334 決戦
一体何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
唯一わかるのは、彼女達が僕の事を知っているらしいという事だけだ。
一般的に前人未踏とされる世界樹までやってこられる程の実力者なのだから、もしかしたら同業者なのかもしれない。
女性は幻影達を見てもまったくおびえる様子を見せなかった。ただ、獰猛な笑みを浮かべ、押し殺したような声で言う。
「なるほど……それが、あんたの『本命』か」
「は、ははは……えっと…………」
なんと答えればいいのか……状況もわからなければ何を言っているのかもわからん。誰か、今何がどうなっているのか僕に教えてください。せめてシトリーかルシアがいてくれたら予想くらいは立てて貰えるのに――。
黒髪の青年が慄いたように言う。
「アドラー、しかもあれ、魔物じゃなくて――幻影だ。幻影なんて……調伏できるものなのか?」
「ふん、実際にできているんだ。まさかあれほどの魔物達が囮とは、恐れ入ったよ。しかも私らがここに来るタイミングまで読んでるなんて――」
「ありえないです! リッパーの力を知っているはずが……人前で使った事なんて、ないですよ!?」
僕から導をかっ攫っていった少女が化け物でも見るような目をこちらに向ける。
どうやら彼女達は彼女達で混乱しているらしい。だが、それはそうとして大きな問題が一つあった。
大きく深呼吸をすると、勇気を出して声をかける。
「ねぇ、そこの大きな――格好いいムカデは君のペット?」
「!?」
僕はムカデはあまり好きではないが、別にムカデを連れて来るのは個人の自由だし、そこに文句をつけるつもりはない。
だが、状況がよくない。今まさに僕達は幻影達から逃げ出すところだったのだ。しかも、気づかれないようにこっそりと。
どちら様だかわからないが、奇声をあげるムカデは相性最悪と言えた。
後ろをちらりと確認する。先ほどまでこちらに注目していなかった幻影達が皆、こちらを見ていた。どうやら出現したての幻影達にとってもあの奇声は聞き捨てならないものだったらしい。
高レベル宝物殿の幻影は人間とは隔絶した能力を誇る。一度見つかってしまえば格上の幻影から逃げるのはかなり難しい。
最悪に限りなく近い状況に、エリザが眉を顰めて言う。
「《千鬼夜行》…………どうやってここまで――」
「…………!!」
その言葉で、僕はようやく遅ればせながら、目の前の人達の正体に気づいた。
《千鬼夜行》。僕は馬車の外に出なかったので姿は見ていないが、ユグドラまでの道中で襲ってきた賊の名前だ。
そういえば、アドラーと名乗っていたとかムカデを連れていたって言ってたね。そんなピンポイントな特徴を知っているのにエリザが言うまで気づかないって、僕って一体――。
そして、賊っていう事は、敵か…………どうやら囲まれてしまったようだ。
《千鬼夜行》は凄腕らしい。逃げるにせよ、突破は容易ではないだろう。一縷の望みをかけて言う。
「アドラー、来て早々に悪いんだけど、逃げた方がいい。君のムカデが変な声をあげるせいで少々彼らが苛立っているからね」
重く冷たい空気に、空から静かに舞い落ちる無数の葉。
そもそも宝物殿の幻影というのは基本的に侵入者を好まない。互いに顔を合わせればほぼ百パーセント戦いに発展するし、人間に限らず魔物と幻影が殺し合う事もままある。
いくらやばい賊などと言っても幻影達はかなりの数だ、どうしようもあるまい。聞いた話ではアドラー達は魔物の軍勢を率いていたと聞いているが、《嘆きの亡霊》とぶつかり相応の数を失っているはずなのだ。
僕の親切な助言を受け、アドラーの眉がぴくりと痙攣した。
携えていた槍が、大きく弧を描く。穂先の下に結ばれた布が優雅に宙を流れ、その穂先がぴたりとこちらに向けられ静止する。
どう見ても素人の動きではない。リィズ達は何も言っていなかったが、どうやらアドラーには武術の心得もあるようだ。まぁ、槍をちょっと使えるだけであの幻影達をどうにかできるとは思えないが――。
アドラーは嘲るような笑みを浮かべると、挑発するように叫んだ。
「面白い。私らが神樹廻道で遊んでいたわけじゃないという事を、教えてやる!」
大地が震える。それは、まさしく悪夢のような光景だった。
どうやらまだ裂け目の向こうには魔物達が残っていたらしい。
灰色の一つ目の巨人が、毒々しい色をした大蛇が、金色の毛皮をした狼が、背に樹を生やした亀が、チルドラに似た小型竜の群れが――信じられない数だ。
中には傷ついている者もいたが、《嘆きの亡霊》と一度ぶつかり戦力を失ったはずなのに――まさしく、魔軍だ。
「《千変万化》、あんたが行ったことがあるのか知らないが、神樹廻道も捨てたもんじゃなかったよ」
「変わった剣士を見つけた。次のクイント軍は戦闘蟻など使わねえ」
アドラーと共に現れた青年が叫ぶと、裂け目から手足の生えた平べったい人間大のカードが大量に現れ、それぞれ手に持っていた剣を掲げて勝ちどきをあげる。……そんな魔物(魔物なのか?)、一体どこから連れてきたのだろうか?
