322 神樹廻道③
思わず目を瞬かせ、周囲の顔を確認する。
エリザの困惑の表情に、こんな状況でもにこにこしているシトリー。そして――《星の聖雷》メンバーの冷ややかな視線。
ぶるりと身を震わせる。場の空気を読むのが苦手で度々怒られている僕でも、場の空気が冷え切っている事がよくわかった。
これは……また誤解されてるな? 慌てて弁明を行う。
「い、いや、別に何もしてないけど……」
むしろ何をしたのか、果たして何が起こっているのか聞きたいのはこちらの方だ。
僕には何かをするつもりもなければ、何のスキルも持っていない。
確かにタイミングは悪いが、どうして僕が何かをしたと思ったのか……って、ああ。
ぽんと手を打ち、ごつごつした門をすりすり撫でる。ティノがびくりと怯えたように一歩後ろに下がる。
こんなの特に何の意味もない行動だよ――と、そこでラピスの後ろに控えていた《星の聖雷》のメンバーの一人がぼそりと言った。
「…………ふざけるのもいい加減にしろ、人間」
「…………おい」
ラピスが険しい表情で後ろの仲間を振り返る。だが、その鋭い視線を受けても仲間の表情は変わらない。
これまではリーダーであるラピスの意見は聞き入れていたのだが、どうやら限度を越えたらしい。
「いや、リーダー。今回ばかりは言わせて貰う。ラピス、お前は平気なのか? 確かに呪石の入手は偉業だが、それを見せびらかし、あまつさえ我々が大人しく言うことを聞いているのをいい事にからかうなど、誇り高き精霊人として許せることではない」
え? お、大人しく言うことを聞いて――え? いつ? なんかずっと睨まれていた気がするんだけど?
視線と視線がぶつかり合い、ラピスが小さくため息をつき、横に一歩ずれる。そして、《星の聖雷》のメンバーが前に出た。
僕よりも少しだけ高い。すらっとした長身。降り注ぐ視線は冷たく鋭かったが、その容貌はそれが気にならなくなるくらい美しい。
さすが《始まりの足跡》で一番の美女集団と噂になるだけの事はある。もちろん実力があるのは前提だが、彼女たちを引き入れた理由の半分くらいは客寄せなのであった(提案してきたのはシトリー)。
その眼差しからは僕の事を余りよく思っていない事は明らかだったが、それでも他の精霊人と比べるとだいぶマシだ。
精霊人の中には人間を何の意味もなく常に罵倒し続ける者もいれば、表面上はにこやかに接しながらも裏から手を回しこちらに危害を加えようとする者もいる。裏表なく正面から向かってくるだけで《星の聖雷》のメンバーは十分付き合い易い。もともと、ラピスとクリュス以外のメンバーがほとんどクランハウスにやってこなかったのはむやみにトラブルを起こさないようにらしいし……。
問題は絶賛機嫌急下降中のリィズ達だった。まだ手を出してはいないが、それは《星の聖雷》が一応クランメンバーであるが故。
だが、その忍耐も長くは持たないだろう。昔はもっと気が短かったので成長はしているのだが、限度がある。
そして、《星の聖雷》の方もリィズ達がいるからと止まるような性格ではない。さて、どうしたものだろうか……。
考えている間に、正面に立ったメンバーの一人がその唇を開きかける。どんな罵詈雑言が飛び出すのかと覚悟したその時、エリザが割って入ってきた。
僕を守るように前に立ち、いつも通り、聞いていると眠くなりそうになる声で言う。
「待って…………クーのせいだと、決めつけるのは良くない」
「! エリザの言う通りだ、です。冷静になれ、です。いくらなんでも人間が精霊人の術式に干渉できるわけがないだろ、です」
すかさずクリュスが大声を上げてその意見に追従する。仲良くなっておいて本当によかった。
仲間からの反論に、その目が大きく見開かれる。リーダーのラピスから指摘されるのは慣れていても、一番年下のクリュスやエリザから意見されるのは慣れていないのだろう。
視線から険が取れたわけではないが、ひとまずすぐに《嘆きの亡霊》VS《星の聖雷》が始まる心配はないようだ。
しばらくの沈黙の後、金髪の精霊人は目を窄めると、僕をちらりと見て言った。
「………………わかった。そこの《千変万化》を信じたわけではないが…………《放浪》は今の状況に納得のいく説明ができると言うのならば、な」
「………………偶然である可能性もある」
どこか言いづらそうなエリザに、後ろに立っていたメンバーの一人、一番背の低い精霊人の娘が侮蔑するような笑みを浮かべて言った。
「面白い事を……精霊人の皇族の秘術だぞ? ましてや今回は正式に招待を受けている。発動から一度も問題がなかったその術式に、偶然問題が発生している、と? はん、そんな馬鹿な話があるものか。もしもそんな事があるようなら、《星の聖雷》一同、疑いをかけた事を頭を下げて謝罪し、一度だけそこの男の命令に従ってやろうではないか。なんでも、だ!」
精霊人って迂闊な事を言わないと気がすまないのかな?
