261 勝者と敗者②
「陛下は大層、お怒りだ、なんとしてでも、あの狐面を探し出せ! あそこまで傷を負わせたのだ、まだ近くにいるはずだ、帝国の威信に掛けて、どんな手を使ってでも捕らえるのだッ! 一ハンターがあそこまで弱らせた相手を逃すなど、諸国に無能を晒すつもりかッ! クリートにも協力を取り付けろ、奴らはこちらの警告を無下にしたのだ! こちらはミュリーナ殿下まで、襲われているのだぞッ!」
クリートに存在するゼブルディア大使館は今や蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
フランツの怒鳴り声に、兵が、事務員達が慌ただしく駆け出していく。武帝祭の事件から丸一日、不眠不休で調査に取り掛かっているが、未だ有用な情報は出てきていなかった。その事実がフランツ達を焦らせる。
狐面の男は明らかに重傷だった。その状態で、武帝の攻撃を回避し数多の高レベルハンターに包囲され、足跡一つ残さず忽然と消え去るなど本来ありえない事だ。
恐らく大地の鍵に魔力を吸い取られたのだろう、狐面が陥っていたのは魔力欠乏の症状だ。あの状態で魔法は使えない。空を飛んで逃げ出した可能性もほぼゼロだ。
協力者でもいるのか、あるいは隠し通路でもあるのか。ともかくとして、あの状態で狐に逃げられるなど、大国ゼブルディアの面目は丸つぶれだ。
クリートは他国だなどと言い訳するつもりはない。奴らは、ゼブルディアに正面から喧嘩を売ったのだ。
方針決めに会議。クリートの代官との交渉。慌ただしくやり取りをしていると、そこで部下が報告にやってきた。
「フランツ団長、会場に残った血の採取が完了しました。必要十分との事――占術が使えます」
「そうか……確度の低い術に頼るのは気が進まんが――致し方ない」
狐面が血を残したのは不幸中の幸いだった。身体の一部があれば、完全に逃がしてしまっても占術を使って大まかな場所を特定できる。
大まかな場所がわかれば、帝国の持つ軍事力ならば大規模なローラー作戦を取ることも可能だ。
無論、相手にも警戒させる事になる。これは最後の手段だが――。
そこで、部下がこわばった表情で言った。
「それで――《千変万化》のパーティメンバーの錬金術師が狐の血を分けて欲しいと言っていますが――」
「ッ…………」
思いもよらぬ言葉に、一瞬頭に血が上りかけるが、フランツは大きく深呼吸をしてそれを抑え込んだ。
「断るわけにもいくまい、やつは今回の件の功労者だ。術に差し支えがない程度に分けてやれ」
《千変万化》の秘密主義には散々苦労させられてきたが、功績は功績だ。
どうして狐が鍵を持っていたのかはわからないが、結果として被害が会場一つ潰れた程度で抑えられたのは《千変万化》の尽力故だ。帝国の術者の分析でも、大地の鍵の破壊は発生直後に大きく抑えられていたという報告があがっている。
もしも《千変万化》が気絶していなければ狐を逃がすこともなかったかもしれないが、むしろ破壊を抑えるのに莫大な力を使ったはずなのに気絶程度で済むというのは人間業ではない。
休息を取った後に話は聞かねばならないが、いくら帝国がハンターを重用しているとはいえ、一人のハンターにおんぶにだっこでは沽券に関わる。
ガーク支部長を始めとした他のハンター達にも協力を取り付けている。
その仲間が血を欲しがっているのならば、是非もなし。
研究方面では国家所属の研究者も負けていないだろうが、現役のトレジャーハンターの嗅覚というのは度々、空恐ろしい程だ。
あらゆる手を使い狐を殺す事。それが皇帝陛下の命令だった。
それは遠からぬうちに正式な声明として、各国に通達されるだろう。これはもはや戦争なのだ。
そこでフランツはこめかみを押さえると、頭を切り替えた。
「ニセ皇女殿下はどうなった?」
「現在、治療中です。黒焦げでしたが、恐ろしい生命力で――恐らく命に別状はないだろう、と」
「そうか…………ミュリーナ殿下が気になされていたからな」
ほっと息をつく。あのお優しい皇女殿下は、自分の偽者が自分の代わりに亡くなったらさぞ悲しまれる事だろう。
今回の想定外の一つに、狐が偽物のミュリーナ殿下を襲ったという事がある。
ニセミュリーナ殿下は狐面達が生み出したモノのはずだ。それを間違えて襲うというのは余りにお粗末な話である。
帝国の調査員の中でも散々意見が交わされていたが、狐面を被った襲撃者がニセミュリーナ殿下を襲ったのも、そしてニセミュリーナ殿下が二人返り討ちにしたのも間違いない。襲撃者は三人いて、一人逃してしまったようだが仕方のない事だ。
狐側も焦っていた可能性もある。何しろ、あの狐面の男も最初はクラヒ・アンドリッヒを本物の《千変万化》と勘違いしていたのだから。
ともかく、あの偽物はある意味で命の恩人だ。戦闘能力も証明できた。帝国に戻ったらその扱いについて議論する必要があるだろう。
何しろ、ミュリーナ殿下と同じ姿なのだ。解放するわけにも殺すわけにもいかない。
そこで、部下がこわばった表情で言った。
「それで……実は、《千変万化》のパーティメンバーの錬金術師がニセミュリーナ皇女殿下の診断をしたいと言ってきているのですが――」
「…………奴のパーティは一体どうなってるんだ……」
敵なのか味方なのか? 邪魔をしたいのか煽っているのかそれとも意味があるのか?
