331 解呪
そして、その日がやってきた。
大きな窓から差し込む陽の光で目を覚ます。
やや固めのベッドから立ち上がると、大きく伸びをした。
体調は万全だった。久々に高レベルの宝物殿を訪れるという事で精神的にはかなり落ち着かないが、それも『完璧な休暇』を使えば解決するだろう。
大丈夫、風はこちらに吹いている。どちらにせよ宝物殿というのは危険なものなのだ。ルークを解呪するのに今以上のタイミングは存在しない。
必要なのは覚悟だった。僕が宝物殿に同行しても何もできないが、皆が行く以上、リーダーである僕がここに残るという選択肢は存在しない。
ぱんと頬を叩き、気合を入れる。宝具のチャージも昨晩のうちに済ませており、準備は万端だ。
身支度を整え、『完璧な休暇』を着込む。寝室を出てリビングに向かう。
リビングは既に誰もいなかった。片隅に置きっぱなしだったみみっくんだけが僕を出迎えてくれる(といっても、普通の宝箱の振りをしているけど)。
多分、朝早く起きて戦うための準備をしているのだろう。必要なアイテムを揃えるなどの準備の他にも、自らのコンディションを整えるのも生き抜くための重要なプロセスだ。
ルシアの場合それは瞑想だし、リィズの場合は軽い体操、アンセムの場合は祈り、ルークの場合は素振りなど、一流のハンターは往々にして全力を出すスイッチを入れるための儀式を持っているものだ。
《嘆きの亡霊》は突発的なアクシデントに遭い戦いを余儀なくされる事も多いため、皆一瞬でスイッチを入れることに慣れているが、今回はいつも以上の全力の《嘆きの亡霊》が見られるかもしれない。
時間には全員集まるだろう。やることもなかったので、ちょっと早めだがリビングで一人ぼっちだったみみっくんを連れ立ってセレンとの待ち合わせ場所に向かう。
セレンとの待ち合わせ場所はユグドラの外れにあった。
青々と生い茂る草木に囲まれた小さな光る泉だ。不純物のほとんどない透明な水面が陽光を受けてきらきらと輝いている。
ここは、ユグドラの中では随一のパワースポットらしい。
精霊人は大自然から力を得るという。セレンは神聖な空気の漂う泉の中心に立ち、空を見上げていた。
誰も邪魔する者のいない、静謐な空気。それはまるで一枚の名画のような、調和した光景だった。
余り精霊人に興味のない僕でも思わず目を見開き、息を潜めてしまう。
恐らく、それがセレン・ユグドラ・フレステルの戦闘前の儀式なのだろう。
強力な魔導師というのは纏っている空気が違うものだ。相手の見極めもまともにできず、最初に彼女を見た時にも何も感じなかった僕でも、今のセレンの力が充足しているのがはっきりわかった。
泉のほとりに小さなクリスタルの瓶が置かれていた。中身は既に空っぽだ。僕が見ている物に気づいたのか、セレンが空を見上げたまま説明してくれる。
「世界樹の葉を使った、秘薬です。私達ユグドラの精霊人は、世界樹の力を体内に取り込み自然と一体になることで、一時的に強い力を得る事ができる。クライ・アンドリヒ、シェロの呪石を見つけ故郷に帰してくれた貴方を、このような事に巻き込んでしまった事、本当に申し訳なく思います」
「律儀だ。気にしなくていいよ、僕は……やりたいようにやるだけだ」
つまり、呪いが解けたらアークに押し付けに帝都に戻りますという事なのだが、伝わっているだろうか? 伝わるわけないね。
外の世界の精霊人のように喧嘩腰で来られるのならば何も感じないのだが、その真摯な声を聞いていると、まるで自分が汚れているかのように感じてくる。
「私もユグドラの皇族の一員。せめてその恩に報いるため、必ずやシェロの掛けた呪いを解いてみせましょう」
「そこまで気負わなくても……もしもダメだったら別の方法を考えるさ」
一応、『丸い世界』でルークの内なる声を確認したのだが、まだしばらく持ちそうだ。
どうやら石化していても外の様子は見えているらしく、石像の中から聞こえる声は宝物殿切ると頻りに叫んでいた。
もうちょっと他の事を言ってもいいんだよ? 僕達へのメッセージとかさ……。
「そうだ、その秘薬って人間にも効いたりする? 今日は強敵と戦うんだ、問題はないと思うんだけど、万全を期したい」
もしもルシアに効かなかったとしても、クリュス達には有効だろうし、シトリーも興味津々だろう。
何気なく出した提案に、セレンはこちらを見て少し物悲しげな表情をして言った。
「はい、効くと思います…………が、残念ですが、もう秘薬はありません。私が飲んだのが最後の一つです。世界樹が元に戻ればまた作れるのですが………………」
「…………え!?」
最後の一つ……? それってもしかして凄い貴重品なんじゃ――。
そんな秘薬を僕たちのために使った? 普通に世界樹をどうにかするのに使うべきでは?
