330 乱数調整②
ユグドラ。人間の間で伝説とされるその国は精霊人達にとって、それ以上に重要な意味を持つ都市である。
現在、精霊人達の大部分は各地の森の奥に集落を作りひっそりと暮らしているが、どの森でもユグドラの存在は語り継がれている。
場所によっては能力や気質、時に言語まで違う事があるが、それだけは変わらない。
曰く、すべての精霊人の故郷。世界の根幹を成す偉大なる都市、と。
ユグドラは精霊人にとっても伝説の都市だ。クリュス・アルゲンら、《星の聖雷》のメンバーもユグドラを訪れるのは初めてである。
いや、きっと、親の親のそのまた親の世代も訪れた事はないだろう。人間が精霊人を強く意識し始めたのはシェロが呪いを放った事件からだが、そのずっと前から、各地の精霊人達はユグドラと袂を分かつているのだ。
ユグドラが拒絶していたのは人間だけではない。むしろ、ユグドラへの憧れは幼少期からその伝説を聞かされ育った精霊人の方がずっと強いだろう。
ユグドラに出入りできるものは精霊人という種族に対して多大なる貢献を認められた者だけだ。故に、《星の聖雷》はハンターをやる傍ら、シェロの呪石を探し続けてきた。
他にも呪石を探していた精霊人は何人もいる。まさかおこぼれのような形でユグドラへの立ち入りを許される事になるとは思わなかったが、それ以上にユグドラの女王が話した内容は衝撃的だった。
夢にまで見たユグドラを歩く。新鮮な空気に頬を撫でる風。陽光を十分に浴びて成長した大樹の上に作られた家々はクリュスが生まれ育った森とはまた違った光景だったが、不思議と郷愁のようなものを感じさせた。
ユグドラから精霊人達が世界各地に散って、既に数え切れない程の年月が経っている。老人達ならばともかく、まだ若いクリュス達はユグドラを盲信していたわけではない。
ラピスがセレンに厳しい質問をしたように、不満だってなくはなかった。精霊人の集落の中には、ユグドラの情報を得るために襲われた村だって存在しているのだ。
だが、セレンの話を聞いて何も感じない程冷酷ではない。
セレンの話した内容に恐らく嘘はない。完全に納得したわけではないが、理解はできた。
そして、精霊人は同族を見捨てない。世界樹の変容が文明を崩壊させるほどの厄災を齎すことを知ってしまった以上、そして、それを止めるべくセレン達ユグドラの民が尽力してきた事を知ってしまった以上、クリュス達にも災厄を止める責任が生じる。
おそらく、長年に亘り世界樹の放つ力を浴び続けてきたセレン達ユグドラの民と比べればクリュス達の持つ魔法の力は大したものではないだろう。だが、クリュス達には様々な宝物殿を攻略してきたという経験が、実績がある。そして何より、外でできた仲間がいる。力を合わせれば、災厄の顕現も絶対に防げるはずだ。
帝都を出た当初は《千変万化》の能力に疑いの目を向け、ことあるごとに文句を言っていたアストル達も既にその力を認めていた。
暴走した精霊を止め、体内に取り込まれた同族を救い出した上に、断ってもおかしくはない精霊からの依頼を嫌な顔一つせずに受け入れたのだ。
そもそも、これは精霊人の問題である。今、《星の聖雷》は《千変万化》に命を預ける覚悟をしていた。もちろん、ルークの呪いを解く事に関しても協力を惜しむつもりはない。
人間にとっては濃すぎるマナ・マテリアルも、精霊人にとっては丁度いい。
ユグドラに滞在し、町中を探索したり過去の世界樹の暴走について事件を調べたり、近くの森から物資を集めたり魔法の力を高めるべく瞑想したりする事、一週間。
もともと一番クライに喧嘩を吹っかけていたアストルが、難しい表情で言った。
「ところで、クリュス…………《千変万化》はいつになったら動き出すんだ? こっちは準備万端で待っているのだが……」
「それは…………私が知るわけないだろ、です」
そのあたりはクリュスも気になっているところだ。
クライはここ一週間、毎日エリザ達を宝物殿に偵察に出しては、作戦を延期していた。石になってしまったのは《嘆きの亡霊》のメンバーであり、幼馴染だ。一刻も早く元に戻したいはずなのに、いつまで経っても準備する気配すらない。
毎日ユグドラを散歩したり部屋に引き篭もったりセレンと世間話をしたり、見ていて不安になるくらいのんびりしている。
クリュスの言葉に、アストルが馬鹿にしたように言う。
「なんだ、クリュスにもわからないのか。事あるごとに話題に出していたくせに――」
「う、うるさい! 話題になんてしてない、です! そ、それに、何もわからないわけではない、です」
