269 襲撃者
トレジャーハンターは情報に敏感だ。かつて《千変万化》が宝具を買い付けようとしただけで情報が瞬く間に広まったように、その情報は一瞬でトレジャーハンターに広がった。
あの神算鬼謀で数多の出来事を易易と捌いてきた《千変万化》が――力を溜めている。
情報は錯綜していた。クランハウスの襲撃がその引き金になったと言う者もいれば、あの襲撃すら《千変万化》の想定通りという者もいる。
唯一、意見が一致しているのは、報復は徹底的なものになるだろうという点だけだ。
もちろん、それは帝国の法に抵触している。如何に高レベルハンターでも――いや、高レベルハンターだからこそ、法を犯す事は許されない。
だが、《嘆きの亡霊》の悪名はそれを信じさせるだけの実績を持っていた。彼らは一度歯向かって来た者は、地の果てまで追い詰め絶対に逃さない。
帝都ゼブルディア。帝都の闇を煮詰めた犯罪者の坩堝として知られる退廃都区の一角に、その店はひっそりと存在していた。
今にも崩れそうな廃墟のような屋敷。半分外れた古びた扉を開け奥に進み、地下への階段を下りた先。
『赤の酒場』。社会からあぶれた者たちが情報共有するために生み出されたそこは、ダーティな依頼の斡旋を行ういわば裏の探索者協会とでも呼べる存在である。
店は狭いが、酒場への入場を許されるのは大きな組織やその紹介を得た一流の実力を持つ者のみだ。
幾つかテーブルが適当に置かれた店内には強面の店長を除くと、数人の客しかいなかった。出で立ちも性別も年齢もばらばらだったが、その瞳に浮かぶ冷酷な光とその身に染み付いた暴力の気配だけは共通している。
薄暗い店の隅。小さな卓を囲み、二人の男女がいた。目元まで隠した黒い髪。鬱屈した雰囲気をした小柄な男と、気の強そうな目つきをした金髪の女だ。
他の客と比べて威圧感は弱いが、この場所に存在している事実そのものが腕利きのレッドハンターである証明である。
【無闘】と【金色】。二人は二つ名で呼ばれる、大物狙いの殺し屋だった。
いつもは他国で仕事をしている二人がゼブルディアくんだりまでやってきたのは、とある男に莫大な懸賞金がかかったためだった。
たった一人のトレジャーハンターに掛けられたものとは思えない破格の賞金である。うまく始末すれば一生遊んで暮らせるだろう。あの狐を出し抜いたハンターを殺したとなれば、名誉だって手に入る。
だが、一生に一度と言ってもいい大仕事を前に、二人の顔色は優れなかった。
金髪の女――百発百中の腕を持つ射手、【金色】が卓に拳を叩きつけ、威圧するように男を見下ろす。
「あんた、今更怖気づいたって言うのかい!? あたい達はもう一回攻撃をしかけちまったんだよ!?」
暗殺というのは【金色】にとって簡単な仕事だ。相手が熟練のトレジャーハンターでも、これまで一度のミスもなく仕事をこなしてきた。
相手が明らかに格上の実力者でも問題はなかった。マナ・マテリアルによる成長には本人の意志が大きく影響するが、大抵のトレジャーハンターは吸収したマナ・マテリアルを攻撃に振る傾向がある。防御力は防具でも十分カバーできるが、攻撃力を高めなければ屈強な幻影に歯が立たないためだ。吸収したマナ・マテリアルで隠密性と攻撃力を高めている【金色】に急所を射抜かれ倒れなかった者はいない。
そして、その仕事を更に確実にしているのが、相方の【無闘】だった。
人間不信でいつも自信のない男だが、爆発物や毒を自在に操り戦う事なくターゲットを倒すその腕前は、単純な腕っぷしとは異なる恐ろしさがある。
得意分野の異なる【金色】と【無闘】が組めば殺せない相手などいない。
だが、いつだって震え自信なさげにしながらも確かな仕事をこなす男が今、完全に萎縮していた。
「むむ、無理だ。か、勝てない。あの男は……か、怪物だ」
「怪物なのはとっくに知ってたことだろう!? レベル8なんだよ!?」
本来、殺し屋はレベル8ハンターを狙わない。余りにもリスクが高すぎるためだ。
トレジャーハンターの認定レベルは実績を積み重ねなければ上がらない。試験だってある。レベル8ハンターというのは、いわば最強格の人間である事の証明だ。
くぐった修羅場に、吸収したマナ・マテリアルの量。努力の量に質、そして何より才能が違う。一芸特化タイプや万能タイプなど、タイプは幾つかに分けられるが、そんな差など吹き飛ばすだけの力が、レベル8にはある。
このハンターの聖地であるゼブルディアでさえ、レベル8以上はたった四人しかいない事からも、その異常性はわかるだろう。
そして、だがしかし、それでも狙うと決めた。リスクとかけられた賞金、栄誉を天秤にかけ、仕留めると。
【金色】は狩人だ。計画し、小手調べの一手を放った以上、ここで撤退というのはありえない。
腕を組み目を細める【金色】に、しかし相方は身をかたかたと震わせながら言う。
「あああ、確かに……き、効かないかもとは、お思っていた。だだが、つ強いだけじゃない。ああ……あいつは、僕の、特殊爆弾を、ががガークに、投げたんだ。ああ、頭のネジが、まま間違いなく、何本か飛んでる――」
「………………」
「よ弱い僕たちが、ぼぼ僕たち以上にイカれた相手を、どどどうやって、殺すんだよお!」
しんと、店内が静まり返っていた。カウンターにいる黒服の店長も、他の客も、何も言わない。だが、その言葉は的を射ていた。
暗殺者の強みは、その行動が最初から罪になると自覚している点だ。
故に【金色】は目的を達成するために手段を選ぶ必要がなく、相手が正常である限り優位は【金色】側にある。たとえターゲットにどれほどの力があってもそれは変わらない。
だが、相手もそもそも手段を選ぶつもりがなかったら、どうだろうか?
