284 駄目な方③
どうやら、ルシアはキルキル君に足止めを食らっている間に帰還したセージさんに止められ、下で待機を命じられていたらしい。
塔の下。正座させられるキルキル君の前でむすっとした表情で待機していたルシアと合流する。
外では大勢の魔導師達が降り積もった灰を集めていた。ふらふらとそちらに向かいそうになるシトリーの腕をすかさず引っ張り止める。
どうやら魔法陣で駄目になった部分がまだ残っているようだな。駄目だよ。そんな上目遣いで見てきても駄目なものは駄目だ。
歩きがてら、ルシアから事情を聞く。ルシアはまるで僕が知っていて当然のような表情で新情報をくれた。
「まったく、まさかこんな大事を起こすなんて――帝都は兄さんのおもちゃ箱じゃないんですよ!? 色々聞かれるし――」
「ま、まぁ、全てうまく収まったんだし、良かったんじゃないかな……」
「もうッ!」
今更冷や汗が止まらなかった。どうやらあの黒き世界樹の元になったのは《剣聖》から受け取った例の杖だったらしい。起動すらしていないのに周囲の魔力を吸ってああなったのだとか。
つまりセージ教授の言葉は正しかったと言える。
……でもそれ、僕は悪くない? 悪いのは《剣聖》じゃん。あの男、いつもルークが迷惑をかけて申し訳ないとは思っていたが、こんな形で復讐してくるなんて――まともに見えてやはりただものではないな、まったく。
僕と同じくらい状況がわかっていないはずのシトリーがぽんと手を叩き訳知り顔で頷く。
「なるほど……それでセージ教授は退いたんですね……いくら学院でも《剣聖》一派と諍いが発生するのは避けたいはずですし……」
「なるほど、毒をもって毒を制すって事か」
「…………もう! なんで貴方たち、そんなに他人事なんですか?」
現実感がなさ過ぎる。というか、思い返すと随分変な流れができていた。
帝都でしばらく大人しくじっとしている予定だったのに、エリザから貰った剣を譲ったらそれが魔剣で? それを譲って代わりに貰った杖が危険生物で? その上、何故か今度は危険な魔法薬が手元にあるときている。
「そう言えば、あの樹がそこの塔を執拗に攻撃してたのって、何かあったんですか?」
「……いえ。あの樹は強い魔力に吸い寄せられていたので何かあったのではと、消し炭にした後に調べたんだけど、特に何も見つからなくて――何かが持ち去られた跡はあったんだけど、魔導師の研究室は秘密もあるし――内部の人間にまで隠すんだから相当な物だと思われますが」
「…………なるほど。不思議な事もあるものですね、クライさん」
「え!? ……………………兄さん?」
シトリーが満面の笑みで言う。何か言いたげだね、君。ルシアも笑っていないが、何か言いたげだ。
僕に言えることは何もないよ。ルシアが人気者だったとわかったのが今日の唯一の収穫だ。
その時、共音石が再び震え始めた。毎回嫌なタイミングで来るな。
フランツさんは今回の騒動が僕のせいだという事を知っているのだろうか? いや、僕のせいではなくどちらかというと主因は《剣聖》にあるんだけど――。
だが、全ては無事丸く収まった。これ以上呪い騒動が発生することはない。いくら僕でも見えている地雷を踏んだりはしないよ! 何だよ、支配薬って!
僕は小さくため息をつくと、共音石を起動した。フランツさんが開口一番怒鳴りつけてくる。
『《千変万化》……話は、聞いたぞ』
「ああ。わかっているよ、アレの件でしょ? 大丈夫だよ、呪い云々の大騒ぎはここまでだ」
『!? あ、おい――』
「忙しいから切るね。またね」
共音石を見下ろす。しばらく待つが、再び震える事はなかった。どうやら諦めたらしい。
フランツさん、ごめん。僕今ちょっと疲れていて…………大丈夫、これ以上の騒動は防いでみせるから。
「シトリー、随分上機嫌ね……」
「そりゃもう、次は私の番なので!」
シトリーは傍目から見てはっきりわかるほど機嫌が良かった。ステップを踏みくるくる回っている。悪いけど、君の出番は来ないよ。
親友だし借金もあるし機嫌を損ねたくはないが、背に腹は代えられない。うっかり捨てちゃったって言おう。
§
「今度一緒に謝罪に行って貰いますからねッ!」
「あぁ、わかったよ。ルシアも随分お世話になっているみたいだし、兄としてしっかりしないとね。兄として!」
「…………そうですよ」
何しろ兄補正で助かったようなものだ。だが、今はシトリーの方だよ。
次の件はしっかり対応しないと土下座では済まされない。しようとして、し忘れるというのが僕の中では一番駄目なパターンだ。
クランマスター室に入る。ハンターは立入禁止だが、ルシアもシトリーも平然とついてきた。
シトリーは何も言わないが全身で早くポーション下さいとこちらに訴えかけていた。ルシアが腑に落ちなさそうな表情をしながらもついてきたのは、シトリーの様子に感じるものがあったからだろう。
今日のシトリーはポーションを受け取るまで纏わり付いてくるつもりだ。いつもだったら根負けして、シトリーちゃんなら大丈夫だろうとそのままポーションを渡していたところである。
だが、ぐーぐー言いながら僕にしがみついていた事を忘れはしない。
「ちょっとここで待ってて」
シトリー達をクランマスター室に待たせ、仕掛けを動かし自室に向かう。忘れる前にさっさと処分してしまおう。
