326 ユグドラ②
世界樹。それはこの世界の力を司る神樹。
その樹はこの星の地面を奔る地脈の中心であり、世界中を巡るマナ・マテリアルの循環を助けているらしい。
地脈の中心という事は、世界で最もマナ・マテリアルが溜まる地だという事だ。マナ・マテリアルには力を求める強力な幻獣魔獣がこぞって集まってくる。
太古の精霊人はその樹を悪用しようとする者の手から守るため、世界樹の周辺に国を築き、その優れた魔法技術を使い侵入者を拒絶した。それが、現在のユグドラの前身であり、それ以来、セレン達精霊人は世界樹の守り人としての役割を担ってきたという。
ユグドラの中心に存在する庭園。きらきらとした湧き水が流れる美しい広場で、そびえ立つ世界樹を見上げながら、セレンが――ユグドラの精霊人達の女王、セレン・ユグドラ・フレステルが話を続ける。
「マナ・マテリアルの力は単純な生命の強化ではありません。人間や動植物は多量のマナ・マテリアルを吸収するとどうしても変質してしまいます。私達『精霊人』はマナ・マテリアルの吸収力が種族的に低めなので、マナ・マテリアルの影響力を受けにくいのです。故に、誰よりも世界樹に近づく事ができた。まぁ、マナ・マテリアルによる影響はゼロではありませんが」
「なるほどな…………その静謐な魔力は長年マナ・マテリアルを浴び続けた結果か」
ラピスがどこか無愛想に言う。どうやら、彼女たちが無礼なのは人間に対してだけではないようだ。
同類からの冷ややかな言葉に、セレンは眉を顰めた。
「これは、ただの資質です。精霊人の中でも、特にマナ・マテリアル吸収能力の資質の低い者が守護者に選ばれた。吸収能力が低く、魔術的資質が高い者が――もっとも、どうやらそこのニンゲンには、この私の力が不足しているように見えたようですが――」
ちらりとこちらに視線を向けるセレン。そんな事言ってないよ…………だって普通に考えたら、精霊に呑み込まれていたのが目的の術者だなんて思わない。
ミュリーナ皇女殿下といい、どうしてこの世界の皇族は城でじっとしていないのだろうか?
視線を逸らし、セレンの視線に気づかないふりをしていると、セレンが再びラピスに視線を戻して言う。
「まぁ、いいでしょう。ラピス・フルゴル。どうやら貴女には私に言いたいことがあるようですね」
「ふん。ならば、いい機会だ。ずっと気になっていた事を確認させて貰おう。…………世界樹への信仰を伝えつつも、同胞の大半をユグドラから締め出し、立ち入りを制限した理由はあるのか?」
同胞の大半を締め出した……?
その声は静かだが、確かに力が込められていた。やけに呪石を気にしているなと思っていたが、なるほど彼女達精霊人の間にも色々あるようだ。
いつもどおりぼーっとしているエリザの前で、ラピスが続ける。
「ユグドラに引きこもっていた貴様らは知らないかもしれないが、長らく我々は虐げられる立場にあった。聞いた話では、シェロの森が焼かれ同胞が何百人と虐殺されたその時も、沈黙を保っていたそうだな?」
「…………ラピス・フルゴル、古い時代の話です。私はまだ生まれていませんでしたが――それが辛い選択になる事を、先祖は理解していました。外に出る側も、中に残る側も――それでも、我々は分かれる必要があった」
「………………」
黙り込むラピスに、セレンが凛とした表情で続ける。
声に込められた強い意志。そこには確かに皇女に相応しいカリスマがあった。
「許せとは言いません。ですが、理解はして欲しい。見捨てたわけではありません。シェロ・イーリス・フレステルは――いや、各地の森に散っていった女王達は皆………………私の血族です。そして、かつてのユグドラの女王が大多数の精霊人を外に逃す事にしたのは――種を絶やさぬため。外に危険が多い事は理解していましたが、それでも『中』に残されるよりは安全なはずだったから――」
敵対種族が大勢いる外の世界よりも危険とは、どういう事だろうか?
ラピスにとっても初耳の話だったのか、口を挟む様子はない。真偽を見定めているかのように険しい表情でじっとセレンを見つめている。
「誇り高き精霊人の皇族だったシェロの先祖は、外で同胞を守る事を選び、私の先祖と袂を分かつ事になった。それでも、見捨てたわけではありません。ユグドラの民と、貴女達は今も繋がっている。だから、滅多に使われる事はないけれど、接触の手段を残した。エリザ・ベック――」
そこで、セレンの視線が突っ立っていたエリザに向く。
ずっと探していたものをユグドラまで持ってきたというのに、相変わらずエリザはマイペースだ。突然名前を呼ばれても眉一つ動かさない。
呪物を見つけた時にはさすがの彼女も少しばかり興奮していたように見えたが、オンとオフの差が激しすぎる。
というか君、なんで偉い人を前にオフになってるの?