ヨワニンゲンの思考は独特だ。さすが神算鬼謀と称される事があり、正直、それなりに付き合いの長いクリュスでも理解できない事は多い。
だが、今回の引き伸ばしに似たものを既にクリュスは経験していた。
忘れもしない皇帝の護衛依頼。飛行船に乗り込む直前、《千変万化》がフランツに交渉してまで行った出発の日付の引き伸ばしだ。
今思い返しても、あの引き伸ばしの目的が何だったのかはわからない。【迷い宿】とぶつけるため、とか、試練を与えるため、と考えるのはさすがに短絡的だろう。
日程を引き伸ばした事で取ってきてもらったのはおかしな杖だったし、結果的に何の役にも立っていなかった。もしもあれが本当に目的だとしたら、ヨワニンゲンはクリュスを煽るのに全力を尽くしたという事になってしまう。
ともかく、結果として、裏切り者は炙り出され、会談は成功に終わった。
巡り巡ってすべてがうまくいったのだ。
言葉を選び、このままでは本人に直談判しかねないアストルを宥める。
「ヨワニンゲンはきっと…………タイミングを見計らっているんだ、です。前回もそうだった、です」
「タイミング……? 何のタイミングだ? 毎日幻影の数を確認していると聞いたが――まさか幻影が減るタイミング、などではないだろうな? そんなものわかるわけがない」
アストルが半信半疑の表情で言う。他のメンバー達も頷いているが、クリュスもその意見に同意だ。
幻影というのはマナ・マテリアルの蓄積の結果生まれるものであって、生き物ではない。
蓄積されたマナ・マテリアルにより発生する事こそわかっているものの、どのくらい蓄積すれば発生するのかなどわかっているわけではないし、そもそも――。
仲間の一人が眉を顰めて言う。
「そもそも、今回の宝物殿で幻影が減るなんてあり得るのか?」
そうだ。並の宝物殿ならばともかく、今回の宝物殿の場合は幻影の数が減るなどまず考えづらい。
確かに、普通の宝物殿ならば、幻影の数が減る事もありうる。宝物殿を構成するマナ・マテリアルが空気中に発散し、その濃度が一時的に薄くなった際に発生する現象だとされているが、今回の場合は当てはまらない。
全ての地脈の中心。世界樹の下に発生した【源神殿】はマナ・マテリアル濃度が余りにも高すぎる。発散するどころか、セレンの話が本当ならば【源神殿】に流れ込むマナ・マテリアルは増加の一途を辿っている。
このまま待っていても幻影の数が増えていくのが関の山だ。
時間はクリュス達の味方ではなかった。今回挑む対象は最高の攻略難度を誇る神殿型宝物殿なのだ。
もしかして、ヨワニンゲン、幻影が増えるのを待って《星の聖雷》に試練を与えるつもりじゃ――。
ふと浮かびかけた考えを、頭を振って消し去る。
クライ・アンドリヒが何を見据えているのか、クリュスは知らない。わかっているのはたった一つだけだった。
《星の聖雷》の中ではクリュスが一番、千の試練の経験者なのだ。
「…………詳しいところは私でも予想がつかない、です。一つだけわかっているのは――これから、きっと、誰にも想像できない、面白いものが見れるだろうという事だ、です。覚悟しておけ、です」
かつての体験を思い出し、笑みを浮かべる。だが、その笑みはクリュスの意図に反して引きつったものにしかならなかった。
§ § §
時間は瞬く間にすぎていく。ユグドラは僕が想像していたよりもずっと安全な場所で、最初は見慣れなかったその町並みにも、すぐに慣れた。
精霊人は自然との共存を是としている。ユグドラの町並みはそれを体現したものだ。
町中は帝都と比べて穏やかな時間が流れ、新鮮な空気と水に満ち、鮮やかな緑と咲き乱れる花で彩られた光景は人によってはこの世の楽園にも見えるだろう。普段、文明の利器の恩恵をこの上なく受けている僕でも休暇はここで過ごしてもいいと感じるくらいだ。
ユグドラに来て一週間。住人と遭う機会はほとんどなかった。稀に見かけてもすぐに逃げてしまうのだが、セレンの話によると、そもそもこのユグドラには住人はそこまで多くないようだ。
もともと精霊人という種族は人間と比べて長命だが生殖力が低く、数が少ないとされている。ユグドラは外部からの出入りを制限していたようだし、少しずつ人数が減っていったのかもしれない。
刺激に飢えたハンターには少し退屈な街かなと思っていたのだが、仲間達の反応も悪くなかった。
《星の聖雷》にとっては憧れの地なのでまあわかるのだが、リィズ達にとっても、植生や魔導技術など見どころが多かったようだ。
そして何より僕にとって予想外だったのは、セレンが僕達に協力的な事だった。
