351 シトリーの作戦④
なんだかわからないけど、なかなか面倒な事になったな。ちょっとルインを皆のところに送り届けただけなのに、仕事を頼まれてしまった。
頭をぼりぼり掻きながら、皆が集まっていたセレンの家を逃げるように後にする。
僕はなにかと頼まれごとをされる体質である。ガークさんや今回のように直球で頼まれごとをされる事もあれば、気が付かないうちに何かをやることになっているといったパターンもある。
世の中にはどうやら高レベルハンターに仕事を振りたい人が大勢いるらしかった。
ルインなる精霊人と遭遇したのは、陽気に誘われ、与えられた部屋を出てぶらぶらユグドラの中を散歩していたちょうどそんな時だった。
ユグドラの住人に声を掛けられたのはセレンを除くと初めてだった。セレン曰く、ユグドラの住人達は極少数の非戦闘民で、その大多数は避難しているらしい。滞在してしばらくは極稀に姿を見かける事もあったのだが、すぐに逃げてしまうので会話を交わすまで至らない。つい立ち止まってしまうのもやむを得ないと言えよう。
性別不詳。短めの髪と燃え盛る炎のような瞳。その立ち振舞にはどこか凄みがあり、要求を断るなんて事はとてもできなかった。
ルインが声を掛けてきた目的は状況を把握するためだった。どうやら、セレンに会いに行く途中に僕を見かけて偶然、声を掛けたらしい。
ルインがシトリーの作戦に関わっている事は会話を交わす中ですぐに分かった。
どうやら、ルインは仮面に囚われ、幻影となっていたらしい。いつ囚われたのかはわからないが、それ以来、意志を失いずっと【源神殿】にいたそうだ。
そして、本能のなすがままにユグドラに攻め込み激しい戦いの結果、呪縛から解き放たれたのがつい昨日の事。そこまで話を聞いて、ようやく僕はその人物が昨日、病院のベッドに寝かせられていた人物である事に思い当たった。
ルイン・セイントス・フレステルはユグドラでも屈指の魔導師だったらしい。幻影に変えられた状態とはいえ、ルシアと撃ち合えたのだからその優秀さに疑いの余地はない。
僕は面倒事が嫌いだ。だが、それが危険とは無縁で大した手間がかからず仲間達のためになるのならば自ら動く事もある。
シトリーの作戦の進行状況についても余りよく知らないが、この状況で一人でも多くの戦力が必要な事くらい理解しているつもりだ。
僕は快く、現在ユグドラで行われている事についてルインに説明し、ルインをセレンのところまで届ける事にしたのだ。
「まったく、セレン達は何を考えているんだか」
外になんて出るんじゃなかった。グチグチ独り言を漏らしながら部屋に戻る。
親切で道案内しただけなのに、まさか、あんなところで流れ弾を喰らうとは思っていなかった。まぁ、ちょっと話が気になって扉の外に留まってしまった僕にも問題があったと言えばあったけど……もしやこれが妹狐の言っていた危機感がないというやつかな?
百歩譲ってシトリー達が戦うのはいい。ルークを助けるためだし、向上心の高い《嘆きの亡霊》にとって高レベルの依頼は趣味みたいなものだ。だが、僕を巻き込むのは勘弁して欲しい。
僕だって役に立つんなら喜んで参加するよ? でも、立たないのだ! 邪魔をするだけなのだ! 危険なだけなのだ! いるよりいない方が間違いなくマシなのだ。
ベッドに腰を下ろし、ため息をつく。あの場にいたのは数分のはずなのに、疲労がやばい。
危うく流れに載せられ危険な幻影達と戦わせられるところだった。
僕にこれまで散々危険な作戦を押し付けられ酷い目に遭わせられた経験がなかったら、間違いなくそのまま幻影の前に放り出され戦わされていただろう。危うし危うし。
まぁ、代わりに時間稼ぎ? をさせられる事になってしまったが、そのくらいなら甘んじて受け入れるべきだろう。幻影と戦わせられるより百倍マシだ。
できれば幻影を倒さないで欲しいとか、言われなくても倒さんわ。ていうか、倒せないからね、僕じゃ。
攻撃力はクソ雑魚な僕でも、回避能力については多少なりとも覚えがある。伊達に結界指を沢山揃えていないし、今回は色々な宝具を持ってきている。みみっくんに隠れる事だってできる。
僕の囮としての性能は間違いなくレベル8だった。幻影や魔物に狙われるのはもちろん、賊やハンターの敵意を受けるのも日常茶飯事だし、挙句の果てに自然現象の雷にまで狙われる始末。多分ただの偶然なのだが、偶然も何回も連続で発生したら必然と変わらない。
傍らに鎮座したみみっくんを見下ろし、ため息をつく。
「…………一応準備だけでもしておくか」
……でも準備って何をすればいいんだろうか? 宝具のチャージは済んでいる。
「北、北で時間稼ぎ、ねえ…………」
呟いてみるが、そもそも僕はシトリーの作戦も大雑把な部分しか把握していない。自分で時間稼ぎを提案してはみたが、あれもいきなり戦闘に参加させられそうになってとっさに出た言葉だ。
次に行われるのはマナ・マテリアル撹拌装置の設置のはずだが、北に設置する装置はないって言っていたし――とりあえず幻影を引きつけて逃げ回ればいいかな?
