333 解呪③
世界樹の下は夜のように暗かった。空を見上げてもあまりにも巨大すぎてよくわからないのだが、生い茂る枝葉で陽光が完全に遮られているのだろう。
エリザを先頭に、積もり積もった葉を踏みしめながら前に進む。冷たい風が吹き、アストルが身を震わせる。
絶え間なく舞い落ちる葉は侵入者を拒絶しているかのようだった。世界樹というと神聖なイメージがあるが、これでは黒き世界樹を馬鹿にできない。
そもそも、木の大きさからして普通ではない。遠目で見た時からその巨大さは理解しているつもりだったが、まさか、幹が壁のようにすら見える程、巨大な樹がこの世に存在するなんて――。
「また……大きくなっている。つい先日まではここまででは……ありませんでした。全て過剰なマナ・マテリアルのせいです」
セレンが小さな声でいう。マナ・マテリアルを吸収してここまで大きくなったという事は、アンセムもいつかこれくらい大きくなるのだろうか……。
推定レベル10宝物殿【源神殿】はまるで世界樹を隠すかのように発生していた。
薄暗闇の中、世界樹を囲むかのように続く朽ちかけた黒の壁に、そこかしこに生える黒い柱。高レベルの宝物殿の周辺には高位の魔物が生息しているものだが、少なくとも壁の外に動くものはいない。
距離があるので細かい部分はよく見えないが、その光景はなんとも言えず気味が悪かった。どこか【迷い宿】にも似た空気を感じる。もしかしたら生物としての本能がその宝物殿の危険性を訴えているのかもしれない。
様々なダンジョンを攻略してきた歴戦の《星の聖雷》のメンバー達がこわばった表情で宝物殿を見ている。
「恐らく、世界樹と一体化するように顕現した。ここはまだ前座。あの壁を抜けると、世界樹への『入り口』がある。恐らく、そこが本体」
エリザがいつもと変わらない様子で言う。落ち着いているのは危機感がないからなのかあるいは何度も偵察に来たからなのだろうか?
幻影の姿はなくとも、入り口付近だけでもなんだかヤバそうな雰囲気がぷんぷんしていた。しかもこの広大な敷地……大型の幻影が数十体出現しても余裕を持って行動できるだろう。
今回は攻略する必要がないという事だけが救いだ。
目を細め世界樹を見ていたセレンが呼吸を整えながら、細かに震える声で言う。
「報告は受けていましたが……なんて力……こ、これならば、壁の、中まで踏み込む事ができれば、解呪には十分のはずです」
壁の中までは入らないといけないのか……快適じゃなかったら吐きそうだったかもしれない。
壁にはそこかしこに崩れている部分がある。恐らくそこから入るのだろう。
「……壁の内側、かなり広い。恐らく、壁は防衛目的ではなく、儀礼的なもの。壁画もある」
「ふん……ろくなものが出てこないだろうな」
どうやら珍しいことに、僕とラピスの意見は一致しているらしい。
と、そこで、ぼんやりと壁を見ていたエリザが眉を顰めた。
「…………やはり、幻影の気配がしない…………数日前まではあんなにいたのに」
よしよし、いいぞ。どうなるかと思ったが、ようやく運が向いてきた。どんな凶悪な宝物殿でも幻影がいないとなれば関係ない。もちろん罠がない事前提だけど……。
「最高のタイミングじゃないか。今回はついてるなあ……」
「ヨワニンゲン、不安を煽るようなこと言うな! です!!」
!? 別に何も言ってないんだけど……。
さておき、さっさと目的を達成してゼブルディアに戻ろう。リィズ達も倒れているのだから長居しないに越したことはない。
そこでラピスが何かに気付いたように目を大きく開け、クリュスを見る。
「幻影がいないならば護衛を分散する必要もない、か。これがクリュス、お前が言っていた面白いもの、か?」
「幻影の数を事前に予想するなど信じがたいが……確かに、このレベルの宝物殿から幻影が消えるなど本来ありえない。興味深いな」
一体どんな話をしていたのだろうか? 感心したように頷くアストル。
しれっと衝撃的だったんだが、このレベルの宝物殿で幻影減るの、本来ありえないんだ……じゃあ今回は本当に僕の運がよかったという事か。本当に珍しいな。
「うーん…………面白い……確かに面白い、が、本当にこれでいいのか、です?」
何故か不審なものでも見るような目でこちらを見てくるクリュス。何を聞いているのかわからないんだが、まあいいんじゃないかな?
