329 ユグドラ⑤
魔物。それは、人類に敵対する力ある獣。一口に言ってもその種類は千差万別だ。人間の歴史というのは魔物との戦いの歴史でもある。
人間の国や街は基本的に強力な魔物の縄張りから外れて作られるものなので、一般人が強力な魔物と遭遇する機会はほとんどないが、この世界の支配者は人間ではない。
煮えたぎる火口近くに生息する魔物、広大な荒野に強大なコロニーを作り出す魔物、深い森の中、滅び去った遺跡を根城としていた魔物、数百キロにも及ぶ広大な地下洞窟にひっそりと君臨していた魔物、人間の都市に隠れ棲みついていた魔物。ウーノ達はこれまで世界各地を周り、様々な魔物と戦い、それを収拾してきた。
単純な強さの優劣ではなく、魔物には宝物殿に出現する幻影とは異なる、生き物故の厄介さがある。
《千変万化》から受け取った導を辿り突入した神樹廻道は、《千鬼夜行》にとって天国でもあり、同時に地獄でもあった。
絶え間なく響く攻撃魔法の音。魔獣の咆哮に、星喰の装甲が攻撃を弾く金属音。
神樹廻道に出現する魔物はこれまでウーノ達の戦ってきた魔物達と比べても遥かに強い力を持っていた。場に立ち込めるマナ・マテリアルの濃度も違えば、出現する魔物の属性も滅多に見ないものだ。
恐らく、神樹廻道の固有種だろう。中には魔物の専門家であるウーノ達でも知らない者も少なからず含まれている。
巨大な蛇の魔獣の吐き出す毒液を、星喰百足の陰に隠れ防ぎ、天から飛来した精霊種が放った攻撃魔法を横っ飛びに回避する。
どの魔獣も、低く見積もっても探索者協会の認定レベルで言う6以上の強さはあるだろう。
このレベルになってくると、流れ弾ですら危険だ。ウーノ達、導手の弱点は、率いる魔物と比べて能力が貧弱な事だ。目立たないように立ち回り、絶対に攻撃を受けてはならない。
「はぁ、はぁッ! 幻獣や精霊種がこんなに現れる、なんてッ! さすが、精霊人のッ、セキュリティですねー!!」
「泣き言を言っている暇はない。来るよッ!!」
《千鬼夜行》の将軍――クイント・ゲントのお気に入り。ダーク・サイクロプス、ゾークの放った棍棒が蛇の幻獣を激しく打ち付け、襲撃のタイミングを窺っていた他の魔獣もろとも吹き飛ばす。星喰が甲高い咆哮を上げ、群がってくる魔物たちを威嚇する。
だが、神樹廻道の魔物達は一切、退く気配がない。
クイントの操るゾークやアドラーの相棒である星喰百足はそれぞれ、縄張りの王を張っていた魔物だ。魔物ならば力の差を本能的に察知し少しは気圧されてもいいはずだが、こんな事は初めての経験だった。
現在、ウーノ達は《嘆きの亡霊》の足止めに大半の魔物を使ってしまっている。まだゾークや星喰の体力が残っているので耐え凌げているが、すでに襲撃されるのは五度目だ。しかもどんどん一回で襲ってくる魔獣の数が増えている。このままではジリ貧だった。
ゾークの一撃を受け吹き飛ばされたはずの大蛇が、平然と身を起こす。フィジカルに特化したゾークの一撃を正面から受け平然としているとは、恐ろしい耐久力だった。
ダメージはゼロではないはずだが、その無機質な瞳には変わらぬ戦意が見て取れる。
「ッ……アドラー、こいつら、何かおかしい。恐怖や痛みを全く感じてないみたいだ!」
「何かが起こったんだろうね。ここはあまりにもマナ・マテリアルが濃すぎる。地脈の真上だからなんて単純な話じゃない。そうだろ、ウーノ?」
アドラーの言葉は正しかった。聖霊使い、ウーノの目には本来見えないものを見通す特別な力がある。
秘術で空間を歪めているようだが、ウーノの目には一つの方向から流れ込む力の――マナ・マテリアルの奔流がはっきり見えた。
普通の宝物殿では大地から――地脈から立ち上る力を見ることができるが、現在力は明らかに外から流れ込んでいる。
それが、この神樹廻道の魔物を強化しているのは間違いなかった。
マナ・マテリアルは生き物を半強制的に変えてしまう。これが精霊人の秘術によるものだとするのならば、余りにも非道な行為だ。