とりあえず、どう動くにせよ、必要なのは足止めの手段だろう。
僕は追われる事にかけては間違いなくハンター屈指の才能を持ってる。これまでも散々幻影や魔物や犯罪者や雷に追いかけ回されてきた。逃げるだけでも時間は稼げるはずだが、相手をひるませる事ができれば更に時間を稼げるはずだ。しかも安全に。
護衛用にメンバーを割いてもらうのは無理。会話で時間を稼ぐのも相手が幻影だと厳しい。
さて、どうしたものか……これが【迷い宿】の幻影だったら、適当に会話するだけでも足止めできるのに。
しばらく考えていたが何も思い浮かばなかったので、懐からスマホを取り出す。
「幻影の足止め方法は幻影に聞くしかないな」
宛先はもちろん妹狐だ。同じ神殿型宝物殿の幻影なのだ、ヒントくらいになるだろう。
今度、幻影の足止めをしなくちゃならないんだけど、なんかいい方法ない? と。
打ち込み送信すると、返事は秒で返ってきた。僕は知っている。こういうのを、スマホ中毒と言うのだ。
もうすっかり慣れてしまった操作で受信メールを開く。返事はたった二言だった。
『メールしてくんな。私は友達じゃない』
…………なんか冷たいなあ、メル友なのに。まぁそんな事でめげていたらメールはできない。
僕は鼻歌を歌いながらメールを打ち込んだ。
『そこをなんとか』
『油揚げよこせ』
『なるべく長く時間を稼ぎたい』
『頼み事をするなら、まず油揚げ』
油揚げ中毒かな? ………………てか、よく考えてみると、妹狐を足止めするなら油揚げをぶら下げればいいだけだね。
仕方ないので、スマホをしまって真面目に考える。
やっぱり『弾指』で魔法の弾丸を打ち出して牽制とかかなあ……でもあれ、【白狼の巣】の狼騎士相手でもほとんど足止めになってなかったからなあ。倒せないにしてももう少し威力が欲しい。
だが、僕の宝具ラインナップにまともに使える武器などない。僕に使えるのはせいぜいルシアの魔法をストックしている『異郷への憧憬』くらいだが……あれって一回しか使えないからなあ。
何かないものか。僕でも使えてそれなりに強くて回数制限がなくて、ついでに目立てば完璧だ。更に遠くから使えれば言うことはない。『狗の鎖』みたいに。
………………ルークか? ……いやいやいやいや。石像の彼に何ができるだろうか?
