168 嘆霊会議②
最盛を誇るゼブルディア帝国の中心。ゼブルディア皇城。
その最奥、玉座の間にて、今代皇帝、ラドリック・アトルム・ゼブルディアは配下からの報告を聞いていた。
皇城の警備を担当する警備長官。帝国の貴族の一人でもある男の持ち込んだ情報に、ラドリックは眉を顰めた。
「見つからなかった、か……」
「毒対策は万全でした。料理や酒を準備していたのは、城の料理人です。厨房は常に警備がつき、外部の者が侵入した気配はありません。食材の搬入もいつもの業者が行っており、毒物のチェックは毒味も含め、あらゆる観点から行われております。可能性があるとすれば……ゲストだけです」
「まこと、厄介な話だ。国の重鎮を疑わねばならぬとは……」
「恐らく、目的は牽制かと。混入されていた毒物で死ぬ者はあの場ではおりませぬ故」
ゼブルディアは数多の宝物殿を擁する国だ。
帝国の貴族は幼少の頃から宝物殿を訪れ、マナ・マテリアルを吸収する。そして、その吸収したマナ・マテリアルにより耐性を強化するのが慣例であった。
貴族に必要なのは高い戦闘能力ではなく、いかなる謀略にさらされても死ぬことのない生存能力だ。
帝国の貴族には並大抵の毒は効かない。ハンターを殺すような猛毒ならば話は別だが、料理に仕込まれたのは至極一般的な物である。
「酒に仕込まれている方はわかったか?」
「それが……本当に何かが仕込まれていたのかすら不明です。厄介な事に《絶影》は全て飲み干してしまいましたから。ただ、他の酒には異常はございませんでした」
「そうか…………」
目を細め、ラドリックは沈黙し考える。
料理と酒では酒の方が毒は仕込みやすい。グラス単位で毒味を行ったりはしないためだ。
だが、皇城の警備は万全だった。もちろん、隙がゼロだとは言えないが、『白剣の集い』の間はいつも以上に厚い警備が敷かれている。
ラドリックが見るに、遠目で確認した《絶影》の様子は普通ではなかった。
帝国の優れたハンターの情報は全て頭に入っている。《絶影》は帝国でも有名な『盗賊』の後継者で、あのような場で大人しくしている人間ではない。
グラスに塗りつけたのか、あるいは運ぶ最中に混入したのか、数多の警備をすり抜け、酒に毒を仕込まれたとしたらかなり綿密に組まれた計画だろう。
だが、反面、料理に仕込まれた毒の方はかなり杜撰な仕事だった。料理は会場に運び入れられる直前に全て『毒物探知』を掛けられている。
侵入者により毒を混入された可能性は限りなく低い。少なくとも、犯人はあの会場内にいた者に絞られるのだ。
出席者全員の背後を洗い出すのは骨が折れるが、決して不可能な仕事ではない。
だが、ラドリックの表情は優れなかった。
「また『狐』の仕業、か……目的は『会談』の阻止か……」
「……一番怪しいのはあの《千変万化》ですが……」
話は聞いた。あの男は、ラドリックが会場に入る前も一悶着起こしたらしい。
だが、その言葉にラドリックは声を殺して笑う。
「くっくっく……一番怪しい者の無罪が証明されているのは皮肉な話だな。いや、そのために『真実の涙』を使用させたのか」
『真実の涙』はゼブルディアの柱の一つだ。
これまで真偽判定が誤りだったことはなく、その信憑性に疑念を抱くことは、これまでその宝具を使い捕らえた者全ての是非を改めて問う事に繋がる。とても許容できることではない。
会うのは初めてだったが、噂通り頭の切れる男だ。
そして、本来、謀略家にとって天敵である『真実の涙』を受けることを自ら進言するとは、恐ろしい胆力だった。
公衆の面前でもしも反応が出れば、あの男は破滅していたのだ。あの様子は、まるで……そう。何も考えていないかのようではないか。
引き続き調査を続ける事を命じ、警備長官を下げさせる。
玉座の間で一人、ラドリックは小さな声で呟いた。
「信用しろと、そう言っているのか。…………どこまで知っている?」
ゼブルディアは大国だ。そして、列強であり続けるためには相応の態度を見せねばならない。
国同士、正面から戦争する時代は終わった。今の時代、全ては宝物殿から得られるリソースをどう有効活用するかに懸かっている。
あの男は使えるか使えないか。そして、使っていいものなのか。
目を細め、ラドリック・アトルム・ゼブルディアは突然土下座をしてきたあの男の姿を思い起こした。
§ § §
侵入者と犯人と人斬り、三人が揃ってしまった。僕はどうすればいいのでしょうか。
途方にくれながら、皆を見回す。だが、青ざめているのはエヴァとティノだけで、メンバーは皆平然としていた。悲しいことに慣れているのである。
ルークが僕の反応に訝しげな表情を作り、胸を張って言う。
「大丈夫、殺してはないから。師匠から言われていたからな。尋問するだろうからなるべく殺すなって」
「……攻撃されたから反撃したとか?」
「? いや? なんで先制攻撃を許さないといけないんだよ」
「それって本当に不審者だったの?」
「ああ。観光客だった。久しぶりに真剣を持ったのに、練習相手としては不足だったな」
話通じねえ。相変わらず剣が軽すぎる。
まぁ、だが冷静に考えると、解放されたのならばつまりそういう結論が出たということなのだろう。
ルークは剣は軽すぎるが悪人ではないし、問題が起こったのならばクレームが入ってくるはずだ。
僕は考えないことにした。シトリーは黒板に『ルークさんは三人斬った』と書き込んだ。
…………もうこのまま何事もなく帝都で活動するの、無理じゃない?
