275 お返し
「一度じっくり聞こうと思っていた。まったく、お前ら《嘆きの亡霊》は儂の門弟をなんだと思っているんだ!」
《剣聖》ソーン・ロウウェルは心技体揃った剣士として有名だ。その剣の腕もさることながら、剣術の発展への貢献は目を見張るものがあり、彼が元々習得していた剣術を発展させ生み出したソーン流剣術は今では帝国でも広く認知されている。一門の実力も他流派と比べ非常に高く、マナ・マテリアルを吸収して基礎能力を上げたハンターにも引けを取らないと言われていた。
貴族の信頼も厚く、巷ではその一門はゼブルディアを守る戦力の一つとして、正規騎士団と同格として認知されている。前回、彼が『白剣の集い』の警備としてルークを送り込んだのは記憶に新しい。つまり、彼は人斬りを重要な会合に送りこむ程度の権力を持ち、その人斬りが大暴れしても平然としていられるくらいの影響力を持っているのである。凄い!
何を言いたいかと言うとつまり、ソーン流剣術を身に着け、ばかすかマナ・マテリアルを吸収していたうちのルークが一番やばいという事だ。
ずるずる僕を引きずりながらソーンさんが続ける。
ルシアはため息をつき後ろからついてくるが、助けてはくれない。
「ルークのせいで儂にどれだけの陳情が来ているかわかるか? んん? 八十にもなっておちおち後進に道を譲ってもいられんわッ!」
「…………いつも申し訳ございませんでした」
しかし、心を育てずルークの技体ばかり育ててしまった彼らにも問題はあるのではないだろうか?
「『白剣の集い』では警備の言うことを聞くと言うから送ったのに完全に無視する、武帝祭の参加権と引き換えに振った仕事はすっぽかす。兄弟子で得体の知れない新技を試す、弟弟子で得体の知れない新技を試す、新弟子で得体の知れない新技を試す、儂で得体の知れない新技を試す――」
得体の知れない新技を試してばかりだな…………元気にやっているようで何より!
「精神修養のために瞑想させても本を読ませても滝に打たせても、弟弟子の指導を任せてみても、柔の技を教えても、持ち込まれた依頼をやらせてみても、護衛依頼を任せてみても、全く何も変わらん! 挙句の果てに他の弟子を扇動して宝物殿に特攻したり、賊の本拠地に特攻したり、勝手にうちの名前を使って道場破りし始めたり、やりたい放題だ! もう少し剣以外の事を考えろと指導する儂の気持ちがわかるか?」
もううんざりしたように《剣聖》が言う。どうやらめったに立ち寄らないせいで愚痴が溜まってるらしい。
もう逃げないのに、ソーンさんは手を離さなかった。そのまま屋敷の中に引きずり込まれる。僕は出荷される牛のような気分で言った。
「それは…………本人に言ったほうがいいと思います」
「ほう。本人に言っていないと、思うか?」
「…………僕に言わない方がいいと思います」
「………………」
「!? 兄さん!?」
思わず出てしまった言葉に、ソーンさんが黙り込む。
この人、本当に人格者だな……今の、フランツさんだったら間違いなく激高していた。
僕は心の底から笑みを浮かべて、朗らかに言った。
「ルークは貴方が師で幸せ者です。貴方になら任せられる――いや、任せたい!」
「…………そんな言葉で、騙されるか! ルークは、所帯を持てば落ち着くかと儂が紹介した見合い相手を斬ったのだぞ!?」
え!? その話、初耳。この人、思った以上にチャレンジャー。幼馴染の僕でもそんな試みする気にもなれない。まさしく匠の技だ。
そして、割と何でも話すルークが何も言っていなかったので、僕の推測だがそれは――もしかしたら見合いだと思っていないのでは?
「彼はこの世に斬っていい相手と余り斬らない方がいい相手の二種類しかいないと思っているんです。全く、困った奴だ。そのお相手、剣士では?」
「ルークは相手が剣士なら何でも斬るのか? んん?」
「……まぁ、それなりに強い相手なら。斬ってしまうから普段は木剣を持たせているんですが……」
マナ・マテリアルのせいなのかソーンさんのせいなのかわからないが、彼の実力は留まる事を知らない。我道をひた走るルーク・サイコルに幸運あれ!
