252 武帝祭④
完璧な策だ。妹狐は表情に出さずに己の手管に満足した。
トーナメント表を見た瞬間にこのような策を思いついてしまう自分の才能が恐ろしい。
なんだかよくわからないけど人間界では高名なハンターらしい危機感さんと、名前がそっくりの対戦相手。そのどちらも揃わなければ成立しない作戦だ。
妹狐の策略で、危機感さんは偽物となった。後から否定しようが、はっきりとした宣言をこの人数に見られているのだ。名誉挽回には苦労する事だろう。
あの危機感のまるでない顔が焦るところをこの目で見られないのだけが心残りだが、それは仕方のない事だ。
後は、危機感さんに掛けた迷いの術が切れる前に負けるだけである。危機感さんはこの晴れの舞台に立つことすらなく、気がついたら敗北しているのだ!
妹狐の変化の術は完璧だ。熟達度合いに差異こそあれど、【迷い宿】の幻影は総じて人に化ける力を持つ。
クラヒ・アンドリッヒは一歩下がり、呆然とした表情で呟いた。
「何を……言ってる……ッ」
「驚いたか? まさか偽物がいるとは思っていなかった? 僕と君が出会ったのを、偶然だったと思っていたのか!?」
目の前の人間の心を少しだけ読み取り、うまい具合に辻褄を合わせる。狐の術は人を騙すための術だ。見ず知らずの人間を手玉に取るのも容易い。
しかし、このクラヒ・アンドリッヒという男――凄く不思議だ。
この男の目には曇りはなく、その心には悪意はない。磨かれた魂はその身に相応の力を反映し、手に持った杖も宝具だ。
あの危機感さんに似ているのは正真正銘、名前だけである。強いて言うなら髪の色も一緒だが、その二点を除けば何もかもが違う。
そしてこの男はどうやら――《千変万化》を知らないらしい。けっこう有名なようなのに、世界って本当に不思議だ。
だが、好都合である。相手が偽物だったら妹狐の宣言に動揺したのだろうが、相手にその自覚はないのだ。
これはもう天が妹狐に化かせと言っているようにしか思えない。
クラヒを化かし、観客達を化かし――危機感さんを化かす。
両腕を開き、余裕を示す妹狐。無数の視線が集まっているのを感じる。
好奇の視線。戸惑いの視線。侮蔑の視線。混乱のざわめきが心地よい。混乱こそが【迷い宿】の幻影の本懐なのだ。
――そして、クラヒ・アンドリッヒは一歩前に出ると静かに、しかし声を震わせ、言った。
「そんな事を言うんじゃない、クライ。この世の中に――本物も偽物もないんだ」
言い切った時にはその身体の震えは止まっていた。危機感さんと同じ色の目が静かに輝いていた。
静かな口調だが、声は不思議と会場に響いた。
「人はどんな手段を使ったって、他人にはなれない。君は僕にはなれないし、僕も君にはなれない。だが、そもそも、なる必要なんてないんだッ! 君は僕になんかならなくたって、立派なクライ・アンドリヒなんだからッ!」
「……????」
目を瞬かせ、妹狐の策謀に欠片も気づいていない男をじっと見つめる。
その不思議と耳触りのいい声に会場は完全に聞き入っていた。
なるほど、どうやら危機感さんは危機感がないが、このそっくりな名前の人間も同じくらい危機感がないらしい。
「僕に憧れるのは別に構わない。そっくりの二つ名を持つ事も気にはしない。でも、己を捨てて僕になろうなんてそんな悲しい事を言わないでくれ……この武帝祭に立つ権利を持っている時点で君は卓越している、ただの偽物ではこの場には立てない。僕に憧れているという事実も含めて、君はクライ・アンドリヒだ! その事実を卑下することなく、自分を認めて欲しい! そして、その時こそ、僕は笑顔で君と武を競い合おうッ! またこの、武帝祭の会場でッ!」
真っ直ぐな声が空に消える。一拍遅れ、会場が爆発的な歓声に包まれる。どうやらパフォーマンスとして認識されたらしい。
危機感さんが完全に噛ませ犬のようになってしまった。予定通りではあるがなるほど、人間社会というのもなかなか勉強になる。
どうするべきか……少し迷い、妹狐は手を上げる。
偽物の動きに会場内が静かになる。本当だったらこの辺りで嘲笑を浴びる予定だったのだが、どうやら嘲笑よりも憐憫の視線の方が強いようだ。
「…………くだらないな、本物。今ここで、君は倒れる。ここは武帝祭の会場だ、御託を並べる前に武を示すんだ。それとも、勝つ自信がないのかい?」