眉を顰める僕に対して、セレンが微笑む。
「問題ありません。秘薬が一つあったところで現在の状況をどうにかすることはできない。既に何度も試したのです。役に立たない秘薬ならば、新たなる友のために使ってしまった方がいいでしょう。シェロの呪いは強力です。そう何度も解呪を試みる時間もないでしょう――ですが、今の私ならば、シェロが放った呪いでも間違いなく解呪できるはずです」
「あ、はい………………助かるよ」
「……? なんだか、元気がありませんね?」
思わず視線を逸らす。そりゃ元気もなくなるよ……僕はルークの解呪が成功したら一度帝都に戻るつもりなのだ。最後の秘薬まで使わせたとなると、解呪が成功した後に帰るとか言い出しづらい。
だが、今更断れない。何しろもう飲んでしまったのだ。気持ちは嬉しいがそういう貴重品を使う時は先に言って欲しかった。
セレンが泉から出てくる。衣類の張り付いたほっそりとした裸足がさくりと大地を踏む。
「お待たせしました。行きましょう、【源神殿】へ」
…………とりあえず使ってしまったものは仕方がない。その問題は全て終わった後に考えよう。今はルークの解呪にだけ力を注ぎ込むのだ。
§ § §
世界樹へと続く森の入り口には、既に《星の聖雷》の面々が揃っていた。
もともと《星の聖雷》は見目麗しい精霊人の魔導師パーティとして帝都でもとにかく有名だったが、精霊人の故郷はやはり水が合うのか、ここに来てからやけに生き生きしているような気がする。
どうやら実際に魔導師としての力も向上しているらしい。人間には濃すぎるマナ・マテリアルも、その吸収能力が低い精霊人にとっては丁度いいのだろう。
これから最高難度の宝物殿という事もあり、皆いつもより緊張している様子だったが、恐れを抱いている気配はない。
だが、宝物殿を甘く見ているのではないだろう。きっと、セレンが最後の秘薬を使用したのと同じように、覚悟を決めたのだ。
彼女達は人間社会にこそ馴染みづらいが、仲良くなると誠実で付き合いやすい種族だった。ラピスがこちらの顔を見て鼻を鳴らす。
「ふん……遅かったな、《千変万化》」
すらりとした体躯。鋭い怜悧そうな眼差しに、足元まで伸びた長い髪。長身な事もあり一見見下されているような錯覚を受ける事もあるが、僕は既にそれがただの錯覚である事を知っていた。
《星の聖雷》のメンバー。クリュスを除けば唯一頻繁に顔を合わせているラピス・フルゴルが、手に持った長い杖でとんとんと地面を叩きながら言う。
「既にこちらの準備は全て済んだ。普段はこのような事はしないが――遠慮は不要だ。我ら《星の聖雷》の力、今回ばかりは貴様に預けよう。ふん…………そう言えば、そういう賭けもしていたな」
「! ラピス」
最近名前を知ったばかりのアストルがその言葉にラピスを見る。ラピスが鼻を鳴らし、珍しい事に僅かに微笑むと、皆を鼓舞するように言った。
「わかっている。これが賭けの結果だなどと無粋な事は言わん。これは、ユグドラの、ひいては我らの抱えた問題だ。見せつけてやれ、ユグドラの民に、我らの力を! 魔導師としての力だけではない。我々にはハンターとして積んだ研鑽がある」
ラピスの言葉に、《星の聖雷》のメンバーが静かに闘志を燃やす。表情からはわかりづらいが、その気迫は十分に伝わってくる。
《星の聖雷》はパーティの認定レベルこそ4だが、それは精霊人特有の人付き合いの悪さのせいであり、その実力は折り紙付きだ。
しかし、あの問題ばかり起こし、魔導師以外人間ではないみたいな対応を取ってきた《星の聖雷》がここまで言うとは……本当に変わったよなあ。
ほほえましい気分でラピス達を見ていると、ラピスがむっとしたように言う。
「……何を見ている?」
「いや、別に? 頼りになりそうだなってさ……」
性格はどうあれ、彼女達の魔術の腕は間違いなく一流だ。特に攻撃能力の分野においては帝都の上位陣の中でもトップクラスと言われている。
セレンは解呪に集中しなければならないので、今回の作戦の成否は《星の聖雷》と《嘆きの亡霊》にかかっていた。
と、そこで僕の言葉を聞いたクリュスが、何かに気づいたように顔をあげ、僕の腕をつついてくる。
「ヨワニンゲン、ヨワニンゲン」
「何?」
「…………た、頼りにするのも、大概にしとけ、です。魔術の腕には自信はあるしコンディションも絶好調だが、私達にもできる事とできない事があるからな、です」
「…………」
恐る恐る自信なさげな事を言うクリュス。なんか君、随分謙虚だね。何か不安点でもあるのだろうか?