僕が精霊の頼みを聞き入れた(いや、実際は聞き入れてないけど)というのもあるかもしれないが、もともと、彼女自身外の世界に興味があったらしい。
セレンの視線には、外で出会った精霊人の視線から感じるような人間への侮蔑は一切込められていなかった。
「宝物殿はマナ・マテリアルの蓄積によるものです。世界樹はもともとマナ・マテリアルの流れを円滑にする能力を持っていましたが、我々はマナ・マテリアルを蓄積せずに消費するというアプローチで宝物殿や魔物――幻影の顕現を防いでいました。貴方達が通ってきた神樹廻道も、外部からの侵入者を阻害すると同時に、世界樹の処理しきれない膨大なマナ・マテリアルを消費するために構築された術式なのです」
ユグドラの中心の広場で、陽光を浴びながらセレンから話を聞く。
僕やアンセムはただの置物になっていたが、シトリーやルシアが真剣な顔で聞いているのだから何も言うことはない。それに、セレンの話に全く興味がないわけでもなかった。
難しい話はわからないが、僕にだって知識欲くらいある。そして、精霊人の持つ魔導技術は人間を遥かに超えると聞いたことがあったが、それは真実だったらしい。
セレンの言葉に、ルシアが唸り声をあげる。
「なるほど…………規模が普通じゃないとは……思っていました。ユグドラの道を作るだけならばともかくそれをあちこちの森につなげるとなると、維持するために膨大なコストが必要になる、と」
「ふふ…………たとえどれほど優秀な術者でも、神樹廻道を保つことは不可能でしょう。神樹廻道は地脈を通して世界樹と繋がり、その力で保たれてます。もっとも、繋がっているなどと言っても、ユグドラを経由せずに直接世界樹に向かったりはできないように作られていますが――先日私はユグドラが世界樹を守るために作られたと言いましたが、正確に言うならば共生関係にあると言えるでしょうね」
「人間の国では……マナ・マテリアルの転用の研究は、禁止されていますからねぇ……あまりにも危険だということで、頭の硬い人が多くて――」
シトリーが眉を顰め、肩を竦める。
マナ・マテリアルに関する研究や調査は半ば禁忌とされ、法律でがちがちに縛られていると聞いたことがある。それは、これまで世界中で発生したマナ・マテリアル関係の事故を鑑みた結果だ。
「無理もありません。マナ・マテリアルは私達精霊人にとっても過ぎた力です。神樹廻道を生み出した術式も、ユグドラの有する優れた魔導技術も全て、苦肉の策の結果生み出されたものです。一週間前私を飲み込んだユグドラの守護精霊――ミレスも最初はあそこまでの力は持っていなかったと伝わっています。地脈から流れ込むエネルギーを吸収し続けた結果、現在の域に達した、と。そして、私達の観測によると地脈を流れるマナ・マテリアルは少しずつ、確実に増加しています。原因は不明ですが、もしかしたらこの世界にとって滅びとは必定なのかもしれません」
「百年後に?」
思わず口を挟む。セレンはぞくりと身体を震わせこちらを見ると、至極真面目な表情で言った。
「はい。百年後に」
やっぱり百年後なのか。百年かー………………遠いなぁ。百年後の世界はどうなってるんだろう。
嘘はついていないとは思うが、余りにも先の話すぎて実感がわかない。
ため息をついていると、セレンが不思議そうな表情で僕を見た。
「貴方達、ニンゲンは不思議ですね。目の前に迫った滅びを恐れないなんて――ユグドラの民の中にも恐怖の余り国を捨てた者は少なからず存在しています。ユグドラを捨てたとしても、破滅の神が顕現したら逃げる場所なんて……あるわけがないのに」
「…………僕だって滅びは怖いさ。でも――そう、いつか来るものだからね…………」
どうやら来るのはだいぶ先みたいだけど………………。
「達観しているのですね。ニンゲンというのは皆そうなのですか?」
「いや、まぁ国に戻って報告したら大騒ぎになると思うよ?」
フランツさんとか絶対に大騒ぎするだろう。慌てふためくその様が脳裏に浮かぶようで、思わず笑みを浮かべる。
胸を張って言うような事ではないが、所詮ただの一ハンターである僕と、大国の貴族である彼では責任感が違うのだ。帝都に戻ったらフランツさんにも手紙送ろうっと。
僕が心の中で何を考えているのかも知らず、セレンが感心したように言う。
「なるほど…………話には聞いていましたが、ハンターというのは凄いのですね」
「クライさんはただのハンターじゃありませんから! 伊達に修羅場を潜ってはいません。何度大きな事件を解決したことか――」
