込む寝室で、僕はベッドから身を起こし大きく伸びをした。
清々しい目覚めだった。眠りの深さは僕の持つ数少ない強みだ。特に最近色々あって、身体が休息を求めていたのだろう。
今日はいよいよ運命の日。ルークの解呪を試みる日だ。
セレンに解呪を試してもらうのはこれで三回目である。一回目はユグドラで試してもらって駄目だった。二回目は世界樹の近くまで行ったが大量の幻影が出てきて試すことすらできなかった。これが三度目だ。三度目の正直に期待したい。
と、そこで僕は、眉を顰めた。
なんか忘れている気がする。なんだっけ…………そう。夢だ。
変な夢を見た気がする。眉を顰め記憶を漁るが、今起きたばかりなのに全く思い出せなかった。
僕は寝付きがいい方だ。ベッドに入ればすとんと意識は落ちるし、夢を見ることも余りない。そして、夢を見ていたとしても――覚えている事は更に少ない。
だが…………そう。そこで何かをしようと思っていたような――そうだ!!
妹狐に連絡しようと思っていたんだよ。
早速スマホを取り出し、通話ボタンをぽちっと押す。まるで電話口で待ち構えていたように、通話が開始される。
『…………』
「やあやあ、僕だよ。実は、重要な用事があって電話したんだけど――」
『……………』
と、そこまで話したところで、僕は大変な事に気づいた。
――どうして連絡しようと思ったのか全く覚えていない事に。
何か用事があったのは確かなんだよ。妹狐に連絡しようと思っていたんだ、夢の中で。
だが、まったく思い当たる節がない。腕を組み首を傾げてみるが、答えが出るわけもなく。これは困ったなぁ。
悩んでいる間も、妹狐はずっと沈黙を保ったままだった。通話は始まっているはずだが、もしかして何かの拍子にボタンを押してしまっただけで通話が始まった事に気づいていない?
それなら不幸中の幸いである。メル友になっている僕でも、レベル10宝物殿の幻影相手に用事もないのに電話をかけるとかやりたくない。
さらにしばらく待ってみたが、妹狐はなんの反応も返さなかった。これは……どうやら気づいていないようだな。よかった。
ほっと息をつき、通話を切る前に試しに聞いてみる。
「……………………さて、ここで問題です。僕の重要な用事とはなんでしょう?」
『ッ!!』
あ…………通話切れちゃった。どうしたのだろうか。
手の中のスマホを見ながらしばらく、妹狐にどうして連絡しようとしていたかを思い出そうとしていたが、全く思い出せなかった。
仕方ない、思い出せないという事は案外重要な用事ではなかったのかもしれないし、思い出した後にまた連絡をすればいいだろう。
それよりも今優先すべきはルークの解呪だ。僕は気を取り直して立ち上がった。
セレンもきっと万全の準備をして待っているだろう。
ユグドラが陥っていた問題はほぼ全て解決した。ここはセレンにはユグドラの皇女としてばしっと決めてもらわないと。
§ § §
たった一月足らずで状況が随分変わったものだ。宴から一夜。屋敷に集合したユグドラの戦士達を見て、セレンは感嘆のため息をついた。
昨晩行われた宴も本当に久しぶりだった。
ユグドラの戦士達が行方不明になってから長らく、ユグドラには明るい話題はなかった。戦えない者達の多くをユグドラの外に避難させてから街の中も静まり返っていたが、今のユグドラは希望の光で溢れている。
希望が戻ったのは宝物殿の弱化に成功したというのもあるが、一番の要因は行方不明だったユグドラの戦士達が生きて帰った事だろう。世界樹の暴走を止めるために厳しい訓練を重ねたそれらのメンバーはユグドラにとって誇りであり、希望そのものである。
帰還直後は疲労しきっていた戦士達も家族への再会を経て、再び戦意を取り戻していた。次の戦いに向かう事を拒否する者は一人もいない。
既に目標は達成したと言ってもよかった。神が完全に顕現する前に宝物殿を弱らせる事ができた。行方不明になっていたメンバーも戻った。
シトリーの作ったマナ・マテリアル撹拌装置をユグドラで改良すれば、宝物殿を消し去る事も、もしかしたら世界樹のこれ以上の成長を止める事もできるだろう。
《嘆きの亡霊》はセレンが想像していた以上に素晴らしいハンター達だった。ここまで、セレン達は助けて貰ってばかりだった。次は、セレン達がその恩に報いる番だ。
