244 大罪人②
九尾の影狐。通称――狐。
古くから存在する、反社会組織の中でも最大規模とされる組織は今、静かな混乱の中にあった。
各地の構成員から報告を中枢部が受け取り、作戦を立案、指示を出す。それが、狐の手口だ。
情報を受取る『中枢部』も複数存在し、最高幹部を除いてその全容を知るものはいない。徹底した秘密主義はここまで捜査の手を逃れ組織が発展した一因だったが、今、それが裏目に出ていた。
構成員は与えられた尾の数に応じて、ある程度の裁量権を持つ。武帝祭で計画を実行するはずだった七尾のガフも上級構成員の一人だ。
慎重さとカリスマを併せ持ち、特に部下を指揮し目的を達成する力に定評があった男だが、今の武帝祭で発生している出来事は少しばかり大仰に過ぎた。
帝都ゼブルディアを中心とした広域の情報を集め整理する、存在を知る者さえほとんどいない狐の中枢――作戦本部で、狐面を被った者たちが情報整理に明け暮れていた。
「油揚げの製造? どの作戦だ?」
「盗賊王からは作戦はつつがなく進んでいるという報告が――」
「狐が他組織を集め狩っているという情報が――」
「ガフの作戦の一環だろう。作戦変更時は報告を入れろと言っておけ」
ある程度の情報の齟齬は考慮している。現場に力を与えているのはどんなトラブルでも柔軟に立ち回るためだ。
これまで、それでうまくやってきた。量より質を重んじてきた狐の組織に無能はいない。
「ゼブルディア側で狐が、クランが取った宿の一室を爆破したと言う情報が入った。《始まりの足跡》だ、どこの部隊だ?」
「皇女の偽物が出た……?」
次から次へと計画にない情報が入ってくる。真偽を確認しようにもクリートに入っている部隊は作戦行動中だ、向こうから報告がない以上、作戦に問題は起こっていないはずだ。
今回の計画は狐がこれまで行った中でも最大規模である。実行部隊も精鋭揃いで、特にそれらを率いるガフは手腕も野心も並外れた男だ。この作戦の重要性は一番理解しているはず。
しかし、宿の爆破や他の組織の切り捨てはともかく、皇女の偽物は看過できない。
「念の為、新たな部隊を送れ。作戦には影響ないはずだが、何者かの妨害の可能性がある。後、研究科に皇女の偽物を作り野放しにした馬鹿がいないか確認だ。ボスにも連絡を送れ」
今回の作戦は組織の象徴とも呼ぶべき最高幹部が参加する重要なものだ。
超高レベル宝物殿から持ち帰った狐の面を持つ最高幹部――九尾の持つ権力はそれ以下と大きく隔たる。
権力も、カリスマも、そして――個としての戦闘能力も。無能をさらせば、如何に味方でも粛清されかねない。
と、その時、並んでいた狐面の一人が立ち上がり、珍しく焦ったような声をあげた。
「クリートに向かったボスから、例のぶつはどうなったという緊急連絡が――」
「なに……!? ガフからはもう既に引き渡したと――」
皇女の偽物は特に作戦には関係ないが、例のぶつ――あの宝具は、今回の作戦のメインとも言える存在だ。
既にガフからは直接、ボスに引き渡したという報告を受けている。この問い合わせは明らかにおかしい。
ガフには狐神の巫女もついているはずだった。ボスの顔を見誤るわけがない。
それらを考慮すると、出される結論はたった一つ――。
「――まさか……これは…………内部抗争、なのか!?」
「ッ!?」
衝撃的な言葉に、室内が一瞬静まり返る。
最高機密故、情報の中枢でもその全容を知っているわけではないが、狐面を持つ最高幹部――通称、ボスは一人ではない。ボス同士は定期的に極秘に連絡を取り合い、運営の指針を決めているらしい。
普段は地方に分かれて組織を指揮していると考えられているが、極稀に命令が競合することもある。
だが、今回の件は競合などというレベルではない。
重大な作戦だ。ボスが使うはずの『それ』を他のボスが横から掻っ攫うなど、許される事ではない。
それはつまり、これまで組織の中では無縁だった権力争いが勃発しかけている事を意味していた。
「どうする?」
「……嘘偽りない、真実を伝える。我々には……手に負えない」
