167 嘆霊会議
なんかもう無理かもしれない。
僕は行動が軽率だったり適当に動く事はあっても、誰かに悪意を以て行動したことなど一度もないのだが、どうしようもない状況に陥っていた。
全ては僕の無能が悪いのだ。かくなる上は築き上げたものを全て捨てて帝都から逃げ出すしかない……かもしれない。
地獄のような一夜が明け、僕はエヴァの持ってきてくれた帝都で発行されている主要な新聞を隅から隅まで確認していた。
『白剣の集い』に侵入者(リィズ)があったり、料理に毒が仕込まれたり(シトリー)したにも拘らず、どこにもそれらについての記述はなかった。まるで昨日の出来事が冗談か何かのようだ。
目の下に隈を張り付け、疲労の滲んだ表情でエヴァが言う。
「箝口令が敷かれているようです。ですが、人の口に戸は立てられません……噂は既に広まりつつあります」
そりゃそうだ。『白剣の集い』には国のトップクラスが大勢集まっていた。
いくら皇帝陛下の威光があっても、情報の漏洩を完全に防げるわけがない。
結局、昨晩の内に犯人は見つからなかった。今も皇城は蜂の巣をつついたような騒ぎだろう。
どう考えても一番怪しい僕が解放されこうしてクランマスター室にいるのは他でもない、皇城の宝物庫に存在する宝具――『真実の涙』で潔白を証明したためだった。
『真実の涙』はあらゆる虚偽を暴く力を持つ水晶玉型の宝具だ。
帝国の秘宝の一つであり、このゼブルディアの発展の要因の一つとも言える。
その宝具は掛けられたもののあらゆる嘘を暴く。洗脳や記憶の消去を始めとしたあらゆる精神汚染は通じず、これまでその水晶玉を欺いた者はいない。
犯人探しをする上でこの上なく頼りになる宝具だが、それが表舞台に出てくる事は滅多にない。帝国の法律により厳しく使用を制限されているからだ。
使用には幾つもの申請と許可、そして何より証拠が必要とされ、最高権力者である皇帝でもおいそれと使うことは出来ないようになっている。かつての皇帝自身がそう定めたのだ。
何しろ、力が余りにも強過ぎる。権力者たるもの、清廉潔白ではいられない。誰もが秘密の一つや二つ持っているものだ。
そのような宝具を簡単に使う事が許されてしまえば、皆がゼブルディアから去っていく事だろう。
宝具を使う時点で、そもそも疑いを抱いている証という事になる。たとえ本人が無罪だったとしても、痛くない腹を探られて嬉しい者などいないのだ。
本来、証拠がほぼ完璧に揃った十罪(帝国で最も重い十の罪)を犯した犯罪者でもなければ使用される事はない代物だ。
事件の起きた当日の内にその行使が認められるなどありえないし、そもそも僕はそれを受ける条件を満たしていなかったのだが、たった一つだけ、大部分の申請許可を省いてそれを使う方法があった。
そう、本人からの進言である。
僕は自らその宝具の使用を進言し、自らの意思でその美しい宝具の力を受けたのだ。
本来、『真実の涙』に掛けられることはこの帝国でこの上ない不名誉とされているが、そもそも僕はこれまでも散々痛くない腹を探られまくって何度も自ら『真実の涙』を受けているので今更だったのである。
そして、『真実の涙』は今までどおり、無数の帝国貴族たちの目の前で僕の完全無欠な無実を証明してくれた。
シトリーが毒を入れたことをあの時点で僕が知っていればうまくいっていなかっただろうが、あの時点で僕はただの善良なゲストだったのであった。
僕の無罪が証明された瞬間の貴族たちの呆然とした眼差しはきっと永遠に忘れないだろう。
だが、それが今の状況をより面倒な物にしていた。
僕は自らの無罪を本来のゼブルディアの常識からは考えられない方法で証明したが、シトリーが毒を入れたとなれば話が大きく変わる。
