242 助け
「…………まったく、何をやっているんだか……」
エヴァは額に指を当て、深々とため息をついた。
《始まりの足跡》、副クランマスターの人脈は広い。特に商人を介したネットワークはゼブルディア全土はもちろん、クリートまで含まれている。
クリートに入って数日。
癖のように集めた情報によると、どうやら、クランマスターはこの街に来てから随分活躍しているらしかった。
犯罪件数の減少に、名のある賊の捕縛。ガークや《深淵火滅》、ローゼマリー・ピュロポスが入っているという情報もある。
《千変万化》の名前がはっきり出ているわけではないが、前述の情報に加えて、灯火騎士団が関与しているとなればもはや疑う余地はない。
大舞台を前にこれだけの事をしでかすとは、相変わらず大胆というかなんというか――。
自分に何か出来ることはないだろうか? そんな思考が脳裏を過るが、これまでマスターの謀略にエヴァがついていけた事はない。
エヴァが関わるのは、大体全てが終わった後である。今回も、エヴァの情報網に引っかかったということは既に終わった後なのだろう。
そもそも、助けが必要ならば向こうから声をかけてくるはずだ。副クランマスターとしてできるのは、後始末くらいである。
信用されていないわけではない。《千変万化》という青年はそれなりに付き合いのあるエヴァから見てもずっと千変万化なのであった。
難しい顔で、運ばれてきた各社の新聞を確認していると、ふと扉をどんどん叩く音がした。
「助けて、エヴァ!!」
「!? な、なんですか、いきなり――」
確かに、助けが必要ならば向こうからくるはずとは思ったが、いくらなんでも早すぎる。心の準備が全くできていない。
鍵を開けると、いつも通り力の抜けるような表情をしたクランマスターが飛び込んでくる。
後ろにはシトリーと、布を被せられ隠された小柄な何か(恐らく、子ども)を連れていた。
室内を見回しエヴァ一人しかいない事を確認すると、クライは大きく深呼吸をした。
「……で、どうしたんですか、助けて、とは」
クライがエヴァに助力を請うのは初めてではない。その大部分は後片付けで、大した手伝いでもなかった。
どうやらこのクランマスターは平然と事件を解決するのに、後始末や人とのやりとりなど面倒な部分を苦手としているらしかった。
今回も恐らくその類だろう。武帝祭の前なのだ、さすがのクライも全て一人で決着をつけるような余裕はないに違いない。
「助けてくれる?」
「…………まぁ、私にできる事なら――」
実力とは裏腹にいつも自信なさげな表情をしているクランマスターはエヴァの言葉を聞くと、ほっとしたようにもう一度呼吸をして、人差し指を立て声を潜めて言った。
「まずは、これを見て欲しい」
クライがそっと被せられた布を剥ぐ。その下から現れた顔に、エヴァの思考は完全に凍りついた。
現れたのは、ゼブルディアの皇女殿下――ミュリーナ・アトルム・ゼブルディアだった。
写真でも見たことがあるし、白剣の集いではメイドに変装したのを目で見ている。見誤るわけがない。
「!? ちょ、ど、どど、どういう――」
「実は彼女――偽物なんだ」
「!???」
もう意味がわからなかった。皇女殿下はエヴァの視線を受けても微動だにせず、ただゆっくりと瞬きをしている。
一度凍りついた思考が徐々に働き始める。
どこからどうみても(服装以外は)皇女殿下にしか見えないが、同時に皇女殿下がこんな所にいるわけがない。
大国ゼブルディアの皇女は、ただそれだけで重要人物である。移動時は常に近衛に守られていると聞くし、そもそも彼女に自由はない。
この馬鹿げた状況にすぐに適応できたのは、きっとこれまでも馬鹿げた状況に巻き込まれてきた故の適応だったのだろう。
過呼吸になりそうな呼吸を落ち着け、エヴァはクライと同じくらい声を潜めて尋ねた。
「それは…………どういう事ですか?」
「作られた存在なんだ。やばいよ」
「作られた、存在……?」
ゆっくりとその言葉を咀嚼する。
それは――やばい。このクランマスターは取るに足らない事でよくやばいと口に出すが、本当にやばい。
もう一度目の前の偽物の殿下を見直す。髪の色も、目の色も、身長も体つきも何もかもが皇女殿下そっくりだ。唯一違うのは表情くらいだろうか。
優しい気性で知られる皇女殿下は常に泣き出しそうな、あるいは不安げな表情をしていたが、目の前の偽物は何を考えているのかわからない余裕の表情をしている。
だが、影武者なんていうレベルではない。変装なんていうレベルではない。双子なんてレベルでもない。
