257 魔王
その瞬間、炎の魔導師、《深淵火滅》のローゼマリー・ピュロポスは大地の嘆きを感じ取った。
目に見えない力を扱うのは魔導師の根本である。恐らく、ローゼマリー程の腕利きでなくとも、少しでも魔導の適性を持つものならばその力の発露を感じたに違いない。
それは。それほどまでに巨大な力だった。
それは、人の手では到底扱いきれない力だった。もはやその力の大きさは魔法を越えて災害のような規模で、レベル8で攻撃力に特化した《深淵火滅》でも到底相手にならない。
「チッ……厄介な事を、してくれる」
観客席で足を組み試合の経緯を見守っていたローゼマリーは、杖を持ち立ち上がる。
狐が何か企んでいるという話は聞いていた。合図をしろと、指示もした。だが、さすがにこの展開は予想していない。
狐面を被った男の言葉は冗談でもなんでもなかった。あの宝具は――世界を壊せる極めて強力な代物だ。そして、観客の中でも腕利きの者はローゼマリー同様、その言葉が真実だという事に気づいている。
見えない力が大地を穿ち、地面が震える。大きく建物が揺れ、何も気づいていない一般人が悲鳴をあげる。
地震ではない。これは、ただの破壊の前兆だ。
土煙で場内は見えない。だが、宝具は発動している。
《千変万化》の小僧……しくじったね。
策士、策に溺れるという奴か。これまで万象を手のひらで転がしたとされる神算鬼謀の謀略家も、人の子だったらしい。
長年、様々な魔法を見てきたローゼマリーには、場内で膨れ上がる破壊の力が極めて純度の高い無色透明なエネルギーだという事がわかった。
それは、狐面の男が雷帝、クラヒ・アンドリッヒを相手に一方的に叩きのめした術と同系統の術でもある。そしてそれは恐らく、狐面の男があの宝具を使った理由と無関係ではない。
クラヒが宝具の杖でブーストを掛けたように、彼にとって適性の高い宝具があれだったのだろう。
兵器を使おうとしているという情報は知っていたが、規模が予想よりも遥かに大きい。
「結界は保ちそうにないね。完全に許容外だ」
クリートの武帝祭で扱われる結界はあらゆる攻撃を軽減する。だが、流石にこの規模の破壊の法を前に意味はない。
ローゼマリーには地面の下にヒビのように広がる膨大なエネルギーがはっきりと見えた。
「ッ……どうする?」
ローゼマリー同様、状況を極めて正確に把握しているであろうガークが、場内を食い入るように睨みつける。
その時、再び放たれた衝撃が砂埃を吹き飛ばした。
視界が晴れる。そこに現れたのは――地面に刺さった一振りの剣に取り付いた二つの影だった。
一人は言わずと知れた《千変万化》。もう一人は――狐面の男。
破壊の波動が大きく会場を揺らす。みしみしと柱に、床に亀裂が奔る。
――だが、そのエネルギーは最初にローゼマリーが感じたものと比べて、大きく軽減されていた。
その事実が示す意味は――ただ一つ。
これが、合図だ。ローゼマリーは立ち上がり、混乱に呑まれかける観客達を叱咤した。
「落ち着きな! 《千変万化》が抑えている、まだ間に合うよッ!」
あの宝具が放つ破壊のエネルギーは確かに大きい。もしもまともに解き放たれたらクリートはもちろん、遠くゼブルディアまであまねく破壊が巡るだろう。それは、これまで犯罪組織によって齎された被害など足元にも及ばない、まさしく破滅だ。
だが、まだ間に合う。あの宝具の力は確かに巨大だ、ローゼマリーでも到底止められない規模だ。
だが、今ここで行われているのは武帝祭――ここには腕利きの魔導師が数百人いる。
破壊を防ぎ切る事はできなくても、軽減する事はできる。いや――実際に、《千変万化》がそれを体現している。
宝物殿を攻略するハンターは状況判断能力に優れる。ローゼマリーの言葉の意図を察した者たちが早速、地面に手を当て、破壊の力に力をぶつける。これほどの出力だ、恐らく宝具の効果は長くは続かないはずだ。
「俺は連中を避難させる」
「ああ、ここは魔導師の仕事だ。全く、老人をこき使うとは――小僧めッ」
ガークが避難誘導のために駆け出す。