「うむ」
シトリーが僕の代わりに胸を張って答える。まぁ確かに、ただのハンターじゃないのは間違いない、悪い意味で。
だが、こう言ってはなんだが修羅場は伊達に潜っているし、事件を解決したのは一つ残らず皆仲間達の力だ。
しかも全てを穏便に解決できたかというと、そうではない。でもまぁ、僕の方にそういう厄介事を持ってくる人にも非はあると思うよ……。
言い訳をするとまた面倒なやりとりが発生しそうなので笑みを浮かべたまま無言でやり過ごそうとする僕に、ルシアが深々とため息をつく。
「はぁ……まったく、リーダーは。で、いつになったらルークさんの解呪をするんですか? もう一週間も……経ちましたが」
まったくだな。僕だって、解呪したくないわけではないのだ。早く解呪して帝都に帰りたい。
だが、毎日エリザ達に偵察してもらっているが、今のところ宝物殿の幻影は減る気配がなかった。エリザの見積もりも初日に出した成功率五割が最高で、それ以降じわじわと低下している。どうやら幻影の数は減るどころか、少しずつだが確実に増えているらしい。
こんな事ならば初日に決行しておけばよかったとも思うが、後の祭りだ。
まぁ、次に敵の数が減ったら決行しよう。ずっと増え続けるなんて事はないだろうし。
と、そこで、僕はふとルシアの様子がいつもと何か違う事に気づいた。
抜けるような白い肌に、魔導師職特有の長い黒髪。服装もいつもと変わらないが――。
「あれ? ルシア、もしかしてなんか疲れてる?」
いつもより心なしか声に元気がないような気がする。
昔からルシアは努力家で何かあっても我慢しがちな子だったから、なんとなく雰囲気でわかるのだ。
僕の言葉にルシアは目を見開き、ためらいがちに言った。
「………………はい、まぁ、少し、身体が重いだけです。マナ・マテリアル酔いが……身体も慣れているので短期間なら問題ないんですが、一週間も滞在するとさすがに――」
「ルシアちゃんは《嘆きの亡霊》の中でもトップクラスのマナ・マテリアルの吸収能力を持っていますからね。ルシアちゃんより劣る私はまだ平気ですが…………少しだけ、予感はあります。まぁでも、マナ・マテリアル酔いは身体が慣れるのを待つ他、ありませんから」
額を押さえるルシアに、シトリーが駆け寄り、その目を覗き込む。
そうか…………マナ・マテリアル酔い、か。クリュスからも注意は受けていたが、皆平気そうだったからすっかり忘れていた。
まだそこまで影響は大きくないようだが、長くユグドラにいるとまずいかもしれない。僕は全然平気だけど。
ルシアが小さく咳き込み、しっかりとこちらを見て言う。
「リーダー、今ならまだ動けます。なるべく早く作戦を決行していただけると、助かります」
「…………そうだね」
ルークが石になっている以上、ルシアは攻撃の要だ。今回は《星の聖雷》やセレンという強い味方もいるが、戦力は多いに越したことはない。
よし、今日の偵察で大きな問題がなければ明日作戦を決行しよう。
一週間、敵の数が減るのを待っていたが、幻影が減る気配はないどころか増えてきているのだ。タイムリミットだってある。
これ以上待って状況が悪くなるくらいならルシアが動ける内に作戦を決行した方がいい。
心に決めたちょうどその時、今日の偵察から戻ってきたエリザが広場に入ってきた。
メインで偵察を頼んだエリザに、護衛代わりのリィズ。勉強のために連れて行かされ、憔悴した様子のティノ。偵察を頼んでから毎日見ている組み合わせだったが、今日はどうやら様子が違う。
リィズは小走りで近寄ってくると、乱れた息を軽く整えた後、僕の目を見て言った。
「クライちゃん、大変! 幻影の数、昨日より減ってるみたい! なんかした?」
「本当。昨日までの数が嘘のよう…………中にはまだいそうだけど、見える範囲では数体しかいない。あの数なら簡単に時間稼ぎができる……はず」
……………………え? マジで?
思わず目を瞬かせる顔を見直すが、エリザやリィズが冗談など言うわけがない。
ルシアやシトリー、セレンもぽかんとした表情をしている。地べたに胡座をかいて座っていたアンセムが眉を顰める。
なんだかよくわからないが、これは運が向いてきたな。
これまで僕の読みが当たる事など滅多になかったが、もしかしたら日頃の行いかな? なんか僕、最近なんかしたっけ?
ともかく、この好機を逃すわけにはいかない。咳払いをして、ぐるりと回りを見回す。
「どうやら機が熟したようだ。明日、ルークの解呪作戦を決行しよう」
後は復活したルークが宝物殿を切り裂いてくれれば完璧だ。