現金なもので、幻影がいなくなったせいか気分が良くなってきた。
エリザが先行して壁に近づき中を確認、ちょいちょいとこちらに手招きする。本来ならば護衛も分けるはずだったが、誰もいないのならば分ける必要もない。
「何体か出てきてもよかったのに、張り合いがないな」
「ふん……自信家め。だが、確かに一理あるな。次の戦いでの敵戦力の参考にもなる」
「…………うんうん、そうだね」
やる気満々だなー、ラピス。使命感だろうか……アーク達と戦う際は是非頑張って頂きたい。
ともあれ、ラピス達と一緒に小走りでエリザの元に近づき、壁に手を当てそっと中を覗く。
事前にエリザから聞いていたが、壁の内側は遺跡のような空間だった。
そこかしこに転がる巨大な瓦礫や石の柱は全て黒く、見ていると胸がざわついてくる。
そして、その得体の知れない遺跡の先に、世界樹はあった。
「世界樹に…………一体化する形で、【源神殿】が、顕現しているのです」
セレンがぎゅっと杖を握り、押し殺すような声で言う。
そこにあったのは神殿だった。巨大な世界樹の幹を削り出し、驚くほど緻密に作られた――神殿。
地面が分厚い葉の絨毯で覆われている事もあり、なんとも言えない薄気味悪さを醸し出している。
きっとこの神殿型宝物殿に産み落とされる神はろくでもない存在に違いない。
さっさと終わらせて帰ろう。
壁と壁の間から一歩内部に足を踏み入れようとしたところで、不意にエリザが強く腕を引っ張った。
「!?」
「…………」
目と目が合う。いつもぼんやりとしているエリザの顔が強張っていた。何も言わないが、切羽詰まった雰囲気だけがその沈黙から伝わってくる。
一体何だというのだろうか…………目を瞬かせる僕に、エリザが肩を震わせて言った。
「クー………………私の足が逃げたがってる」
「え? っと…………に、逃げちゃダメだよ?」
なんだかわからないがとりあえず今逃げられたらまずいので釘を刺しておく。
エリザが僕の腕を掴む手に力を入れたところで――強い風が吹いた。
「ッ!?」
一瞬息が詰まる。それは、あまりに神秘的で得体の知れない光景だった。
どこからともなく吹き込んだ渦巻く風が周辺の木の葉を全て巻き上げていた。
まるで攻撃魔法だ。とっさに仲間達に視線を送るが、皆呆然とその光景を見ている。
混乱する僕達の前で舞い上がった葉が光の粒子となり降り注ぐ。
エリザが僕の腕を掴み、後ろに引く。僕はその瞬間、かつて偶然発生した地殻変動の影響で目の前に顕現した宝物殿――【白亜の花園】を思い出していた。
光の粒子が集まり、一瞬強く輝き、形をなす。何もなかったはずの空間が、重さのなかったはずの力が、形を、重力を得て、大地を揺らした。
「!? こ……れ…………は?」
「なるほど……こう来たかぁ」
空から新たな世界樹の葉が落ちてくる。
確かに、今更だがこんな勢いで葉が落ちているのにいつまで経っても地面が埋まらないのは不自然だ。
どうやらこの眼の前で起きている光景がその理由らしい。
一般的に、幻影というものは目の前で顕現するものではない。生き物がいる時、マナ・マテリアルはそちらに吸収されるためだ。
だが、物事には例外が存在する。
冷静に考えると、世界樹がマナ・マテリアルを処理しきれなくなった結果、葉が落ちているのだ。その葉はきっとマナ・マテリアルの塊のようなものだったのだろう。
そしてそれが今、目の前で、幻影となるに十分な量に達した。最悪のタイミングで。
「そんな……ありえん。幻影の顕現だと!? ここには、精霊人だけじゃない――ニンゲンもいるんだぞ!? しかも、レベル8のハンターが!」
アストルが慄く声を漏らし、僕を見る。ごめん、僕ほとんどマナ・マテリアル吸収できないんだ……でも、僕じゃなかったとしてもどうにもならなかったと思うな。
先程まで何もいなかった空間に、幻影が現れていた。金色の仮面を被った幻影。
それも…………一体じゃない。
「…………この宝物殿に出る幻影は仮面を被ったもので統一されている」
エリザが補足を入れてくれる。先程まで無人だった遺跡は今、多種多様な幻影で溢れかえっていた。
仮面を被ったトカゲに仮面を被った犬。仮面を被った蛇に、そして――仮面を被った騎士。その数、もはや数え切れない程。