「此度の働き、大義でした。私にはわかります。放浪する精霊人――貴女は――シェロの治めていた森の者の末裔ですね?」
「…………」
エリザが眠そうな目つきでセレンを見て、こっくりと頷く。
こういう時くらいちゃんとしなさい。まさか快適になってるんじゃないだろうな?
「シェロが振りまいた無差別の呪いは決して許される事ではありません。しかし、そこには十分同情の余地はある。彼女だけではない、ユグドラの民や、ニンゲン側の責任も。ともあれ、我々の出した命令はここに完遂しました。長きに亘り行方不明になっていた彼女がこのタイミングで戻ってきた事に、運命を感じます」
感慨深げにため息を漏らすセレン。なんで呪石を探しているのかと思えば、ユグドラからの命令だったらしい。
しかしエリザが探していたものが見つかったのはよかったが、ルークの石化はどうしたものか。
シェロが大人しくなったんだから呪いも一緒に解けてくれればいいのに、気が利かない呪いだ。
「そして、ニンゲン――いや、クライ・アンドリヒ」
そこで、セレンがじっとこちらを見つめ、歌うように言う。
「大まかな話は聞きました。呪石を見つけエリザの元まで持ってきた、と。貴方にも、ユグドラの民を代表して感謝を」
「え? いや…………別に、僕は何もしていないけど」
エリザやクリュス達もそうだが、どうして精霊人というのは誰も彼も宝石のように美しい目をしているのだろうか? そう見つめられるとなんだか非常に落ち着かない。
そして、エリザはどういう説明をセレンにしたのだろうか? どう考えてもあの騒動は呪石を見つけエリザの元まで持ってきたなどという単純な話ではない。
とりあえずハードボイルドな笑みを浮かべ誤魔化していると、セレンは小さく咳払いをして、どこか言いづらそうに言った。
「本来ならば、シェロを助けてくれた新たなる同胞に、ユグドラをあげて礼をするところですが――道中も軽く話しましたが、今ユグドラは危機に直面しています。私達には貴方に渡せるものが何もありません」
「………………あ、そう……」
思わずそっけない声が出た。呪石を手に入れたのは偶然だしお礼を求めてやってきたわけでもないが、目的を達せないのはただただ困る。
ルークが後どれくらいで完全な石像になってしまうのかもわからないのだ。セレンで呪いを解けないのならば、他の解決手段を探す必要があった。
たとえばだけど、光霊教会の総本山に行ってみるのはどうだろうか? アンセムの治癒魔法は強いが、彼が解呪の使い手の中でトップというわけでもない。何か分かる可能性はゼロではないだろう。
あるいは、表面を剥いだりしたら治ったりしないかな……。
眉を顰め首を傾げていると、セレンの表情が曇り、
「………………本当に、本当に、感謝しています。望むのならば、このユグドラにあるものを持っていっても構いません」
「あ、いや、そういうつもりじゃ――」
ただでさえ精霊人は同族意識が強いらしいのに、その女王に頭を下げさせたとなれば、《星の聖雷》との関係が全て台無しになりかねない。
と、慌てて口を開きかけたその時、不意に轟音が空気を揺らした。
セレンがびくりと身を硬くする。音の源は――リィズだった。
顔に張り付いた苛立たしげな表情に、地面に突き刺さった、宝具に包まれたつま先。
どうやら地面を思い切り蹴りつけたらしい、今まで大人しく話を聞いていたはずなのに、どうしちゃったのかな?
驚いたのはセレンだけではない。急に大きな音を出されたせいで心臓がばくばくいっている。
リィズは目を大きく見開いたまま硬直するセレンの前に立つと、舌打ちをして言った。
「話が長いッ! うだうだ関係ない事ばっかり言って、あんた、精霊人の女王のくせにクライちゃんの欲しいものもわからないのおッ? クライちゃん、不機嫌になってるでしょ!?」
……なってないよ。別に不機嫌になってないよ! それに、欲しい物なんてない。解呪できないという話は既に聞いた。できないものをやれと言っても土台無理な話だ。
もしかしたら、リィズには他に欲しい物があるのかもしれないが、今のユグドラに要求するのはさすがに酷というものだろう。
「いや、リィズ、ちょっと待って――」
さすがに止めに入るが、既にリィズは僕の言葉を聞いていなかった。
思い切りの良さは彼女の長所でもあり、短所でもある。
僕を完膚無きまでにスルーし、リィズがセレンに近づき、その胸ぐらを掴み上げる。
そして、ぎらぎら光る目で至近距離からセレンを睨みつけ、ドスの利いた声でリィズが言った。
「御託なんざどうでもいい。こっちは忙しいんだから、クライちゃんは、さっさと、その世界樹に顕現してしまったやばい宝物殿とやらに案内しろって、言ってんだよ!」
…………言ってないよ。