エヴァは人の顔を覚えるのは得意だ。ちょっとした変装くらいは見破れるが、そんなエヴァでも見分けがつかないくらい本物なのだ。
考える。考える。考える。
その意味を考える。作った目的は? 影武者? 非人道だ。そもそも影武者ならば、クライがやばいなんて言うわけがない。
いや、そもそも作ったのは誰だ? 皇女そっくりの人間を作るなんて、ゼブルディアがやるわけがない。許されるわけがない。あの皇帝が、許可を出すわけがない。表社会の研究所などが出来るわけがない。技術的にも、倫理的にも。
寒気を感じた。陰謀の臭いがした。
皇女そのものを生み出す事が出来る者がいるとすればそれは――裏の組織の中でもよほど大規模な組織だろう。
つい先日大事件を起こしたアカシャか、クライが前回の護衛で戦ったという――。
そこで、点と点が繋がった。
レベル8。どんな時でも平然としているクライを焦らせるような存在がそういるわけがないのだ。
恐る恐る、言葉を口に出す。
「まさか、『九尾の影狐』――『狐』の仕業ですか?」
「ッ!?」
目を見開き、クライが表情に驚愕を作る。
僅かな情報で当てられたのが驚きだったのか。エヴァも伊達に長く付き合っているわけではないのだ。
初めてこのクランマスターの予想を上回ったかのようで少しだけ嬉しいが、今は喜んでいる場合ではなかった。
偽物の皇女。いつも以上に迅速に行動しなくてはならない。
「状況は概ね、理解しました。狐の手から、救い出してきたんですね?」
「……………………………………うん」
やはり、エヴァの想定通りだ。
狐は皇帝の暗殺を目論んでいたと聞いている。陰謀はクライに阻止され、下手人も判明したらしいが、狐は大きな組織なのだ。
皇帝の暗殺に失敗した組織が次に皇女殿下を狙ってもおかしくはない。
クライはきっと、狐が皇女の偽物を作っている事を突き止め、救い出したのだろう。
さすがにこの状況ではクライも余裕を保てないのか、頬にだらだらと汗を流している。
エヴァも耳を塞いでしまいたい気分だが、クランマスターのピンチにこそ副クランマスターは冷静でなくてはならない。
「落ち着いて、ください。偽物は、一人だけですか?」
「…………し、失敗作が、三人いた。でも、成功作は、彼女だけだ。だよね、シトリー?」
「…………はい、そうです。おのれ、狐」
よほど凄惨な現場を見たのか、クライの顔色は真っ青だった。ふらつくクライを、後ろのシトリーが支える。
どうやら、このあらゆる状況を操っているように見えるクライも、人間だったらしい。闘志が湧いてくる。
顔を上げると、しっかりとクライの眼を見て、エヴァは言った。
「皇帝陛下も、武帝祭の見学にやってきているはずです。連絡しましょう」
「え……!?」
やはり、一人で解決するつもりだったのか。
「クライさん、これは私達だけで解決できません。よしんばできたとしても――偽物がいる時点で、皇女殿下の身が危険です。連絡はするべきです。レベル8の言葉ならば、無視されません」
「……………………確かにその通りだ。狐が全て悪いんだ、さすがエヴァは頼りになるな」
こうしてはいられない。クライの剥ぎ取った布を再び皇女殿下の偽物に被せる。
幸いな事に、クリートには《始まりの足跡》のメンバーが集まりつつある。護衛は十分だろう。
皇女殿下の偽物というカードは余りにも強力だ。相手も間違いなく奪いにくるはずだ。
直接狐と戦っているクライの元に置いておくのは余りにも危険だ。
いや、きっとクライはエヴァに預けるために連れてきたのだろう。そしてその要求を、エヴァが断れるわけがない。
「彼女はこちらで預かります。スヴェンさんがいるので、彼に護衛を頼みましょう。クライさんは狐と戦いを――」
「あ、うん…………」
もしかして、クリートの犯罪組織を潰して回っていたのも作戦の一環だったのだろうか?
駄目だ……いくら考えても、全体像がさっぱり見えない。まずは出来ることを完璧にこなさなくては。
と、そこで、クライがぶつぶつと呟いた。
「狐と、戦わないとね。悪い方の狐と――」
「? いい方の狐なんているんですか?」
もしかして、組織の内部に協力者でもいるのだろうか? あの狐に?
相変わらずあまりにも頼りにならない表情で、クランマスターが言った。
「…………少しだけね」
お陰様で、書籍版五巻、漫画版1〜3巻が重版しました!
応援ありがとうございました!
活動報告にて、ストグリ通信(83)も投稿されています!
今まで出していなかったキャラデザ画像などを公開しておりますので、
是非ご確認ください!
/槻影
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