「ルークが言ったのだ。強い女剣士なら会う、と!」
「…………もうその話はやめておきましょう。不毛だし、なんなら僕から話をしても無駄ですよ。きっと年月が全てを解決してくれる」
僕は心にもない事を言った。
ソーンさんも昔は大暴れしていたと聞くし、まぁ可能性はゼロではないんじゃないかな。ゼロではないと思いたい。
「それに、これでも僕は――なるべく急所は狙わないように指導してるんです! 殺してしまうとアンセムでも生き返らせられないから!」
「…………」
ソーンさんは何も言わなかった。
微妙な空気の中、引きずられるまま問答無用に屋敷に連れ込まれる。解放されたのは立派な畳張りの応接室に入った後だった。
ソーンさんの屋敷は帝都とはまた一風変わった作りをしている。強いていうならばスルスの温泉宿にちょっと近いだろうか?
靴を脱ぎ、畳張りの部屋に通されるや否や、僕は何か言われる前に流れるように正座し、両手をついて頭を深々と下げた。
帝都は基本土足なので正座に慣れていない人もいるが、僕は違う。ここは下が地面じゃないから物足りないくらいだ。
ソーンさんは僕の土下座を見ても特に何の反応もしなかった。これがソーン流剣術で言う、明鏡止水の域なのか。
ルシアの方が反応しているくらいである。白い目だけど。
正面に座ったソーンさんが言う。
「フランツ卿から話は聞いた。ゼブルディアに災厄きたれりのお告げがきたようだな。そして、その正体は呪いと推測される、と」
え? なにそれ、初耳。さっきフランツさんに共音石で《剣聖》への取りなしをお願いした時も特にそういう話はしていなかった。
頭を上げる。ソーンさんは胡座をかき腕を組み、まるで僕の内心を見透かすような鋭い目付きでこちらを見ていた。
「それは…………まるで災厄のバーゲンセールですね。今シーズンになってもう何回来たんだ……」
「もう慣れている、とでも言いたげだな、《千変万化》」
いや、別にそんな事言いたくないけど……。
僕が認識している限りでも幾つも思い浮かぶ。よくこんなに色々起こっているのに帝都は平和なものだ。もしかして、宝物殿の異変とか狐とか、僕が思っている程大事じゃない?
アーク達も僕が欲しい時に毎回いないし、意外と僕が知らない場所で事件を食い止めていたりするのだろうか? 今度会ったら聞いてみよう。
「だが、儂の所に件の呪物を持ち込んだ理由がわからん。ルークが食い止めたとはいえ、弟子が未熟でなければ問題なかったとはいえ――持ち込まなければ何も発生しなかった。儂の認識に誤りはあるか?」
その瞳には怒りの感情はなかった。ただ、何故だろうか、それが無性に恐ろしい。相手は帝都の剣士の親玉だ、何かあったら斬られてもおかしくはない。
どう言い訳したものか。いや、正直に言うべきか。ルシアもフォローしてくれないみたいだし……。
「あ、あれが呪物? とんでもない、結果はどうあれ――僕は、いつもルークがお世話になっているお礼のつもりでルークに渡したのです。まさかこんな事になるなんて思いませんでした」
「むむ、礼…………だと?」
確かに軽率ではあったよ? ちょっと禍々しい剣だったし――だが、それらについてはそれを持ってきたエリザに言ってもらいたい。まぁ、多分エリザ、何も考えてないけど。
「僕やルークも抜いたけど、取り憑かれたりしませんでしたし……ソーン流剣術の門弟が取り憑かれると想像できましょうか! いや、できないッ!! そう、僕がいくら神算鬼謀でもねッ!!」
「に、兄さん、それは、開き直りです。事前に話くらいしておくべきです」
君はどっちの味方なんだ、ルシア……。
ソーンさんは無表情だった。だが、静かな瞳は燃やす婆さんとは別ベクトルで恐ろしい。動と静だ。勢いでごまかせるかなと思ったけどなんか無理そう。
慌てて付け足す。
「も、もちろん、貴方の弟子がルシアに弱い事も知りませんでした」
「!?」