今、帝国は犯人探しに躍起になっている。そしてしかし、犯人が実は二人いる事を僕とシトリーだけが知っている。
一人は、リィズの酒に何某かの薬物を入れたもの。二人目は……シトリーちゃんだ。
シトリーに悪気はなかった。彼女は僕のためを思って毒を料理に混入させたのだ。
誰が犯人かは全く想像もつかないが、今頃真犯人も驚いている事だろう。何しろ、入れた覚えのない毒が検出されたのだから。
そして、捜査している帝国側も大いに混乱しているに違いない。
さて、そうなると……僕は一体どう行動するべきだろうか。
シトリーのしでかした事を報告する? ありえない。そんな事をしたらシトリーが罪人になってしまう。
犯罪は良くないが、大前提として僕はシトリーの味方なのだ。彼女を告発するくらいならば一緒に国外逃亡することを選ぶ。
穏便に事を進めるには真犯人を突き出すのが手っ取り早い。
シトリーは僕を助けるために毒を入れたのであり、誰かを害しようとしたわけではない。犯人は毒については否定するだろうが、誰もそんな事信じないだろう。
事が起こったのは皇城だ。警備は厚く、酒に薬を入れるとしても手段は限られているはずだ。
一人では犯人を探す事など出来ないが、僕には心強い仲間がいる。
僕の私室に繋がる本棚に偽装された扉が開き、一晩経ち元気いっぱいになったリィズが現れる。
昨日は毒入りの酒で元気がなかったのだが、一晩たった今は顔色も頗る良好で、昨日よりも調子が良さそうだ。
うーんと大きな伸びをすると、満面の笑顔で挨拶してくる。
「クライちゃん、おはよー! 昨日はごめんね」
「リィズ、起きてすぐで悪いんだけどルーク達、全員呼んできて。会議するから。あ、エヴァにも出席して貰うから」
会議のために皆を集めるのは久しぶりだ。もしかしたら帝都から逃げ出す事になるかもしれない。
僕は磨き上げられた結界指を人差し指で擦ると、大きくため息をついた。
§
フロアの大部分を占めるのはシトリーの特別研究室だが、クランハウス三階には様々な部屋が存在する。
その中の一室、パーティ用のミーティングスペースで、僕は久しぶりにメンバーを招集していた。
大きなテーブルをぐるりと囲み、集まっているのは《嘆きの亡霊》のメンバー達だ。
普段は適当にやっているので、こんなに真面目な雰囲気は久しぶりである。
剣聖の弟子にして帝都屈指の剣の使い手。《千剣》の二つ名を持つ剣士。ルーク・サイコル。
影すら残らぬ神速の盗賊。《絶影》、リィズ・スマート。
資材集めとブレインを担当する最優の錬金術師。シトリー・スマート。
パーティの生命線。守りと癒やしを担当する帝都で名高い守護騎士。アンセム・スマート。
あらゆる魔法を使いこなし、僕の宝具へのチャージも担当してくれているルシア。
「……またエリザがいないな」
「んー、昨日は見かけたんだけどぉ……エリザちゃんって自由人だし……」
あっという間にパーティメンバーを集めてくれたリィズが大きく脚を組み、悪気のなさそうな顔で言う。
然もありなん。エリザをパーティに入れる時の条件は彼女の自由を尊重する事だった。
まーいなくても何とかなるだろう。エリザ用のバカンスのお土産、なくなってたし。
大きく頷き、続いてリィズの隣で居心地悪そうに縮こまっている子を見た。
「で、なんでティノがいるの?」
「………………拉致られました」
泣きそうな声で言うティノ。可哀想に……。
僕の隣で立っていたエヴァが眉を顰めた。
「で、なんで私がいるんですか……ハンターですらないんですが……」
「まぁまぁ……」
シトリーが壁に掛けられた黒板の前に立つ。
僕はつまらなそうな表情で座っているルークや機嫌悪そうなルシア、何を考えているのかわからないアンセムを見回し、ぱんぱんと手を打った。
「では、第三十五回嘆霊会議を始めます。議題は昨日行われた『白剣の集い』についてです。拍手!」
