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悲鳴の方向に駆けながら、クリュスが確認してくる。
「ヨワニンゲン、チルドラ、戦ったことあるか、です。私はない、ですッ!」
「……ああ、もちろんあるよ」
クリュスがこちらをばっと見て、目を丸くした。僕は半端な笑みのまま肩をすくめる。
僕は運が悪い。運が悪いから、これまで様々な魔物と遭遇してきた。
帝都から出なくなってからはそういう機会も少なくなっていたが、既に大抵の強力で珍しい幻獣とは遭遇経験がある。不思議な事に、珍しければ珍しい程出会いやすいのだ。もはや珍しくもなんともない。
もちろん、正確に言うのならば、遭遇はしても戦ったことはない。いつも僕の役割は無駄にニヒルを気取りつつ結界指を起動させることなのであった。
声を聞きつけたのか、同じ階の宿泊客が何が発生したのかわかっていない表情で部屋から顔を出す。そりゃ、ドラゴンが出たなどと言っても冗談にしか聞こえないだろう。この宿に泊まっているのは余裕のある金持ち客ばかりだろうから尚更である。
ドラゴンはそもそも珍しい幻獣なのだが、チルドラはその中でも特に珍しい種になる。言うまでもないが、本来町中で現れるような幻獣ではない。インパクトがあったので覚えているのだ。
僕は足を止めることなく、ここぞとばかりに腕にはめていた『踊る光影』を起動し、以前見たチルドラを再現してみせた。
クリュスが唇を強く結び瞠目した。どうだ、宝具も役に立つだろう。
目の前に現れたのは濃い青色のドラゴンだった。大きさは大型犬程で、スルスの温泉で見た温泉ドラゴンよりも更に二回りは小さい。身体と比較して大きな藍色の翼と長い尾を持ち、一見してドラゴンとわかる見た目をしている。
「チルドラは群れを作る超小型のドラゴンだ。飛ぶのが得意で、冷気を身にまとい氷のブレスを吐く。一匹一匹は平均的なドラゴン程強くはないけど、油断ならない相手だよ」
チルドラゴン――チルドラの群れに襲われたのはいつのことだったか……ここぞとばかりに初チルドラのクリュスにチルドラ情報を教えてあげる。
ドラゴンにしては耐久も力もないチルドラだが、その翼による機動力と強力な氷のブレス、そして群れで行動するという特性からとても危険なドラゴンといえる。場合によっては普通のドラゴンよりも厄介かも知れない。
久しぶりに役に立った僕に対し、クリュスはただ目を瞬かせて言った。
「それで?」
「? それで、というと?」
クリュスが立ち止まると、顔を赤くして僕に詰め寄ってくる。
「他の情報はないのか、ですッ! ヨワニンゲンは私の事を馬鹿にしているのか、ですか! そんな基本的な情報知ってる、ですッ!」
どうやら今日の僕も役立たずのようだ。他の情報なんてないよ。
「……弱点は火だよ。あ……後は…………大きな箱に詰めると冷蔵庫ができる」
「なんで人里に出たのか、とか、どこからやってきたのか、とか、何匹いてどう防衛すればいいのか、とか、《千変万化》らしいところを見せろ、ですッ! 指示をだせ、ですッ! 仮初にもヨワニンゲンは今、私達のリーダーなんだぞ、ですッ!」
そんな事言われても困る……僕は何も知らないよ。なんで人里に出たとか言われても、そんなのはチルドラに聞いてくれとしか――。
と、そこで僕は目を見開いた。
脳裏によぎったのはシトリーからのプレゼントだった。
嫌な予感がした。
本来、ドラゴンが急に人里を襲撃するなど滅多にない。彼らは基本マナ・マテリアルの濃い秘境に生息しているし、人里を襲うにしても事前に兆候がある事がほとんどだ。ドラゴンとは災害みたいなものなのである。
いくら僕が不運でも、泊まっている宿にピンポイントでドラゴンが襲撃を仕掛けてくることなどないはずだ。温泉ドラゴンの例があるので断言しづらい所だが、二連続はない、と思う。さすがにこれが普通になると死んでしまう。
となると、今回の件は偶然ではなく人為的なものである線が強くなる。
そしてそうなった場合、犯人である可能性が一番高いのは――。
「そりゃ、もちろん……うん、心当たりはあるさ」
「心当たりがあるのか!? です!」
クリュスが今度こそ驚いたように目を見開き、いつもより一オクターブ高い声をあげた。
眉を顰め、言い訳する。
「でも、まだ詳しくは言えない。まだ推測の域でしかないし、言うべきじゃないだろうな」
犯人である可能性が一番高いのは何を隠そう、シトリーちゃんだ。
もしかしたらリィズとかルシアも協力しているかもしれないが、チルドラ程の幻獣を捕まえけしかけるなど、並の人間にできるわけがない。最低でもマナ・マテリアルを大量に吸った超人の仕業だろう。
寒気がしてきた。ゲロ吐きそうだ。
あのハートマークに篭められた意味が「チルドラを送りますね」の合図である可能性に、僕は今すぐにでも帝都に戻りたい気分だった。
常識的に考えればありえないのだが、常識で考えてはいけない。もしも僕がシトリーにチルドラを送って欲しいと頼んだらシトリーは間違いなくそれをやるだろう。
今回は頼んでもいないのだが、つまり何がいいたいかと言うと、犯人はシトリーです。
