327 ユグドラ③
リィズの余りにも乱暴な言葉に、セレンが目を大きく見開く。
怯えているわけでもなさそうだが、珍しい反応だった。もしかしたらユグドラから出ていないだけあって、彼女は余りハンターとの会話に慣れていないのかもしれない。
ていうか、リィズ…………君、宝物殿に行きたいだけでしょ?
最近高レベルの宝物殿に行っていないからなあ……というか、帝都周りの宝物殿は既にほとんど制覇してしまっているし、未知が大好きなリィズからすれば今回の事件とやらも渡りに船だったのかもしれない。
「…………わかっているのですか? 現在の世界樹の周辺は本当に危険なのです。マナ・マテリアルを源にしているのは外と同じですが、密度が違う。ユグドラは世界の中心、そこに顕現する魔物は既に魔物の域にありません」
「だからどうしたっていうの? 戦ってみないとわからないでしょ!? 強敵が怖くてハンターが務まるかよ! ねぇ、クライちゃん?」
リィズがこちらを向いて同意を求めてくる。
その薄ピンクの瞳は生命力に輝き、その顔は仄かに紅潮していた。これは苛立ち二割喜び八割ですねぇ。
…………一応、百歩譲って仮に戦う事になったとしても目的はあくまでルークの解呪だ。そこだけは忘れないで頂きたい。
胸ぐらを掴まれ凄まれた事などないのか、戸惑いを隠せていないセレン。そこで、腕を組み難しい顔をしていたラピスが鼻を鳴らして言った。
「ふん…………相変わらず、野蛮な。だが――力あるものには力を行使する義務がある、か。精霊人の誇りにも通ずるところがある。《千変万化》、良かろう。今回は貴様に従ってやる」
「あ…………はい……」
何も言っていないんだけど、僕。
だが、冷静に考えてみると、ルークを助ける一番確実な方法はこれかもしれない。なにも、その顕現した宝物殿とやらを攻略までする必要はないのだ。
セレンの言葉が本当ならば、ルークの解呪に必要なのは『場』である。
こっそり世界樹に近づき、幻影がいたら皆に相手をしてもらってその隙にさくっと解呪してもらえばいい。
そもそも、根本解決は不可能だ。さすがに宝物殿の顕現なんてどうしようもない。
僕だって宝物殿の発生に立ち会った事はあっても、消滅に立ち会った事はないのだ。宝物殿って焼き払えば消えるようなものでもないし……。
「ま、まぁ、ルークを解呪するのに世界樹の下に行く必要があるみたいだしね……」
仕方なく迎合する僕に、セレンが呆れ果てたように肩を竦める。
「………………どうやら、ニンゲンが自信家というのは真実みたいですね。あるいは命知らずとでも呼ぶべきか――」
まったくその通りだ。ハンターというのは命を軽視しすぎている。みみっくんの中で引きこもりたい。
「既にマナ・マテリアルは飽和を迎え、滅びの時が近づいています。マナ・マテリアルは世界樹近辺に留まらず森全体を侵し、私達の作った神樹廻道にすら影響している。産み落とされた妖魔の数は恐らく千や万では利きません。世界樹周辺は既に近づくことすらままならない、魔境です。ユグドラを共に築き守った精霊達もその大部分が変質してしまった――我々が行っていた戦の準備も何の役にも立たなかった。その事実を知って、それでも仲間のために挑むというのですね?」
完全に及び腰な僕に気づくことなく、セレンが真剣な声でこちらの意志を再確認してくる。
…………何その情報、後出しが過ぎる。やっぱり外で解呪の方法を探した方が早いんじゃ――でも、僕が止まったとしてもリィズ達は止まらないだろうなあ。
普段ならばルークが暴走しリィズが諌めるなども十分ありうるシーンなのだが、ルークがいないせいでリィズが暴走してしまっている。そして、リィズのストッパーは存在しない。
全力で穏便に断る方法を考えていると、そこでそれまで黙っていたシトリーが右手を上げた。
「一つ…………質問があるのですが……セレンさん」
「何でしょう?」
セレンがシトリーを見る。まるで人形のように整った顔。シトリーは朗らかに笑うと、両手をあわせて言った。
「マナ・マテリアルの性質は不変です。地面を奔る地脈にはマナ・マテリアルが流れ、力あるところに宝物殿や魔物――幻影が生まれる。これは昔から変わりません。それに、話を聞く限り――仲間を逃したり、戦の準備をしていたり、ユグドラの民は世界樹の抱える問題を、起こりうる未来を、正確に察知していたように思えます」
理路整然とした語り口。確かに、その通りだ。
僕は全く気づかなかったが、セレン達が仲間を逃したのはシェロの呪いが暴走する前――最低でも千年は経過しているだろう。
セレンは一瞬、虚をつかれたかのように目を見開いたが、すぐに観念したように頷いた。
「…………その通りです。我々は世界樹の辿る破滅の運命を知っていました。そして、それを阻止するべく動いていた。実際に、『延命』くらいにはなったはずです。ですが、力の増大は我々の想像を遥かに超えていた」
