353 シトリーの作戦⑥
そして、大嵐でも来て戦いが延期にならないかという期待も虚しく、戦いの日がやってきた。
大きな戦いに赴くのはこれで何度目だろうか。知らず知らずのうちに巻き込まれていた分も含めれば確実に十は超えるだろう。
清潔なベッドの上で目を覚まし、吐きそうな気分を抑え着替えをする。
顔を洗い、用意されていた食事を食べ、着替えをする。
装備する宝具は結界指を始めとしたいつものセット。快適な休暇を着るか迷い、着るのをやめる。セレンの変わりっぷりに今更ながら脅威を感じたというのもあるが、着るのをやめた一番の理由は…………セレンから宝具を回収するのを忘れていたためだ。まったく僕ってやつは……。
みみっくんをひきつれ、合流場所のユグドラの入り口に向かう。僕が辿り着いた時には、メンバーは勢揃いしていた。
今回は先のルークの解呪作戦の時のように倒れた者はいないようだ。
《嘆きの亡霊》に《星の聖雷》、《千鬼夜行》にユグドラの魔導師達。大きな戦いに赴く前特有のぴりぴりとした緊張感が漂っている。
僕はゆっくり休んでしまったが、他のメンバーはそれぞれ朝のうちに準備をしていたのだろう。これから危険な作戦に従事するというのに、皆やる気満々のようだ。
彼らは僕を除き全員が紛れもない才人である。本来ならば肩を並べて戦える事を光栄に思うべきなのだろうが、一人ゴミみたいな能力しかないのに巻き込まれる僕としてはどうしてもテンションが上がらない。
「…………別に待ってなくても良かったのに。今回のメインはシトリー達の方なんだし」
半分本心から言う。シトリーの作戦について大まかな事は聞いていた。
簡単に言うと、僕の役割はシトリー達がマナ・マテリアル攪拌装置を発動している間、幻影の視線をこちらに釘付けにする事だ。危険な仕事だが、幻影から逃げ回るだけなのだから僕で発動できるかわからない装置を持たされるよりは百倍マシだろう。逃げるだけだったらいつもの事だし。
シトリーが今日もテンション高めに挨拶してくれる。
「おはようございます、クライさん! そんな悲しい事言わないで、最初くらいは一緒に戦わせてください。それに、クライさんがいれば、皆やる気を出すってものですよ!」
僕がいたらやる気が出るとか、どういうシステムなのか気になるなあ。確かにみんなやる気満々な様子だが、これは僕とは何も関係ないだろう。
そこで、シトリーの表情がどこか不安げなものに変わる。
「ところで……本当に、マナ・マテリアル攪拌装置は持っていかないんですか? 一応、こちらの数を減らして割り振る事もできますが――」
どうやらシトリーはどうしても僕をもっと働かせたいらしい。思わずため息が出る。
マナ・マテリアル攪拌装置なんて危険なもの渡されても僕は使い方を知らないし、そもそも数が足りないらしい。そんな貴重なもの押し付けられても迷惑だ。
「いらない、いらない。僕には僕のやり方があるからね。これでも色々準備はしているんだよ。それにこっちに装置を割り振ってそっちで問題が出たらまずいでしょ?」
「念の為、追加で一つ作っておきました。よろしければ、使ってください」
「……ありがとう。まぁ必要ないけど、何かあったら使わせてもらおうかな」
「……何かなくても使え、です。ヨワニンゲン、いくらなんでも、オマエ自由すぎだぞ、です!」
用意しちゃったかー…………装置も貴重なんだし、そっちで有効活用してくれたほうが良かったのだが、仕方あるまい。
まぁ、今回、僕には策がある。
「大丈夫だよ。誠心誠意お願いして手伝ってもらえる事になったから」
「??? お…………お願い?」
土下座も案外役に立つものだな。僕の必殺技と呼んでも過言ではないのかもしれない。
「まぁ、僕の事は気にせずにシトリー達はやるべきことをこなすといい! 作戦がうまくいくかはそっちにかかってるんだから、最善は尽くすけど僕の方はうまくいくかどうかかなり怪しいし、失敗する前提で動いてよ。僕がやるのはあくまでちょっとしたサポートである事を忘れないでね」
一応、僕には期待するなと念押ししておく。僕に期待した結果作戦が失敗したら目も当てられないし、シトリーには僕を評価しすぎているきらいもある。
シトリーはしばらく黙って僕の言葉を咀嚼していたが、やがて大きくうなずいて言った。
「ちょっとしたサポート、ですか…………わかりました。それでは私達の方は作戦通りに動きます。みなさん、ここが正念場ですよ!」
そう言えば、僕、シトリー達の作戦、詳細聞いていないんだけど…………まぁ、いいか。どうせ僕にできることなんてない。事前にこれだけ言い聞かせておけば僕の無能がシトリー達に迷惑をかけたとしても大丈夫だろう。
§
森の中、細い道を全員で隊列を組んで進んでいく。
空には分厚い雲がかかり、ただでさえ陽光の届きにくい森の中は不吉を感じてしまう程薄暗い。
軽く仰ぐと、巨大な世界樹を見ることができた。目的地は世界樹のかなり手前だ。
事前に渡された地図には、今回の防衛地点がマークされていた。
合計八つ、それぞれに担当するチームが記されていて、宝物殿の南、かなり手前を横に囲むように並んでいる。多分このマークの並びがマナ・マテリアルの新しい道になるのだろう。
北側には印がない。完全に信頼されているようだ。役に立たないまでも、せめて邪魔だけはしないようにしなくては――。
道中、会話はなかった。ただ、ぴりぴりした空気が漂っている。魔物の襲撃がないのは、嵐の前の静けさというやつだろうか?