なにせ、僕がドラゴンが出ると言ったそばからドラゴンが現れたのだ。チョコレートの贈り物から考えてもシトリーは近くにいるはずで、そうなると僕とフランツさんの会話が聞かれていた可能性がある。『白剣の集い』での行動から分かる通り、彼女の微に入り細を穿つ性格は時に『やり過ぎ』を招くのであった。
となると、急がなくてはならない。これで皇帝陛下が重傷でも負ったらシトリーが捕まってしまう。悪気がないからと言って減刑されたりしないだろう。まぁ、毒入れた時点で今更だけど、罪は少なければ少ない程いい。
「ほら、クリュス。急いで行くよ。皇帝陛下を守るんだッ!」
「!? な、何をいきなりやる気に――そんな事言われずともわかっている、ですッ」
皇帝陛下が泊まっていたのは宿の最上階――三階だ。
息を乱さずクリュスが駆け上がり、はぁはぁ荒い息をしながら僕が続く。走っても疲れなくなる指輪が心底欲しい。
階段の前には誰もいなかった。騎士団の見張りがついていたはずだが、助けに向かったのだろう。
クリュスが身を震わせる。チルドラの力で空気が冷えているのだろう。僕は『快適な休暇』の力で今も快適だが、それもまたチルドラの厄介な特性なのだ。
「クリュス、君が前衛だ。僕は後ろから応援する」
「!? ヨワニンゲン、お前馬鹿だろ、ですッ!」
「これがうちのやり方なんだッ! 大丈夫、メインはテルムだッ!」
顔を真っ赤にするクリュスの背を押し、階段を駆け上がる。
三階は戦場だった。真っ先に目に入ってきたのは割れた窓だ。日光を大きく取り入れるために存在していた大きな窓がわれ、分厚いガラスの破片が絨毯の上に巻き散らかされている。
二階まではチルドラは一匹もいなかったが、窓から侵入してきたのかもしれない。いくらガラスが分厚くても、ドラゴンを防げるわけがないのだ。
「うおおおおおおおおおおおッ!」
宙に浮いた三体の真っ青なドラゴンに向かい、見覚えのある近衛の鎧を着た騎士が突撃する。
大きく咆哮し剣を振り下ろすが、裂帛の気合が篭められた剣先はしかし、驚くべきことに、ドラゴンに掠りもしなかった。
剣が遅いわけではない。チルドラの動きが余りにも俊敏なのだ。
余りにも俊敏で、縦横無尽。三次元に回避するチルドラは傍目から見ても驚くくらい機敏だった。
突撃した騎士の太刀筋は鋭く素人目に見ても見事だったが、どうやら小さく素早い幻獣と戦った経験が不足しているようだった。大抵の魔物や幻獣は人間よりも大きいのでやむを得ないといえる。
僕は出したままだったチルドラの幻を削除し、ぼやいた。
「思ったより小さいな」
騎士が相手をしていたチルドラは僕が昔出会ったものより更に二回り小さかった。
僕の幻は大型犬程の大きさだが、騎士が相手をしているチルドラは猫くらいの大きさしかない。
剣戟を完全に回避したチルドラが淡く輝く。ブレスを吐く兆候だ。
「んなこと言ってる場合じゃないだろ、です! 火、火だったな――『炎撃飛燕』ッ!」
クリュスが吐き捨てるように叫び、持っていた長い杖を床についた。
変化は一瞬だった。目の前に生まれた火の粉がみるみる内に燃え上がり、鳥の形を模す。攻撃魔法だ。
煌々と輝く炎の鳥が合図もなく飛翔する。チルドラに勝るとも劣らない速度だ。
音もなく高速で飛来した炎を、チルドラはブレス動作をやめ、ふわりと浮き上がりこともなげに回避する。そして、その頭がこちらを向いた瞬間、青い身体が炎に包まれた。
一度回避した炎の鳥が旋回して再び体当たりを仕掛けたのだ。
追尾式の攻撃魔法――僕は魔法に明るくないが、一瞬でこのレベルの攻撃魔法を使うとは、並の練度ではない。クリュスが弱くはないのは知っていたが、戦闘しているのを見るのは初めてだ。
「やるじゃん、さっすがッ!」
「うるさい、馬鹿にしているのか、ですッ! 『炎撃燕群』ッ!」
クリュスが息もつかせず新たな魔法を唱える。
炎の鳥を受けたチルドラは死んでいなかった。翼は焦げているが、まだ宙を浮くだけの元気が残っている。残りの二体のチルドラも完全に戦闘態勢を整え、こちらに敵対していた。
生み出された無数の火の粉が先程よりも一回り小さな炎の鳥に変わる。そして、一斉に飛翔を開始した。
炎の鳥と氷の竜がぶつかりあい、白い蒸気が上がる。戦っていた騎士は完全に置いてけぼりだ。
クリュスがもたれかかるように杖をつき、吐き捨てるように言う。
「ッ、魔力が――」
「え!? もうないの!?」
精霊人は人間の数十倍の魔力を持つんだろ!? 思わず出てしまった言葉に、クリュスがきっと睨みつけてきた。
「!? ヨワニンゲンのせいだ、ですッ! だいたい、火の魔法は、苦手なんだッ! ですッ!」
「でも、ルシアだったら――」
「ぶん殴るぞ、ですッ! ちゃんと、私を守れ、ですッ! ええい、そこの男、うろちょろするな、邪魔だッ! 範囲魔法使えないだろッ!」
蒼白の表情で怒鳴るクリュスに、騎士の男が慌てて壁際に移る。
炎の鳥と氷の竜は前者が優勢だった。だが、チルドラもさすがにドラゴンだ、かなり耐久が高い。
何発火の鳥を受けても少し焦げるだけで、動きが遅くなる事もなければ地面に落ちる気配もない。
…………今更だけど、もしかして……チルドラの弱点、火じゃなくない?
