267 読み
話を聞きつけて急いでやってきたティノはその凄惨な現場に息を呑んだ。
「なんてこと……」
帝都のハンターの憧れだった《始まりの足跡》のラウンジは酷い有様だった。
大きな窓は粉々に割れ、整然と並べられていた椅子やテーブルもばらばらになっていた。いつもピカピカに磨かれた床は亀裂や穴があき、そこかしこに黒ずんだ跡がある。
ある程度片付けてこれなのだから、真昼に起こったという襲撃が周りの被害を一切考えない残虐極まりない手口だったのがよくわかる。
ラウンジではハンターや職員達が瓦礫の片付けをしていた。このラウンジを元通りにするにはしばらく時間が必要だろう。
そこで、ティノはラウンジの中央、一際激しい破壊の跡に向かって歩みを進め、かがみ込んだ。
恐らくそこは爆心地だ。テーブルも椅子も吹き飛び、床も一際深く穿たれ、焦げた跡がある。誰かが倒れ伏したのか、床に人型の絵が記されている。
だが、注目すべき点はそこではない。
爆心地の近くに、一部焼け残った箇所があった。まるで分厚い壁に防がれたかのように一点を中心に扇形に焼け残っている。爆風も熱も全て遮断されたのか、煤すらついていないのは不思議な光景だった。
マナ・マテリアルを大量に吸った高レベルハンターの耐久は一般人のそれとは一線を画する。攻撃の質にもよるが、一般人ならば即死するような攻撃を受けても平然としている者だって少なくない。ティノだって一般人よりもずっと頑丈なのだ。
そういう方面で一番有名なのはマナ・マテリアルによる成長志向を耐久に全て振っているという《不動不変》のアンセムお兄さまだが、その跡はレベル8ハンターがそれに近しい耐久を誇っている証左であった。
そこで、瓦礫を片付けていたクランのハンター、ライルがティノを見つけ、近寄ってくる。
「酷いもんだ。クランハウスに真っ昼間から、それも真正面から攻撃を仕掛けてくるなんて、どんだけ恨み買ってんだよ……」
「…………マスターは無事だったの?」
「わかってんだろ? 無傷だよ、無傷。逆に運悪くラウンジに居合わせた奴らの方が負傷してる。特にクライに爆弾押し付けられたガーク支部長はカンカンだ。全く。あの人も間近で爆発受けてあの程度の傷なんだから、十分化け物だよ」
「押し付け……た?」
「ああ。『ガークさん、パス!』ってな。どうやらクライにとって爆弾も大して気にするべきものじゃないらしい」
肩を竦め説明するライルに、思わずため息が出る。
ますたぁ……探協支部長に対しても対応は同じなのですね。そして、爆発物を押し付けるなんて蛮行が許されてしまうとは、レベル8というのは本当に恐ろしい存在だ。
そもそも、至近距離で受けても無傷なのだから、パスする必要はないのではないか? なんていうティノの疑問は、マスターの真意が見えていないが故、愚かさ故のものなのだろう。
「下手人はもう捕まえたの?」
「いいや、今回のはプロの犯行だな。そして、恐らく、今回ので殺すつもりじゃなかった。爆発物も矢も、絶対防御で知られるクライを狙うにはあまりにも温すぎる。弱点や手口を知るための手始めの一手だろうな」
確かに、一理ある言葉だった。レベル8ハンターというのは数々の人外魔境を潜り抜けてきた歴戦の猛者のみに許される称号である。常に無意識の内に周囲を警戒しているだろうし、ただの爆発物や矢など通じるわけもない。
だが、その言葉が正しいとすれば、第二の襲撃もあるはずだ。そのプロが、レベル8を確実に殺せると確信できるような一手が。
一刻も早く下手人を捕らえなければ、万が一という事もあり得る。
レベル8ハンターを狙うような命知らずの殺し屋はそう多くはないはずだ。調べれば容疑者を洗い出す事もできるはず――。
そこまで考えたところで、ライルが頭を搔きながら言った。
「クライは、忙しいから構っている暇はない、だとさ」
「!?」
「襲撃も想定済みだったらしいし、まったく、いきなり襲われて構っている暇はない、とは豪胆というか、なんというか――心当たりもありすぎるとか言っていたし、まったく」
「…………そう」
ライルがなんとも言えない表情で舌打ちする。その心中がティノには痛いほどわかった。
貴族や犯罪組織は面子を気にするが、トレジャーハンターにとっても重要なものだ。
敵の多いハンター稼業は舐められたら終わりだと言われている。何しろ、トレジャーハンターには荒っぽい者が多いし、宝物殿というのは大抵、人の目がない街の外にある。戦果を武力で奪われる事もあるし、トレジャーハンターを専門に襲う賊だっているのだ。
時には敗色濃厚でも戦わねばならない事もある。襲撃を受けたら報復を。それがトレジャーハンターをやっていく上での基本だし、《嘆きの亡霊》だってそうやって成り上がってきたはずだ。
