176 違和感
そして、歩くこと半日以上、僕達は極めて穏便に最初の滞在ポイントにたどり着いた。
今回の旅路は冒険ではない。野営は極力避け、皇帝陛下の身の安全を一番に考えている。
乗り入れられたゼブルディアの印が施された馬車を、街の人達は歓声で迎え入れてくれた。
僕達はただの護衛で、本命の馬車からは少し距離を取っているのでそれを直接受けることはなかったが、ちょっと新鮮な気分である。
宝具のおかげで慣れない馬上でも快適に過ごせた。だが、何より僕を安心させたのは――。
「よし、何も起こらなかったぞ」
「はぁ!? ヨワニンゲンのせいで、出発にケチが付いただろ、ですッ! 絶対この街で新たな馬を買うんだぞ、ですッ!」
「お金持ってない」
「は……はぁぁぁぁ!?」
ぐっと拳を握る僕に、馬の上――前に座るクリュスが耳まで真っ赤にして叫ぶ。だが、僕は『快適な休暇』のおかげで快適な気分であった。後でこの宝具のチャージも頼まないと……。
指示された通り、しっかりクリュスの身体に掴まりながら言う。
「それに僕が言っているのは――盗賊も魔物も宝物殿も幻影も出なかったってことだ。災害も起こらなかった。これは画期的な事だよ」
「はぁ? ただの護衛なんだから、そんなに色々出るわけがないだろ、です」
「……まぁ、そういう考え方もなくはないな」
何も出ないに越した事はないのは間違いないが……幸せな人生を送ってきたんだな……。
温かい目で見る僕をクリュスがギロリと睨みつけてきた。
「無意味に思わせぶりな事いうのやめろ、ですッ! ヨワニンゲンは自分の立場を少し知るべきだ、ですッ!」
さすが皇帝一行だけあって、用意された宿は貴族御用達の豪華なものだった。
皇帝陛下と近衛で宿のワンフロアを埋め。僕達で低層階を固める。
手持ちの騎士団の配置を終えたフランツさんと宿の一室で今後の調整をする。フランツさんは眉を顰めて言った。
「杞憂だったか。『狐』も怖れをなしたか」
「いやいや、まだ油断はできないよ。何が起こるかわからないよ」
「今回、面倒事を起こしたのは貴様だけだッ! ふざけた格好で真面目な事を言うんじゃないッ! 肩を叩くな、切り捨てるぞッ!」
まだ元気な絨毯にぽんぽんと肩を叩かれ、フランツさんが顔を真っ赤にして怒鳴りつける。その程度で怒っていては絨毯といい関係は築けない。
クリュスが背筋を真っ直ぐに伸ばし、優雅な動作でお茶を口に含み、言う。
「そう怒鳴るな、です。そんなに顔を真っ赤にしなくても、私がいる限り今回の護衛は成功したようなものだ、です。仮にお前らが手に負えない相手が出ても任せておけ、ですッ!」
「ケチャチャッカもいるしね。それに《止水》もいる」
キルナイトだっている。そろそろ餌をどうやって上げるか考えなくてはならない。
ケチャチャッカは相変わらず怪しげな格好で怪しげな笑い声を上げていた。このメンバーの中で平然とできるテルムの胆力がすごく羨ましい。
「最初に自分の名前を出せ、ですッ! このヨワニンゲンッ!」
「ふん……まぁいい。《千変万化》、全てを見通すという貴様の見解を聞かせてもらおうか」
…………え?