「くそっ、頑丈すぎるぞ、です。ヨワニンゲン、本当に火弱点なんだろうな、ですッ!」
「が、頑張れ、頑張れッ!」
「う、うるさいッ! 黙れ、ですッ! 『炎熱殺風』ッ! はぁ、はぁ――」
赤く輝く風が廊下を凪いだ。チルドラが焦げたような音を立て小さく鳴く。一瞬墜落しかけるが、しかしすぐに立ち直ったかのように大きく飛んだ。
「馬鹿な、この私が弱点をこれだけついて、なんでこんなにピンピンしてるんだ、ですッ!」
クリュスは額から汗を流し、気丈にもドラゴンを睨みつける。
だが、そのすらりと長い手足は震え、呼吸が荒くなっていた。魔力枯渇が近づいているのだ。どうやら結界指のチャージが思ったより来ていたらしい。
その時、壁際に寄っていた騎士の男が大きく床を蹴った。魔法で熱された空気の中飛び込み、ふらついていたチルドラに向かい勢いよく剣を振り下ろした。
裂帛の気合を込めた白刃がチルドラの胴体を打ち付ける。さすがに両断まではいかなかったが、チルドラが勢いよく床に叩きつけられ、苦痛の悲鳴をあげる。
それを見ることなく、騎士の男が他のチルドラに斬りかかる。流れるような連撃だ。
切り上げられた刃が一体のチルドラの胴を掠め、もう一体が大きく回避に移る。
騎士は激しく攻撃をしかけながら、掠れた声で叫んだ。
「はぁ、はぁッ……行けッ! ここ、は、もう、俺で十分だ、へ、陛下を――ッ」
「わかった。クリュス、行こう」
男が顔を真っ赤にしながら攻撃を仕掛ける。その動きはこころなしか、最初よりも鋭かった。
チルドラは負傷している。これならばそう簡単に負ける事はないだろう。僕が言うのも何なんだが、彼のためにも皇帝陛下を優先すべきだ。
「はぁ!? 本気か、ですかッ!?」
僕は無言で腰から鎖を外し、起動してぶん投げた。
『犬の鎖』が四本脚で床に着地し、そのまま空中のチルドラに飛びつく。
どうか壊れませんように。
僕は祈るような思いで目を閉じると、呆然としているクリュスに言った。
「さぁ、これで大丈夫だ。行こう」
早くしないと、一人でも死人が出たら悪ふざけでは済まなくなる。
シトリーは後で真剣にお説教だ。
§ § §
宿の一室。怒号の飛び交う天井を見上げ、男は小さく口元だけで笑みを浮かべた。
あるはずだった襲撃が全くなかったのには驚いたが、『呪い』は今回も無事発動した。
手に持っていた禍々しい漆黒の宝玉――『反竜の証』を丁寧に呪布に包み、しまう。
吸い寄せられたドラゴンは対象を殺すまで止まる事はない。
本物の怒れるドラゴンを前に、護衛につけてきた近衛の騎士は己の無力を知ることだろう。
今頃《千変万化》は慌てふためいている事だろう。ご所望のドラゴンだ。
あるいは、男が呪いをかけるところまで読んでいたのだろうか?
観察した《千変万化》は、噂とは相反する男だった。その一挙手一投足は無意味に見えた。挙げ句の果てに皇帝の旅程に遅延を起こすという明らかなミスまで起こしている。とても警戒に値するようには見えない。
多少の計画の変更はあったが、事はレベル8ハンターが介入してきたとは思えない程順調に進んでいた。
このまま行けば男に課された目標は何の問題もなく達成されるだろう。
懸念点もあるが――と、そこまで考えたところで、男は眉を顰め、考えを打ち切った。
どちらにせよ、仕事は変わらない。男に求められるのは判断することではない。ただやるべきことを忠実に実行する事だけだ。
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