僕の言葉に、ソーンさんの目元が初めてぴくりと動いた。
まさか帝都を背負う剣術流派の一門にあんな一面があったとは…………ちょっと面白かったけど、なんかなんで彼らがルークに勝てないのかわかった気がする。
クラヒやリィズ達からわかるように、きっと突出した実力を持つ者は大なり小なり力の代償に人間性を削って――――いや、ごめん、アークがいたわ。人間性削れてない人もいたわ。
しかし悪いけど、ここの門弟に大事なルシアはやれないな。僕を倒せる奴じゃないと。もちろん、僕に挑む権利を得るには前提として《足跡》全員を倒して来てもらう必要がある。昔から最上階に住む者と戦うには途中階層を突破しないといけないと相場が決まっているのだ。
そんなくだらない事を考えていると、たっぷり数十秒も沈黙したソーンさんが乾いた唇を開いた。
表情はほとんど変わっていないが、何の感情も浮かんでいない事が恐ろしい。ルシアもガチギレすると無表情になるタイプである。
重々しい声で、《剣聖》が言う。
「あぁ、まったく…………耳の痛い話だ、な。贈り物ときたか――」
「お、贈り物というか……はい。あれは、本当に切れ味はいい剣なんです、多分。振るえるだけの力があるのならば、間違いなく《剣聖》様のお役に立てると――多分!」
慌てて言い訳を始める僕に、ソーン様は小さく吐息を漏らして言った。
「ならば…………こちらも返さねばならないな。少しここで待っていなさい」
…………あれ? もしかしてそこまで怒ってない?
ソーンさんが部屋を後にする。さすがの僕もここでトイレに行って逃げる気にはなれない。
隣で僕に負けず劣らずの良い姿勢で正座していたルシアが言う。
「兄さん、好き放題やりすぎです! 相手はあのルークさんの師ですよ!?」
「わ、悪かったよ。でも、本当の事しか言っていない。ここの門弟にルシアは預けられないね」
「は、はぁ? そんな話してなかったでしょ!」
「ルシアが欲しかったらルークを倒して来てもらわないと……」
まぁ、ルークを倒してもあげるとは言ってないけど。本人の気持ちが一番大切だよ。
僕はこれでも故郷を出る時両親にルシアの事をよろしく頼むと…………言われてないわ。逆にルシアが言われてたわ。悲しいことを思い出してしまった。
すぐに、ソーンさんが戻ってくる。姿勢を崩すことなく待っていた僕たちを一瞥すると、抱えていた布に包まれていた棒状の物をテーブルに置いた。
「……待たせたな、さすがの儂の蔵でもあの剣に匹敵するものはそうはない。昔入手して蔵にしまってあった珍しい品だ」
ソーンさんが布を剥ぐ。何か剣でもくれるのかなーと思いきや、下から出てきたのは――杖だった。
ネジ曲がった漆黒の杖だ。杖頭には大きな宝石がはまっていて、少しだけ『丸い世界』に似ている。
いかにも高そうな杖だが、なんで《剣聖》の蔵に杖があるんだよ。
ソーンさんをじっと窺う。ソーンさんは今日初めて笑みを浮かべて言った。
「昔の冒険で手に入れた宝具の杖だ、儂は剣士だから詳しく知らんが、入手した時に聞いた話だと、他に類を見ない魔力増幅量を誇るらしい。《千変万化》ならば使いこなせるだろう。売れば相応の額になるとは思うが――売らないように」
「ほう…………これはこれは結構なものを……」
棚からぼたもち、剣聖から杖。貰えるもんなら貰っておこう。僕は杖なんて使わないけどね。コレクションは多ければ多い程いい。
予想外だったのか、ルシアも目を丸くして杖を見ている。
杖を取り、持ち上げてみる。『丸い世界』は重かったが、この杖は僕でも軽々と振れるくらい軽い。
宝具の効果は後で確認しなくてはならないだろう。まぁ、武器型の宝具の中には装備条件があって僕では確認できないものも多いのだが――。
「ところで、この杖の名前は?」
「名は不明だ。何しろ、ずっと蔵に眠りっぱなしだったんでな」
うーん、名前調べるの大変そうだな。まぁ、専門家に任せるか。