と、そこまで考えたところで、僕の脳裏に一つのアイテムが浮かんだ。僕でも使えて強くて回数制限がなくて遠くからも使えて、おまけに凄く目立っていた、格好のアイテムが。
問題はそれなりにリスクがあることだが――ええい、かまうものか。
僕は覚悟を決めると、みみっくんの中に手をつっこみ、それを取り出した。
――ペンダントを首から下げた、呪われしクマのぬいぐるみを。
§ § §
精霊人の寿命はニンゲンより遥かに長い。中でも更に長寿を誇る高位精霊人ともなると寿命で死ぬことはまずなくなる。
だが、それでも時間の流れは平等だった。望むにせよ望まぬにせよ、戦いの日はやってくる。
ユグドラの精霊人は大きな戦いの前に、パワースポットで精神統一を行う。
誰もいない静かな公園。泉に足を浸し、セレンとルインは並んで戦いの前の儀式を行っていた。
ルインが行方不明になってから二百年。積もる話は尽きなかったが、戦いの前に行う会話など決まっている。
《嘆きの亡霊》が来訪してから今日までの出来事を聞き、ルインは小さく笑った。
「クライ・アンドリヒ。面白いニンゲンです。この状況がセレン皇女の仰る通りすべてそのニンゲンの想定通りだったとしたら――《千変万化》は仮面の神、ケラーをも手のひらの上で転がしている事になる」
仮面の神、ケラー。それは、ルインから齎された数少ない【源神殿】の情報――敵対する邪神の名だった。
ケラーは仮面を与える事で生き物を己の眷属に変える。
ルインも幻影に捕縛され仮面を被る事を強制された結果、幻影となった。恐らく、他のユグドラの戦士達も同じような手順で幻影と化しているのだろう。
他にルインが知る情報はほとんどなかった。幻影と化している間のルインの意識は夢うつつのように現実味がなく、朦朧としていたらしい。神の名前だけ記憶に残っていたのは、ユグドラの戦士としての意地によるものだろうか。
ケラー。それは、ユグドラの記録にもない名前だ。恐らく、太古に君臨した無数の邪神の内の一柱なのだろう。
世界の中心で力を吸い力を取り戻そうとする古の神。世界樹の守護者として、なんとしてでも倒さねばならない。
「希望だ、セレン。信じよう。あのニンゲンの策は僕を再び誇り高き精霊人に戻してくれた。ならば僕達も、行動で恩を返さねばならない」
ルインが真剣な声で、セレンを宥めるように言う。懐かしい声色だ。
と、そこで、セレンはふと気になっていた事を思い出した。
「そう言えば、ルイン。貴方はどうしてルシアと戦っている最中に動きを止めたのですか? 私の方を見て動きを止めたように見えましたが――もしかして、あの時に意識が戻ったのですか?」
これは、重要な確認だ。幻影には、最初から幻影として顕現したものと、幻影に変えられたユグドラの戦士が存在している。
後者がセレンを見て記憶を取り戻し、一瞬でも動きを止めるのならば、元仲間を見分ける手段として使えるだろう。
ルインはその問いにしばらく沈黙していたが、感情を殺したような声でゆっくりと話し始めた。
「意識が完全になかったと言えば嘘になる。かなり希薄だったが、幻影だった僕はユグドラの事を覚えていた。そう……ユグドラに戻った時、僕は郷愁を覚えた。なんとなく攻撃してはいけないような気も、した」
シトリーから聞いた話を思い出す。
戦いを最初から見ていたシトリーの話では、ルインの動きはまるで何かを確かめるかのように鈍かったらしい。ルシアとの戦いの際も、最初は防衛メインで自ら攻撃してくる事もなかったそうだ。
ユグドラの民としての魂は強制的に幻影に変えられた後も、確かにその内に眠っていたのだ。
誇らしかった。そう言われてみると、【源神殿】が顕現してからこれまでの間、ユグドラを襲撃してきた幻影はいなかった。今まではユグドラを取り囲む結界が遠ざけているのだと思いこんでいたが、もしかしたらそれは幻影達の深層意識にユグドラの戦士だった頃の記憶が残っているが故、だったのかもしれない。
と、そこでルインは深々とため息をつき、なんとも言えない表情でセレンを見た。
「だが、僕が攻撃の寸前に動きを止めたのは、止めてしまったのは――ユグドラの誇り高き皇女である貴女が酷い格好と顔をしていたからだ。頭をぶん殴られた気分だった。朦朧としていた意識が一瞬、かなり鮮明になったよ。仮にも貴女の師であった期間もあった身として、悶死するかと思った」
「――ッ!? う…………うーッ!」
予想外の言葉に、顔が耳まで赤くなるのを感じた。
酷い……あまりにも酷すぎる。あんな格好をしたのは、あのニンゲンから宝具を渡されたからだ。
ルインがいなくなってから二百年、あの時を除けば一度としてユグドラの皇女に相応しくない格好をした事などなかったというのに。
道理で目覚めた時の第一声が格好についてだったわけだ。てっきり意識が混濁していてつい口走ったのだと思っていたが――。
あのニンゲン……まさかそのために宝具をセレンに渡したのだろうか?
ルインが苦渋の表情で呟く。
「…………もしかしたら、セレンがもう一度あの格好で打って出れば……幻影と元仲間の見分けがつくかもしれない」
「!? 冗談でしょう!? 私はやりませんよ。どうして勇敢に戦った同胞にあんな格好を見せられますか! そんな格好をするくらいなら、私は死を選びますッ!! うーッ!」