酷い借りを作ってしまった。
フランツは憤懣を込めテーブルを力いっぱい叩くと、押し殺したような声で許可を出した。
§ § §
それは、組織で多数の困難な任務をこなしてきたボスをして、未だかつて経験していない危機だった。
秘密主義を敷く狐にとって捕縛こそが最も恐れるべきものである。闘技場で前武帝に追われたあの瞬間、ボスは間違いなく追い詰められていた。
魔力も枯渇に近く、傷も負っている。突発的な作戦だったのでいざという時の逃走経路も確立していない。
周囲には多数の高レベルハンターも存在し、逃げ切れる可能性はほぼゼロに近かった。
――狐面を被った謎の少女が現れなければ。
よく言えば神秘的な、悪く言えば人ならざる雰囲気を纏った少女だった。そして何より、その顔はボスの持つものと同じ仮面に覆われていた。
ボスは他の最高幹部の事をよく知っている。狐の組織にそのような幼いメンバーはいない。
すわ新手かと構えるボスに、少女は言った。
『逃してあげる』、と。
そこから先の事は、よく覚えていない。一つ確実なのは、少女の力でボスは苦もなくクリートを抜け出したという事だけだ。
追いかけてきていたはずの武帝も、闘技場を囲んでいたはずの兵にも一切出会うことなく――恐らく、あれは幻術の類だろう。
それも、高い耐性を持つ高レベルハンターをも騙し切る、強力な幻術だ。
近くの街にあった、非常事態発生時に使用する組織のセーフハウスに辿りつき、ようやくボスはほっと息をついた。
疲労を訴える身体を叱咤し、ポーションで傷と魔力を回復させる。ひとまず最大の危機は脱したが、まだ油断はならない。
組織は帝国との全面戦争も想定していたが、ずっと先の話だった。虎の子の大地の鍵も失われている、厳しい戦いが始まるだろう。
皇女暗殺に従事した部下たちはどうなっただろうか?
成功したのならば、本部に戻っているはずだ。万が一に失敗したのならば――もう死んでいる事だろう。
目を閉じ、注意を保ったまま身体を休める。脳裏に過るのはボスを助けた狐面の少女だった。
あの佇まい、尋常成らざる力、被った狐の面。組織の者でなければ、思い当たる節は一つしかない。
『九尾の影狐』発足のきっかけになった宝物殿、【迷い宿】。そこを住処にしているという神の眷属だ。
かつて『九尾の影狐』の創設者はその宝物殿に遭遇し、そこに生息する神から狐の面を授けられた。
組織には宝物殿に巡り会い仮面を手に入れた者は神に認められた者として受け入れるというルールが存在する。
狐神信仰は組織の柱の一つだ。だが、同時にただの大義名分でしかない。
神に認められた者として受け入れるというのは、組織が、【迷い宿】に遭遇し、且つ運命的な経緯を経てその幻影のドロップである仮面を手に入れる事ができた強者を最高幹部に任じた。ただそれだけの事。
つまり、仮面入手はただの強者を引き入れるための試練としての意味しか持っていない。
神官に特別な地位を与えているのも、そこまで深い理由あっての事ではない。『九尾の影狐』はあくまで諜報機関の発展なのだ。
当たり前だが、【迷い宿】の幻影と組織の間に協力関係などない。長い歴史の中で組織が危機に陥った事は何度かあったというが、その宝物殿の幻影が組織を救った事はない。そもそも、幻影が宝物殿の外に現れるなど摂理に反している。
狐面の少女はボスに、『危機感さんの敵。逃してあげる………………今度こそ、私の勝ち!』と言った。
果たしてその言葉の意味とは? 危機感さんとは誰なのか? 本名なのか? それともあだ名なのか? 何故そんなあだ名になったのか? どうしてボスを逃す事が彼女の勝ちになるのか?