特に、今回のようにクランハウスに攻め入られ反撃しなかったら舐められる。《嘆きの亡霊》には敵が大勢いる。ここ最近、襲撃回数が落ち着いていたのは、《嘆きの亡霊》のあまりの苛烈さに賊が及び腰になっていたからだ。
『武帝祭』で《千変万化》が初めて獲物を逃したという情報は広まりつつある。マスターに賞金がかけられているという話も聞いた。
そのような状況で弱気を見せれば、これまで大人しくしていた犯罪者も《千変万化》の首を狙ってくるかもしれない。
それがどれほどの数になるのか、ティノには全く予想がつかないが――。
恐ろしい想像に身を震わせかけたその時、ティノの身に、雷に打たれたような衝撃が走った。ほぼ反射的に首を横に振る。
――違う。そうじゃない。逆だ。
以前までのティノでは気づかなかっただろう。だが、今のティノは数々の経験からほんの少しだけマスターに近づいている。
だから、気づいた。マスターはきっと――報復しないことで、さらなる犯罪者共の襲撃を誘い、タイミングを見て一網打尽にするつもりなのだ。
暗殺はタイミングや方法を決められる『する側』が有利だ。いつ来るかわからない襲撃に対して警戒を保ち続けるのは難しいし、ずっと安全な場所に引きこもっているなど不可能である。
だから、普通は襲撃を誘うなんて事は考えない。弱みを見せれば相手は勢いづいて襲ってくる。それを潰すのは、一人一人順番に潰すのと比べて遥かに危険だし、戦力が必要になる。
だが、同時に、リスクさえ考慮しなければ――敵を一網打尽にするには相手の攻撃を誘いそれを潰すのが一番手っ取り早い。
特に、潜在的な敵を倒すにはそれくらいしか方法がない。一度襲撃を仕掛けてきた相手ならばともかく、まだ手を出してきていない、いるかいないかもわからない敵をこちらから探し出すのはほぼ不可能だし、しっかり全員根本から潰しておかなければいつまでも敵を抱える羽目になる。
ターゲットはレベル8の《千変万化》。一人で狙うには手に余る相手だ。今回の襲撃が小手調べだとすれば、本番は《千変万化》を確実に仕留めるため、複数の殺し屋が手を組んで大人数で襲ってくる筈だ。
相手は高レベルハンターを狙うだけの力を持つ殺し屋だ、ティノの手に負えない者ばかりだろう。
ただでさえ相手は対人の戦闘に特化している、《始まりの足跡》のハンターでも苦戦する可能性は高い。
つまり――これが次の『千の試練』だ。間違いない。
戦争だ。徒党を成して襲ってくる殺し屋と、《始まりの足跡》の戦いはもはや戦争と呼ぶに相応しい。
「!? ティノ、おいどうした、急に震えだして――」
「問題ない。これは…………武者震い」
素早く周囲を観察する。身を低くして壁を背にする。武器は持っていないが、幸いティノの一番の武器は自身の肉体だ。
油断した瞬間や、まだ大丈夫だろうと気を緩めた瞬間に賊を送ってくるのがいつもの『ますたぁ』の手口なのだ。
「何してるんだ? ティノ」
ライルが突然警戒態勢に入るティノに目を丸くする。それは、ライルの受けてきた試練の回数がティノよりも少ない証拠だった。
いつ何時、襲撃されてもいいように、万全の態勢を維持するのだ。
そうだ、この完璧な読みをマスターに披露するのもいいかもしれない。
「……マスターの所に行ってくる」
「お、おう。そうか。クライによろしくな」
ティノは息を呑み込むと、足音を立てないよう細心の注意を払ってラウンジを抜け出した。
§ § §
「ねぇ、なんで駄目なの? 殺そ? しっかり潰しておかないと危ないよ? なんで駄目なのお!?」
襲撃から一夜が明け、クランハウスの私室。ベッドに腰を下ろし頭を抱える僕に、リィズが甘えるような声をあげ、まとわりついてくる。
僕はなすがままになりながら、何度目かになるのかもわからないため息をついた。
権力を得ると味方と同時に敵も増えるという。トレジャーハンターという職はそれが特に顕著で、ただ冒険したいという想いでハンターになった僕にとって、その事実は衝撃だった。
襲われた賊を返り討ちにすれば恨みを買う。宝具や魔物の生体素材を商会に卸ろせば他の商会からやっかみを受けるかもしれないし、ライバルである他のハンターも野心家な者が多く、隙あらばこちらを蹴落とそうと狙っていた。そしてもちろん、逆恨みなどではなく、僕の幼馴染達が直接顧客を怒らせ恨みを買う事だって少なくなかった。
最近では少し大人しくなっていたのだが、どうやら先日の武帝祭の件でなにかが変わってしまったらしい。
クランマスター室の隠し扉から下った窓のない私室は、こういう時のために作ったセーフゾーンも兼ねている。クランを設立した当初は襲われる回数も多く、職員と自分の身の安全を考えるのは当然だった。
予想に反して、クランハウスに攻め入られる事はこれまでなかったのだが……一体何が悪かったのだろうか? 部屋に引き篭もると宣言までしたのにのこのことラウンジに出ていってしまったのが悪かったのだろうか?
