249 武帝祭
そして、運命の日がきた。
朝からお腹が痛かったが、ルシアが僕を叩き起こしてくる。
「ほら、しっかりしてくださいッ! リーダーッ! そんなんで、戦えるんですか? 相手も腕利きなんですよ!?」
「…………宝具チャージされてないから無理」
完全に寝不足だった。
全力で言い訳する僕を、できの良い妹はじろりと見下ろして言った。
「しておきました」
ホントお腹痛い。今すぐ帝都に帰りたい。
朝っぱらからルークと模擬戦していたらしいリィズが目を瞬かせ僕をジロジロ見て、不思議そうに言う。
「クライちゃん、本当に調子悪そう。いつも何があっても平気そうにしてるのに……」
いつだって調子悪いわッ!
どうやらずっとベッドに潜って寝ているわけにはいかないらしい。僕は仕方なく身を起こした。
シトリーが今日もにこにこしながら手を合わせる。
「まぁまぁ、クライさん。トーナメント表のクライさんがクライさんじゃないクライさんならクライさんがクライさんクライさん……」
シトリーがバグってる……頭を叩きすぎただろうか。
どうやらよほどツッコミが気に入ったらしい。シトリーはそのまま、にこにこと僕の前にポーションを並べ始めた。
「これが煙、これが爆発、これが毒、これが麻痺、これが眠り、これがキズぐすり、これがマナポーション――」
頭バグってても機能が残ってるんだけど……。
いや、まだだ。まだ、わからない。まだ出場者一覧にある僕が僕じゃない可能性が残っている。
そっくりさんがいるんだから本物さんがいてもおかしくない(意味不明)。
どうしようもない緊張感と焦燥感で吐きそうだ。
ルシアが呆れたように言う。
「はぁ…………なんで武帝祭に出たくないならチケットなんて貰ってきたんですか……」
「観戦したかったから」
もっと言うなら、ルーク達が観戦したがると思ったからなんだが、まさかこんな事になるなんて。
と、そこで長いパンを口いっぱいに豪快にもぐもぐやっていたルークが、しっかり飲み込んだ後朝っぱらから大声で叫んだ。
「なるほど、つまり――戦場が一番の特等席って言うことだなッ!!」
もう観戦じゃないじゃん。それ、もう観戦じゃないじゃん。死ぬじゃん。飛んでくるの流れ弾どころじゃないじゃん。
いや、大丈夫。大丈夫だ、僕は参加しない。参加しないんだ。だから、何も恐れる必要はない。
ちょっとまだ緩んだネジが締まっていないらしいシトリーに確認する。
「ちなみに、一応確認するんだけど、武帝祭って降参ってできるんだっけ?」
「えっと……一応、制度はあったはずです」
「なんだと!? そんなつまらない事させねえッ! そんな奴いたら、降参する前に俺の剣のサビにしてくれる!」
「ルークちゃん、知らないかもしれないけど――木刀は錆びないよ?」
「…………うむ」
「…………はぁ」
いつも通りのルーク達のやり取りに、ルシアが深々とため息をついた。
やばい。ルークの木刀の錆にされる。
大丈夫、大丈夫だ。僕じゃない。参加するなんて言った記憶は一度もないし、トーナメント表はそっくりさんなのだ。
もし万が一、億が一、参加することになったとしても相手はルークじゃないから大丈夫。きっと降参する時間くらいくれるはずだ。
大きく深呼吸をすると、僕は笑みを浮かべた。
人間、どうしようもなくなったら笑うしかないのである。
「さぁ…………(ある意味)伝説を作りに行こうか」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
§
武帝祭の会場。クリートのど真ん中に位置するコロシアムは、まだ開場前なのに熱狂の渦に包まれていた。
歓声に怒声。肌がひりつくような戦場の気配。多種多様な武器を持った者たちで溢れかえり、まるで戦争の前のようだ。
そして実際に、武帝祭は戦争である。
時に、ハンターにとって誇りは命に勝る。この大会は最強を決める大会であると同時に、毎年少なからず死者を出している大会なのであった。
「おうおう、どうした、クライ。今日は顔色がわりーな!」
「いつだってこんなもんだよ」
「本当に大丈夫か、です! ヨワニンゲン、一回戦だろ、です!」
《黒金十字》、《星の聖雷》を始めとする《足跡》応援メンバーと合流する。
どうやら僕の顔色は、スヴェンやクリュスから見てはっきりわかるくらい悪いらしい。
もう誤解を解くつもりはないが、どうやらみんな僕が戦うと思い込んでいるらしいな。言ってよ! そう思っているなら、もうちょっと前に言ってよ!
僕は今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑え、ハードボイルドに言った。
「これは武者顔色悪いだよ」
「は? 今なんて? です?」
駄目だ、シトリーだけじゃない。今日の僕はちょっと思考がバグっている。
「ちょっと昨日、深く考えすぎてよく眠れてないんだ」
嘘じゃない。考えすぎで眠れないなんて久しぶりだ。寝付きの良さは僕の数少ない長所の一つだったのに――。
「おう、わかるぞ、クライッ! 俺もワクワクしすぎて夜通し素振りやってたからなッ!」
見るに明らかにテンションの高いルークが人混みにも拘らず咆哮する。
ちょ、やめて、ルーク。一緒にしないでッ!
