240 白狐②
「え? 武帝祭を辞退して街を出る? 何故…………いや……クール、君が言うなら、相応の理由があるんだろうな」
クールの言葉に、リーダーであるクラヒは一瞬目を見開き、すぐに真剣な表情を作った。
狭い宿内には、《嘆きの悪霊》の面々が集結していた。
《嘆きの悪霊》はリーダーであるクラヒ・アンドリッヒを中心にして作られたパーティだ。
集まってきたメンバー達はクール・サイコーを含め小悪党の域を出ておらず、唯一、本物の偶然であるクラヒの強さだけで成立している。クール達については、実力的にもせいぜいが二流であり、皆二つ名なども持っていない。
これまでクール達が見逃されてきた理由の一つは、リーダーであるクラヒを除いて大した実力を持ち合わせていなかったからだろう。
そして、クラヒについてはトレジャーハンターとして相応しい高潔な精神を持っているからこそ、本当に偽物だか誰も確信を持てなかった。
今まで、《嘆きの悪霊》の行動範囲は《嘆きの亡霊》と被っていなかった。大規模な共同作戦などにも意図して参加していなかったし、いざバレた時はただのそっくりさんで誤魔化すつもりだった。だが、本物と対面してしまった時点でもうどうしようもない。
《嘆きの亡霊》はどうやらクール達に対して大した感情を抱いていないようだ。だが、認識はされてしまった。
これ以上そっくりな名前を使って狼藉を働けばどんな目に遭わされるかわかったものではない。トレジャーハンターにとって面子とは時に法にさえ優先される。
こうなれば、逃げ出す他ない。
酷く目つきの悪い女錬金術師。テーブルの上で乱暴に脚を組んだ、赤毛の女。
ほとんど膨らんでいない貧相な胸をした《最低山脈》、クトリー・スミャートが、葉巻を燻らせ、深々とため息をつく。
どうやら、クリートでの商売はうまくいったらしい。薄めに薄めた粗悪なポーションを売り捌き私腹を肥やすクトリーはこのパーティでも最も最低なメンバーだろう。左手には安酒の瓶を握り、右手に葉巻を持つその姿はどこからどう見てもチンピラにしか見えない。
一番稼いでいるのにどケチな点も含め、恐らく最低具合はオリジナルの《最低最悪》を凌駕しているであろう稀有なメンバーだ。
「そりゃ、おめえ…………クールは小心者だからなあ。だが、そうじゃなくても、おめえなんかが本物に勝てるわけねえだろ」
「はぁ!? お兄ちゃんになんてこと言うの!? お兄ちゃんなら絶対絶対、本物にだって勝てるんだからッ!」
「あほか。それに、こいつが良くても、パーティメンバーが弱すぎんだよ。アンセムも見つかんねえし、オレも随分、稼がせてもらった。潮時だろ」
クトリーの言葉は乱暴だったが、ある種、的を射ていた。本物と偽物の最も大きな差を一つあげるならばそれは、パーティメンバーの弱さにあるだろう。
中でも一番未熟なのはルシャである。クラヒという強力な魔術師が所属しているパーティに於いて、未熟な魔術師であるルシャは完全にお荷物だ。クラヒ曰く才能はあるらしいが、それだってろくに師匠も持たずたった一人で戦い続け、しかも成功していたクラヒの才能と比べれば雲泥の差がある。
ルシャがいやいや頭を振りながら涙目で叫ぶ。
「うるさいうるさいうるさい! この貧乳! せっかくチケットを手に入れたのに、武帝祭はお兄ちゃんの力を知らしめる絶好の機会なのよ!?」
「…………」
ズリィが、別にあたしは知らしめなくたっていいしみたいなやる気のない表情をしていた。そもそも、全体的に、クール達は余り気が進まない。
クールもズリィもクトリーも、大してトレジャーハンターに拘泥していない。なんかそっくりさんがいたからそっくりな顔をして入ったらずるずる来てしまっただけだ。
いや、ハンターに興味がないのは、恐らくルシャも同じだろう。彼女にあるのはただのクラヒに対する恋慕である。
クラヒはしばらく真剣な表情で考えていたが、やがて目を薄っすら開き、ハードボイルドな表情で言った。
「なるほど……君の言いたい事はわかった。だが、それでも――敗北が待っていたとしても、武帝祭は絶好の機会だ。僕は本物に挑みたい」
「本物?」
ズリィの訝しげな視線に、クラヒは朗々とした声で歌うように言った。