【金色】は【無闘】の瞳に浮かんだ恐怖の意味をはっきりと理解した。
「おお、同じ土俵だ。【金色】。やや奴らは、おお同じ、土俵に立っているんだッ! いいいいか、やや奴らは、やるぞ。ぼぼ僕たちでもできない、事を。やや奴らは、ぼ僕たちの、友人や知人、家族を殺し――吊るす。みみ見せしめにッ! 奴らは、正義でない事を、おお恐れないッ」
「……あたいには友などいない。あんた以外はね。家族はとっくにくたばったよ」
「ぼぼ僕には、いいるんだ」
目を細める【金色】に、【無闘】はふらりと立ち上がると、感情的に腕を振り回し叫んだ。
テーブルががたりと音を立て、空気が凍りつく。
「み見ろッ! 僕達とい一緒に、じ自信満々に、ここにきたやや奴らは、ほとんど、に逃げたッ! 探協が、《嘆きの亡霊》のやややりすぎを、おお恐れているのをき聞いてッ!」
「……………………まいったね」
確かに――最悪だ。
《嘆きの亡霊》が所属している探索者協会が、そのパーティのやりすぎを恐れているなどという情報が出回れば、殺し屋も逃げ出しもする。
味方でさえそのパーティの行動を恐れているのに、敵である【金色】達が恐れずにいられる理由などない。
明らかに、やばい山だ。命あっての物種、百億貰っても割に合わない真性の化け物だ。
報復を避けるにはパーティ全員始末するしかないが、一人だけならばともかく、二つ名持ちが揃ったパーティをまとめて始末する事などたった二人で出来るわけがない。
状況次第では他に手駒を雇おうと思っていたが、全員逃げてしまった。
初撃を放った時点で敵対している。ここでの撤退は様々な意味で危険極まりないが、今回の場合はまだ逃げた方がいいかもしれない。まだターゲットの限界すら見えていないのだ。
爆弾も矢も効かなかった。もしかしたら毒も効かない可能性がある。何より、頭のいい【無闘】がここまで言い切るのは珍しい。
完全な無駄足だ。やるせなさに思わずため息が出た。
「チッ。一度決めたターゲットを諦めるのは格好悪いが、あんたがそこまで言うなら仕方ないね。そうと決まればさっさとこんな国、ずらかるよ」
「うん。か怪物狩りは、僕たちの、し仕事じゃ、ない」
相手は恐らくこちらの次撃を待ち構えている。初撃が様子見な事は間違いなくバレているだろう。
いかな神算鬼謀でも、あそこまで見え見えの様子見をしておいて、すぐに逃走に切り替えるなどとは思っていまい。
そんな事を考えたその時、店が大きく揺れた。金属製の扉に重いものがぶつかる音。
店長が反射のように立ち上がり、他の客たちが戦闘態勢に入る。【無闘】がうめき声をあげ、青ざめた表情で壁に背をつける。
空気が震える。重い音が何度も何度も扉を打ち付ける。
扉は頑丈だが、腕利きの殺し屋の坩堝に正面から乗り込んでくるような連中の事は想定していない。
いや、そもそも――この店の事を知る者は極僅かなはずだ。どこから情報が漏れたのか。店長の方を見るが、頭を横に振っている。
扉の向こうから、叫び声がした。切羽詰まったような、若い女の叫び声。
「マスターを犯罪者には、させないッ!」
一人……か? 《千変万化》所属のクランのメンバーか?
やれる。一人ならば問題なく。そんな現実逃避気味の思考を打ち破るように、がらの悪い男の声がした。
「おら、ここにいることはわかってんだッ! こっちは五十人いる、観念しろ、俺達は吊らねえし、晒さねえッ!」
五十人……だと!? 無理だ。めちゃくちゃな数字だ。そもそも相当大きなクランでもなければ所属メンバーは五十人もいかない。
ブラフの可能性もあるが、一概にそう言い切るのは危険だろう。扉の向こうには沢山の気配がある。
仮に本当は三十人しかいなかったとしても大きな違いはない。そもそも、【金色】達は戦闘用の装備すらしていないのだ。外には警備もいたが、それもやられたのだろう。
「裏口がある」
店主が短く言い、カウンターの向こうに姿を消す。扉が歪み、蝶番ががたがたと音を立てる。力で破られる、一刻の猶予もない。
「くそッ、逃げるよッ!」
【無闘】の腕を引き、カウンターの裏に向かう。ほぼ同時に、数十キロもある分厚い扉が勢いよく倒れた。




