281 呪物
共音石を片手に、シトリーと一緒に外に出る。
ちなみに、エヴァは危険なのでお留守番だ。僕もお留守番したいところなのだが、文句は言うまい。エヴァについてきてもらって怪我でもしたら大変だ。
『《千変万化》、どうなってる! 帝都内で立て続けに大事件が起きるなど、普通ではないぞ!』
「いやぁ……そんな事、僕に言われても」
『舐めるなッ! 調べはついているんだ、ゼブルディア魔術学院には貴様の妹が在籍しているんだろう!』
「まぁ、してるけど…………ただそれだけで僕のせいにするなんて――」
共音石から絶え間なく響くフランツさんの怒鳴り声は、完全にトラブルの責任が僕にあると決めつけていた。
確かに僕は運が悪いしレベル8だが、そんな全ての問題を押し付けられても困る。
そもそもこの帝都には他にレベル8が二人もいるのだが彼らは一体何をしているのだろうか?
『あれは一体なんだ! あたりはついているんだろう!?』
「えー……そんな僕が何でも知っていると思わないでよ。………………あれは、その、多分『黒き世界樹』だな」
『!? 貴様あああああああああああああッ!』
遥か遠く。空には巨大な黒い何かが蠢き、大通りには絶え間ない悲鳴が上がっていた。ここからでも見えるという事は高さ数百メートルはあるだろう。ドラゴンよりも普通に大きい。
一体あんなものがどこから帝都に入り込んだのだろうか? 今の帝都は呪いの予言だかなんだかで厳戒態勢だろうに。
てか、僕があそこに行ったところで何かできる? 僕にできることはシトリーを送り届ける事くらいじゃない? 僕、いる?
「なんて大きさ…………! これは危険度A級は堅いですね、クライさん!!」
うっわ、凄く嬉しそう。
シトリーが口元を押さえ目を輝かせながら、僕の手を握りしめてくる。そのせいで逃げられん。
まぁ、落ち着け。落ち着くんだ、クライ・アンドリヒ。あれほどの大きさなのだ、帝都のつわもの共が寄ってたかってタコ殴りにしてくれる、はず。
物理攻撃でどうにかできるかはかなり怪しいが、もしもあれが本当に『黒き世界樹』だとすると、樹なのだから当然火に弱いはずである。燃やせ燃やせ。
「僕の見立てが正しければ……あれは、火に弱い。《魔杖》の――《深淵火滅》の力が必要だな」
『ッ…………わかった。こちらから協力を要請する、貴様は今すぐに現地に向かえッ! 学院は帝国の柱の一つだ、潰されたらただじゃ済まんッ!』
物騒な言葉を残し、共音石の接続が切れる。そもそも、僕に頼む前にあの婆さんに連絡しなよ……魔術学院なんだから。確かあそこって婆さんの古巣だろ?
眉を顰め手の中の共音石を見下ろす僕に、シトリーが目を瞬かせて言った。
「あのー、クライさん。僭越ながら――厄呪編纂図の内容が真実なら、あの樹は魔力を吸収するので魔法で攻撃したらまずいのでは?」
「あー………………ま、まぁそういう考え方もできなくはなくなくないかな。き、きっと大丈夫だよ」
本を確認したのはつい先程なのにさっぱり頭から抜けていた。全く、これだからダメなのだ。
だが、いくら魔力を吸うなどと言っても所詮は樹だ、あの婆さんの火力ならどうにかなるのでは?