いくら考えても答えにはたどり着かない。状況から推測するのならば、『危機感さん』はあの時ボスと相対していた《千変万化》を指しているようにも思えるが――。
……駄目だ、今は休息を取るべきだ。
組織としてのあり方も揺らいでいる。この状態で《千変万化》と戦うのは――余りにも危険。
あの狐面の少女の正体がどうあれ、敵の敵は味方である。強い味方を得たと仮定し、利用するべきだ。
――そこまで考えたところで、ふと背後から声がかけられた。
「くっくっく……随分手痛くやられたみたいね――『空尾』」
冷ややかな響きを持つ女の声だった。気配もなく掛けられた声に、ボスは瞳を開き、嘆息する。
いつの間にやら、部屋の中に長身の影が増えていた。ゆるりとした着流しに、腰に帯びた一振りの剣。その顔にはボスの被っていたモノと同様の仮面に覆われている。
九尾の影狐は複数の尾を持つ。仮面を有する最高幹部は一人ではない。
「……不躾な。『剣尾』、ここは私の縄張りだぞ」
「よく言うわ――私が何も知らないとでも? 噂は――聞いているわ。組織体系もほぼ保てず、本部も混乱している、と」
痛いところを突かれ、ボス――組織の頂点に立つ一人、『空尾』は眉を顰めた。
空尾が直轄で支配しているのはゼブルディアを中心とした広い領域だ。今回、《千変万化》により混乱に貶められたのはその中のごく一部だが、最重要箇所でもある。
《止水》や《竜呼び》という大きな戦力を失った上での失敗は手痛いなどというレベルではない。
本来、ボスが他のボスの縄張りに無断で現れるのは掟破りである。剣尾はその剣一本で最高幹部に成り上がった超人だが、その辺りを理解できない程無能ではない。
何より、剣尾の戦闘能力は高い。腕っぷしだけでどうにもならない柵を全て腕っぷしでなんとかしたのだから、純粋な殺しの力は組織でもトップクラスだ。それは、陰謀を重んじる狐の中で剣尾が認められている理由でもある。
「だが、手口は知れた。混乱もすぐに収まる。何も問題はない」
と、そこで空尾は目を見開いた。
いや……この剣尾がやってきたのは僥倖だ。
如何な《千変万化》でも今、油断しているはずだ。
自ら手を下せないのは口惜しいが、この女を差し向け暗殺すれば全てが好転する。
《千変万化》が死ねば、帝国も少しは大人しくなるはずだ。
何よりも、《千変万化》は組織にとって天敵になりうる。ここで潰しておくに越した事はない。
と、そこで剣尾が冷静な声で言った。
「状況は概ね、理解しているわ。ところで、空尾、貴方は――どうやってあの囲いを抜けたの? 全力を尽くした状態で逃走するのは困難だったと思うのだけど――」
なるほど、事前に手を潜ませていたのか。それも組織の掟に反しているが、今はありがたい。
空尾は大きく深呼吸し、努めて平静に答えた。
「…………信じられないかもしれないが、狐神の眷属に救けられた。神は組織を祝福している」
「………………………………そう」
剣尾の答えは、予想に反して端的だった。
特にそれ以上疑問を呈することもなく――自然な動作でその腰から武器を抜く。
刃渡り一メートル超。曲線を描く刃に、独特の刃紋。深い水底を思わせるくらい刃は武具というより、一種の芸術品のような吸い込まれるような魅力を有していた。
静かな輝きを放つ刃。ただ立っているだけに見えるが、その身には油断も隙もない。
「……どういうつもりだ?」
力はほぼ戻っている。術の行使には問題ない。空尾の視線を受け、剣尾は小さく鼻で笑った。
「どんな言い訳を考えているかと思えば、神だなんて……冷酷なまでの現実主義と謀略で知られた空尾も堕落したものね。貴方には戦略兵器、大地の鍵の無断使用により組織を危機に陥れた容疑と、内密に部下に仮面を与え本部を混乱に陥れ内乱を目論んだ容疑がかかっている。ここで――消えて貰うわ」
「……なんだと!?」
予想外の言葉に、立ち上がり剣尾を睨む。仮面に隠された剣尾の表情は読み取れないが、その声には侮蔑と哀れみが込められていた。
宝具の刀――濡れたような刃がゆらりと向けられる。
「大丈夫、狐は死なない。ただ、尾が生え変わるだけ。破壊を途中で止めてくれた事を、《千変万化》に感謝することね。ゼブルディア近辺の指揮も、問題なく引き継がれるわ」
《千変万化》、だと!?
その単語に、空尾に天啓が舞い降りた。
これまで起こった出来事が走馬灯のように空尾の脳裏に過る。
冷静に考えると、クリートでの《千変万化》の行動は余りにも組織に対して致命的で、正確だった。まるで――ボスの打つ手が、クリートで行われた作戦を全て把握しているかのように。
如何な謀略家でも狐の動きを、方針を、全て把握せねばこのような作戦は取れないだろう。
そして――ここぞというタイミングで現れた狐神の眷属の救いの手。
狐神の眷属をもしも少しでも操れる可能性があるとすればそれは、神官にほかならない。
もしもこれらが全て空尾を陥れるための作戦だったとしたら――。
それらを空尾にばれないように仕込むには、権力が必要だ。最高幹部クラスの助けが。
本部に内乱の容疑ありの噂が流れている事は知っていた。
その時はつまらない冗談だと思っていたが――。
立ち上がり、魔力を巡らせる。
剣尾は謀略を不得手にしていると聞いていたが――全てはブラフか。
「ッ…………まさか、貴様が――《千変万化》を使って――内乱をッ」
「? ふん、これ以上の交渉は無意味ね」
空尾の問いかけを剣尾――裏切り者は鼻で笑うと、正眼に刀を構えた。