「ああ。ここに集まっているのは、皆本物の戦士だ! そして本戦には更なる強者が現れるだろう! ここで退いてちゃ、僕がこれまで下してきた強敵達に申し訳がたたない! 今は、確かに偽物かもしれない――だが、僕はここで戦い――そして、力と誇りを証明するッ! 僕のハンターとしての魂が、それを求めているんだッ!」
「おめえそれは、ただの気の所為よ」
クトリーの呆れたような声にも、クラヒは全く気を悪くした様子はない。
本物の作ったクランのメンバーと散々交流してどうして全く気づかないのか、理解に苦しむ。どうして本物の頼みで本物と一緒に犯罪者退治なんてしていたのに気づかないのか、理解に苦しむ。そっくりさんなんて、ありえないと、すぐに気づきそうなものなのに……。
本物が一体何を考えているのかはわからない。だが、どうやら今回も止められないようだった。
胃がキリキリ痛み、クールは反射的にお腹を押さえた。
クール・サイコーはパーティのブレインである。だが、クラヒ・アンドリッヒはクールの言うことをいつも聞いている振りをして聞かないのだ。
盗賊らしくそういう危険に敏感なズリィがクールに小声で聞く。
「どうする? 逃げる?」
「うーん……」
どうするべきか……クールは眉を顰め、腕を組み唸った。
逃げるだけならば簡単だ。パーティに対して強い愛着があるわけでもないし、逃げ出してもクラヒは自分で勝手に都合のいい感じに受け入れるだろう。
だが、クラヒ・アンドリッヒという男は、なかなかどうして放っておけない男なのだ。
§ § §
そこは、不思議な森だった。
ぽつぽつと等間隔で植えられた木々がどこまでも広がり、しかし普通の森ならば在って然るべき生命の気配がほとんどしない。
鳥の声も、獣の気配も、そして虫の姿すらなく、極めつけにおかしいのは――土だ。
その森の土はすくい上げればさらさらと流れるような細やかな砂で構成されていた。ろくに栄養の含まれていない、植物が成長するに難い大地である。
そして、実際にその場所では幾度もの植林が試みられ、全て失敗に終わっていた。
高レベルのハンターが訪れたあの日までは。
【トアイザント】。その地はつい先日まで砂の国と呼ばれていた。
森の中心に、小さな村があった。
積み重ねられた煉瓦の家屋に、木造の家が混じった奇妙な村だ。
分厚い布製のターバンを頭に巻いた日に焼けた男が、異変に気づき、慌てて叫ぶ。
「おい、お狐さまがいないぞ!? 誰か知らないか!?」
「何だって!?」
「またどこかで昼寝でもしてるんじゃないのか?」
話を聞きつけ、不安げな顔をした村人達が集まってくる。
奇跡の森を生み出したのは全て、狐の仮面を被った少女である。
正体はわからない。村人達が知っているのは、それを連れてきたのがかの高名な《千変万化》である事と、油揚げを代償に少女が奇妙な力を使ってくれることだけだ。
まさか本当に神様という事はないだろうが、少女の力は強大だった。
これまでどれほど高名な魔術師を招いても成立しなかった植林が一瞬で成立した。
植林村の長である男が、村の中心に存在する樹を見上げる。
それは、本来ならば千年を掛けて育つような巨大な樹だった。太さは十人が腕をつないでようやく回れるくらい太く、高さは日夜成長を続ける森と比較しても突出している。きっと、森を遠くから見れば冗談のように巨大な樹が一本突き出しているように見えるだろう。
《千変万化》から与えられた尻尾のような何かの真上に生えた樹である。近くには去る直前の忠告通り、小さな社が建てられ、少女はいつもそこで昼寝をしているはずだった。
だが、これまでは一日のほとんどをそこで寝転がっていたはずの少女の姿が、影も形もなくなっている。お椀の中に置かれた三枚の油揚げだけが、かぴかぴに乾いていた。
明らかに異常事態だ。あの油揚げ大好きで油揚げをあげるとすぐに食べてしまうお狐さまが、乾ききるまで油揚げを放置するなどありえない。
散歩に行くことはあっても、食事は忘れないのがあのお狐さまなのだ。
「………」
だが、村人達はそれ以上騒ぐことなく、戸惑ったように顔を見合わせた。
緑溢れる地は砂漠の民にとって憧れだった。誰もがその奇跡の森に感謝し、《千変万化》に勲章を与えるべきという声も強くなっていた。
だが、緑にだって程度はある。