「な、何だ、心配して損した、ですッ! ふん! 無様だけは見せるなよ、ですッ!」
「考えすぎてよく眠れないって……やる気満々って事か。珍しいな」
「ますたぁ、頑張ってください! 準備は万端です、全財産賭けましたッ!」
ティノが緊張したような表情で拳を握り鼓舞してくれる。
大丈夫、大丈夫だ。ティノの全財産はシトリーが補填してくれるから大丈夫。
いや、僕じゃない。僕は出場者じゃない。信じるものは救われる、僕は出場者じゃない。絶対に出ない、出ないぞ。
僕は穏やかな笑顔でティノに言った。
「ティノは駄目な子だなぁ」
「!? え!?」
ティノめ、同姓同名がいる可能性を考えないなんて本当に駄目な子だ。
§
入場ゲート。チケットを見せて入ろうとしたところで、受付さんが目を丸くして言った。
「クライ・アンドリヒ様…………あれ? 先程入場されましたよね?」
「え!?」
思いもよらぬ言葉に、僕は目を見開いた。
後ろについたシトリーたちもぽかんとしている。シトリーがすかさず口を挟む。
「クラヒ・アンドリッヒと間違えたのでは?」
「いえ……間違いありません。既に入場しています」
受付さんが僕の顔を胡散臭げな目つきでジロジロ見る。
これはもしかして…………もしかするのでは?
そうだ。だって僕、参戦するなんて言った記憶ないし。はは、いくらなんでも、参戦と観戦を間違えたりしない。
現金なもので、一気に気分がよくなってきた。思わず笑みが溢れる。
全く、紛らわしい事をしてくれる。誰だこのクライ・アンドリヒって。
賭けちゃうぞ?
ルシアがジト目で僕を見上げてくる。
「何、嬉しそうにしてるんですか、リーダー」
「とりあえず再入場でお願いします」
シトリーの言葉に、受付さんが僕の腕を見て言う。
「ああ…………選手の証も無くしたんですか? 再発行できないって言ったのに……ほら、もうなくさないでくださいね。では、武運を」
安心感で気が緩んでいる間に手にぱちんと腕輪をはめられる。
はは、選手の証って。いらないって、選手じゃないんだから。
「クライ・アンドリヒさんは第一回戦なのでこちらです」
「頑張ってねえ、クライちゃん!」
ははは、そのアンドリヒさんは僕じゃないから大丈夫だって。
「控室はこちらです」
ははは、控室って、観客が何を控えるのさ。僕が控えてるのは戦いとお酒だけだ。
ばたんと扉が閉まる。
その音で僕はようやく我に返った。
控室は清潔だが特筆すべき点が何もない空っぽの部屋だった。
存在する家具は椅子とテーブル。そして、冷蔵庫だけ。見上げるとすぐ上に天井。隠れる場所も特にない。
どうして、なんでこうなるんだよ! はっきり断れよ、僕!
安堵のあまり完全に脳みそが空っぽになっていた。
きょろきょろ周囲を見るが、この状況を説明してくれそうな人は誰もいない。
だが一番の問題は、控えているはずの本物のクライさんがいないことだ。
控室には隠れるような場所も何もない。
僕は一縷の望みをかけて、とりあえず小さな飲み物用の冷蔵庫を開けた。
「クライさーん、ここかなあ?」
中に入っているのは水の入った瓶が数本だけだ。やばい、いるとは思わなかったが本格的にどこにもいない。
いや、まだだ。まだわからないぞ、クライ・アンドリヒが液状の生き物の可能性もある? 武帝祭の出場者に種族による制限はなかったはずだ?
「クライサーン、コレガクライサン? ソレトモコレガクライサン? ソレトモコレカナ?」
『きゃん!?』
水の瓶を一本ずつ取り出して現実逃避していると、水の瓶が悲鳴をあげる。
そこで、僕は二度目に我に返った。
「ちょっと、トイレ……」
やばい、現実逃避してる場合じゃない。幻聴なんて聞いてる場合じゃない。
本物のクライさん、どこ?
時間がなさすぎて投稿が遅れました。しばらく不安定です。
活動報告にて、ストグリ通信(92)が投稿されています。
魔物使いコラボの話をしています。是非ご確認ください!
/槻影
更新告知(作品の更新状況とか):
@ktsuki_novel(Twitter)
P.S.
書籍版五巻、コミカライズ三巻まで発売中です。
それぞれ大なり小なり加筆修正されている他、それぞれ巻末にWeb版では語られない短編が収録されております。Web版既読の方も楽しんで頂けるよう手を尽くしましたので、そちらもよろしくお願いします!