突然意味のわからない賭けを始める娘と、それに同意するメンバー達。唯一、クリュスだけが愕然としている。
ラピスはため息をつくと、仕方ないと言わんばかりに言った。
「…………面白い事を言う。《千変万化》、この勝負、私が見届けよう。《星の聖雷》のリーダーとしてではない、あくまで中立の立場としてな。精霊人は嘘をつかん。この問題の主因が貴様になければ、精霊人の誇りにかけて、《星の聖雷》のメンバー達に言葉の責任を取らせよう」
「今しれっとラピス、自分の事を対象外にしたな、です! 私もはずせ、です!」
有無を言わさず宣言するラピスに、食って掛かるクリュス。こういったシチュエーションでのラピスの回避能力はかなりのものだ。少しだけ羨ましい。
ところで、もしも万が一今回の事件の原因が僕のせいだった場合、一体僕は何をさせられるのだろうか?
ラピスとクリュスの様子に他の《星の聖雷》のメンバー達は面食らっていたが、すぐに気を取り直したように僕に指を突きつけてきた。
「その代わり我々が正しい事がわかったら――「《星の聖雷》の皆様の要望はわかりました。それでは、クライさんが何もやっていない事を証明しましょう!」!?」
シトリーがぱんと手を打ち、その言葉を止める。相手に何も言わせないつもりだ。さすが海千山千の錬金術師の中で生き残ってきただけの事はある。
少し不公平な気もするが、本当に僕のせいではないのだから、この際そのあたりは気にしない事にしよう。
意図を察したのか、ルシアが深々とため息をついて話に入る。
「しかし、どうやって証明するつもり? シト。何もやっていない事を証明なんて…………」
「簡単です。クライさんが原因じゃないならクライさん抜きでも同じ事が起こり得るという事――エリザさん、もう一度安全な門を探してください。クライさんが来なくても問題が起こったら、それはクライさんのせいじゃないという事です!」
ルシアの疑問に、シトリーはくるりとその場にいる面々を確認すると、自信満々に言った。
§
いや、まあこういう状況になるのは薄々わかっていたよ。
「ようやく……わかりました。どうやら、内部の時空間が不安定になっているようです。そのため、エリザさんがチェックした時点で安全でもすぐに危険な道に切り替わる、と。おそらく、もともとそういう術式なのでしょう。導はその常時切り替わる迷宮を通り抜けるためのアイテムで――それぞれの門に大きな意味はないと推測されます」
静かな声でルシアが説明をしている。《嘆きの亡霊》の盗賊はリィズだが、魔術的な仕組みを解明し伝えるのは常日頃からルシアの仕事だ。特に高レベル認定宝物殿だとそういった罠も少なくないので、自然とその手の技能にも長けてくる。
『神樹廻道』はどうやらリィズ向けというよりはルシア向けの場所だったようだ。
ルシアの言葉を聞いていた《星の聖雷》はうんうん頷き、そして低い声を出した。
「なるほどな……つまり、ルシア・ロジェ。貴女はこういうわけだ。《千変万化》が――貴女の兄が近づくと《放浪》がNGを出すのはただの偶然だ、と」
「ここまで大規模な時空を操る術式に介入するのは人間業ではありません。精霊人の皇族の力は貴女達が一番知っているはずです!」
頬を紅潮させ叫ぶルシア。と、そこで、一つの門の前に立ち止まったエリザが疲れたようにもう何度目になるかわからない言葉を出した。
「次は………………ここ」
「…………《千変万化》、そろそろ私も貴様の負けだと認めざるを得ない。あくまで、中立の立場からの判断だ。事故と言うには余りにも出来すぎている」
「ヨワニンゲン、ふざけるのはいい加減にしろ、です! せめてヨワニンゲンが近づいても何も起こらなければ、交渉材料くらいにはなるんだぞ、です!」
クリュスの必死の言葉を、仲間たちは鼻で笑った。
「無駄なあがきを、クリュス。《千変万化》がそういう引くべき時に引ける男ではないという事は、お前が我々に教えたんだ」
一体クリュスは仲間に僕の事を話す時なんと言ったのだろうか?