僕の部屋は引きこもって生活できるようにできている。宝具のコレクションやベッドはもちろん、冷蔵庫もあるしトイレ、風呂、洗面台と水回りも揃っている。
大きく背筋を伸ばしながら私室に入ると、危険なポーションを机に置く。そこで、ふとベッド脇に置いてある冷蔵庫に目が留まった。
冷蔵庫を開き、中からいちごミルクの入った瓶を取り出す。賞味期限間近なケーキは貰い物だが、いちごミルクの方は隠れ甘党の僕がこっそり取り寄せた代物だ。
コップに注ぎ、きちんと瓶を冷蔵庫にしまうと、テーブルの上でけったいな名前をつけられているポーションと見比べてみる。
やっぱり色、そっくりだよな…………色も、そしてついでに匂いもそっくりだ。本当にこれ、そんなに危険なポーションなのだろうか? とても信じられない。
『ストロベリー・ブレイズ』という名前らしいが、そんな名前をつけられたのはストロベリーの匂いがするからだろうか。もしかして原材料にいちごを使ってる? 世の中には本当に不思議なポーションがあるものだなぁ。
試しに水筒の方を持ち、口元に近づけてみる。と、そこで指に嵌めていた指輪の一つが熱を持った。
危機察知の力を持つ宝具の指輪――『子鼠の知恵』だ。いちごミルクに反応するわけがないのでなるほど、この液体が危険なのは間違いないらしい。
普通のポーションならばまだしも、シトリーの言葉が本当ならばこのポーションは幾つも国を滅ぼした代物だ。シトリーが悪用するとは思っていないが、駄目な方のシトリーに任せるには余りに危険過ぎる。
悪いけどこの《千変万化》、先人に習いこの魔法薬、闇に葬らせてもらう。
躊躇いなく洗面台にポーションを流す。いちごミルクのような色で、いちごミルクのような液体がぐるぐる周り、排水口に流れていく。
ポーションが万が一にも肌に付着しないように気をつけて水筒を水で洗ぎ、完全に洗い流す。
これで一安心だ。ゼブルディアは守られた。レベル8の本領発揮だ。
後はシトリーに謝るだけだな。ポーションを捨てただけだが、一仕事した安堵感にほっと息をつく。そして、そこで金属の水筒をじっと見つめた。
「…………」
テーブルの上に置かれたいちごミルクの入ったコップと水筒を交互に確認する。
何気なくコップを取り上げると、たった今空っぽにしたばかりの金属の水筒に慎重に注ぎ込んでみる。
改めて確認するが、水筒の中に揺れる液体は先程捨てたものと見分けがつかなかった。違うのは宝具の指輪が危険だと訴えかけてこない事くらいだ。容器が一緒だったら宝具なしで見分けるのは不可能だっただろう。
本物のいちごミルクと隣に置いても見分けがつかないって、『ストロベリー・ブレイズ』って一体…………。
感心するやら呆れるやら、なんとも言えない気分になっていると、待ちわびたのかシトリーとルシアが下りてきた。
「クライさん、まだですか? …………!? な、何やってるんですか!」
「あー、これは、えっと――」
シトリーが僕の手もとの水筒とコップを見て慌てて駆け寄ってくる。
水筒の中身とまだいちごミルクの跡が残っているコップを見ると、愕然とした表情でこちらを見上げた。
「少し減ってる……ま、まさか…………飲んでしまったんですか!?」
「いや――」
「大変――早く解毒薬を作らないと、希釈していない原液をこんなに飲むなんて……このままだと下手をすれば、クライさんが命令をただ聞くだけの肉人形に――」
「はぁ!? シト、今なんて!?」
シトリーは青ざめていた。ただでさえ白い肌からは血の気が失せ、目に涙が溜まっている。混乱しているのか、視点が合っていない。いつも冷静沈着なシトリーが顔色を変えるとはどうやらこれは僕が考えるよりもやばい代物だったようだな。
すかさず僕の手の中にある金属の水筒を取り上げ蓋をしっかり閉めると、シトリーはルシアに切羽詰まったように叫んだ。
「いい、行ってきます! なんとしてでも解毒剤を作ります! ルシアちゃん、クライさんを安静に!」
「あ、ちょ――」
ルシアが止める間もなく、階段を一飛に駆け上がっていくシトリー。何か言う時間はなかった。シトリーがやってきて僕が言えたのは「あー、これは、えっと」と「いや」だけだ。
結局残されたのは僕とルシアだけだった。シトリーはしっかりしているが、昔は意外とおっちょこちょいなところもあった。どうやら鳴りを潜めていただけで治ってはいなかったようだな。
ルシアが目を白黒させている。さすがに学院で評判の妹でも前情報なしでこの状況を理解する事はできないらしい。
「…………飲んでないって言ったのに」
「は、はぁ…………兄さん、体調は大丈夫ですか?」
そう言われてみればちょっと怠いかも…………うんうん、そうだね。いつも通りだね。
冷蔵庫からよく冷えているいちごミルクを取り出し、コップに注ぐ。
一応、指輪が危険を察知していない事を確認すると、口をつける。牛乳のコクと芳香に交じるいちごの甘みと香り。
そうそう、これだよ。これこそがいちごミルクだ。しかし、プロのシトリーでもひと目で気づかないとは……。
「いちごミルクの解毒薬作りに行っちゃったよ」
「……………………追ったほうがいいのでは?」
ルシアはしばらく無言で僕を凝視していたが、師匠に勝るとも劣らない冷ややかな眼差しで言った。