思わず目を見開く。クリュスの、ケチャチャッカの、テルムの、全ての視線が集まっていた。
もしかして、僕って……何かやることある……? 見解とか言われても困る所だ。僕の言うことがこれまで当たった試しはない。まぁある意味、当たってはいるんだが、毎回打ちどころが悪いのである。
だが、仕事だからノーというわけにもいかない。見解くらい言ってやってもいいだろう。
僕は足を組むと、ハードボイルドを装った。早速言い訳に入る。
「まいったな、僕だって未来が見えるわけじゃないんだ。だから百発百中とは行かないが、でも、これまでの経験則というか、わかることもある」
ちらりとテルムを見る。いざという時には僕に次ぐレベル7の彼が何とかしてくれるという思惑だ。
テルムが眉を顰めるが、僕は気にせずに言った。
「油断した時が一番危ない。ここは町中だから野盗や魔物が襲いかかってくる心配はないけど、注意は十分したほうがいい」
「なんだと? 言われなくても油断などしないが――何が、くるというのだ」
「えっと…………ドラゴン?」
「何!?」
やばい、思ってもいない事を言ってしまった。ドラゴンは強敵なので、パーティに参加していた頃はしょっちゅう襲撃を受けていた。街は壁に囲まれているが、ドラゴンは空を飛べるので割とその辺り関係ないのである。
「後は……そう、例えば、精霊とか」
「ありえん。とんだ与太話だッ! ここは前人未到の地じゃない、まだ帝国内なんだぞ!?」
フランツさんが目を充血させて怒鳴る。
そんな怒らなくても……あくまでただの見解だよ。僕だってそんなものが出るとは思っていない。
落ち着かせようと、笑いかけて言う。
「いや、でもまぁ、クリムゾンドラゴンが城を襲ったらしいじゃん? 前例はあるわけで……」
「ッ…………クソッ――」
「まぁ落ち着いて、大丈夫、もしもドラゴンが現れたらテルムさんが倒すから」
僕の唐突な言葉に、テルムは僅かに目を見開くのみだった。どうやらあの婆さんの片腕だけあって無茶振りには耐性があるらしい。
テルム・アポクリスは帝都でも屈指の水属性魔法の使い手である。《止水》の二つ名はたった一人で川をせき止め海を割り、滝を完全に停止させた事から来ているらしい。
水属性の魔法は威力が低めな事が多いらしいが、流れる水を完全に停止できる程自在に操れるテルムの場合は違う。
人間の身体の六十%は水でできている。竜種を始めとした幻想種の魔物についても身体に全く水が含まれていないわけじゃない。
水は生き物にとって生命線だ。彼はそういう意味で、極めて効率的に生物を殺せる魔導師だと言えるだろう。ルシアが言ってた。
テルムが思案げに顎を押さえ、鷹揚に頷く。
「良かろう。もしもドラゴンが現れたらその時は――私が相手をしよう。だが、一つ聞きたい。何故私を選ぶのかね? ケチャチャッカや……クリュスもいる。そこのキルナイトもなかなかのものだ」
さすがレベル7、相手がドラゴンと聞いても物怖じしない。多分出ないとは思うけどね。
そしてテルムを選んだ理由は……簡単である。僕が一番信用しているのは二つ名持ちのテルムだからだ。ケチャチャッカは実力不明だし、キルナイトも色々な意味で不確定要素が強い。そして、クリュスは僕の護衛だ。
だが、そんな事を本人達の前で言うわけにはいかない。僕は「けけけけけ」と笑い声を漏らすケチャチャッカをちらりと確認し、テルムを見た。
「わからない?」
「………………ふむ」
理解できたのだろうか? 僕の問いに気を悪くした様子もなく、テルムは真面目な表情で言った。
「まぁ、いいだろう。君に力を見せた事はなかったな。我が魔導の粋をご覧に入れようじゃないか」
§ § §
「はぁ? 宝具のチャージ? ヨワニンゲンは私を何だと思ってるんだ、です! 自分でやれ、ですッ!」
クリュス・アルゲンは良い子だ。
口は悪いがもうクランを立ててから数えても三年以上の付き合いがあるので、付き合い方はわかっている。
僕はただひたすらぺこぺこ頭を下げた。
「こ、こら、部屋に入ってくるな、ですッ! どういう教育を受けているんだ、ですッ! ああ、土下座するな、ですッ! 全く、ヨワニンゲンにはプライドの欠片もないのか、ですッ! ヨワニンゲンがそんな態度だと私達が迷惑なんだ、ですッ!」
文句を言われても嫌な顔をしてはいけない。僕が全て悪いのだ。
低姿勢に、低姿勢に、得意技の腰の低さを見せる僕にクリュスが混乱している。そう言えば昔エリザが言っていたが、プライドの高い彼女達精霊人にとって僕の立ち回りはとても不思議な物に映るらしい。
「ほ、ほら、さっさと宝具だせ、ですッ! ちゃんと、絶対、帰ったらルシアさんにクリュスに世話になったと言うんだぞ、ですッ! ……はぁ!? ヨワニンゲン、いつの間にこんなに沢山宝具使ったんだ、ですッ! こらッ! ちょっとは悪びれろ、ですッ! これだからヨワニンゲンは――」