もはや既に、誰も今回の事件が僕の仕業ではないと信じていなかった。もっとも、安易に彼女達を責めることはできないだろう。僕が彼女達の立場だったとしても同じことを思ったはずだ。
僕の無実の証明を始めて既に一時間近く。エリザが選んだ門は僕が近づくと尽く危険な門に変わっていた。
逆に言うのならば、僕が近づくまで安全なままだった。もはや言い訳のしようもない、完全な嫌がらせである。
既に《星の聖雷》のメンバーは勝ち誇るを通り越して、蔑みの目で僕を見ていた。
本当に僕は何もしていないのだが、一体何の力が働けばこんな状況になるのか、さっぱりわからない。
「…………まぁ、クライちゃん、引き強いからねえ……なにかと……」
「ますたぁ……」
「ごめんなさい、クライさん。まさかこんな事になるなんて――」
「うーむ…………」
さすがのアンセムも困り顔だ。いつも事あるごとに困らせてしまって本当に申し訳ない。
だが、賭けの結果はともかくとして、ここで足止めを食らうのは問題だ。こちらはルークが石になっているのだ。エリザ曰く、なるべく早く解呪しなければ面倒な事になるらしいし、なんとかしてこの目の前の道がダメな道に変わり続ける迷路を突破しなくてはならない。
そう………………例えば、僕だけここに置いていって先に進むとかどうだろうか?
どうやら神樹廻道は僕が近づくだけで道を危険にする程、僕の事を嫌いなようだが、逆に言えば、僕が近づくまでエリザがNGを出すことはなかった。
逆転の発想である。待機中はみみっくんの中にいればある程度安全だろうし、僕も何が何でもユグドラに行きたいというわけではない。
忘れてはならない。あくまで今回の旅の目的はルークの治療なのだ。
もう疲れた。ベッドに入ってゆっくり眠りたいよ、僕は。
てか、冷静に考えるとNG出しているの、この魔法の迷宮を生み出したユグドラの精霊人では?
何しろ人間嫌いの精霊人の皇族である。自分で生み出した術式くらい自在に操れるだろうし、嫌がらせをしてきてもおかしくはない。
また、そこまでいかなくても、僕の力を試している可能性もある。認定レベルは僕の実力をある程度保証しているが、所詮は人の作った尺度なのだ。
「仕方ない。これで最後にしよう。時間の無駄だ」
「……わかった。クー、こちらへ」
まあ僕の想像が正しいにせよ正しくないにせよ、できる事はなにもない。
覚悟を決め、エリザが指差した門の方に歩みを進める。と、そこで僕は先程から気になっていたものに視線を向けた。
この広場には似たような門が幾つも並んでいるが、ただ一つだけ、異彩を放っている門があった。
といっても、色や形が違ったり、光ったりしているわけではない。
眠そうな顔をしたエリザに尋ねる。
「ねぇ、エリザ。あの崩れている門、何だと思う?」
「…………わからない。でも、あの道は一番危険。近づいてはダメ」
なるほど…………どうせどの門でも結果が同じなら崩れている門を選びたいと思ったのだが、彼女がそういうのならばやめておいた方が無難なんだろうな――――。
肩を竦め、門に近づく。
エリザは何も言わず、僕の一挙手一投足をじっと観察していた。
ティノが、リィズが、シトリーが、説明を止めたルシアが、固唾を飲んでこちらを見ている。
門まで後、五十センチ――これまでも、ここまでは大丈夫なのだ。
ルシアといっしょに僕の様子を見ていた《星の聖雷》のメンバー達が叫ぶ。
「わかっているだろうな?」
「兄さん、原理はわかりました! 時空の歪み、捕捉できます! 任せてください!」
ああ、わかってるよ。触ればいいんだろ? ここまでエリザがNGを出し始めるパターンは二つ。僕が門に触れるか、近づき潜ろうとしたその時だ。
しかし、ルシアは時空の歪みとやらを捕捉した後、それをどうするつもりなのだろうか……なんとかしてくれるの?