「はい! 向こうから膨大なマナ・マテリアルが術式に干渉しているのを感じます! これはきっと、精霊人が防衛を厚くするために魔物たちを無理やり強化していますね!」
腕を上げ、マナ・マテリアルが流れ込んで来る方向を差す。術式の詳細は不明だが、精霊人もまさかマナ・マテリアルを見通す目を持つ者がいるとは思っていなかっただろう。
「アドラー、やっぱり戻らねえか!? 受け取ったあれの示す通りに辿れば魔物にも襲われないんだろ!?」
「それじゃ意味ないだろう? 私達の目的は新たなる戦力の確保だ、導を辿ったんじゃ《千変万化》の思うつぼさ。逃げるだけならいつでもできる」
「まぁ……それはそーですが……」
クイントの珍しく妥当な提案に、アドラーが眉を顰める。
そして、にやりと唇を歪め、笑った。
「むしろ、滾るじゃないかッ! 精霊人の手が入っていようが、いつもと何も変わらない! こいつらを超越し、服従させ、我がしもべとする。私達は、そうやって強くなってきた! これまでも、そしてこれからもッ! ここの幻獣魔獣を服従させれば私達は――無敵だ」
「そりゃそうですが……キリがないですよー!」
放たれた風の刃が星喰の防御を抜け、アドラーの頬を浅く傷つけ、傷口から血が滴り落ちる。
星喰の防御は鉄壁だが、全てカバーできるわけがない。ましてや相手は数が数だ。
「アドラー様!!」
思わず、その名を呼ぶ。だが、アドラーは眉一つ動かさず、口元は変わらず深い笑みを示している。
そして、主の代わりと言わんばかりに、それまでとぐろをまくようにして身を挺しアドラー達を守っていた星喰百足が動き出した。
太古に君臨した最強の魔物の一種――星喰百足のユデン。
命令など必要なかった。かつて、アドラーが古文書を紐解き発掘した古代遺跡。その支配者だった怪物が身を持ち上げ、身を撓らせるようにして一気に加速する。
並の金属を遥かに超える強度を誇る表皮に、音をも置き去りにする瞬発力。その巨体が崖を崩し、木々を吹き飛ばし、周囲の幻獣・魔獣を全てなぎ倒す。
如何にマナ・マテリアルで強化された魔獣達でも、素の性能が違う。何百何千年の時を生き延びたその魔物の能力は既に最強種たる竜をも凌駕している。
ゾークの一撃をたやすく耐えきった魔獣達は倒れ伏したままぴくりとも動かない。
その身体には無数の穴が空いていた。薙ぎ払うと同時にユデンに生えた鋭利な足が表皮を貫いたのだ。
星喰百足は強力な毒を持っている。高位の幻獣でもたやすく行動不能にするその毒こそが、太古の人々が星喰百足を最強の魔獣の一角として恐れた理由の一つなのだ。
だが、魔獣達はまだ死んではいない。星喰は複数の毒を使い分ける。殺してしまっては軍に組み込むことはできない。
強い。間違いなく、この世に存在する魔獣の中では最上級だ。肉体がちぎれても平気で生きていられる高い生命力に、圧倒的なパワー。そして、複数の毒を使い分ける制圧能力。
《嘆きの亡霊》の猛攻すら受けきった。正面からユデンを倒せるような者は世界広しと言えどほとんど存在しないだろう。
「ゾークの攻撃を耐えしのいだ連中が一撃、か。相変わらず、化け物だ」
どこか悔しげに唸るクイントに対して、アドラーが鼻を鳴らす。
「だが、《嘆きの亡霊》には通じなかった。ウーノ、今倒した連中を説得しておきな。ユデンにあっさりやられてるようじゃあ彼等は倒せないだろうが、数を揃えれば嫌がらせくらいにはなるだろう。あぁ、無理はしなくてもいいよ。どうやら、ここには魔獣がいくらでもいるようだしね」
「わかりましたー。まぁ、説得がうまくいくかわかりませんが……」
魔獣の調伏は難しい。コミュニケーションを取れない相手も少なくないし、相性や運にもよる。
魔物を服従させるコツは力を見せつけ、上下関係を刻み込む事だ。魔物は本能的に力を求めている者が多い。
ユデンの圧倒的な力を見せつけた今ならば、交渉も有利に進められるだろう。
星喰百足以上の怪物がいなかったという事実に、ほっと息をつく。
導手が死ぬ可能性が一番高いのは、自身が率いている魔物よりも格上の存在と出会ったその時だ。その時にこそ、導手としての真価が試される。