そして、僕達は襲われる事もなく、無事、最初の目的地点にたどり着いた。
木々もまばらで、少し開けた空間だ。守るに易いかは知らないが、少なくとも視界は明瞭で、近くには透き通った水の湧く泉もある。
恐らくこの場所ならば水の精霊の力も十分に発揮できることだろう。
「《千変万化》、ミレスを」
「クライさん、装置を出してください」
「ふ…………任されよ!」
みみっくんもいるし、僕は今後、道具係でいいのではないだろうか? それが、一番僕が活躍できる道のような気がする。問題はみみっくんは誰でも使えるという点だが――。
言われたとおり、みみっくんに装置とミレスを出してもらう。
マナ・マテリアル攪拌装置はこれまで僕が見た中で最も奇怪な装置だった。
見た目は螺旋を描く細いガラス管。下は狭く、上は広くなっており、一見すると漏斗のようにも見える。下辺は小さなガラスの箱になっており、動力を嵌め込む場所があった。
これがシトリーの研究の集大成であり、マナ・マテリアルを乱す危険極まりない力があるというのだから不思議なものだ。
大きさは高さ二メートル。幅一メートル程だろうか? これは、みみっくんの口で収納できる限界に近い大きさである。
ミレスは最後に見た時よりも色が薄くなっているような気がした。マナ・マテリアルに侵され再び正気を失わないように避難していたのだが、だいぶ調子は良さそうだ。
見た目は巨大な饅頭で、きらきらと透き通っていて、つぶらな瞳でセレンを見ている。
今回、セレンはミレスと共に装置を一つ防衛するらしい。
守護精霊と向き合うセレンは快適だった時の様子からは信じられない凛とした表情をしていた。ルインがミレスの前に立ち、恭しく声をかける。
「お久しぶりです、ミレス。ユグドラの守護、ありがとうございました。再び共に戦えて光栄です」
ミレスはルインを見ると、鈴の音に似た音を発し始める。精霊語だろう、相変わらず何を言っているのかわからない。
ルインは深刻そうな表情でしばらくその言葉を聞いていたが、押し殺すような声で言った。
「…………わかりません。恐らく、今回の戦いが最大のものになるでしょう。相手は余りにも強大です。しかし、今回はユグドラの民だけではない、種の異なる仲間や、遥か昔に袂を分かつた同胞もいます。作戦だってある。死力を尽くします。精霊人の誇りにかけて――どうか、我々に力を貸してください」
何を言っているのかわからないが、やる気満々だな…………僕としては百年後のためにそこまでやる気はないんだけど、ルークがねえ。
ルインが不意にこちらを見る。静かに燃える真紅の瞳。そして、それまでルインの方を向いていたミレスがこちらの前に移動してきた。
鈴の音を鳴らすような音と共に、ちかちかとその身体が発光する。
風が吹く。鈍感な僕でも感じる、巨大な気配。精霊とは一種の超越者だ。特に力を蓄えた存在が神と呼ばれる事もあるらしい。
僕はしばらく笑顔でうんうん頷いていたが、途中でなんだか面倒になってきた。
そもそも、今回のトラブルは全て正気を失ったミレスと遭遇した時から始まった気がする。もちろん、今更文句を言うつもりはないが、理解できない言葉で話しかけて同意を得るって冷静に考えたら酷くない? わからないのに頷いた僕も悪いけどさ!