森の成長はとどまる事を知らなかった。既に樹を植えているわけでもないのに、日を追うごとに森は広がり、砂漠を凄まじい勢いで緑に染めていた。
木造の家は、村を飲み込もうとした森を止めようとしたその結果である。
砂漠に適応していた動植物は追われ、突如現れた森林により数度も低下した気温に風邪を引く者も出ている。
そして何より、終わりが見えないのが恐ろしかった。お狐さまはこの辺で止めてくださいと言っても、止めてくれないのだ。
やがて、村人の一人が苦し紛れに言う。
「…………《千変万化》が、連れて行ってくれたんじゃないのか?」
「!? そ、そうだ。間違いない!」
「あの男が、お狐さまを連れて行ってくださったんだ!」
「何か、四角い板をいじってるのを見た! あれで連絡を取り合っていたんだ!」
その言葉に同調するような声があがり、やがて歓声に変わる。
事の真偽などどうでもいい。森による侵食が止まった。トアイザントは救われたのだ。
安堵と興奮は日が暮れた後も留まることなく、そして感謝の宴が始まった。
§
幻影とは、マナ・マテリアルが再現する過去の記憶だ。故に、幻影には特に理由がない限り寿命というものは存在しない。
生物ではない故に生物的な欲求とは無縁。個々に存在する癖についても、経験ではなく存在理由に基づいている。
故に、【迷い宿】からやってきた幻影――強力なマナ・マテリアルにより生み出された名もなき妹狐は今、まるで駆られるように動いていた。
動かねばならなかった。
幻影に食事は不要。味の良し悪しもよくわからない。ましてや、あのききかんのない人間に味方をするわけではない。
だが、存在に深く刻まれた習性が油揚げという物体を焦がれる程に求めているのだ。
「し、白狐様、本当に、大丈夫なのですよね!?」
巫女の格好をした女が、キッチンに腰を下ろす妹狐に伺いを立ててくる。
もはや何度目になるかわからない問いかけに、妹狐は冷たい声で答えた。
「大丈夫。全ては、緻密な計算によるもの。全て、わかっている」
「は、はい……これは……これは、ボスの命令。ボスの、命令――」
人間の営みになど興味はない。妹狐は神の眷属として生み出された幻影である。つまり、神だ。
神とは、横暴である。神はただの人間の事など勘案せぬ。
妹狐はただ、油揚げを食べたいだけなのだ。
兄が『ききかんさん』と呼ぶ人間に従ったのは、ただの交渉の結果だ。
人が何千人死のうが、組織が潰れようが――妹狐は狐である。心をちょっと読まれ、化かされただけで騙される方が悪いのだ。
ききかんさんを見習え。あの人間は――信じられないくらい、生産的な事を考えていない。
最初からずっと自発的に化かされているようなものだ。母が負けたのも納得だ。知恵比べは案外ああいう手合が一番厄介なのである。
妹狐だって、どうして良いかわからない。
人間を化かす機会など、宝物殿に住んでいた時には滅多になかった事だ。
ついつい飛び出してしまった尻尾を機嫌よく振っていると、神官からぶんどった共音石が震えた。
受けるが、声が聞こえない。
???
首を傾げ、しばらく石を眺めていると、唐突に声がした。
『君は――誰だ』
「…………」
失敗を悟る。妹狐の力にも、制約がある。何でもできるわけではないし、向き不向きもある。
遠方の相手を化かすのは苦手だ。対面しなければ心も読みづらい。特に今回の相手は、かなり精神的な防御能力も高いようだ。頭の中がほとんど読めない。
その声には力があった。世界でもトップクラスの宝物殿出身の妹狐をして、脅かしかねない強力な力が。
さて、誰に化けたものか……。
ソラ? ガフ? ソラの先生?
状況などどうでもいいが、状況がわかっていないわけではない。
尻尾を撫で付けながら考える。そして、妹狐は声を変えて言った。
「初めまして、ボス。いや、初めましてってのはおかしいな、僕はずっと君を見ていた。僕は《千変万化》――ききかんのない、君の敵だ」
原作五巻、発売しました! 宜しくおねがいします!
また、ストグリ通信(81)についても更新されていますので、そちらもご覧ください!
/槻影
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