護りは本分ではないが、そうも言っていられない。《深淵火滅》は大きくため息をつくと、久しぶりに全ての魔力を振り絞った。
§ § §
「《深淵火滅》に続けッ!! なんとしても、破壊を抑えるのだッ! 私の護衛なんていらんッ! 行けッ!」
甘かった。ラドリック・アトルム・ゼブルディアは予想だにしなかった展開に思わず歯を食いしばった。
「陛下、せめて避難を――」
「不要だ! 私には、見届ける義務がある!」
眼下では大勢の観客が逃げ惑っていた。泡を食ったように逃げ惑う者、避難誘導に入る者、その場に跪き力を抑えに回る魔導師達の姿がはっきり見える。
文献によると、大地の鍵の力は大地に干渉する大規模な破壊である。
その破壊の力は発動地点を中心に地脈のエネルギーを吸い広がる事で更に規模を大きくする。現在、闘技場を震わせる揺れなど、本来の破壊の切れ端のようなものだ。
立ち上がり、柵を掴み前のめりになって場内を睨みつける。
《千変万化》と狐が取り付いた大地の鍵は煌々と輝いていた。
大国の皇帝たるもの、常に冷静であることが求められる。
これまでラドリックも、いついかなる時も感情に呑まれる事なく皇帝としての振る舞いを心がけてきた。
だが、今ラドリックは煮えたぎるような熱い何かが自分の頭に上るのを、生まれて初めて感じていた。
「ッ…………おの、れッ……狐め。よもや、ここまでやるとは――ッ」
かろうじて残った理性が囁いていた。これは――憤怒だ。
これまでゼブルディア帝国の内部で行われた数々の暗躍に、ラドリックの暗殺未遂。自分の娘の複製を作られた際にもなんとか抑え込んでいた感情が今、完全に限界を越えていた。
これまでゼブルディアがなりふり構わず組織を潰さなかったのは、狐の活動が余りにも静かだったからだ。
大きな力を動かすには相応の理由がいる。ゼブルディアは絶対君主制だが、それでも表立った大きな被害を出していない相手を叩き潰すのに権力を使おうとすれば、必ず反対する者が出るだろう。時にはリスクとリターンを天秤にかけ、静観を選ぶ事も必要である。
だが、今回の件は――絶対に許容する事はできない。
光り輝く大地の鍵。文献によるとそれは――大地の鍵が全解放されている証である。
完全に解放された大地の鍵は地脈の力を吸い四方万里に影響を及ぼし、山を崩し大陸を沈め、地形すら変えるとされている。
宝物殿で発見された書物によると、太古、大地の鍵が存在していた時代も全解放された事はただの一度もなかったらしい。
そして、帝国の遺物調査院の研究によると、その文明が滅んだ理由は『大地の鍵』のたった一度の全解放によるものである可能性が極めて高いらしい。
秘密結社、『九尾の影狐』の目的が文明の破壊である事は知っていた。
だが、国を滅ぼす程度ならばともかく、星を変える程の力を見境いなく放つとなると、それはもはや――世界の敵だ。
その一撃は、絶対に放ってはならない一撃だった。そこには、組織もろとも世界を滅ぼそうという、悍ましい程の殺意があった。
これほどの計画が進行していると知っていたら、ラドリックはこの程度の手段を取っていなかった。
クリートが更地になろうが、他国の弾劾を受けようが、あらゆる手を使って狐を滅ぼしていた。
大きく深呼吸をする。脳内を駆け巡っていた燃え盛るような怒りが静まる。
だが、消えたわけではない。
最後に残ったのは――冷たい殺意だ。目を細め、柄に取り付く狐面の男を見下ろす。
強く握りしめすぎた拳。爪が皮膚を突き破り血が流れる。
だが、痛みも、揺れも、悲鳴も、今のラドリック・アトルム・ゼブルディアの意識には入らない。
「潰す――殺してやるぞ、狐め。たとえ何万の兵が死のうとも、草の根かきわけても、一匹たりとも逃さず滅ぼしてくれる」
なりふり構わないのは、狐だけではない。
§ § §
これが――《千変万化》。何という、イカれた男だ。
ボスは初回発動時に放たれた衝撃波をぎりぎりで受け流すと、とっさに《千変万化》が握りしめた鍵に取りついた。