僕は鈴の音が消えた瞬間に、笑顔で正直に言った。
「はは…………何言ってるのか、わかんね」
「!?」
上下に揺れていたミレスの動きがぴたりと止まり、ルインやルシア達が息を呑む。
どうやら魔導師は大体精霊語がわかるようだな……。
「まあ、結局のところ――何が起こっても、僕達は最善を尽くすしかないんだよ。準備は万端だし、シトリーの作戦は(多分)完璧だ。僕もやるだけやるから、君はセレンをよろしく頼むよ!」
ハンターとして活動を続けていれば、こういうどうしても覚悟を決めねばならない機会というのは絶対にくる。僕なんてしょっちゅう絶体絶命の事態に陥っている。
今回は戦えるメンバーがいる。シトリーという頼れる司令塔がいる。いつもたった一人で敵に囲まれるのと比べたらどれだけ気楽だろうか。
そう言えば、結局アークの事、呼べなかったな。セレンが快適になったインパクトのせいですっかり忘れていた。呼ぼうとしても受け入れられなかった可能性もあるけど。
「…………ま、兄さんの言う通りです。神殿型宝物殿は攻略ケースが少なすぎる。何を言われようと結局は死ぬ気で挑むしかありません」
「うむ」
「わ、私も、ますたぁの事を、信じています!」
ティノはもうちょっと僕の事を疑ってください。
そこで、ラピスが鼻を鳴らし、ミレスとセレンに言った。
「ふん……今更謝罪なんて不要だ。世界樹の大事は世界の大事、戦うのは当然だ…………だが、一応、言っておこう。作戦が成功した暁には対価はしっかり払ってもらう。我々《星の聖雷》にとっては身内の事だが、《嘆きの亡霊》にとっては違う。これ以上、精霊人の恥を晒して貰っては困る」
精霊人は身内に優しいと聞いていたが、ラピスは誰が相手でも対応、同じだなあ。
そして、どうやらミレスは僕に謝罪をしていたらしいな。だが、ラピスの言う通り謝罪なんて不要だ。
時間は戻ったりしないし、あの件がなくても結局似たような展開になっていた可能性が高い。運悪いし。
「わかっています。ユグドラの民は受けた恩を決して忘れません。今回の件が解決した暁には望みのものを差し上げましょう」
報酬は望むがままとは、剛毅なことだね。
だが、ハンターにとって報酬とリスクは表裏一体である。大きな報酬には大きな働きが求められるものだし、そこまで言われると無能な僕にとっては大きなプレッシャーだ。予防線をしっかり張っておく。
「報酬なんていらないよ。大変な時はお互い様だ。僕達も大した事はできないかもしれないしね」
「!? ニンゲン、貴方は…………本当に、欲がないのですね」
セレンが目を見開き、感嘆したように言う。
クリュス達も言葉を失っているが、僕の行動に慣れているルシア達は呆れ顔だった。
欲がないのではない。僕にないのは欲ではなく――責任感だ。
報酬を貰うというのは責任が発生するという事。無給なら問題が発生して何もできなくても、報酬貰ってないしと言い訳できるのだ。
《嘆きの亡霊》全体の財務を担当しているシトリーが困ったような笑顔で僕の肩をつついてくる。
「まったく、クライさんはまたそんな事を言って…………まぁ、得難い経験ではありますが」
まぁ、僕が何を言おうが、必要ならばシトリーが対価を回収するだろう。うちのメンバーは抜け目ないのだ。そういう安心があるから僕は好き放題に言えるのだ。
取り出したマナ・マテリアル攪拌装置は大小様々だったが、合計八つにも及んだ。手を叩くと、気を取り直したようにシトリーが説明を始める。
「本来ならば地中に埋めたいところですが、今回は幻影からの干渉が想定されるので、速度重視で地上に設置します。装置が起動してその影響が【源神殿】にまで伝われば、相手も黙ってはいないでしょう。装置の起動から宝物殿に影響が出るまでどの程度時間がかかるかはわかりませんが、相手が反撃してくるのは望むところです。供給がない状態で力を使わせれば幻影が消滅するまでの時間が短くなりますから」
宝物殿にどのくらいの時間で影響が出るのかわからないのか……長い戦いになりそうだな。
まあ、僕は時間を稼げるだけ時間を稼いだらさっさとみみっくんの中に逃げよう。
地面に置いた装置は不安定に見えて、オブジェのように安定感があった。傍らの装置を満足げに見上げ、シトリーが言う。
