180 護衛②
「うーん。よくわからないが、悪くない修行だ。冒険はこうじゃなくちゃいけない」
「ルークちゃんは気楽ねぇ……」
赤髪の剣士、ルーク・サイコルはにやりと笑みを浮かべ、腰から慣れた動作で一振りの剣を抜いた。
刃渡り一メートル程の取り回しのいい直剣だ。
刃の幅は広く、しかしその剣の最も大きな特徴を言うのならば、その剣が柄から剣身、鞘に至るまで木製な事だろう。当然、刃などついておらず、命がかかっている戦場で使えるようなものではない。
だが、ルークは木製故に非常に軽い剣を自信満々に持ち上げ、天に向ける。
雲一つない蒼穹。遥か上空に小さな影があった。
常人の視力では見えないそれも、宝物殿の攻略を繰り返し強化された五感を持つルーク達《嘆きの亡霊》にとって十分判断できるものでしかない。
それは――竜だった。深い緑色の体表をした一般的なグリーンドラゴンである。
もちろん、一般的な、などと言っても、幻獣の中でも最強の一種、ドラゴンの成体であり、討伐適正レベルは最低でも6を越える。
こちらに興味の欠片もなくまるで何かに急かされるように飛行する竜に、ルシアは不服そうな表情でため息をついた。
「しかし、こんなに沢山竜が出るなんて……ただごとではないですね」
「この辺にはグリーンドラゴンは生息していないはずなので、遠くから飛んできたのかと……」
竜種は一部を除いて優れた飛行能力を持っている。それもまたドラゴンが最強種とされる理由の一つでもあるのだが、時に音速をも超える竜の移動速度にただの人間が追いつく術はない。
兄の肩の上で足をぶらぶらさせていたリィズが肩を竦める。修羅場が大好きなリィズも、呆れ顔だ。
「これで何匹目? 多すぎない? どうやって集めてるの?」
「さぁ。私の知る限り竜を集める方法なんてないから……もしもあるとしたら可能性があるのは『宝具』……くらい?」
「宝具って、それ言ったらなんでもありじゃねーか」
首を傾げるシトリーに、リィズが反論した。
空を飛ぶ竜を発見したというのに、その間に緊張感はなかった。
前日までと同様、露払いをしながら先行すること数時間、既にシトリー達は五匹の竜と遭遇していた。
竜とは本来広範囲の縄張りを持つものだ。この短期間にそれだけの竜とすれ違うとは、明らかに尋常な数ではない。昨日のチルドラの群れといい、今回の事件は随分きな臭い。
シトリーの特製ポーションだって、竜の気を狂わせる事はできても無条件に広範囲の竜を吸い寄せるような能力はない。もしも竜を操る術があるとするのならば非常に危険な技術だ。
「『狐』……ねぇ」
「クライさんが竜はもういらないって言ってたから……」
呟く姉をスルーし、シトリーがルークを見る。
直接顔をあわせてはいないが、チョコレートを預けた宿のカウンターに言付けがされていたのだ。
その言葉に、ルークが大きく頷いた。
「俺の剣技を受けてみろッ! うおおおおおおおおおおおッ! ルーク流、飛剣『流閃』ッ!」
ルークが咆哮し、土埃を上げ、行き来する馬車で踏み固められた街道を疾走する。竜もかくやという速度で踏み込むと、そのまま手に持った木剣をぶん投げた。
リィズの、剣士が剣投げるっておかしくない? という言葉を無視し、剣は真っ直ぐに飛ぶ。
その様はまるで流れ星のようだった。その速度は落ちることなく、高速で移動するグリーンドラゴンを追うよう飛ぶと、そこに到達する前に真っ赤に燃え尽きる。ルークはその場に崩れ落ちた。
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおッ! また燃え尽きた。俺に何が足りないんだッ! ルシア、次の剣だッ!」
「んー……気合が足りないんじゃない?」
「うむうむ」
「適当な事言わないで……『ヘイルストーム』」
ルシアの手の平に小さな旋風が発生する。きらきらした氷の粒を含んだ旋風は術式に従い瞬く間に成長し、天高く登るほどの巨大な竜巻と化した。
自然を操る魔術は大規模な物が多い。ルシアが特に得意としているのは氷の魔法だ。
生み出された氷の嵐は竜の飛行速度を越える勢いで広がり、辺り一帯を蹂躙する。
ほどなくして、轟音が辺りを揺らした。嵐に巻き込まれ、全身を混じった氷の粒にずたずたにされたグリーンドラゴンが揚力を失い地面に激突したのだ。
「楽な仕事ねえ」
「あまり強い竜は呼び寄せられないみたいですね」
竜と一口に言ってもその能力はピンきりだ。温泉ドラゴンやチルドラのように単体ならばレベル4ハンターでも討伐できるものもいれば、《嘆きの亡霊》が死力を尽くしても勝てないような存在もいる。