目を閉じれば脳裏に浮かぶのは迫る矢と括り付けられた爆弾だった。幸い、例によって僕は結界指の力で無傷だし、庇ったエヴァも無傷だし、爆弾をパスしたガークさんも生きていたのだが、どうしていいのかわからない。唯一わかるのは、私室に引きこもれば安全だという点だけだ。
襲撃者の正体など、もうどうでもよかった。もともと何が襲ってきても不思議じゃないし、見当もつかない。もしかしたら討ち漏らした賊が報復にきたのかもしれないし、フランツさん辺りの堪忍袋の緒が切れて殺し屋を雇ってきた可能性もある。
時間が解決してくれる類の案件ならばいいのだが――。
「見せしめに一族郎党皆殺しにしよ? ちゃんと、一人残らず捕まえるから。ね? いいでしょ?」
そして、一番の問題は幼馴染達だった。
ベッドをばふばふ遠慮なく足で叩きながら、リィズがしなだれかかってくる。
遠慮なく密着すると、腕を前に回し耳元で囁きかけてくる。
「ダメ」
「なんで? ねぇ、このままじゃ舐められちゃうよ? 絶対、クライちゃんを狙った事、後悔させてやるから。血祭りにして帝都の門に吊り下げてやる」
その声には隠しきれない煮えたぎるような感情があった。
トレジャーハンターのルールについては知っているつもりだ。だが、彼女は少しばかりやりすぎる。攻撃してきた本人を撃退するくらいならいいが、その程度で抑えられるような性ではない。犯人を見つけたらその親族や友人まで見せしめで皆殺しにするつもりだ。どっちが犯罪者かな?
リィズがすりすり肌をこすりつけながら言う。
「リィズちゃんはね、クライちゃんが攻撃を受けた事に対してキレてるわけじゃないの。クライちゃんが爆発程度でやられるわけがないし――ただ、やられたらやり返さなきゃ……ハンターって、そういうものだから。ね?」
「うーん…………」
完全にキレている。昨日の夜やってきたシトリーは『大切な人を攻撃されたから大切な人を攻撃してやります』とか言っていたし、僕が止めなければ犯罪者になってしまう。
バレなければいいとかそういう問題ではないのだ。本当に僕は故郷のリィズ達のご両親になんと弁明したらいいのか。
相当ストレスが溜まっているのか、スキンシップがいつも以上に凄い。手足が無遠慮に体に絡まる。その体温が伝わってきてじっとり汗ばむ。
あろうことか首筋を甘噛され、僕は音を上げた。動物みたいな真似はやめなさい!