それぞれの顔を覆う仮面のデザインは細部こそ差があるが、大まかな部分は統一されていた。
一体一体の力を正確に測れるようなスキルは持っていないが、いつもぼんやりしているエリザの表情が引きつっているところから、この状況があまりよろしくない事だけはよく分かる。
幸い、まだ顕現したばかりのせいか幻影達はこちらに気づいていないが、このままだと時間の問題だろう。
僕も仮面を被るから仲間に入れてくれないかな……。
まるでその光景を脳に焼き付けようとしているかのように目を限界まで見開いているセレンに一応、確認する。
「えっと…………解呪できる?」
「でで、できるわけないだろ、です! さすがにあんな数どうにもならないぞ、です! 何体かでてくるなんてレベルじゃない、です! ヨワニンゲンは私を評価しすぎだ、です!!」
セレンの代わりにクリュスが器用なことにひそひそと叫ぶ。
ですよね。後数十分早く来ていたら幻影が顕現する前に解呪もできていたかもしれないのに……。
「なるほど、な…………これが、面白いものか。ふん……確かに、この私でも見るのは初めてだが――」
ラピスが感心したように言うが、その足はとっくに数歩後ろに下がっている。どうやら皆、意見は一致しているようだな。
そして、まるで僕がこのような状況を作り出したかのような言い方をするのはやめて頂きたい。それどころじゃないから今は何も言わないけど。
「……《星の聖雷》でも無理か…………相手はまだ気づいていないみたいだけど、無理?」
「…………あれだけの数の幻影を一網打尽にできるような野蛮な魔術、持ち合わせておらんわ。今回は貴様に譲ってやろう」
一縷の望みを掛けて出した問いに、ラピスが肩をすくめてみせる。今回は貴様に譲ってやろうって…………今の僕はなんちゃって嵐を纏ったただの派手な男だよ? 何ができるっていうのさ。
深々とため息をつき、ハードボイルド……とは言い難い、中途半端な笑みを浮かべる。
「仕方ないなぁ……」
「……待て、ヨワニンゲン、何をするつもりだ? です!」
弾かれたように声をあげるクリュス。そっちこそ僕を評価しすぎだ。
何をするつもりだって? そりゃもちろん――帰るんだよ。相手がこちらに気づいていない今がチャンスなのだ。
急がば回れだ、また幻影が少なくなった頃に来よう。
そんな事を考え、後ろを向く。そして、そこにあった光景に、僕は言葉を失った。
ラピス達が、セレンが、そしてエリザまでもが、完全に凍りついている。
――先程までは確かに何もなかったはずの空中に、巨大な亀裂が開いていた。
ルシアの使う魔法は知っているが、空間に裂け目を作る魔法なんて見たことない。
そもそも時空間に作用する魔法は重力魔法を超える超高難度の魔法で現代の魔導師で使える者は数人しかいないと聞いたことがある。
呆然とする僕の目の前で、裂け目から巨大な頭が這い出してくる。
幻影に勝るとも劣らない、赤の甲殻を持った巨大なムカデ――続いて、人の声がした。
「ったく、まさか力の源が行き止まりだとは思わなかったな」
「だから戻ろうと言ったじゃないですかー、あの空間は現実世界とちょっとずれてるんですよー! 私の『リッパー』がいなければどうなっていたか」
裂け目から飛び降りてきたのは、僕に導を貰いに来た女の子だった。
今はフードを被っていないが、声でわかる。その頭には、巨大な鋏を携えた人形を載せている。
続いて剣を腰に帯びた黒髪の青年が降り、最後に――大きな槍を担いだ黒髪の女性が現れる。
日に焼けた肌に、鋭い目つき。リィズと同じくらい強そうだ。
女性は僕を見ると一瞬目を大きく見開き、すぐに得心が行ったように頷き、笑った。
「どうやら……待たせてしまったようだね、《千変万化》」
えっと……ど、どちら様?
女性の言葉に呼応するように、後ろの巨大なムカデがつんざくような咆哮をあげた。
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/槻影
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