そこで、リィズが脚を大きく組み直し、唇を尖らせる。
「それより、問題は酒の方でしょ? ねぇ、クライちゃん。誰を殺ればいいの?」
エヴァが頬を引きつらせ、小声で僕に確認してきた。
「…………クライさん、私は抜けた方がいいですか?」
「……いや、いて」
僕はもうやけくそな笑顔で言う。逃げようったってそうはいかない。被害者は多い方がいいのだ。
シトリーがチョークで黒板を叩きながら言う。
「それについてですが、皇城の警備は堅牢です。そりゃ私達くらいのレベルになれば抜ける術はありますが、毒を仕込むのは困難です。間違いなく内通者がいるでしょう」
「魔術的なガードは特に万全です。皇城を取り囲む結界には転移から飛行、透明化、認識阻害まで全て妨害する力があります。境界への進入時に強く無効化されるので……リィズに掛けた魔法も中に入ってからかけました。考えられるのは……宝具くらいですね」
「そこまで考えちゃ、キリがないよ。ミステリーだって、未知の宝具を出すのはご法度だ」
ルシアの言葉はもっともだ。宝具は本当になんでもあるから、特別強力で知られていない宝具が見つかれば暗殺もありうるかもしれない。
まぁ、その辺りは帝国側も考慮して調べていることだろう。
シトリーちゃんが続ける。
「お姉ちゃんは毒や睡眠薬、麻痺薬の類は大体効きません。症状から見て、お姉ちゃんのお酒に混ぜられていたのは…………発奮剤です」
「発奮剤……ですか?」
エヴァが目を見開く。名前からして大体の効果はわかるが、余り一般的な単語ではないようだ。
シトリーがチョークを叩きながら言う。
「強化ポーションの一種ですね。強制的に発奮させる事で恐怖や傷の痛みを忘れ、本来持ち得る以上の力で長期間戦闘を継続させることができます。副作用として冷静な判断ができなくなる事と、肉体を強化しているわけではないので戦闘後の負担が大きい事が挙げられます。恐らく、お酒に混ぜられているのはそれのうんと強いやつです」
なるほど……毒薬ではなかったから『毒物探知』に引っかからなかったのか。
一方で、僕の『正しき銀の冠』は装備者の認識によって効果が変わる。僕はあらゆる薬物を警戒しているから、検知に引っかかったというわけだ。
しかし、その言葉が本当だとして、強化ポーションなんて与えてどうするつもりだったのだろうか。
「うちでは使ったことがない、というか、ハンターでは余り一般的なものではありません。正直、お姉ちゃんが耐えられたのにはびっくりしました」
「…………耐える?」
耐えるって何を耐えるのか。
目を瞬かせる僕に、シトリーが大きく頷きにこにこと言った。
「あれは戦意を増大させるものなので……下手したら大暴れして大惨事でしたね。アークさんなどが守っているので皇帝陛下は無事だったと思いますが、それ以外は…………少なくない死人が出たかと」
その言葉に背筋に冷たいものが走る。
強化ポーション……強化ポーションってそういうもんなの? 毒薬よりも余程質が悪いじゃないか。
リィズがじっと静かだったのは高ぶる感情に耐えていたからだったのか。
リィズも成長したものだ。後で褒めてあげないと……。
ティノも驚いたように目を見開き隣のお姉さまを見ている。リィズが小さく舌打ちをして不機嫌そうに言った。
「馬鹿にすんじゃねー、怒りくらい抑えられるしッ! おら、ティー、何見てんだよッ! まぁ、確かにちょっと新しい訓練だったけどぉ……」
「毒と薬は紙一重――強化ポーションはいざという時に役に立つので、その類に耐性を持つ者は多くありません。うちのパーティだと、お兄ちゃんくらいですね」
「…………うむ」
アンセムが重々しく頷く。アンセムは耐性特化のハンターだ。
