356 《千変万化》の作戦②
みみっくんが僕のお願いを聞いて呪物を吐き出し始める。
十字架のペンダントに、クマのぬいぐるみ。漆黒の鞘に納められた剣に、捻れた黒い長杖。
僕が欲しかったのはぬいぐるみだけなんだが、まあ引き出し方が悪かったな。
邪魔な剣と杖をその辺に置き、本命のぬいぐるみ――マリンの慟哭の首にペンダントを掛ける。
ティノは僕が取り出した物を見ると呆然とした様子で言った。
「それは、まさか――――………………?? なんだか私が知っている物と形、変わりましたね」
「ぼろぼろだったから、リメイクしたんだよ」
僕がマリンの慟哭を拾った時、ぬいぐるみは非常に年季が入っていてぼろぼろの状態だった。表面は黒ずみそこかしこがほつれていたし、目と腕も取れかけていた。恐らく戦いに巻き込まれてぼろぼろになったわけではなく、元々そういう状態だったのだろう。
そして、確かにマリンには散々な目に遭わされたが、ゴミみたいになっているぬいぐるみを――呪物をそのまま放っておく程、僕は冷徹ではない。
ハンター御用達の洗浄ポーションを駆使し、ほつれた部分は縫い繋ぎ止めた。綿は入れ替えたし、服まで着せてあげたのだ。
御覧ください、まるで新品です(新品というよりは別物)。
「!? リメイク!? 呪われたアイテムをリメイクしたんですか!? というか、マリンの慟哭は、シェロの攻撃を受けて消滅したのでは!?」
「そう思ってたでしょ? 大人しくしてるだけで消えたわけではないんだよ」
最初にコンタクトがあったのはぬいぐるみを修理した直後だった。夢に出てきたのだ。どんな夢だったかは忘れたが、多分ぬいぐるみ修理への感謝だろう。
新品同然に修繕されたクマのぬいぐるみを地面に置く。知らなければこのような可愛らしいぬいぐるみの中に光霊教会にも手に負えない呪いが入っているとは思わないだろう。
少し待つが、クマのぬいぐるみはまるでただのぬいぐるみのように動かなかった。首にかけてあげたペンダントには黒騎士も入っているはずだが、そちらも出てくる気配はない。
昨日、土下座して戦ってくれるよう頼んだ時には頷いてくれたのにまさか当日になってキャンセルするつもりなのだろうか? まぁ、その時はカーくんで逃げ回るだけなんだけど――。
…………出てこないなあ。そうだ! こういう時はお供え物だ。
きっと敬意を示せばマリンも出てきてくれるだろう。
さっそく、宝具のバッグ――みみっくんと違い、チョコレートバーしか収納できない欠陥品を漁る。
常備しているチョコレートバーを取り出し、ぬいぐるみの頭の上に乗せる。二本、三本と乗せていき、五本目を乗せたところで、ぬいぐるみが横からばっと取り上げられた。
いつの間に出現したのか、一人の女の子がぎゅっとクマのぬいぐるみを抱きしめていた。傍らには漆黒の騎士がまるで彫像のように立っている。
マリンの慟哭。
悲劇的な境遇の末、呪いと化した少女。だがその姿は最初に見た時よりも随分と大人しい。
焼け焦げたようなドレスはそのままだが、腐りかけの死体のように崩れていた顔や手足は人間だった頃のものを取り戻し、その表情には怨嗟以外の感情が浮かんでいる。
どことなく不機嫌そうにこちらを睨みつけるマリン。
まぁ、なんとか手伝ってくれるよう了承を貰っただけで快諾してくれたわけではないので仕方ないだろう。だが、少なくともそこには殺意はなかった。
手を合わせ、地面に落ちてしまったお供え物代わりのチョコレートバーを持ち上げ、マリンに差し出して言う。
「頼むよ。ぬいぐるみをパワーアップしてあげるから」
「…………や、やめて……」
「ま、まさか…………マリンの慟哭をけしかけるんですか!? ますたぁ! というか、慟哭以外に喋れたんですか!?」
ティノが素っ頓狂な声をあげる。
ナイスアイディアだろう。力なき者には力なき者の戦い方というものがあるのだ。