今回の場合は、グリーンドラゴンも、これまで現れた竜も大した相手ではなかった。少なくとも《嘆きの亡霊》ならば鎧袖一触に葬れる程度の種だ。
効果時間が切れ、『ヘイルストーム』が消える。残されたのは凍りついた大地と、ドラゴンの死骸だけだった。
「素材はどうします?」
「放置で。もったいないけど、さすがに持ち運べないし」
「俺は楽しいからいいけど、いくらドラゴンでもこんなに沢山現れるとありがたみがないな。一匹ずつじゃなくて、来るなら一気にくればいいのに」
「うむ」
ドラゴンは全身が貴重な素材になるが、今回の目的は金儲けではない。運んでいる余裕もない。これからどんな強力な魔物や竜が現れるのかもわからないのだ。
だが、あまりにも勿体無い。少しだけ後ろ髪を引かれる思いで竜の死骸を眺めるシトリーに、リィズが肩の上から声をかけた。
「シトぉ、なんか向こうから魔物の群れがいっぱいくるけど、どうする?」
「魔物の群れ? 竜?」
リィズが目を凝らし、はるか遠くに現れた集団を確認する。集団は様々な魔物の混合だった。亜人系の魔物に魔獣、泡を食ったように逃げている。
「んー……陸竜、かな? 魔物の群れの方は、オークにゴブリンに……色々!」
陸竜はドラゴンにしては珍しい飛べない竜だ。翼は退化しているがその代わりに身体は大きめで、一撃の重さも重い。
追われているのは土着の魔物達だろう。ドラゴンと魔物は決して共生関係になく、度々その場所の生態系の頂点に立っているドラゴンは人以外にとっても天敵である。普段縄張りから出ないドラゴンがいきなりその外に飛び出したとなれば、その地は大混乱に陥るだろう。普段は大人しくしている魔物達も暴走すれば大きな災害になる。
魔物たちが暴走した場合、まず最初に疑われる現象でもある。
「よっしゃ、今度は剣が届くな。俺が……斬るッ!」
ルシアに新しく出してもらった木剣を手に、ルークが腕まくりをする。魔物の群れは止まることなく一直線にルーク達の方――正確に言うのならば、その後ろにいる皇帝一行の方に向かってきている。
その時、思案げな表情をしていたシトリーがぱんと手を打ち、言った。
「ルークさん、竜だけ斬ってください。魔物は斬らない方向で」
「ん? ああ? なんでだよ」
「クライさんからは竜『は』もういらないと言われましたが、魔物はいらないと言われていません」
わざわざ竜はもういらないなんて伝言を渡してくるのだ。竜以外は欲しいという事だろう。
付き合いの長いシトリーにはわかる。
にこやかなシトリーの言葉に、ルークは目を見開くと、納得したように大きく頷いた。
「…………なるほど、わかった。おっけー。斬り分ければいいんだな? 竜だけ、斬る。わかった。大丈夫、竜だけだな。斬るのは竜だけ……うん、いい修行だ、腕がなるぜ」
§ § §
おかしい……呪いはたしかに成立したはずなのに、竜が来ない。
護衛の旅は平穏そのものだった。空には雲ひとつなく、竜の姿は欠片も見えない。
昨日の出来事も男にとっては想定外だったが、竜が襲ってこないというのは初めての経験だった。
吸竜の呪いの効力は付近に生息する竜を呼び寄せる事だ。場合によっては竜が襲ってくるまでタイムラグが発生するが、しかし今回はあまりにも遅かった。
動揺を表に出すわけにはいかなかった。皇帝一行は今、昨日の件によりナーバスになっている。内部に裏切り者がいる可能性も考えているだろう。そもそも、呪いの結果を確かめる術もない。
近くにあの男――《千変万化》はいなかった。自ら殿を務める事を進言し、皇帝の乗る馬車と距離を取ったのだ。
何を考えているのかさっぱりわからなかった。護衛ならば自ら皇帝の側につくのが当然である。周りは騎士団が守っているので至近距離でというわけには行かないが、自ら後ろに下がる意味が全くわからない。
今、皇帝は無防備だった。周りの無能な騎士団は男が敵である事に気づいていない。
吸竜の呪いなしでも男は戦える。そんな衝動的な行動を取ったりはしないが、命をかければ皇帝の暗殺も不可能ではないだろう。護衛達の中で男が純粋な戦闘能力で確実に敵わないのは《止水》と《千変万化》だけだ。
気になっているのは神算鬼謀で知られる《千変万化》の行動だけだ。状況によっては計画を変える必要もあるだろう。
と、その時、ふと先頭の方から大声があがった。
「魔物だッ! 魔物の群れが来るぞッ! すごい数だ、総員、警戒しろッ! 馬車を守れッ!」
!? なん……だと!?
ありえない。呪いは竜しか吸い寄せないはずなのだ。これは、男の仕業ではない。
とっさに後ろを確認する。殿を務めているはずのあの男の姿は影も形もなかった。
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