そこで、アドラーがふとウーノに視線を向けた。静かに輝く瞳に、嫌な予感がした。
《嘆きの亡霊》も大概振り回されているようだが、ウーノ達もアドラーには振り回されっぱなしだ。
「だが、相手には攻撃魔法の使い手がいる。中途半端な強さの兵を増やしても意味はない、か――ウーノ、さっき、マナ・マテリアルが向こうから流れ込んで来ているって言ったね?」
「言いましたが…………まさか――」
思わず頬が引きつるウーノに、アドラーが目を眇めて言う。
こういう表情をした時、アドラーは誰にも止められない。
「何があるのかは知らないが、マナ・マテリアルの源があるって事はそこに一番強い魔物がいるって事だろう? 戦力を増強しながら向かえば丁度いい」
その言葉は自信に溢れていた。確かに一理あるが、それはあくまで全ての物事が理想通りに進めば、の話だ。
余りにも危険だ。神樹廻道の魔物の強さは大体わかった。今のところは星喰に勝る相手はでてきていないが、更に進めばどうなるかわからない。仮にユデンよりも強力な魔物が出てこなかったとしても、激戦を経てウーノ達が無事でいられるかはまた別の話なのだ。
そもそも、この濃度のマナ・マテリアルの中、酔わずにいられるかも不明である。途中でマナ・マテリアルに当てられ動けなくなる可能性も十分にある。懸念点は少し考えただけでいくらでも浮かんだ。
――だが、アドラーはその全てを理解した上で話している。
「仕方ねえ、アドラーがそう言うならやってやるか。どのみち、ここの魔物を見てしまった以上、外でちまちま弱い魔物を集める気にもなれねえ」
先程まで反対の立場にいたクイントがため息をつき、腰の剣を抜く。下僕であるゾークと共に戦うつもりなのだろう。
クイントは己の背を見せる事で魔物達の信頼を得る、そういうタイプの導手だった。
二人がやる気な以上、ウーノにその道を阻むことはできない。ウーノの魔物の力は極めて強力だが戦闘向きではないし、連続で行使も不可能なのだ。
「何かあったらすぐに逃げますよー? こんなところで全滅するわけにはいきませんからー」
「わかってるよ、ウーノ。星喰がここでも十分戦える事はわかった。物資もまだ十分にある。全ての魔物を平らげ、あからさまに我々を見下したあの男に目にものを見せてやろう」
§ § §
トレジャーハンターが活躍するこの時代、宝物殿というのは何かと注目される存在だ。
宝物殿や宝具の研究は世界各国で進められており、探索者協会でも度々調査の依頼が持ち込まれる。そのかいあって、まだ謎やイレギュラーは多いものの、現在の探索者協会では宝物殿の大まかな特徴から大体の傾向を導き出す事までできるようになっていた。
宝物殿はその外観によって大体の攻略難易度が推測できる。そして、数ある宝物殿の中で最も危険とされるのが――。
「あれは間違いなく、神殿型の宝物殿。このマナ・マテリアルの強さだし、予想はしていたけど――ユグドラに伝わっている情報には信憑性がある」
朝に宝物殿への偵察に向かい、戻ってきたエリザが疲れたような表情で言う。
神殿型宝物殿。それは、ギミックなどは少なめだが、屈指の強さを誇る幻影が出現する事で知られる宝物殿だ。
同じく高難度の宝物殿で知られる城型の上位互換であり、城型との違いとしてはボスとして出現する幻影が限りなく神に近い力を持つ事、そしてボスを倒した時に宝物殿が崩壊する点が挙げられる。
大抵の場合、神殿型宝物殿の攻略は歴史的な快挙となる。
かつてロダン家が攻略したという、かの一族が勇者の血族と呼ばれるきっかけとなった宝物殿――【星神殿】も神殿型だし、現在最強のハンターの一人と呼ばれるレベル10ハンター、エクシード・ジークエンスが攻略した【聖王殿】も神殿型宝物殿の一つだ。
もちろん、一口に神殿型と言ってもピンからキリまであるようだが、それはいくら《嘆きの亡霊》でも容易く攻略できるような宝物殿ではない。
エリザと共にやってきたリィズが、眉を顰め真剣な表情で言う。
「既に幻影も相当な数顕現しているみたいだし、まぁ、しんどいかな……うん。けっこう無理めだし、《嘆きの亡霊》の次の攻略目標としてはぴったりかも!」