よしんばどうにかならなくても…………レベル8なんだからなんとかしてください。僕よりマシだろう。
ルシアが巻き込まれている可能性は高いが、あの妹は僕よりもずっと強いし魔術学院には仲間も大勢いるはずだ。ここは一つのんびり行こうじゃないか。
§
街の人々が泡を食ったように逃げていく。騒動は想像した以上に膨れ上がっていた。
終末を思わせる警笛の音が鳴り響いている。前に進むに連れ、僕は黒き世界樹の巨大さをだいぶ甘く見積もっていた事を知った。
出動した治安維持の騎士団が声を張り上げ、避難誘導をしている。僕も避難誘導されたい。
「凄い凄い、おっきい!」
ぴょんぴょん飛び跳ねるシトリーはだいぶ控えめに評価して、随分知能指数が下がっているように見えた。君には怖いものはないのかい。
キルキル君が側についているため、逃げてくる人々も僕達を避けていて、空白の空間が出来上がっている。ふと思いつき、隣を歩くシトリーに言う。
「………………ねぇ、今思ったんだけど、皆が逃げていく道路を前に進むって凄くハードボイルドじゃない?」
「はい! クライさん、素敵です! きゃー!」
……僕も悲鳴をあげたいよ。嬉し恥ずかしじゃない悲鳴をあげたい。久々に吐きそうだ。
その時、大きな盾を携えた騎士がキルキル君の威容にも引かずに接近し、大声で言う。
「君達、ここは危険だ! あれが見えないのか! 逃げろ!」
逃げたい。
「問題ありません。私達は、あれを処理しに来たのです。レベル8の《千変万化》を、ご存じないですか?」
…………逃げたい。
シトリーの言葉にはっとした表情をして、親切な騎士の人が立ち去っていく。
どうやら普段優遇されているレベル8ハンターは有事の際には騎士団よりも命を懸ける必要があるようだな。
昔、ルシアと一緒に通った道を歩いていくと、学舎が見えてくる。
本物の世界樹など見たことがあるはずもないが、どうやらゼブルディア魔術学院は今、未曾有の危機にあるようだった。
強力な魔術試験などを行う事もあり、学院は広大な敷地に建てられている。城をイメージした巨大な本舎に、学院の教授格の研究室が存在する六つの塔。
それらに今、巨大な漆黒の蔦が巻き付いていた。
樹が…………動いている。樹ってそういうものだっけ? これを作った文明は何を考えているのか。
高速で蠢く蔦に振り回され、人間がゴミのように宙を舞っていた。
恐らく学院の生徒だろう、周囲に何百人もの魔導師が集まり攻撃魔法が飛び交っているが、全く世界樹の動きが止まる様子はない。
歩いている間に少しは落ち着いたのか、シトリーがしげしげと世界樹を観察して言う。
「【白亜の花園】にああいう植物の幻影、でてきましたね」
「ふっ…………覚えてないな」
残念ながらその時、僕の意識はなかったからね!
しかし、あんなのどうしようもなくない?
幸い、魔術学院には結界が張られている。まだ外まで被害は出ていないようだが、あの大きさだ、時間の問題だろう。
その時、唐突に空が暗くなり、校庭の中心に氷の塊の混じった竜巻が発生する。大規模攻撃魔法だ。
「ルシアちゃんの『ヘイルストーム』ですね」
竜巻はみるみる内に巨大化すると、塔に取り付いていた黒き世界樹にぶつかった。
轟々という風の音。固いものを削るような凄まじい轟音が響き渡る。地面に這いつくばっていた魔導師達が余波で吹き飛ばされないように必死に踏ん張っている。
上級攻撃魔法を受けた世界樹はその身を大きく削られ――そして、巨大化した。気の所為ではない。
「!? 成長、してる!?」
大きく抉られた傷が塞がり、盛り上がる。遠目で見てもわかるくらいに本体が膨れ上がっている。
どうやらあの樹、最初からあの大きさだったわけじゃないようだな。何あれ……えっと――。
「………………あーあ、ルシアめ。植物に水をあげるなんて」
火だよ、火。植物の弱点は火だよ、きっと。まぁでも、ルシアは水の魔法が一番得意だからな。
蔦が巻き付いているのは、一つの研究塔だった。無数の攻撃を受けて尚、固執するように攻撃の手をその塔に向けている。
無数の蔦に締め上げられ、塔はみしみしと音を立てていた。どうやらあの世界樹はどうしても誰かの研究室をへし折りたいらしい。何かあるのだろうか?
と、その時、暗雲を切り裂き、空から巨大な火の玉が降り注いだ。
「まったく、なんでこんなことになってるんだいッ!」
嗄れた声に、背筋が凍る。燃やす婆さんだ。燃やす婆さんが助っ人にきたのだ!
爆炎を身に纏い、《深淵火滅》が現れる。その後ろには《魔杖》のシンボルをつけた魔導師が何人も付き従っていた。よく見てみると、何故かクリュス達も交じっている。
帝都屈指の魔導師クラン。《魔杖》のメンバー達は躊躇いなく敷地に立ち入ると、一斉に杖を振り上げ術を発動した。炎が、光が、風が、暗雲立ち込める空の下、世界樹に撃ち込まれる。
その先頭に立つのが狂ったような笑い声をあげる婆さんである事は言うまでもない。
黒き世界樹の百倍は恐ろしいな……今夜夢に見そう。
「ふははははははははははッ! 燃えろ燃えろッ! 灰燼に帰せッ!」
やばい、灰燼に帰そう。
思わず建物の影に隠れる。まるで隕石のように降り注ぐ火の玉。どうしてあの婆さんはあんな危険な術を覚えようとしたのか理解に苦しむ。
熱気を含んだ風が数百メートル離れたこちらまで届いている。
だが、一安心だ。敵になったらこれ以上ないくらいに恐ろしい婆さんも味方になれば頼もしい。これであの忌々しい樹も灰に――。
「クライさん、あの樹、大きくなってません?」
「………………」
目を擦る。シトリーの言う通り、紅蓮に吹き荒れる炎の中、黒き世界樹は灰になるどころか徐々にその蔦を太くしていた。
異常に気づいた《深淵火滅》が壮絶な笑みを浮かべる。
「ッ…………これ、は――」
降り注ぐ炎が更に勢いを増すが、全く堪えていない。結構距離がある僕が消し炭になりそうなのに――。
もはや意味がわからない。まさかこの世に婆さんの魔法を受けて灰にならないものがあるなんて、信じられない。
「えっと……これはもしや……光合成かな?」
「なるほど……光合成………………な、なるほど?」
植物がよく成長するには光と水と温暖な気候が必要なのだ。なるほど、さすが世界樹一筋縄ではいかない。
…………《深淵火滅》の攻撃でも傷一つつかないとは、あの樹、どうやったら倒せるんだろう?