そして、シェロも喋っていたのだからマリンが喋っても何もおかしくはない。
「けしかけるとは人聞きが悪い……ちょっと手伝って貰うだけだよ」
このような女の子に戦ってもらうのは忍びないが、マリンの力が凄まじい事は既に体験済みだ。シェロにこそ敵わなかったが、【源神殿】の幻影も相手にできるだろう。しかもマリンは実体がないので攻撃を受けても死ぬ心配はないし、黒騎士だってついている。
しかも、今思い出したのだが――呪いには呪いであるが故の長所もある。
僕は地面に置いた剣と杖――魔術学院と剣聖道場を混乱の渦に叩き込んだ呪物を指して言った。
「さぁ、その剣と杖を手にとって」
「…………」
――そう、デメリットなく、他の呪物が使えるのだ。
呪物は大体、看過できないデメリットと引き換えに一般的な武器と比べても隔絶した性能を持っているものだ。杖の方の力は未知数だが、魔剣の方は実際に剣聖の道場を瓦礫の山にしている。ただでさえやばい力を持ったマリン達が振るえば鬼に金棒、僕に宝具。
呪物なしでもマリンと黒騎士はアーク含む歴戦のハンター達と光霊教会の連合軍と対等に戦えていたのだ。武装した彼女達ならば幻影など何体襲ってきても相手にならないはずだ。
マリンと黒騎士が緩慢な所作で呪いの武器を拾う。
そこで、ティノが弾かれたように森の奥を見た。
「ま、ますたぁ、気配が――幻影が、近づいてきますッ!!」
「あぁ、ありがとう。もうそんな時間か……」
…………まだ装置を起動すらしていないのに、早いなぁ。しかし相変わらず、気配が全然わからん。
時計を確認する。いつの間にか、予定の時間を回っていた。
マリンがなかなか出てこないから……もうシトリー達は装置を起動してしまっただろう。まぁ、せっかくだからこっちも起動しておこうかな……。
シトリーに渡された魔石を取り出し、装置の穴に嵌める。硝子管が音もなく震える。こう、もう少し音とか光とかあるのかと思っていたのだが、随分地味な反応だ。
これで本当に起動したのだろうか?
そこで、ティノが目を大きく見開き、震える声で言う。
「この音、この気配――足音を殺してるけど、わかる…………す、凄い、数ですッ!」
お…………音?
耳を澄ませるが、僕には風の音以外何の音も聞こえなかった。
索敵に適した盗賊とはいえ、ティノの感覚も怪物じみている。あるいは危険な目に遭ってばかりいるから、マナ・マテリアルの力でその手の感覚が強化されたのだろうか?
「へー、何体くらいいるの?」
「…………凄い数です。ちょっと数え切れません。多分、ここがシトリーお姉さま達よりもかなり【源神殿】に近いから――」
なるほど……どうやら囮の役割はしっかり果たせそうだな。本命がシトリーの方だとは思うまい。
そして、ここって【源神殿】に近かったんだ。ふーん、初耳……。
いつでも逃げられるようにみみっくんを近くに引き寄せる。指に嵌めた結界指を確認する。
【源神殿】の幻影がどれほどの力を持っているのか、僕はよく知らない。仮に知っていても抵抗できないのだから意味がないのだが――まぁ、僕には結界指があるから数回は攻撃されても大丈夫。
「ティノ、こっちに」
「!? は、はい……」
ティノが木々の向こうを警戒しながら小走りで近づいてくる。経験上、僕と他の人が並んでいる場合、攻撃は先に僕の方に来る。仮に範囲攻撃を受けても僕の結界指で一緒に守れるし、相手の攻撃手段さえわかればティノならば対応できるはずだ。
ティノの横顔はただただ凛々しく、緊張はあっても萎縮している様子はなかった。凄い数が来ると自分で言ったばかりなのに、頼もしい事この上ないな。
後ろに下がると、黒騎士が何の感情も見せずに前に出る。それに続く形でマリンもふらりと黒騎士の隣に立った。杖を握り、暗い表情で森を見る。
………………そう言えば今更だけど、マリンって魔導師なんだっけ?