そして、ここに至ってまだ《嘆きの亡霊》の姿を一人も見かけないのだが、どこに行ったのだろうか?
リィズとティノはエリザと一緒に最終確認に行ったんだろうけど、ルシアやシトリー、そして何かと目を引くアンセムまで姿が見えないのはおかしい。
これまで《嘆きの亡霊》が攻略してきた宝物殿と比較しても遜色ない難易度の宝物殿だ。準備を念入りにやっているのかもしれないが、それならそうと連絡をしてくるはず。
きょろきょろ辺りを見回していると、最後の偵察に向かっていたエリザが戻ってくる。
凄腕の盗賊とは思えないのんびりとした足取り。エリザは僕の前に来ると、相変わらず緊張感のない眠そうな表情で報告した。
「くー、今日も幻影の姿は見えない。けど……何か、嫌な予感がする。急いだ方がいい」
嫌な予感がする、か。エリザの勘はよく当たるからなあ……。
だが、それ以上に――ここ最近一緒に偵察していたリィズ達、今日はいないみたいだけどどうしたの?
「あぁ。お疲れ様。ところで、今日はリィズとティノは一緒じゃないんだね。他のメンバーも姿が見えないんだけど、どこに行ったか知らない?」
「…………………ごめん。忘れてた」
エリザが目を瞬かせ、足元につれていたみみっくんを指差す。
みみっくんはただの宝箱型の『時空鞄』ではない。生き物でも自由にしまえる上に、中に街まで蓄えている前代未聞の時空鞄だ。宝具類も全てしまってあるし、アクシデントがあった時にすぐに逃げ込めるように連れて行くつもりだったが――。
「みみっくんの中? 全員? なんで?」
「………………準備のため、と」
準備か。なるほど、みみっくんの中はかなり広い異空間だ。ルシアでも思う存分広範囲攻撃魔法を使えるだけのスペースがあるし、物資なども保管している。準備にはもってこいだろう。
しかし人騒がせな…………事前に僕に一言入れていってくれればいいのに。みみっくんの弱点は誰かに出してもらわないと外に出づらい事だ。仮に、仲間達が全員みみっくんの中に入っている事をエリザが忘れてしまったらどうするつもりだったのだろうか?
まぁ、小言は後だ。みみっくんの蓋を開け、エリザ達に言う。
「ちょっと呼んでくる。戻ってきたらすぐ出発するから。みみっくん、リィズ達だ。リィズ達のいるところに入れてね」
「……わかった」
みみっくんの中に入るの久々だな。僕は大きく深呼吸をすると、みみっくんの闇の中に飛び込んだ。
§
ふわりとした記憶に残る浮遊感。降り立った先にあったのは、一つの大きな建物だった。
「え? こ、ここは…………?」
辺りを見回す。ここは恐らく、シェロに追い詰められた時にも逃げ込んだ街だろう。
みみっくんは非常に優秀な宝具だ。特に、時空鞄としてのプライドが素晴らしく、快適な収納能力を提供するためならばある程度融通を利かせてくれる。
扉を開き、建物の中に入る。その建物は宿屋のようだった。
床に敷かれた分厚い絨毯に、機能性と見た目を両立した上品な調度品。シトリー達が設置したのか、カウンターに置かれたランプには炎が灯され、ロビーをぼんやりと照らしている。
こうしてみると、ユグドラも良かったけど普通の宿もいい感じだ。みみっくんの中の街はまだ調査できていない。ルークの呪いが解けたらしばらくここに滞在するのもありだろうか?
そんな事を考えながら、建物内を散策しリィズ達を探す。リィズ達はすぐに見つかった。
――リィズ達は広々とした寝室のベッドの中で、ぐったりと身を横たえていた。
全く意味がわからなかった。
室内に響く小さなうめき声。一瞬凍りつき、慌ててベッドに駆け寄る。
まず真っ先に目についた、複数のベッドを繋げて作った巨大なベッドに横たわる小山のようなアンセムをぺたぺたと触り、誤って潰されないよう配慮したのか少し離れたベッドに生じている膨らみを揺する。
掛け布団をそっとめくると、見慣れたルシアの顔が出てきた。だが、その顔色は酷く悪く、前髪が汗で張り付いている。
「え? ど、どうしたの? 皆? 何が起こったの!?」
もしかして、昨日の内に我慢できずに宝物殿に行った、とか?