同時に、魔力を鍵に流し込み、大地の鍵から放たれる破壊の魔力に、自身の力をぶつけ少しでも相殺する。これまで感じたことのない恐ろしい衝撃が身体を走り抜ける。
同じく剣を握りしめていた《千変万化》は目を頻りに瞬かせているが、抑えに入っている様子はない。
衝撃波を受け流せたのは奇跡のようなものだった。もしもまともにふっとばされていたら、戻ってくるまでの数秒で国が滅んでいただろう。大地の鍵の破壊は瞬く間に膨れ上がるのだ。
周囲の光景を気にしている余裕はなかった。ただ必死に破壊の力を相殺しながら目の前の男を睨みつける。
「き、さ、ま――なんと、いう――」
「え? 何が?」
《千変万化》が剣を握りしめたまま目を丸くする。《千変万化》は恐ろしい破壊の奔流の中、平然としていた。
大地の鍵の発動者の特権である。彼は、台風の目なのだ。きっと大地の鍵による破壊の波動を全く感じていない事だろう。
縊り殺してやりたかった。だが、そのような余裕はなかった。
一瞬でも気を抜けば、破壊に飲み込まれる。そんな予感があった。
宝具が光り輝いている。大地の鍵の力を完全に解放している証だ。
「ッ――きさ、ま――」
鍵に触れた手を通して流れ込んでくる力に、全身引きちぎられるような激痛が奔る。それは、これまで研鑽を積み膨大な魔力と力を手にしたボスにとって久しく感じていないものだった。
濁流のような力に自分の力が如何にちっぽけなものであるのかわかる。ただ、全身全霊を込めて鍵を握りしめる。
本来の作戦が成功したとしても、ここまでするつもりはなかった。狐の最終目的は文明の破壊だが、それは再生を前提としている。
大地の鍵の全解放はそれには余りにも破壊の規模が大きすぎるのだ。大地の鍵は切ってはいけない切り札の類だった。
多少の力を見せつければ、それで十分な示威行為になるのだ。
それを全解放するとは――この男、世界を滅ぼすつもりか。
正気じゃ――ない。
「土下座……ただ、土下座しようとしただけなんだ」
今手を出されたら、ボスは抵抗できない。だが、《千変万化》は手を出してくる気配はなかった。
そもそもボスを倒すために大地の鍵を発動させたわけでもあるまい。本末転倒過ぎる。
「どげ、ざ、だと!?」
何を言ってるのか、さっぱりわからなかった。世界を破滅に導く宝具を全解放してどうして余裕でいられるのか全くわからなかった。
思考が――読めない。クラヒは強かったが、ただの英雄だった。だが、目の前の男は違う。
「で、でもさ、君たちも悪いと思うよ。僕は別に君たちと敵対していなかったのに、ほら、さ――」
何故だ!? どうして、大地の鍵の発動を止めようとしない?
世界が壊れるのだぞ? ゼブルディアもクリートもその他の国だって全て滅ぶ。現代の地脈は古代の地脈と大きく性質が変わっているのでどの程度の規模まで広がるのか細かいところまではわからないが、少なくとも被害者は数百万人では利くまい。
《嘆きの亡霊》は苛烈だとされているのは知っていたが、苛烈なんてものではない。
目の前の男は――魔王だ。
文明ごと、味方ごと、狐を消し飛ばすつもりだ。
何も考えていないような間の抜けた表情が恐ろしいものに見えてくる。
《千変万化》が輝く剣と自分の手、そしてボスの顔を見て、眉をハの字にした。
「なんか色々、本当に申し訳ない」
活動報告にて、今週のストグリ通信(98)が投稿されています。
六巻キャラデザ公開第三弾を公開しています。
第三弾は絶賛活躍していないあの方です! 是非ご確認ください!
また、スピンオフにクリスマス短編を投稿しておりますので、そちらもよろしければ!
/槻影
更新告知(作品の更新状況とか):
@ktsuki_novel(Twitter)
P.S.
書籍版五巻、コミカライズ三巻まで発売中です。
それぞれ大なり小なり加筆修正されている他、それぞれ巻末にWeb版では語られない短編が収録されております。Web版既読の方も楽しんで頂けるよう手を尽くしましたので、そちらもよろしくお願いします!
 




