175 手始め②
「ふざけるんじゃない! ですッ! なんで私が乗せてやらないといけないんだ! ですッ! 自業自得だろ! ですッ!」
僕は独断専行して門に突き刺さったことでめちゃくちゃに怒られた。安全確認で出発時刻が二時間遅れてしまったのだ、怒られて当然と言えよう。
むしろ、それだけで済んだことが奇跡みたいなものである。出発前から失態を犯したのだ、護衛から外されてもおかしくなかった。どうやら、皇帝陛下はどうしても僕を外したくないらしい。
「こらッ! ヨワニンゲン、変な所掴むんじゃない、ですッ! 髪を踏むな、ですッ! ヨワニンゲンには私に対する敬意が足りてない、ですッ! ただの人間が精霊人に触れるなど到底許されることじゃない、ですッ! 触る事は許してない、なるべく離れて乗れ、ですッ! あッ――」
そして、僕は絨毯での移動禁止を言い渡された。せっかく大空を飛び回れると思っていたのにがっかりである。
人を乗せたくない『空飛ぶ絨毯』に何の意味があるだろうか。本当にやんちゃなやつだ。
「ちょ、ちょっとは踏ん張れ、ですッ! 落馬するとか、本当にレベル8なのか、です! ヨワニンゲンの脚は何のためについているんだ、ですッ! 最低だ、信じられない、ですッ! わざとやってるんじゃないだろうな、ですッ! これ以上遅れるわけにはいかない、ですッ! 今だけは触れる権利をやる、ですッ! ほら、いいからしっかり掴め、ですッ! あッ――」
落馬二回で結界指を更に二個消費しながらも、クリュスの馬の後ろに快く乗せてもらう。
既に足並みをかなり乱している。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
アイアンホースは屈強な馬だ、細身のクリュスと僕ならば二人乗せても全く問題ない。女の子の後ろに乗せてもらうのは情けないが、さすがの僕もろくに知らないケチャチャッカやテルムに乗せてもらうような勇気はなかった。自立思考モードのキルナイトとか論外である。全身鎧の大男を乗せているのだから、負担的な意味でも余りよろしくないだろう。
後ろでは僕を下ろした事で機嫌を直した絨毯がふわふわついてきている。
精霊人は僕の知る限り、ほとんど皆、髪を伸ばしている。どうやらいざという時に魔法の媒体として使うためらしい。
クリュスの白銀の髪はよく手入れされていて、ビロードのようにさわり心地がよく、少しひんやりしていた。精霊人の体温は人よりも少し低いのだ。後ろから腕を回ししっかり掴んだその身体も、ローブ越しではあるがひんやりしている。
『快適な休暇』の力もあり、馬の上でも快適だ。とても眠くなってくる。
「ちゃんと、この任務が終わったら、クリュスには散々お世話になったって、ルシアさんに伝えるんだぞ、ですッ! 私が優しくてよかったな、ですッ! 私が一般的な精霊人だったら、ヨワニンゲンはもう殺されているぞ、ですッ!」
「わかってる。助かるよ。さすがクリュス、絨毯よりもずっと凄い」
「!? 私を、馬鹿にしてるだろ、ですッ!」
褒め言葉なのに……後で消費した結界指のチャージも頼まないといけないしな……。
僕はクリュスの身体にしっかり掴まると、大きく欠伸をしてクリュスに怒られた。
§ § §
帝都ゼブルディアの西。
主要な街道から数百メートル外れた草原の真ん中に、百人以上の男たちが集まっていた。
這いつくばるようにして背丈の高い草木に身を潜め、装備も迷彩色のため、外から軽く見た程度では、そこまで大量の人数が隠れている事はわからない。
男たちは、傭兵団だった。それも、裏の組織に雇われ汚れ仕事をこなす、盗賊団に近い戦闘集団だ。その筋では悪名高い存在である。
今回受けた依頼も、通りかかるゼブルディアの紋章をつけた馬車を襲うという、真っ当とは程遠い仕事だった。
でかい仕事だった。依頼人は不明だが、前金で報酬をくれる気前のいい客だ。通りかかるルートや時間なども既に判明しており、後は襲うだけという単純な仕事だった。
対象は女子供問わず皆殺しで、奪った物は一つ残らず男たちの取り分になる。相手はゼブルディアの要人らしく、正規の騎士団がついているらしいが、それも考慮の上だ。
如何な騎士団でも、護衛についた数は多くないらしいし、こちらには守る物などない。気をつけなければならないのは対象を取り逃す事だけだが、この場所は見通しもよく隠れる場所もほとんどない。
だが、集団の頭目の表情は優れなかった。匂いを消すために特殊な塗料を塗りつけた顔を顰め、隣の男に言う。
「既に予定の時刻は過ぎている。何か起こったのかもしれん」
男たちはこの手の任務に慣れている。炎天下の中、何時間でも草木に潜めるが、何時間も集中を保てるわけではない。
送り出した斥候はまだ戻ってきていなかった。既に報酬は受け取っている。何らかの理由で予定が変わったのならばその時はサインがあるはずだが、それもない。