妹狐の声に、クラヒの表情が少しだけ悲しげに変わり、だがすぐに叫ぶ。
風が吹いた。大きく黒衣がはためき、その右手に持った杖が目に入ってくる。
杖頭に青いクリスタルがはめ込まれた、金属質の杖だ。そして、この世のものではない。
「僕は――偽物の君になんて、負けないッ! 君が真の己を見出すまで、君の目標として、理想として、立ち続けるッ! 何よりも、クライ・アンドリヒ――君自身のためにッ!」
妹狐はその声をさらりと聞き流した。
クラヒ・アンドリッヒには才能がある。経験もある。精神に芯も通っている。
だが、目の前の男の持つ杖はそれ以上に強みだった。
クリスタルを中心に、紫電が散る。宝具の杖だ。特定の属性に特化し威力を増強させる杖。
予想以上の光景に、表情に出さずに納得する。
なるほど、危機感さんの一万倍は強いと思っていたが、一万倍程度ではなかったらしい。その身に宿った魔力が練り上げられ、爆発的に増幅している。
この男――雷の魔術師だ。しかも、他の属性を一切取っていない、一極型の魔術師。
空が、空気が戦慄いていた。《千天万花》。クラヒ・アンドリッヒが叫ぶ。
「君を倒す――君には借りがある、故に、手は抜かないッ! 僕の全力を受け止めろッ! 《千天万花》、千の天を旅し、万の花のように輝く――この雷帝、クラヒ・アンドリッヒの力をッ!!」
ほぼ反射的に上を見る。そして――天から一筋の光が降り注いだ。
§ § §
武帝祭の観客席。その一角で、《嘆きの悪霊》のメンバー達は身を縮めながらその光景を観察していた。
ふんぞりかえり、脚を組んだクトリー・スミャートが天から降り注ぐ雷を見て、舌打ちを漏らす。
「チッ。相変わらず、馬鹿げた力だ。また威力が上がってやがる」
「あいつほんと強いからねー。あたしら、いらないもん」
エリザベス・スミャート――ズリィもその意見に同意し、深々とため息をついた。
クラヒは強い。パチもんみたいな名前をしている癖に、無駄に強い。
彼は単純だ。単純で騙されやすく余り物事を深く考えず、そして魔導師の強みである様々な魔法を使うことができない。
だが、強いのだ。
クラヒ・アンドリッヒが使えるのは数ある魔術の中でも最難関と呼ばれる雷の術だけだ。そして彼は、一部では英雄の魔法とも呼ばれるその激しい光と衝撃を撒き散らす術を愛している。
彼はソロで活動してきた。ソロで活動できていた。相手がどれほどの大群でも負けなかった。
きっと、《千変万化》そっくりの名前じゃなくても、クラヒは大成していただろう。
――彼はほぼ全ての能力を雷の術に振っていた。《千天万花》の二つ名はクール達のアイディアによるものだが、《雷帝》は自称ではない。もしも彼に二つ名がつくのならば確実にそちらになるはずだ。
無数の落雷が広い会場内をあまねく打ち付ける。激しい衝撃と音に、観客席と中を隔てている本来見えないはずの結界がたわんでいる。
収束した雷は地面に深い穴を穿ち、衝撃に舞い上がった土埃が会場内に舞い上がる。
明らかに人間相手に使うような魔法ではないが、彼はそのような事は気にしないだろう。
クラヒはいつだって全力だ。そしてそれは美点であると同時に欠点でもあった。
朝からずっと顔色の悪かったクール・サイコーがお腹を押さえながらぶつぶつ呟く。
「まずいですよ……これ……まだ相手の意図もわかっていないのに……」
「がんばれ、おにーちゃーん! 偽物なんてぶっ殺しちゃえッ!」
ルシャが雷にびくびくしながら応援している。
確かにクラヒは強い。強いが、レベル8に勝てるとは思っていない。
クラヒ・アンドリッヒがいつも冒険している宝物殿はレベル5だ。弱いクール達がいるからこそ、彼は探索する宝物殿のレベルを下げなければいけなかったのだ。
彼の攻撃魔法は複数人で活動するのには余りにも向いていない。
きっとクール達が《嘆きの悪霊》なんて作らなければ、クラヒはソロでどんどん宝物殿を攻略し、更に強い魔術師になっていただろう。その事実に後悔がないわけではない。
――人はどんな手段を使ったって、他人にはなれない。
奇しくも、クラヒの口上はクール達にクリティカルヒットしていた。もしも彼は自分がいつの間にか偽物になっていることを知ったらなんと思うだろうか?