「そして我がユデンも――神樹廻道でマナ・マテリアルを大量に吸収した。先日と同じだと思ってもらっては困るねえッ!」
巨大な赤いムカデが煌々と光を放ち、再び咆哮をあげる。顔を合わせるのは初めてのはずなのに、やる気満々だ。なんで?
しかし、大ピンチだ。前門の幻影、後門の賊。しかも賊の方は《嘆きの亡霊》でも倒しきれない実力者と来ている。僕の正体を知りつつ襲ってきているのでレベル8の威光も通じない。
前も後ろも敵ばかり。これでは逃げようにも逃げられない。いざというときにはみみっくんの中に逃げるつもりだったのに……。
隣に立っていたエリザが、視線をアドラー達に向けたまま確認してくる。
「クー……どうする?」
どうしようねえ?
幻影だけでも手に負えなかったのに、さすがにアドラー達まで相手にしていられない。
相手の数が多すぎるので注意を引きつけて逃げるのも難しいだろう。完全に囲まれてるし……。
「《千変万化》、神樹廻道で大きく進化した、我が軍勢の力を見よ!」
答えが出るのを待ってくれるわけもなく、アドラーが叫ぶ。その時だった。
不意に巨大なムカデが光に包まれ、燃え上がる。
広がる鼻が曲がりそうになる凄まじい臭気と熱。一瞬、《星の聖雷》が攻撃したのかと思ったが、違った。
紫の煙を上げ燃えあがる下僕に、アドラーがこちらを睨みつけてくる。
「ッ……合図もなしに命令するとは……なかなかやるッ」
張り詰めた空気に、押しつぶされそうな強いプレッシャー。
遅れて背後から聞こえたムカデのものとも違う咆哮にようやく気づく。
攻撃を仕掛けたのは――幻影達だ。
冷静に考えれば、道理であった。幻影達にとっては僕もアドラー達も何も変わらない敵なのだ。
少数で目立たない侵入者と、大規模な陣形を組み騒いでいる乱入者、どちらを先に攻撃するかなど決まっている。
慌てて横にずれて道を空ける。壁を乗り越え、幻影達がゆっくりと表に出てくる。
その動きは明らかに統率されていた。宝物殿は過去の再現だ。それは、今回世界樹に現れた宝物殿が高い知性を持つ種族の文明を源にしている事を示している。
幻影達はアドラーの異形の軍勢を見ても、焦った様子も恐れる様子もなかった。
先ほどの攻撃は魔法だ。仮面を被っているという共通点こそあるが、彼らもまた様々な力を持った幻影で構成されているらしい。
幻影達の構成は様々だ。人型もいれば、獣もいる。鎧兜で武装している者もいれば、ローブ姿で杖を持つ者もいる。
アドラーの軍勢。その十数メートル前で、ふと幻影達が止まる。そして――中から一体の幻影が現れた。
錆びたような赤褐色の鎧を着た騎士だ。他にも騎士は何人もいるが、それらはデザインが統一されているし、プレッシャーが違う。恐らくは、この宝物殿に出現する幻影の中でも上位の個体だろう。
その手に握られているのは、一見儀礼用にも見える柄や鍔に装飾が施された両刃の剣だった。赤錆騎士はその剣を両手で握ると、まるで祈りでも捧げるかのように顔の前に立てる。
やはり彼らは神の眷属という事なのだろう。
仮面の軍勢を前に、アドラーは一瞬身を震わせたが、すぐに深い笑みを浮かべた。
「このクラスの、知性ある幻影を従えるなんて……信じられない。だが――この程度でユデンは死なないよッ!」
アドラーの言葉に呼応するように、未だ燃え続けるムカデが身を震わせる。よく見ると、その表皮は焼けただれながらもそれ以上の速度で回復していた。
昆虫型の魔物の生命力の高さは知られているが、そういうレベルではない。もしかしたら痛覚すらないのかもしれない。
煙が、炎が消え、ユデンと呼ばれたムカデがとぐろを巻き、祈りを捧げる騎士に威嚇するように牙を向ける。
…………ところで、幻影を従えるって、何の話だろうか?
「総軍、攻撃開始!」
アドラーが叫ぶ。騎士がまるで号令でも掛けるかのように剣の先をアドラーに向ける。
そして、幻影軍と魔王軍が激突した。
激しい熱と風。幻影と魔獣が獣のようにぶつかり合い、怒号が空気を、地面を揺らす。赤錆騎士がその刃でユデンの身体を真っ二つに切り裂き、ユデンが口から毒液をまき散らして群がる幻影達をどろどろに溶かす。
戦況は一見、拮抗していた。どうやらアドラー達もこちらを見るような余裕はないようだ。なんか今ならば逃げられそう。
僕は握りしめていた大剣を背に戻すと、くるりと仲間達を見て、笑顔で言った。
「よし、皆忙しいみたいだし、今のうちに帰ろうか?」
「…………ヨワニンゲン、他に言うことはないのか、です」
「クー…………」
尋常に勝負しているのに横入りしたら申し訳ないじゃないか。
殺し合いはやりたいやつがやってればいいんだよ。ルークの解呪はまた考えよう。