「なるほどね……ところで、偵察を頼んだのはエリザなんだけど?」
盗賊としての性がうずいたのかも知れないが、しれっと同行するのはやめなさい。
「えー、エリザちゃん一人じゃ危険だし、メインはエリザちゃんに任せたんだから問題ないでしょ? 私は護衛代わりだから!」
うんうん、そうだね……ところで、後ろにいる今にも死にそうな顔をしてるティノは一体――。
宝物殿について、リィズ達はプロ中のプロだ。ゼブルディアでも彼女達程、高レベルの宝物殿を攻略してきた者はいない。
知識も経験も豊富な彼女達の目は信頼に値する。戦意が高く自信家で、攻略できる可能性が少しでもあるならそう言い切るリィズがけっこう無理めと言うのだから、【源神殿】とやらはちょっと見ただけでわかるくらいやばい宝物殿だったのだろう。
エリザが深々とため息をついて言う。
「解呪するためには奥まで行く必要はない。入り口近くでもルークを治せる。必要なのは世界樹の放つ力をセレンが受け取る事」
「ま、しょーがないか。ルークちゃんをのけ者にして神殿型宝物殿なんて攻略したら、ルークちゃん後で拗ねそうだし……」
「! うんうん、そうだね」
あぁ、入り口近くでも大丈夫なのか……良かったぁ。それならなんとでもなりそうだ。
リィズも納得しているようだし、後はタイミングだけか。案外何事もなくうまくいったりするかな?
ちゃっかりセレンに頼みユグドラの蔵書を閲覧する許可を貰ったシトリーが、書物に目を落としながら言う。
「ルークさんの石化が解けたら、次は宝物殿をどうにかしなくてはなりませんね…………神殿型は初めてですが、伝説が本当なら力が溜まる前でもその最奥には宝物殿の根源――眠れる神が存在しているはず…………それをどうにかできれば力は霧散し宝物殿も消えるはずです。普通の宝物殿ならば壊すのは困難でしたが、神殿型なのは不幸中の幸いですね」
「…………それって、簡単にどうにかできたりするの?」
「私の知る限り成功例はありません。眠れる神は不安定なエネルギーの固まりらしいです。覚醒前とは言え、神は神、迂闊に攻撃すると四方数百キロが灰燼に帰すとか。もっとも、僅かな犠牲で世界が守れるならやるべきなのかもしれませんが――そうだ! そう考えると、クライさんが成功一番乗りですね!」
その発想おかしくない?
と、そこで目を瞬かせる。
いや、待てよ……? 成功例がないならやるべきじゃないと言いたい所だが、四方数百キロを灰燼に帰す、か…………普通ならば恐れるべきだが、それってもしかして、結界指なら耐えられたりするのでは?
結界指ならばリィズ達の分までストックがあるし、少しだけだが希望が見えてきた気がする。
まぁ、ダメそうだったら後進に任せよう。
「クー……それで、いつ決行するか決めて欲しいと、セレンが」
いつ決行するか、か。彼女は立場ある精霊人だ。大きな儀式ではないらしいが、準備だってあるだろう。
まだルークが完全に石になるまでは少し時間がある。なるべくならば幻影がほとんどいない時に作戦を決行したい。
「……今日の幻影の数はどのくらいだった?」
恐る恐る確認する僕に、エリザはしばらく沈黙していたが、重々しい声で答えた。
「…………入り口付近に、これまで見たことがない異形の魔獣が三百体くらい。でも、宝物殿の内部からはまだ得体の知れない気配がした。正面から戦って解呪できる可能性は…………多分、五分より少し低い」
五分、か……半分も成功率があるのを喜ぶべきなのだろうか?
だが、僕は問題ないと思われていた依頼で尽くトラブルに遭遇する男である。
リィズが、シトリーが、ルシアが、ティノが、アンセムが、僕の答えを待っている。こういう時に決定をするのはリーダーの役割だ。
僕はちらりと部屋の片隅に安置されたルークの石像に視線を投げかけ、ハードボイルドな笑みを浮かべて言った。
「時を待つ。今じゃないな」
ルークには悪いが、異形の魔獣三百体なんて相手をしていられない。最高のタイミングが来るまでもうしばらく石のまま待っていて貰おう。