不意に風が吹いた。草が大きく揺れるが、その程度で這いつくばるようにして身を潜めた男たちを暴くことはできない。
「後半刻待つ。ターゲットが現れなかったら、ずらかるぞ。何か起こったにしても、それ以上は待てん」
もしも依頼人が何らかの形で捕まっていた場合、男たちにまで手が伸びる可能性があった。戦の中で果てるならばまだしも、一つの依頼に固執して団を危険に晒すわけにはいかない。
待ちくたびれたのか、近くで伏せていた仲間の一人が大きく欠伸をする。任務中とは思えない気の抜けようだ。
頭目の視線に気づいたのか、仲間の男がバツの悪そうな表情で言った。
「すいません、ふと眠気が」
「後半刻だ、気を引き締めろ」
「へい」
これまでの経験上、こういう時にターゲットが来るのは稀だ。
今回の依頼人は手際が良かったが、何かあったのだろう。対象の気が変わった可能性もある。ルートの通達があったのはつい数時間前だったが、計画が変更される理由などいくらでもある。
と、その時、ふと遠くにこちらに向かってくる影を見つけた。
人数は一人だ。傭兵団のターゲットではないが、この場所は街道から外れている。出した斥候ではないようだが、隠れているこの場所に真っ直ぐやってくるのならば、依頼人からの使いの可能性もあった。
人影は女だった。日に焼けた肌に、黒のブーツ。肌の露出した衣装をしていて、格好から盗賊にも見える。
その歩みは真っ直ぐこちらに向かっていた。頭目は仲間たちに手の平を向けその場に待機させると、自分は武器を抜いて立ち上がった。
女の足が十メートル以上先で止まる。その目が大きく見開かれ、緑に塗られた頭目の男の顔をじろじろと見る。
「貴様、使いか? 符号を示せ」
こちらは百人以上隠れているのだ、仮に敵だとしたら、一人でやってくるなどありえない。
頭目の言葉に、しかし淡いピンクの瞳をしたピンクブロンドの女は、後ろに向かって大声で叫んだ。
「シトおおおおおおおッ! 睡眠薬、足りてないみたいッ! 変に節約しやがって――さっさと始末しろって言ったの、あんたでしょお? 早くしないとクライちゃんが来ちゃうッ!」
「!? おいッ!」
頭目の合図に、仲間たちが一斉に立ち上がる。ほぼ平面だった草原からいきなり人が立ち上がる様はまるでいきなり無数の樹木が生えてきたような光景だった。
だが、その人数を見ても、正体不明の女の表情は変わらない。
そのまま、丁寧な手付きでどこからともなく仮面を取り出し、顔につける。その拵えを確認し、頭目は一歩後退った。
気味の悪い笑う骸骨の仮面をシンボルにする恐るべきハンターの存在は知っている。
一時期、率先して犯罪組織を潰しに動き、あらゆる組織から怖れられた者たちだ。たった六人パーティで数十の組織を相手取ったイカれた連中だ。その敵多きパーティの仮面を騙る者などいない。
「馬鹿な…………あんた、あの《嘆きの亡霊》か!? 最近は大人しくしていたはずだ」
声を震わせその名を呼ぶ頭目に向かって、骸骨の女は何気ない声で言った。
「悪いけど、後何団体出るかわからないし、名前も興味ないし、今タイムアタック中だから」
ふと背後に轟音が上がる。滅多なことで動揺しない仲間たちが息を呑み、押し殺したような悲鳴をあげる。
そこにいたのは鈍色の甲冑で全身を包んだ、見上げるような巨大な騎士だった。大柄な頭目と比較しても倍以上の背丈がある。
その右肩を這い上がるようにして、ピンクブロンドの女が顔を出す。
「お姉ちゃんッ! 死体の始末が面倒くさいから、殺しちゃだめッ! 痕跡は完全に消すから!」
イカれている。舐められている。噂通りならば《嘆きの亡霊》はメンバー六人に新規メンバー一人を足して七人だったはずだ。たった七人で傭兵団を相手にするなど、常軌を逸している。
だが、頭目が感じていたのは強い恐怖だった。相手は立ち上がった男たちを見て、敵と見なしていないのだ。
「おい、リィズッ! 一番つえーのは俺のだから、それ以外はやるよ」
左肩に赤髪の男が上り、男にしては高い声で叫んだ。
それに答える事なく、リィズと呼ばれた女は瓜二つの髪の色をした女に向かって怒鳴りつける。既に臨戦態勢の男たちに対して構える気配すらない。
「眠った奴いねーじゃねえかッ! テメーが睡眠薬使うって言ったんだろ!? どうすんだよ、これ! 時間かけられないんでしょ!? ルシアちゃん、蛙ッ!」
「ルシアちゃん、蛙、お願いしますッ! 全部捕まえて迷宮に放し飼いにしますッ!」
「??? ルシア、蛙だッ!」
「うむうむ」
まるで緊張感のない声に対して、真上から悲鳴に似た声が降ってくる。
思わず上を見上げる。
「いーかげんに、しなさいッ! あれ、凄く疲れるって言ってるでしょッ!?」
空には冗談のように大きな凧が浮かんでいた。