ご要望にお応えして、ごつごつした門をなぞるように触る。もちろん、特に何かをしているわけでもない。
だが、後ろでは切羽詰まったようなルシアの叫び声があがっていた。
「空間が……ッ、兄さん、空間が歪んでいますッ! 何をしてるんですか!?」
「…………」
マジで? …………何もしてないよ。そもそも、この術式に干渉するなんて人間業じゃないってさっき自分で言ったじゃないか。
まだエリザは何も言っていないが、この調子じゃ駄目だろうな……と、諦め半分ですぐ後ろに立っていたエリザを見て、僕は目を丸くした。
エリザは、目を見開き、門の先を凝視していた。大きく見開かれた真紅の瞳は瞬き一つすることなく、人形のように微動だにしない。
それは、これまでとは明らかに違う反応だった。その目の前で手をふるふる振ると、エリザの目がようやく僕を見る。
「…………来る」
足音などの前兆があったわけではない。強いて言うのならばそれは、空気の変化だった。
思わず一歩後ろに下がる。
未知なる宝物殿を探索するハンターはその手の直感が鍛えられる。
僕に盗賊としての才能はないが、その空気の変化は僕でも瞬時に理解できるくらい明らかだった。
おそらく、エリザが誰よりも早くそれを察知したのは彼女がこの中で最もその手のスキルに長けていたからだろう。
空気がぴりぴりと張り詰めていた。先程まで蔑んだような目で僕の動作を見ていた《星の聖雷》のメンバー達が愕然とした様子で叫ぶ。
「この力の流れは――ッ!? に、人間、何をした……!?」
「……………………見ていれば、わかるよ」
僕に聞かれたってわかるわけがない。そもそも僕は何もしていないんだし……。
道の向こう。木々が生い茂る道の向こうに不意に巨大な影が落ちる。
そして――それは、ゆっくりと現れた。
それは、半透明の巨大な球体だった。差し込む光を受けキラキラと輝いたその身体は地面に触れておらず、まるで揺蕩うかのように宙に浮いており、とても生き物のようには見えないが、上部には輝く大きな真紅の目と口がついている。
それは、これまで《嘆きの亡霊》の一員として様々な宝物殿を訪れた僕でも見たことのない生き物だった。
音もなくゆっくりこちらに近づいてくるその姿に、思わず唇から言葉が溢れる。
「…………スライム…………?」
「馬鹿、あれがスライムなわけないだろ、です! あれは――神霊や精霊に連なるものだ、です!」
クリュスが杖を構え、冷や汗を流しながら怒鳴りつけてくる。
いや、僕だってきっとスライムじゃないとは思っていたさ。でもシトリースライムの例だってあるし――。
これまでいつだって優雅に中立の立場を保っていたラピスが、険しい顔でソレの目を睨みつける。
「ふん…………精霊とはこの世を構成する力そのもの――意志持つ根源だ。まさかこの格の精霊を放し飼いにするとは――しかも、あれからは本来有るべき『意志』が感じられない」
あれが…………精霊?
精霊なら、知っている。ルシアだって瓶詰めにして使役しているし、他にも操っている魔導師を見たことはあるが、今目の前に迫りつつあるものはそのどれとも違っていた。
「それってもしかして、まずい?」
「はっきりいって、人に使役できるようなレベルじゃない。交戦を選ぶのは余り賢いとは言えんな」
いついかなる時でも自信たっぷりだったはずのラピスが断言する。
「あのクラスの精霊には意識があり交渉の余地がある。本来ならば、な。あれからはもう知性が感じられん。堕ちた神のようなものだ」
「人間、どうするつもりだ!? あれは、みだりに利用していいものではないッ」
ラピスの言葉に、囁くような声で文句を言ってくるメンバー達。
そんな事言われても…………と、そこで僕は気づいた。
巨大な球体の端っこで、人がゆらゆら揺れていた。
耳の形から察するに、精霊人の女性だ。若草色のローブがゆらゆらと揺らめいていた。
生きているのか死んでいるのかはわからないが、恐ろしい精霊の体内にいるのだから余り好ましい状態ではないだろう。
《星の聖雷》の一人がその姿に気づき、目を見開く。
「なんだあれは? 精霊に、誰かが、取り込まれて……いる……? まさかあれは――いや、だが、これは……一体、何が起こっている?」
なんとかしなくては……だが、相手は精霊だ。
どうしていいのかわからず、そろそろと後ろに下がり、頼りになる妹の名を呼ぶ。
「ルシア」
ルシアはすぐに反応した。隣に立つと、ゆっくりと近づいてくる精霊を睨みつける。
横目に見るその表情からは血の気が引いていた。魔導師である彼女には目の前の存在がどれほどの力を持つのか理解できている事だろう。
だが、いつだって《嘆きの亡霊》は苦境を乗り越えてきた。どうやら戦闘で相手をするには危険な相手のようだが、それ以外にも、今のルシアには学院で培った知識だってある。
きっとラピス達では思いつかない方法でこの状況をなんとかしてくれるはずだ。
ありったけの期待を込めてもう一度ルシアの名を呼ぶ。
「ルシア」
「わ、わかってますよッ!」
ルシアは震える声で、しかし高らかに答えると、杖を突きつけて呪文を唱えた。
「『ヘイルストーム』!!」
…………そうじゃない!