今や伸びに伸びたその幹は天に届く程に至っていた。登れば天に届きそうだ。そういえば本物の世界樹は天に届く程の大きさの樹だと聞いたことがある。
「ううううううううッ! ウソツキニンゲンッ! また嘘ついたな、ですッ! これ、絶対、炎が弱点じゃないだろ、ですッ!!」
クリュスがまた人聞きの悪い事を叫んでいる。光合成だよ……光合成したんだ。火力が足りていないだけなんだよ、きっと。頑張れば倒せるはずだ!
影からひっそりと応援していると、《深淵火滅》が咆哮した。
「落ち着きな、クリュスッ! 威力が足りないのかもしれない。儀式魔法、いくよッ!」
…………これだけやりたい放題やってまだ満足していないのか、婆さん。炎が弱点じゃないかもしれないだろ! 少しはクリュスを見習え!
《魔杖》のメンバーが素早く散開する。儀式魔法とは簡単に言うと、複数人の術者が協力して発動させる強力な魔法だ。
単身で一軍に匹敵する威力を誇る術を使える《深淵火滅》が行使したらどれほどの威力が出るのか予想もできない。
下手したら学園が吹っ飛ぶのでは?
「完全に頭に血が上ってますね……あれは。確かあの人、自分が燃やせないものを見ると我慢ならないとか言ってましたし」
「なるほど……僕が嫌われている理由がわかったぞ」
いつかあの婆さん、結界指突破しそうで本当に怖いわ。年取って丸くなったのか丸くなっていないのかはっきりしろ!
婆さんの笑い声が響き渡る。ルシアのヘイルストームが学舎に燃え移った炎を消す。暗雲に雷光が瞬き、世界樹がぐんぐん伸びる。塔に大きなひびが入る。
どうしてまだ学舎が形を保っているのかさっぱりわからん。
散開した《魔杖》の魔導師達が囲んだ地面に巨大な魔法陣が浮かび上がる。さすがに身の危険を感じたのか、それまで塔を締め上げていた世界樹の蔦がうねり、一斉にそちらに襲いかかる。
そして、婆さんが大きく杖を振り上げようとしたその時――不意に世界樹の成長がぴたりと止まった。
向けられた世界樹がむずむずと動き、その蔦の先からぽんと紫色の花が咲く。魔法陣を潰そうと動いていた蔦も、空中でピタリと制止しそれ以上動く気配はない。
へぇ……世界樹って花が咲くんだ。図鑑には書いていなかったな。
シトリーが興奮したようにぴょんと僕に抱きつく。
「あ、あれですか! もしかして、私にはあれをくださるんですか! クライさん! 凄いポーションが作れそう!」
「………………消し飛びなああああああああッ! 『冥獄炎殺刃』ッ!」
「あ――」
ためらいなく振り下ろされた杖。魔法陣から放たれた無数の炎の剣が世界樹に突き刺さり、激しく燃え上がる。
紫色をした炎は瞬く間に樹全体を包み込むと、先程までいくら攻撃しても通じなかった世界樹を一瞬で灰に変えた。
活動報告にて、新ストグリ速報(16)が投稿されています。
七巻のカバーイラストが公開されています。是非ご確認ください!
/槻影
更新告知(作品の更新状況とか):
@ktsuki_novel(Twitter)
P.S.
書籍版六巻、コミカライズ四巻まで発売中です。
書籍版はWeb版で出なかった情報の補完や新シーンの追加、一部ストーリーが変更されています。
Web版既読の方も楽しんで頂けるよう手を尽くしましたので、そちらもよろしくお願いします!