「うおおおおおおおおおおお! ひゃっはー!」
「クライちゃん格好いー! ひゅーひゅー!」
「……ますたぁ、神!」
ルークとリィズが無理やりテンションを上げてくれて、ティノがそれに恐る恐る追従する。
ルシアが僕を睨みつけている。僕はさっさと本題に入った。
「昨日の『白剣の集い』で事件が起きました。ぶっちゃけ僕達は今、割とやばい立ち位置にいます」
「つまり、いつも通りですね、リーダー」
「昨日の事を知っている人、挙手!」
シトリーとリィズ、エヴァが手を挙げる。ルークが挙げないのは彼が警備担当だったからだろう。
だが、もうひとり真っ直ぐ手を挙げている者がいた……ルシアだ。なんで知っているのかはわからない。
「はい、昨日、僕は招待状を受けてエヴァと一緒に『白剣の集い』に行きました。そうしたら、何故かシトリーとリィズ、ルークがいました。シトリーは招待客として、ルークは警備として、リィズは侵入者として――」
「リーダー、その辺りは既に把握しています。さっさと先にすすめてもらえますか?」
「……なんでルシアが知ってるの?」
僕の純粋な疑問に、ルシアは眉を顰めた。腕を組み、僕に険しい目を向ける。
「正当なルートを使い、メイドの一人として、その場にいたからです」
それは……全然、気が付かなかったな。
アンセムに視線を向けると、アンセムは大きく首を横に振った。フルフェイスのヘルムを被っているので表情はわからないが、呆れているのだろうか。
どうやらあの場にいなかったのはアンセムとエリザだけのようだ。
ルシアが表情を変えず、淡々と言う。
「リーダー、リィズの侵入をフォローしたのは……『私』です。なので、私はあの場で起こったことを全て知っています」
「……あの警備の中、どうやって侵入してきたのかと思ってたよ」
「リーダーが皇女殿下に無礼な態度を取り、皆の視線を逸した隙に『透過身影』で透明化したリィズが侵入しました。テーブルの下間の移動をサポートしたのも私です」
なるほど……さすがに、リィズ一人で侵入したとしたら警備がザルすぎだと思っていたのだ。ルシアの魔法によるサポートがあったとするのならば侵入できたのも納得である。
しかしどうして機嫌が悪いんだろうか……反抗期なルシアに戸惑う僕の前で、シトリーが黒板に『クライさんはルシアちゃんに全く気づかなかった』と白チョークで書き込んだ。
ルシアはその文字を親の仇でも見るような目で睨みつけると、小さく指を鳴らす。黒板の文字が消え、シトリーがクスクス笑う。
見ていない振りをする。ティノも見て見ぬふりをしている。僕は話を続けた。
「ならわかっていると思うけど、昨日、『白剣の集い』で料理に毒が仕込まれているのが見つかりました。これはここだけの秘密なんだけど、入れたのはシトリーだ」
「………………へ!?」
エヴァが目を限界まで見開き、力の抜けるような声をあげる。ティノも愕然としている。
シトリーが頬を染め照れたように笑い、黒板に『料理に毒を入れたのは私。でも酒に入れたのは違う』と綺麗な文字で書いた。
「お礼はいいですよ」
「だから、僕達は何とかその事実をもみ消さなくちゃいけません。侵入者と犯人が両方揃うとかやばいよ」
リィズが、「えー、そのままでいいんじゃない? どうせシトだし」などと、つまらなそうな表情で言う。シトリーが黒板に『侵入者はお姉ちゃん』と書き込む。そこで今まで黙っていたルークが今思い出したかのようにぽんと手を打ち、言った。
「ああ、言うの忘れてた。俺は三人斬ったぞ。メチャクチャ怒られた」
(Twitterに詫びティノがアップされていますよ。)
@ktsuki_novel(Twitter)
執筆してて、『真実の涙』が地味にWeb版初登場なことに驚きました。