「成否の判断はこちらで行います。十時ちょうどに作戦開始――装置を発動してください! 世界樹に集まる、大河のようなマナ・マテリアルの流れに干渉して新たな道を作るにはそれぞれの装置を同時に発動するのが不可欠です」
皆が真剣に話を聞いていた。最後に、シトリーは鞄から大きな青い宝石のようなものを取り出すとこちらに差し出して言った。
「ご存じかと思いますが、これが装置の動力である魔石です。嵌め込むことでマナ・マテリアル攪拌装置が起動し始めます。一応渡しておきますね」
「ああ、ありがとう。状況に応じて使わせてもらうよ」
嵌め込むだけで起動するのか……思っていたより簡単だな。それなら僕でもできるね。
「必要な物を配ります。装置は頑丈に作られていますが硝子製です。慎重に運んでください、途中で壊れたら目も当てられませんよ!」
作戦に必要な物をみみっくんから取り出し渡し始める。
マナ・マテリアル攪拌装置に、時計。戦闘に使うポーションのセットに装置の動力源の魔石。
一通り行き渡ったところで、アドラーがシトリーから受け取った魔石をしげしげと眺めて言った。
「じゃあ、私達はさっそく準備に移らせてもらう。防衛する場所の様子も見ておきたいしね」
「クイント、装置を運ぶのは貴方の仕事ですよー」
「わかってる、わかってるよ!」
クイントの連れていた人間大のカードの兵隊が、装置を抱えるように持ち上げる。どこで手に入れたのかわからないが、華奢に見えて力は強いようだ。そこで、クイントが僕を見た。
「そうだ、《千変万化》。俺から奪った剣を返してくれないか?」
そうだった……リィズに奪われたんだったね。
「……仕方ないな。まともな武器なしじゃ戦えないだろうし――」
本当は返したくなかったが、背に腹は代えられない。《千鬼夜行》は紛うことなき賊だが、今は作戦を担う一員だ。僕よりも重要な役割を担っているわけで、あっさり負けて貰っても困る。
《嘆きの亡霊》を相手に逃げ切って見せたと言っても、あの時の彼らには軍勢がいた。軍勢なしでどれだけ戦えるかは未知数だ。
「アドラー、あの百足は?」
「…………完治したよ。お陰様でね。ユデン!!」
アドラーが名を叫ぶと同時に、地面が激しく震えた。大地が隆起、牙が突き出し、焼き付いたような赤い装甲が地面を引き裂くようにして現れる。
巨大な百足はそのままアドラーを背に乗せたまま地中から這い出すと、奇怪な声で咆哮をあげた。
見るのは宝物殿での戦い以来だが、相変わらずでかい。でかすぎる。
虫の魔物を見た事は何度もあるが、ここまで巨大なのは初めてだ。
古代種と言っただろうか? 古代にこんな虫がうじゃうじゃ生息していたのだとするのならば、現代に生まれた事を感謝するばかりだ。
腕を組み鋭い目つきでユデンを見ていたリィズが目を眇めてぶっきらぼうに言う。
「ちょっと短くなってんじゃねえか。大丈夫か?」
「頭以外ふっとばされたんだ、仕方ないだろう。大丈夫、戦闘力に支障はないよ、マナ・マテリアルをたっぷり吸収した分、強くなったくらいさ」
ただでさえレベル10宝物殿の幻影の軍勢相手に相打ちに持っていけるくらい強かったのに更に強くなったのか…………心配なさそうだけど、なんだか複雑だな。
ウーノがひらりとユデンに飛び乗り、ひらひらと手を振ってくる。
「何かあったら連絡しますー。武運をー」
「《千変万化》、あんたの行動も、現人鏡で見せてもらう。楽しみにしてるよ!」
なんだか賊は賊でも、こうも協力的だとちょっと気勢が削がれるな……僕はため息をつくと、静かに去っていくアドラー達に手を振り返した。
ラピスが立ち上がり、《星の聖雷》のメンバーを見回し鼓舞する。
「我々も行くとしよう。《千鬼夜行》に負けるわけにはいかん」
随分やる気みたいだな。このままここにいたら流されて一緒に戦う羽目になるかもしれない。
受け取るものも受け取ったし、作戦も聞いた。下手に期待される前にさっさと離れよう。
「じゃあ、僕もそろそろ行くよ。皆、頑張ってね。僕達も暇じゃないし、さっさと終わらせよう」
そう言えば、一つだけ問題があったな…………一人じゃ目標地点にたどり着けない。
僕はその場の面々を順番に確認すると、リィズの隣で所在なさげに立っているティノを見た。
盗賊が必要だな。ついでに絨毯の運転ができたら尚素晴らしい事は言うまでもない。