世界樹に――【源神殿】に向かい、今度こそルーク・サイコルの解呪を成功させる。
部屋の中央に置かれた石像――まるで今にも動き出しそうな躍動感に満ちたルーク・サイコルの石像を見る。
ルークを侵しているシェロの呪いは強力だ。
本来ならば、その呪いがセレンに解けないわけがなかった。シェロはユグドラの皇族の血を引く由緒正しい高位精霊人だが、血だけならばセレンの方が上だ。呪術師としての実力も、セレンよりシェロの方が上というのは考えにくい。
最初に世界樹の力を借りずに解呪を試みたのは、世界樹の力などなくても呪いを解けるはずだったからなのだ。だが、実際には失敗してしまった。
後は、世界樹の力を借りて解呪を試みる他ない。だが、もしもそれでも解呪できなかったら――。
脳裏に浮かんだ不安を首を振って振り払う。大丈夫、間違いなく成功するはずだ。
それに、今のセレンは一人ではない。ルインもいるし、戻ってきたユグドラの戦士達が、優秀な魔導師達がいる。
皆で協力する事の大切さを、《千変万化》は教えてくれた。
全員の力を合わせればできない事など、恐れるものなど、何もないだろう。
幸い、ルークにかけられた呪いはまだ完全にその魂を侵食していなかった。本来ここまで強力な呪いならばすぐに魂を取り返しのつかない状態にまで侵してしまうはずだが、よほどルークの魂は強靭なのだろう。
「《千変万化》の準備ができたら出発します。弱化は成功したとはいえ、【源神殿】はまだ健在です。奥には入りませんが、何が起こるかわかりません。油断しないように――」
「一度は死んだ身です。この生命、新たな友人のために使う事に躊躇いなどあるわけもありません。返しきれない程の借りを作ってしまいましたが、ここで少しでも返しておきましょう。ニンゲンの寿命は短いですから」
セレンの言葉に、ルインが薄い笑みを浮かべて答える。それだけで少し緊張が解けた気がした。
そうだ。解呪で返せる借りはシェロを見つけてもらった分。世界樹の暴走を止めてもらった分は他の方法で返さなくてはならない。ここで立ち往生しているわけにはいかないのだ。
大きく深呼吸をしたその時、ふと仲間達が泡を食ったように部屋に駆け込んできた。
宝物殿の監視をしていた部隊だ。青ざめた顔で報告してくる。
「セレン様、大変です。【源神殿】に――崩落の兆しがあります」
「…………へ?」
ありえない話に、思わずまじまじと同胞を見返す。
確かに黒き世界樹の力でマナ・マテリアルの供給は絞れた。だが、マナ・マテリアルの流入量を制限できたのは南側だけだし、そもそも宝物殿というのは早々崩壊するものではない。
シトリーの立てた作戦だって、宝物殿の弱化を目標としていたが、崩壊までは見込んでいなかった。
マナ・マテリアルの供給が落ちた時、宝物殿は幻影や宝具を力に還元して己を保とうとする。仮に力の供給が完全にゼロになったとしても、宝物殿はしばらくは消えたりしないのだ。
【源神殿】の崩壊はセレン達にとって紛れもない吉報だ。だが、素直に喜ぶわけにはいかなかった
ユグドラが世界樹の暴走に対してここまで対処できたことはなかった。ここから先は何が起こるかわからない。
「……【源神殿】に何が起こっているのか、確認に向かいます。誰か、《千変万化》に連絡を――」
そう指示を出しかけた、その時だった。
心臓が凍りついたような心地がした。呼吸を忘れた。自分の正気を疑った。
ユグドラはセレンの先祖が生み出した都市だ。都市の全権はセレンにあり、その中には都市を守る結界術式も含まれている。
――そして今、構築されてから一度も外敵を寄せ付けなかったその結界が、破られようとしていた。
何かが、来る。セレン達、ユグドラの民に敵対している何かが。
術式の隙をつくわけでもなく、解除を試みているわけでもなく、ルインがやってきた時のようにすり抜けているわけでもない。
地脈の力を吸い上げ発動している結界を力ずくでこじ開け、連鎖して発動する無数の迎撃術式を正面から受けきって――。
そこに存在するのは、世界をも破壊し得る圧倒的なパワー。
思い当たる節は一つだ。喉がからからに乾いていた。だが、現実から目を背けるわけにはいかない。
「あ……ありえ、ない。宝物殿が、崩壊しているのに、神が、まだ、生きているなんて――」




