315 疫病神
「お、お前…………ふ、ふざけるな、です」
今回ばかりは平謝りするしかない。
走り出した馬車の中、目の端に涙を溜め、ぷるぷる震えているクリュスに頭を下げる。
「ごめんごめん……変なタイミングで外から声かけられたからさ……すぐに出してあげるつもりだったんだけど……」
「ふ、普通忘れるか、です! いい加減にしろ! です。だ、大体、私をあの中に入れる意味あったのか、です! ん? 何の策なのか、言ってみろ、です!」
「いや、せっかく手に入れたんだし、少し宝具を自慢しようかと……」
「ますたぁ……」
一度食べられた経験のあるティノが乾いた声で呟く。
いや、本当に、すぐに出すつもりだったんだよ……ラピス達との話し合いが長引いたのが全ての元凶だ。
…………今気づいてよかった。
「一生あのままかと思った、です。暗闇の中に突然放り出されるのがどれほど怖いか――」
「……もしかして、泣いた?」
「な、泣くわけないだろ、です! 食べ物もちゃんとあったし……」
食べ物はあったのか……。
だが、クリュスは明らかに元気がなかった。二日も閉じ込められたので当然だろう。
みみっくんの中にはふかふかのベッドもあるし、探索すれば他にも色々見つかりそうだが、脱出できるかどうかわからないという精神的な負担が大きいのだろう。
服装も少し乱れているし、目の下にも隈が張り付いている。何十年もみみっくんの中にいた神官さん達に合掌だ。
「兄さん、ほら、しっかり謝ってくださいッ!」
「まぁまぁ、油断した自分も悪いでしょ? ほら、お酒あげるから――」
リィズがクリュスの肩をぽんぽん叩きながら酒瓶を押しつけている。いつも大体僕を全肯定するリィズちゃんが僕の援護ではなくクリュスの慰めにまわっているあたり、どれほど酷い事をしてしまったのか覗える。
今は別の馬車でついてきているラピス達も凍てつくような眼差しをしていた。これからユグドラに行くというタイミングでなかったらクランを脱退していたかもしれない。
「クランマスター失格の不祥事だな」
「……やめんなよ、です」
「………………まだ何も言ってないのに」
「あれだけクランマスター投票の度に大騒ぎしていたらわかるぞ、ですッ!」
《始まりの足跡》のクランマスターは固定ではなく、定期的に投票で決定される。これは、クランを立てたときに決めた他のクランには見られない制度だ。
今のところクランマスターが交替になった事はないのだが――閑話休題。
馬車の後ろに積んでいたみみっくんからナッツの袋を取り出し、クリュスに渡す。
「申し訳ない。ほら、お詫びにナッツあげるから…………」
「…………そのナッツ、何だ、です?」
「え? 以前、皇帝陛下の護衛していた時にもあげたアミュズナッツだけど」
「…………ヨワニンゲン、お前いつもそれ持ち歩いてるのか、です」
これもまた、みみっくんの力だ。
今回みみっくんには僕が考えるあらゆるアイテムを詰め込んだ。シトリーから頼まれた品以外にも、宝具から衣類、おやつに至るまで。恐らく、今回の旅でみみっくんの有用性が証明される事だろう。
思い返せば、ここまで沢山の宝具を持ち歩くのは初めてだ。宝具は替えが利かない能力を持っている物も少なくないので、今回こそは僕も役に立てるかもしれない。宝具をコレクションするのは楽しいが、実践で役に立つ瞬間の喜びに勝るものはない。
万感の思いでため息をつく。
「ふぅ……ようやく僕のコレクションが役に立つ時が来たか…………」
「……兄さんのコレクション、ろくでもないものばかりでしょ! いつもいつも変な宝具ばかり買い漁って……」
身も蓋もない事言わないで欲しい。確かに役に立ったことはほとんどないが、シトリーやリィズにあげた宝具も一応僕のコレクションだから……。
「まぁまぁ、道具に罪はないよ」
「……それ、ヨワニンゲンに罪があるって事じゃないのか、です」
どうやら見解の相違があるようだな。悪いのは僕ではなく、僕に集まってくるトラブルだよ。まったく、皆変な事件ばかり起こすんだから、毎回巻き込まれる身としては堪ったものではない。
とりあえずハードボイルドな笑みを浮かべクリュスの視線を受け流していると、御者をやっていたシトリーが声をあげた。
「クライさん、賊みたいです! どうしましょう?」
「賊!? こんな人里に近い場所に賊なんて出るわけないだろ、です! いい加減にしろ、ですッ!」
クリュスが至極もっともな事を言っているが、ルシアやリィズは平然としていた。とりあえず賊や魔物は旅をする上での基本セットみたいなものだ。皇帝陛下の護衛でも散々出てきたじゃん。
リィズが欠伸をしながらシトリーに聞く。
「新顔?」
「新顔みたい。少なくともこの辺りを根城にしている連中はいないはずだから――」