「ッ…………き、来ますッ!!」
ティノが息が詰まったような声を出す。その白い頬を一筋の汗が流れ落ちる。
そこで、僕はようやく僕達が囲まれている事に気づいた。
ある程度開けている場所を選んで下りたとは言え、数メートルも離れれば深い森だ。青々と生い茂る大樹の上に、一抱えもある幹の影に、漆黒の仮面で顔を覆い隠した人型の幻影が潜んでいた。
恐らく、十体以上はいるだろう。一体いつの間にこの距離まで近づかれたのだろうか?
幻影達は隠れていなかった。もしもこのレベルの幻影が本気で姿を隠そうとしたら、この距離に近づかれても僕では気づけまい。それは彼らの戦意の現れとも言えるかもしれない。
「はぁ、はぁ……ますたぁ……魔導師型と盗賊型です。全員、森の中で戦う事に慣れていますッ!!」
枝葉の擦れ合う音。樹上で黒い影が動く。何よりも静かで、何よりも速い。だがそれ以上に恐ろしいのは、幻影達がまだ攻撃を仕掛けてきていない事だろう。
高い知性がある。統率されている。恐らく、確実にこちらを仕留めるために。
その気配に気圧されているのか、ろくに動いていないのにティノの呼吸が荒い。
「……セレンは殺すな、と言っていたかな……」
「ッ……」
ティノが小さく息を呑み、自然な動きで構えを取る。武器など持っていない、徒手空拳。
……思い返すと、ティノっていつも大体、武器を持っていない気がする。ルークですら木剣を使うしリィズも武器を使う時は使うのに、もしかしてティノが一番脳筋なんじゃ――いやいや、今はそんな事を考えている場合じゃない。ティノに戦わせるつもりはないのだ。
肌がひりつくような戦場の空気。最初に動いたのは――黒騎士だった。
剣を抜くと同時に、強く地面を蹴る。数メートルの距離を一瞬でゼロにする、達人の踏み込み。
だが、奇襲は失敗に終わった。
樹上から、木の影から、四方八方から無数の矢が放たれる。黒騎士の踏み込みより速い速度で。
嵐のような攻撃に対して、黒騎士は切り払いで対応する。甲高い音があがった。
如何なる術理だろうか、その連射速度はもはや弓術の域を超えていた。僕の目には線が集まっているようにしか見えない。そして、それらを全て切り落とす迎撃の音は、もはや繋がってさえ聞こえる。
そこには僕などでは想像できない、絶技と絶技のぶつかり合いがあった。
「ッ…………なんて、速度――動けないッ!! 狙われてますッ!」
矢というのは通常、銃火器よりも射出速度で劣る。だが、その矢の嵐は治まる気配がなかった。何百何千人から一斉に射られているかのようだ。
切り払われ地面に突き刺さった矢が地面に大穴を開ける。まるで爆弾だ。弓矢はマイナーな武器だが、決して弱い武器ではない。実際にスヴェンは弓矢をメインウェポンに二つ名を得るまで至った。
その一矢一矢は必殺の威力を誇っていた。黒騎士は魔剣の力と怖気立つような剣の冴えでそれを切り落としているが、一歩も前に動けていない。いや、少しずつ後退している。
やばい敵だ。僕達がターゲットになっていないのは一人ずつ仕留めるつもりだからだろうか?
苦戦する黒騎士に覚悟を決めたのか、マリンが前に出る。
悲しみと不安が入り混じった表情。軽く開いた唇から甲高い悲鳴が静かな森を揺るがす。
その呪いの名の由来となった、聞いたものを殺す、物理的な力すら持ったマリンの『慟哭』。
光霊教会を震撼させた力に、矢の線が一瞬震え――。
しかし、攻撃は全く止まらなかった。
ティノが震える声で叫ぶ。
「!?? あ、あれ!? ま、ますたぁ、なんか弱くありません!?」
「………………弱いねえ」
……………………あれ?