いや……違うな。もしもそうならば、みみっくんの中にいる説明がつかない。
目を瞬かせ現実逃避を始めようとする脳みそと戦っていると、ルシアがゆっくりと目を開け、たどたどしい口調で言った。
「に、兄さん、ごめんなさい…………動けません。マナ・マテリアル酔いが、一気に来てしまったみたいで――危ないとは、思っていたんですが」
「………………え?」
その言葉に、ゆっくりと室内を見回す。アンセムのものを除いて、ベッドは四つ。それぞれ、しっかり膨らんでいる。
冗談でこんな事はしないだろう。そもそもリィズなど、宝物殿に向かう日を楽しみにしていたのだ。
リィズの横たわるベッドに近づき、そっと顔を確認する。ほとんど風邪すらひいた事のないリィズは、気怠げに潤んだ目を僕に向け、かすれた声で言った。
「まずいと思って、慌てて、マナ・マテリアルの薄いここに、逃げ込んだんだけど……ごめんね、クライちゃん。……………………延期してくれるよね?」
…………………………い、いや、無理だよ!!
僕だって延期したいが、セレンが最後の秘薬を使ってしまっているし、《星の聖雷》のメンバーだって仕上げてきている。
ベッドを順番に確認する。
「うぅ…………試したい事があったのにぃ。私まで、酔うなんて…………」
「うー…………む…………」
「ますたぁ、これも試練ですか? 試練なのですね?」
ティノが焦点のあっていない目をこちらに向け、いつもより低い声で抗議してくる。試練じゃないよ、ティノ……。
どうやら、ぱっと見た感じ、本当にただのマナ・マテリアル酔いのようだ。そもそも他の病気などだったら一番ひ弱な僕が真っ先にかかるだろうし、シトリーやアンセムの力でなんとか治せるだろう。
ほっと息をつく。マナ・マテリアル酔いは《嘆きの亡霊》にとってはそんなに珍しくもない現象だ。
少し休めば身体が処理しきれなかった分のマナ・マテリアルを吸収し、より強くなって復活するだろう。
「うーん、しかしこんなに綺麗に倒れるなんて…………人によってマナ・マテリアルの吸収量や許容量は違うはずなのに」
《嘆きの亡霊》のメンバーは各々が才能あるハンターだが、細かい部分の資質の差はもちろん存在している。
マナ・マテリアル酔いは(僕以外の)全員が経験しているが、一斉に倒れるというのは初めてだ。
しかもタイミングが最悪。確かにちょっと調子悪そうではあったけど――。
そこで、ベッドに横たわってうーうー唸っていたリィズが、腕をつき、無理やり身を起こそうとしてベッドからずり落ちる。
あーあー、何やってるんだか。
「クライちゃーん、私も、いくッ! 絶対、いけるからぁッ!」
「うんうん、無理そうだねえ」
「クライさん、わたひも……わ、私も、後ちょっと時間が経てば、きっと動けるようになります! ユグドラのマナ・マテリアルもここまでは入ってきませんし、私は、酔いも軽いのでえ!」
「うんうん、駄目そうだねえ」
ベッドからずり落ちてしまったリィズを抱き上げベッドに戻す。リィズのしなやかな身体は非力な僕でも頑張れば持ち上げられるくらい軽い。
いつもと立場が逆だなあ。
どれだけ強靭な身体を持っていても、マナ・マテリアル酔いの影響には耐えられない。
どうやら、聞いた話によると、資質が高ければ高い程影響が強く出るようだ。人によっては感覚系が激しく乱れたりするらしいので肉体の強度の問題ではないのだろう。
不幸中の幸いなのは【源神殿】で倒れなかった事だろうか?
《嘆きの亡霊》全員が倒れたとなるとかなり戦力に不安は残るが、エリザは無事だし《星の聖雷》もいる。
偵察では問題なかったんだし、セレンが解呪するまでの少し時間を稼げばいいのだ。やってみるしかない。
「仕方ない、エリザ達と協力してルークの解呪はなんとかするよ。ところで、皆動けないみたいだけど、看病とかは――」
「きるきる……!」
「!?」
甲高い鳴き声と共に、シトリーの生み出した魔法生物、キルキル君がぬっと現れる。いつもと違い、屈強な肉体にエプロンを巻きつけ、水の張られたタライを抱えていた。
そう言えば途中から姿を見ないなと思ったら、いつの間にこんなところに……。
「皆の看病してくれるの?」
「きるきる……」
僕の問いに、キルキル君が両腕の力こぶを見せつけアピールしてくれた。