まったく、悪人という奴はどこにでもいるんだから……。
クリュスが渋い表情でこちらを見ている。僕はやれやれと肩を竦めると、ため息をついて言った。
「残念ながら僕の出る場面ではないようだな。ルシア、リィズ、エリザ、クリュス、やってしまいなさい」
あいにく、僕のコレクションの中に賊や魔物を倒せるような宝具は存在していない
こういう事があるから護衛は欠かせないのだ。
「りょーかい! 行くぞ、ティー!」
「もお! まだ帝都を出たばかりなのに!」
「なんでヨワニンゲン、そんな偉そうなんだ、です!」
クリュスが悲鳴のような声をあげながら、馬車から飛び出したリィズとルシアに続く。
今回は後ろから《星の聖雷》もついてきているし、楽勝だな。槍でも鉄砲でも持ってこい。
§ § §
森の奥。そこは、空からはぱらぱらと葉が舞い落ちる不思議な空間だった。
生い茂る木々は陽光に照らされきらきらと輝いている。こんこんと地面から湧きだす濁りのない水は小さな泉を作り、地面をゆっくりと流れていた。
名画に描かれる一シーンのような空間に、二つの人影があった。
ほっそりとした長身に、若葉色のゆったりとしたローブ。この上なく整った眉目に、美しい流線を描く顎のライン。透明感のある瞳はこの世の者とは思えない繊細な美を讃えていて、不思議とその姿は風景と調和している。
知識の浅い者でも、その美貌を見れば二人が精霊人と呼ばれる存在であるとすぐに理解できただろう。
精霊人。自然そのものである精霊よりも人に近く、純粋な生物である人間よりも少しだけ精霊に近い中間存在。
その美貌と力で知られ、技術進歩と共に世界が人工の光で満たされた今もほとんど表に出てこない神秘的な民の中でも特に尊い存在である『精霊姫』は、久しぶりに外から齎されたその情報に、囁くような声をあげた。
「シェロが見つかりましたか……」
「放浪の民の一人がニンゲンの助けを借りて発見・鎮魂した、と。手紙にシェロの呪力が染みついている、間違いない」
物憂げな表情を浮かべる精霊姫に、報告をあげた男性の精霊人が真剣な表情で言う。
この世界で最も知られる精霊人の女王。文明により精霊人を虐げようとした人間を呪い撃退し、その力を知らしめた立役者。人間の間で恐れられるその精霊人は、精霊人の間では英雄であると同時に、禁忌の存在でもあった。
長らく見つからなかったその力が染みついた呪物は、人に対して一定の地位を得た今、回収しなくてはならないものだった。
精霊人の中でも高位の存在だったシェロが、治める森を滅ぼされた怨嗟で放った呪いはとても人間の手に負えるものではない。
放浪の民――人の間で砂漠精霊人などと呼ばれる者達は、元シェロの森で生活していた精霊人が転化したものだ。本来、森の魔力を吸収して成長する精霊人が、何世代も各地を回る上で性質が変化した。放浪の民から連絡が来たという事は、責任を果たした事を意味している。
「『ここ』に直接返還に訪れたい、と。使命を与えたのはユグドラだ、道理は相手にある」
さらさらと流れるせせらぎの中、沈黙が訪れる。
やがて、精霊姫が眉を顰めて言った。
「それは………………困りましたね。ユグドラは今、外部の者を受け入れる余裕はありません」
「困ったな。まさかこのタイミングでシェロが見つかるとは…………いや、今のタイミングで良かったと言うべきか。もう少し後だったら、受け入れる余裕などなかった」
「そうですね…………拒否するわけにもいきません。シェロも我々の同胞ですから」
ため息をつくと、精霊の姫が軽く顔をあげ、天を仰ぐ。
そこには――天を突く巨大な樹が聳えていた。
その幹は、枝葉は雲をつき、その全長は窺い知れない。
地脈からマナ・マテリアルを吸い、星に巡る力を調整するシステムの一つ――世界樹。
だが、精霊人の故郷――ユグドラが長く管理していた樹は今、そのコントロールを外れようとしていた。
既に世界樹の根元付近は集まったマナ・マテリアルにより、ユグドラの民でも近づけない魔境と化している。ユグドラの民達が鎮めようとしているが、今のところ有効な手は見つかっていない。
「本来ならば歓待して礼を尽くすべき相手ですが――適当に追い返しましょう。同じ精霊人ならばともかく、ニンゲンを巻き込む訳にはいきません」
「承知した。もっとも、森も世界樹の影響を受けている。ここまでたどり着けるかわからないが……まったく、運の悪いニンゲンだ」
もう少し早ければ、森はここまで危険ではなかった。もう少し遅ければ、ここに挑む前に危険を察知できただろう。
最悪のタイミングだ。さりとて、来訪自体を断るわけにもいかない。世界樹の異常を外に知られるわけにはいかないのだ。