名前が似ているなど、所詮は子供だましだ。いつか気づく日もくるはずだった。
――だが、ここまで来たからにはクール達にできる事はなにもない。既に賽は投げられた。
雷帝が咆哮する。更に落雷の数が増え、光と衝撃が増す。
雷の術で最も有名な上級魔法、『蹂躙する雷』の更に上。
最上級雷属性魔術。『天の雷』。
本来クール達では生涯見ることがなかったはずの術はまるで、天変地異のようだった。
まともに命中すれば肉体を鍛え上げたハンターでも消し炭になる恐るべき術だ。連続攻撃なので世界最高峰の防御手段とされる結界指も意味をなさない。
まさか初っ端からこれほどの術が出てくるとは思わなかったのか、他の観客達も呆然としている。
落雷は止む気配がなかった。
光のせいでクラヒ・アンドリッヒの姿は見えない。だが、クラヒにも相手を倒したのならば魔法を止めるくらいの分別はあるはずだ。
攻撃が止まらないことこそが、相手が生きている証。
本物が偽物宣言する理由はクールの先見でも全くわからなかった。だが、本物の《千変万化》は謀略家である、うまく立ち回らないとろくでもない結果が待っている事は確実だ。
ここまで来てしまった以上は、さすがのクールでも彼を放棄する事はできない。ずるいキャラ付けをされているズリィも何も言わないのだから、意志は同じなのだろう。ルシャについては言わずもがなだ。
もしかしたら誠意を見せれば《千変万化》は許してくれるかもしれない。許さないつもりならばそもそも偽物宣言なんてせず、手っ取り早く糾弾していたのではないか? という考え方だってできる。
だが、果たしてリーダーが許しても、その仲間たちは許すだろうか?
《嘆きの亡霊》と言えばあらゆる犯罪組織を片っ端から潰しまわり、ブラックリストハンターにすら恐れられたパーティだ。その構成員は《千変万化》に匹敵する知名度を持っている。クール達など小指一本で潰せるだろう。その上、クラヒは無罪だがクール達は違うのだ。
絶え間ない雷を耳にしながら、身体を震わす。そして、クールは何気なく本物の応援メンバーがいる席を見る。
――応援席では、《始まりの足跡》のメンバーが声を張り上げ、応援をしていた。
絶え間なく降り注ぐ雷も全く意に介すことなく、声を張り上げている。初めは本物の応援をしているのかと思ったが、そういう訳でもないようだ。
「いけー! やれー! 痛い目に遭わせてやれー!」
特にテンションが上がっているのは、以前一度顔合わせをした《嵐撃》のスヴェン・アンガーである。随分楽しそうだ。
もう何がどうなっているのかわからないが、どうやら本物のお仲間は本物の奇妙な宣言を全く気にしていないらしい。
あらゆる意味で理解できない。
「…………」
クールはそこで、考えるのをやめた。もうダメだ、荷が重すぎる。いくらクールになってもわからないものはわからないのだ。
所詮は千剣をもじった先見だ。付け焼き刃だ。
と、そこで唐突に落雷が止まる。土煙の中から、クラヒの訝しげな声が聞こえてきた。
「馬鹿な…………回避不可能な雷による連撃を、全て、避けた!? 君は何者だ――クライ・アンドリヒッ!」