《不動不変》の二つ名の通り、彼にはあらゆる物が効かない。物理攻撃から魔法攻撃、毒物や精神汚染系魔法はもちろん、回復ポーションすら効かないのだ。明らかにやりすぎであった。
ついでに、言葉による口撃も効かない。それは昔からだ。
話を聞いていたエヴァが目を大きく見開く。
「ちょっと待ってください。という事は…………なんですか? その何者かは、そのお酒を使って人の正気を失わせようとしていた、と?」
「可能性は、あります。もし仮に犯人の目的が皇帝陛下の暗殺だとすると、悪くない手です」
「暗殺!?」
言っている内容と裏腹にシトリーの表情は穏やかだ。
「何しろ、ただの毒で皇帝陛下を暗殺するのはほぼ不可能です。それに、毒以外についても――『白剣の集い』時の陛下の周りには高レベルのハンターが大勢いますから、それを突破するのは普通の人間ではまず無理でしょう。レベル8を抜くためにレベル8に動いてもらうのは理に適っています」
「……なるほど。そりゃ………………なんて無意味なことを」
色々思う事はあったが、口から出てきたのはその一言だった。
あの酒は僕が取ったものだ。ただの仮定だが、もしも犯人が苦労してお酒に薬を入れて僕を狂わせ、皇帝陛下に甚大なダメージを与えようとしていたとするのならば、とんだ無駄足である。
僕が発奮した所で人一人倒せまい。
「そうですね……どのみち、お姉ちゃんも耐えきったわけで、この状況は相手にとって予想外のはずです」
リィズが暴れてたらやばかったな……だが、実際に暴れてはないわけだ。
これは、陰謀の匂いがする。まさかその発奮剤とやらを酒に混ぜるような伝統はないだろう。
シトリーの話は想像の域を出ていない。だが、僕達は根本的に無関係なわけだし、別に正解を見つけ出す必要はないわけだ。
もしかしたら偶然僕が薬入りのお酒を取ってしまった可能性もあるが、僕達を貶めようとする陰謀がありましたよというもっともらしい言い訳があればいい。
僕は腕を組み、しばらくもったいぶって沈黙していたが、顔を上げエヴァに言った。
「エヴァ、もう国側も気づいているかもしれないけど、今聞いていた話をうまい具合に城に連絡して欲しい。あ、シトリーが毒を混ぜた事は内緒ね」
「…………はい、わかりました」
「全て陰謀だ。ルークが人を斬ったことも陰謀だ。僕達もできることがあったら協力しますよーみたいな言葉を社交辞令っぽい感じで伝えるんだ。いい? 社交辞令っぽい感じで、だ」
「は、はい」
集いに薬を仕込むなど、とんでもない大罪人である。絶対に関わり合いになりたくない。
決意する。僕は絶対に犯人が逮捕されるまで外に出ないぞ。
ルークが立ち上がり、大きく伸びをして言う。
「……要は、敵が来たら斬れば良いんだろ。それで、会議は終わりか? なら、飯でも食いに行こうぜ」
「…………うむ」
「シト、あんた発奮剤って作れんの? 正直、割ときつかったし、食事のついでに訓練するから持ってきて。ティー、こら、逃げんじゃねえッ! てめえもやんだよッ!」
大事な会議だったのに、皆、特に気にしている様子が見られない。緊張感などもないようだ。
まぁ、皇帝陛下に敬意とか持ってないよね……知ってた。
各々立ち上がるメンバーを見て、エヴァが深々とため息をつく。
黒板に書き込まれた内容を律儀にカメラで撮影しているシトリーに言う。
「シトリー、悪いけど帝都を出る準備しといてもらっていい?」
「もちろん、いつだって準備は万端です。二人で逃げますか?」
流石だな……二人では逃げないけど、僕のことをよく知っている。
これならなんとかなるかな?
§
そしてその翌日になって、僕の元に帝国から使者がやってきた。
どうやら、皇城がドラゴンの襲撃を受けたらしい。
…………なんで僕に言うの。
活動報告に今週のストグリ通信を投稿しました。
ティノ回です。よろしければご確認ください。