精霊人というのは極めて魔術適性の高い種族だ。特にその魔力量は人間と比べて十倍以上の開きが出るという。
宝具チャージにもってこいの種族である。僕も精霊人だったらよかったのに。
クリュスがぷんぷん怒りながら差し出した結界指をチャージしてくれる。
さすがの精霊人でも結界指を複数チャージするのはきついはずだが、彼女たちはプライドが高いので文句を言わないのだった。シトリーが昔、煽ったせいもある。
ハンターにあてがわれた部屋は皇帝陛下と同じ宿の一階――グレードの低い部屋だった。
護衛の利便性を考えたものだが、ベースがベースだけあってダウングレードされていても十分豪華である。おまけに全員が個室だ。このまま楽しい旅行で終わってくれればと思う。
ソファ一つとってもふかふかだ。腰を下ろし、深々とため息をついた。
「こらッ! 私のソファに座るんじゃない、ですッ! ため息つくな、ですッ! ヨワニンゲンッ!」
「しかし何も起こらなかったなぁ」
「護衛依頼なんてこんなもんだろ、です。何が起こる予定だったんだ、ですか」
いや、まだ油断はできない。油断はできないぞ。いつもそうやって油断させておいて何か起こるのである。
まぁでも今回はテルムがいるから気が楽だな。レベル7ということは、探協評価がアークと同等という事だ。
ケチャチャッカも見た目程イかれてるわけでもなさそうだし……。
持ってきた丁寧に包装された箱を開封する。明らかにチャージで顔色が悪くなってきているクリュスが、疲労を誤魔化すかのように聞いてきた。
「ヨワニンゲン、その箱はなんだ、です」
「わかんないけど、僕の部屋の前に置かれていた。名前書いてあったから僕宛だな」
「!?」
箱の中身は綺麗に並んだチョコレートだった。ハートマークの書かれたメッセージカードが入っている。
送り主の名前は書かれていなかったが、このハートマークの描き方はシトリーだな。どうやって部屋の場所知ったんだろう……ふしぎー。
中身のチョコレートは高級品だった。はちみつ入りなのははちみつ大好きなクリュスに配慮したのだろう。
ちゃんと毒が入っていない事を確認して、一個齧ってみる。クリュスがドン引きした様子で僕を見下ろしていた。
「ヨ、ヨワニンゲン、お前の辞書に、警戒心という言葉はないのか、です!」
「万全だよ」
だって僕を殺すなら毒なんて使う必要はない。ただぶん殴れば良いのだ。結界指がなくなるまでね。それに、警戒心があるからこうして今もクリュスの側にいるのである。
チョコレートはとても美味しかった。さすがシトリー、僕の好みがわかっている。今日の疲れが溶けていくかのようだ。はちみつは健康にもいいんだよ。
思わず顔を綻ばせ、チョコレートを食べる僕に、クリュスが呆れたような視線を向ける。
と、その時、ふと部屋が大きく揺れた。強い衝撃にソファにひっくり返る僕の耳に、部屋の外から予想だにしなかった声が入ってくる。
「ドラゴンだッ! チルドラの群れがでたぞッ!」
「陛下を守れッ!」
「!?」
耳を疑う。思わず目を見開く。
そんなバカな。ここは街だ。ゼブルディアの街でドラゴンなんて出るわけがない。
僕が言ったのは例えばの話なのだ。というか、僕の予想はいつも外れっぱなしなのである。ありえない。僕は運が悪いが、そういうタイプの運の悪さではないのだ。
ってか、ドラゴン出過ぎじゃない? この間出たばかりなのに明らかにおかしくない?
呆然としすぎてチョコレートをもう一個つまむ僕の腕を、クリュスが掴んだ。右手は既に長いねじれた杖を握っている。
「ほら、ヨワニンゲン、行くぞ、ですッ!」
「いやいや、僕の力なんていらないよ」
「しゃきっとしろ、ですッ! それでもルシアさんの兄か、ですッ!」
しまった。キルナイトの側にいるべきであった。自慢じゃないが僕はこれまでまともに戦ったことがないのだ。
心配はしていない。嘘から出た真だが、テルムに任せてしまえばいいのだ。だが、一応護衛なのだから顔くらい出さなくてはまずいか。
クリュスに腕を握られ、強制的に引っ張り出される。とっさの判断でチャージしてもらっていた結界指を取る。
覚悟を決める。僕にやれることがあるのかどうか首を傾げるところだが、あんなに素晴らしい絨毯をもらったのだからやれることはやらねばならない。
僕はとても頼りになるクリュスと共に、悲鳴の聞こえた方へ駆け出した。
風邪で更新が遅れました。
今週のストグリ通信、投稿されています。三巻口絵の一部が公開されているので是非ご確認ください!
また、コミカライズ第四話②も更新されたのでそちらも是非!