ガフの責任ではない。もちろん、本部の責任でもない。
ボスの正体は機密で、権力は狐内では絶対だ。逆らうことはできない。
これまでずっと組織はそうやって発展してきたのだ。
内部で抗争が起これば狐の機能は麻痺し、大勢の死者が出るだろう。
各地に連絡をとっていた狐面たちが再び動き始める。だが、漂う空気は大きく変わっていた。
血で血を洗う戦争が今、目の前に迫っている。
§ § §
「狐の陰謀、か……正直、僕とはかなり相性が悪いな」
「ここまでやって、何を言っているんだ、貴様は!」
ハードボイルドに降参宣言をする僕を、フランツさんは一言で切って捨てた。
気が進まず停止を訴えてくる身体を無理やり動かし、フランツさんについていく。後ろにはシトリーがにこにこしながらついてきているし、どうやら今回はトイレ作戦も通じなさそうだ。
どうして僕はいつもこう運が悪いのだ。また状況に流されている。
僕は海底に揺蕩う昆布。うみ、きれい。
いや、まてまてまてまて。諦めるのはまだ早い。ここで諦めたら僕は悪い方の狐とぶつけられてしまう。
感情を込めてフランツさんに訴えかける。
「フランツさん、相性だ。ハンターには相性があるんだ! 狐と僕は、相性が、悪いんだよ。狐と相性がいいのは、ガークさんと、燃やす婆さんだよ!」
「燃やす婆さん!? いや――その前に。相性が悪いとは、貴様、狐の正体を知っているのか!?」
墓穴をほってしまった。フランツさんが目を見開き食ってかかってくる。
僕は反射的にシトリーちゃんを引き寄せ後ろに隠れようとして、あまりにも情けなかったので思いとどまり肩を抱くに留まった。
「知らないよ。知らないけど、予想くらいつけられるッ!」
「予想!? どういう事だ!? いつもいつも回りくどい言い方をせず、明言しろ!」
だってほら……僕と相性いい相手なんて、おりませんし。逆にそんなやついるなら連れてきて欲しいものだ。
目を逸らすと、ちょうどシトリーと目と目が合う。
シトリーはさも自分はわかっていますよとでも言うかのように頷くと、フランツさんにどこか自慢げに言った。
「落ち着いてください、フランツさん。これこそが、万象を識る事で未来をも見る、《千変万化》の神算鬼謀なのです!」
シトリー……君は僕の何を知っているというんだ。いつ僕が未来を見た! 目の前すら余り見えていないのに……。
シトリーの髪を仕返しにくしゃくしゃにしてから、堂々と言い切る。
「ああ、そうだとも。僕には見えるね――僕と相対した狐が破壊の限りを尽くすその姿が!!!」
「………………ッ。まあ、いい。どちらにせよ、戦いは避けられんッ! 奴らは、ゼブルディアのみならず各国を脅かす敵なのだ!」
「いや、もちろん戦わないって言ってるわけじゃないんだ! でも、人には相性がある。僕には――アークが必要だッ!」
シトリーのもちもちしたほっぺたを摘みながら言う。
この口か? 悪いのはこの口なのか? シトリーの事を信じていたのにッ! 悪ふざけするんじゃない! ニコニコするんじゃないッ! この、この!
「ッ……真面目にやれッ!」
「僕は真面目だ!」
「なおのこと悪いわッ!」
どうしろって言うんだよ……。
§
もはや処刑される直前の罪人のような気分でついていくこと十数分、たどり着いたのは、クリートの大通りから少し外れた場所にある大きな屋敷だった。
人通りは多くはないが道々には完全武装の憲兵が巡回し、明らかに普通ではない。屋敷の前にも同じように屈強な兵が立ち並んでいる。
フランツさんがずかずかと歩いていくと、兵は揃った動作で敬礼する。
「噂には聞いていましたが、物々しいですね」
「……うんうん、そうだね。噂には聞いていたけどね」
もう完全に何も考えずにただ頷く人になっていると、フランツさんが戻ってくる。
作戦会議をするのではないのか? どこに行くつもりなのか?
顔に出さずに頭の中を疑問でいっぱいにする僕に、フランツさんが信じられない事を言った。
「陛下がお会いになる」
「!???」
えぇ…………皇帝、暇なん?