リィズを振りほどき、手足を掴み、ベッドに押さえつける。リィズが目を丸くし、力を抜く。
もうハンターになってしばらく経つが、こういう時に使う言い訳のレパートリーは全く増えていない。
「いいんだよ。今は忙しいから、いいんだ。全部、計画通りだから!」
大体、あの事件のせいでマーチスさんがエリザの置いていった宝具の出張鑑定にやってきてくれるはずだったのに、なくなってしまったのだ。
何も考えずに宝具をいじりながらゆっくり休むつもりだったのに――だが、僕はどれだけ酷い目に遭っても襲撃者を一族郎党皆殺しにしたいなどとは思わない。こっちはこれまで散々酷い目に遭ってきているんだよ! 酷い目耐性があるのだ。
「えー? 本当にぃ? 本当にしっかり報復する?」
珍しいことに半信半疑のリィズにきっぱりと言ってやる。
「そんなくだらない事を考えている場合じゃない。大丈夫、あれほど大騒ぎしたんだから暫く攻撃を仕掛けて来たりしないよ。衛兵だって動いている」
「えー……」
わかった。わかったよ、ストレスが溜まってるんだな。
ふくれっ面のリィズの首元に手を伸ばし、撫でてやる。リィズの肌は子どもの頃同様、滑らかで、少し熱っぽく、手の平に吸い付くかのようだ。
彼女はスキンシップが大好きで度々抱きついてきたり距離感が近くていつも困っているのだが、何よりリィズは触れられるのが大好きだ。昔、僕がルシアの髪を結っていたのも少し羨ましかったらしく、髪を梳かしてやるのも効果的である。
機嫌を取る方法くらい幾つも知っている。伊達に長い付き合いではない。
悟りを開いた気分で笑みを浮かべる僕に、リィズは目を瞬かせ、先程より幾分柔らかい声で言った。
「あれ? ……もしかして、クライちゃんストレス溜まってる? そういう気分? 脱ごっか?」
「……リィズが護衛してくれる時は一緒にルシアやシトリーを呼ぶべきだな」
「そうだよねえ、いくら策のためとはいえ、報復を我慢するなんてすっごくストレスたまるよねぇ。うん、いいよ。私にストレスぶつけて」
紅潮した頬で、リィズが言う。何を勘違いしているのだろうか? 彼女は本当に僕を一体何だと思っているのだろうか?
冗談なのか本気だかわからないが、もはや照れの前に呆れが来る。僕は無言でその柔らかそうな頬をひねり上げた。リィズが花開くような笑みを浮かべる。
…………全然、堪えてない。手を離し、深々とため息をつく。
「リィズにストレスの心配をされるなんてなんか凄い不服だな」
「えー、いつも付き合って貰ってばかりだし、たまには私が付き合ってあげるのにぃ……」
これから暫く、リィズ達は日替わりで護衛してくれるらしい。
それはとてもありがたいし楽しみなのだが、果たして僕はパワフルに成長した幼馴染に耐えられるのだろうか? 初日から不安でいっぱいだ。
だが、どうやら報復の方はしっかり頭から抜けたようだ。単純でとても助かる。
「まぁ、ストレスとかじゃないけど、武帝祭では散々な目に遭ったし、充電期間は必要だ。リィズも疲れが溜まっているだろうし、暫くは大人しくしてるといい」
「結局試合にも出れなかったし私は疲れとかないけど…………あ、そうだ! うちの師匠がクライちゃんと会いたがってたんだけど……」
「……僕も会いたいんだけど忙しいからなー。閉じこもって休んでるけど暇なわけじゃないから」
リィズ達の師匠、会う度にリィズ達の自慢と愚痴を聞かされるからなあ……僕は保護者じゃないんだぞ!
一体彼女達はどれほど誇張して僕の話をしているのか、怖くて確認できない。
と、その時、かたりと扉の向こうで音がした。リィズが笑顔を消し、どこかつまらなそうな表情でベッドを下り、扉に近づき躊躇いなく開く。
扉の外にいたのはティノだった。尻もちをつき、蒼白の表情でお姉さまを見上げている。
「ずっと外にいるなあと思っていたんだけど…………クライちゃん、これ、どうする?」
もはや隠し部屋の体裁が保てていないが、今更だ。ティノは目を見開き、怯えたように僕を見る。
「充電期間。こ、攻撃を誘って…………一族郎党……皆殺……し?」
盗み聞きしていたにしても一番やばいところだけ切り取られているし、攻撃を誘うなんて一言も言ってない。リィズの無言の圧力のせいだろうか?
…………機嫌いい時に邪魔が入ると反動で一気に機嫌悪くなるからなあ。
リィズがティノの首根っこを掴み、軽々とこちらに放ってくる。ティノは受け身も取らずにベッドの足元に落下し、短い悲鳴をあげる。
「教育が足りなかったのかなあ? 作戦、聞かれちゃった。今日は訓練なしって言った時点で察せよ」
まぁまぁ、落ち着いて。いきなり来たのは驚いたが、ティノはいい子だ。きっと襲撃に遭った僕を心配してきてくれたのだろう。
いくら何でも今のリィズの風当たりは強すぎる。笑みを浮かべ、怯えたティノでも理解できるようにゆっくりと言葉を出す。
「作戦なんてないよ…………皆殺しにもしないし、血祭りにもしない。今は今後に備えてしばらく力を溜めるってだけで……」
「ますたぁが…………力を……溜める!?」
ティノがか細い声で反芻し、その表情が更に引きつる。
…………ティノ目線で僕は一体どうなっているのだろうか?
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/槻影
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