「………………なるほど。大変だったね」
「…………ヨワニンゲン、軽いな、です」
知っていたのにどうにもならなかったのか……まぁ、そういう事もあるよね。
軽くなるのも仕方ない事だろう。僕はこの事件の当事者ではないのだ。
少し冷たいだろうが、ユグドラが滅ぼうが、結局のところ帝都を拠点にしている僕には余り関係ない話だし、今回は偶然ルークの呪いを解きに来たから巻き込まれてしまったが、それがなければ世界樹の危機にも気づかず、帝都でのんびりしてたはずである。
世界樹の異常発生という単語は確かになんだかとてもヤバそうな臭いがぷんぷんするが、何がどう具体的にやばいのかも余りわかっていない。
僕がしょっちゅう緊張感がないだとか言われるのは、何もわかっていないからという事もある。
そんな僕に代わりいつも何かと察しがいいシトリーが楽しげに言う。
「私達は精霊人程寿命は長くありませんが、その分、歩んできた道を事細かに記録し、検証しています。私の知る限り、この星の文明は幾度となく破滅と再生を繰り返している。先代の文明については、顕現される宝物殿から予想するのみで、詳細は何もわかっていません。文明が滅びたその瞬間、何が起こったのかも――」
ごくりと、クリュスが息を飲み込む。皆がシトリーの話に引き込まれていた。
昔から図書館に引き篭もって本を読んでいたが、シトリーは本当に物知りだな。
そして、なんだか話の流れが随分怪しくなってきたようだが…………どうしてシトリーちゃん、そんなに嬉しそうなの?
「そして、クライさんも同じ考えだと思いますが――私はセレンさんの話からこう予想しているのです。ユグドラの民は、一度世界樹の終わりを――マナ・マテリアルが飽和した結果を見ているのではないか、と。いかがでしょうか?」
い、いや、僕は全然そんな事考えていなかったけど…………まったく、事あるごとに無理やり僕を持ち上げるんだから。
普段ならば即座に否定するところだが、今はセレンの答えが気になる。
セレンの方を確認すると、ちょうど目と目が合った。どこまでも透明で静かな薄緑の瞳は、まるで鏡のように。僕の間の抜けた顔を映し出している。
目が合っていたのは僅か数秒だった。セレンがそっと自然な仕草で視線を外す。僕はシトリーの推測が見当違いである事を祈っていたが、その反応が全てを物語っていた。
魔境と化しているらしい世界樹の方を見る。最初に見た時はその余りの大きさと絶え間なく落ち続ける葉の様子に神秘的な印象を受けたが、話を聞いた後だとおどろおどろしく感じるのだから不思議なものだ。
待つこと数十秒、セレンがようやく口を開く。
諦めの入り混じったその声は、散々危機感がないと言われた僕でさえ危機感を生じさせる程のものだった。
「その通りです。世界樹の崩壊はユグドラの問題だけではありません。世界樹は全ての地脈の源、そこに顕現するような存在は限られている。我々、ユグドラの民は、かつて世界樹に顕現した――そして、再び今顕現した宝物殿を、こう呼んでいます。世界の終わりの始まり。厄災を齎す神の生まれ落ちる場所――【源神殿】と。今すぐにではありませんが、このままでは遠くない将来、世界樹より生まれ落ちた神の影はこの世界の文明を滅ぼすでしょう」
これは……ただルークの呪いを解きに来ただけなのにとんでもない話になってきたな。呪い騒動といい、『大地の鍵』騒動といい、この世界は危険が多すぎる。
セレンの言葉の真偽はどうあれ、さすがに今回ばかりは無視を決めこむわけにもいかなそうだ。
何か手を打たねばならないが、さすがに僕には荷が重い。これはアーク案件だよ。
「その遠くない将来ってどれくらい先の話なの?」
対策を考えるにせよ戦力を集めるにせよ、時間が必要だ。世界が滅んでしまったらルークの石化を解くとか解かないとか言う話ではない。
恐る恐る確認する僕に、セレンは大きく深呼吸をすると、青ざめた表情で言った。
「遠くない将来です。伝えられた記録によると神の降臨にはプロセスがあります。場は出現しました、マナ・マテリアルが蓄積すればすぐにでも出現するでしょう。ユグドラの試算では二百年弱――いや、もしかしたら百年もあれば、溜まるかもしれません!! 最悪を考え行動するべきです!」
「!? ………………う、うんうん、そうだね」
百年…………かぁ。そういえば君たち、長寿だったね。
この世界が後百年で終わると言われるとやばいように思えるが、さすがに百年も生きていないよ。マナ・マテリアルの力でリィズ達は生きているかもしれないが、僕は絶対に無理。
不幸中の幸いなのかは知らないが、少しだけ落ち着いてきた。ぱんぱんと手を払って、ぐるりと回りを確認する。
「…………とりあえず、今は焦っても仕方ない。僕には当てがある。たった百年とはいえ時間はあるんだし、今はルークの解呪から考えよう」
帝都に戻ったらアークに押し付け――伝えよっと。