確かにエヴァは皇帝陛下にお伝えしなくてはとか言っていたが、まさか面会することになるのか……凄く……会いたくない。
「ミュリーナ殿下もおられる。もう既に散々無礼な真似をしているが、失礼のないようにしろ!」
「……今、凄く失礼な事を考えたけど口に出さなかったよ」
「………………貴様はッ、私の寛容さを試しているのか? んん?」
会いたくない会いたくない会いたくない会いたくない。
皇帝陛下、お腹壊して面会なくなったりしないかな。
シトリーは何故か目を輝かせているが、僕はこう偉い人と対面するのが凄く苦手だ。
言っておくけど僕はほんと礼儀なってないよ? ふわふわ生きてきたからな。見るに見かねたルシアから黙っていてくださいと言われるレベルだ。
そうだ……何も言わなければいいのではないだろうか? シトリーに全て任せ――ダメだよ。今日のシトリーには何も任せられない。
やたら警備の多い屋敷の中を歩き、立派な両開きの扉の前で立ち止まる。
前を守る騎士にフランツさんが話しかけると、程なくして扉の中から声がした。
「入れ」
今にもゲロ吐きそうな気分で、フランツさんに続く。
いるないるないるなと必死に祈りを捧げたのだが、中では果たして僕にチケットをくれた皇帝陛下が泰然と待っていた。隣に立っていたミュリーナ皇女が僕を見て顔を強張らせぴくりと動くが、思いとどまったかのように静止する。
部屋の中には、飛行船の時とは比べ物にならない数の警備がいた、酷く物々しい、張り詰めた空気。
さすが大国の皇帝、部屋には窓もなく警備も厚い。でもどうせ、狐が襲いかかってきたらなすすべもなく負けるんだろ?
僕に何をしろと言うのだろうか。そうだ、まずは――膝をつかなければ。
「今は非常事態、余計な礼は不要だ、《千変万化》」
礼が不要じゃなければ時間稼ぎができたのに……身体が……身体が、ひれ伏したがってる。
「既にフランツから話を受けている、狐の手からミュリーナの偽物を救い出したそうだな。よくぞやってくれた」
「…………た、大した事ではありません」
本当に大した事じゃないんだよ。そして、大したことをしでかしてしまったのはシトリーである。
そこで、シトリーが一歩前に出ると、皇帝陛下にしっかりと目を合わせ、毅然とした態度で言い切った。
「我々はゼブルディアでハンターになった者、大恩あるゼブルディアのために尽くすのは当然です」
舌を抜き取ってやりたい。
耳触りのいい真剣な声で述べるシトリーに、皇帝陛下の視線が移る。
「なるほど…………貴様は、シトリー・スマートか。聞くところによると、錬金術師としての腕前はかなりのものだと」
「光栄です、陛下。しかし、私の技など《千変万化》の技に比べれば自慢できるほどのものではございません」
吐きそうだ。ちょっと、やめて。
僕の事を考えてくれているのかもしれないけど、特に意味のない持ち上げするの、ほんとやめて。
「ふむ……ところで、貴様と《千変万化》の関係は?」
「妻です」
僕はほぼ反射的にシトリーの後頭部をすぱーんと叩いた。
フランツさんが、護衛の兵たちが、ミュリーナ殿下が、そして皇帝陛下までぎょっとしたように目を見開く。
しまった……いやいや、でも。さっきから嘘しかついてないじゃないか!
僕は僕にでき得る最も格好いい顔を作って誤魔化した。
「冗談はここまでにして、本題に入りましょう、陛下」
「…………ああ、そうだったな。フランツ」
皇帝陛下の指示で、フランツさんが前に出る。頭を叩かれたシトリーは何事もなく真面目な顔で立ち直っていた。
フランツさんは小さく咳払いをすると、僕を睨むような目つきで見て言った。
「ごほん。そういえば、《千変万化》は宝具コレクターだったな。貴様は、『大地の鍵』という宝具を知ってるか?」
「ん? ああ、持ってるよ」
「ほう、さすがだな、持っているとは………………はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」
「!? い、いや、最近、色々あって偶然手に入れたんだよ。一本だけだよ」
しまった……隠すのが正解だったか?
新作(旧作のリメイク)、投稿中です。
ある意味嘆きの前身となった作品ですので、気になった方は下のリンクから是非!
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活動報告にて、ストグリ通信(85)が投稿されています!
これまでのシトリーのイラストの復習や、五巻挿絵の公開などしています。是非ご確認ください!
また、書籍漫画同時発売記念全プレキャンペーンについても、期限が10/7消印有効に延長されておりますので、まだ未応募の方も間に合います。よろしくおねがいします!
/槻影
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