166 白剣の集い⑥
困惑が、怒りが、嘲りが、ざわめきとなり会場に立ち込めていた。
自慢じゃないが、僕は土下座が得意だ。
戦闘能力もなく、ハントにすら同行しなくなった僕にできるのは責任を取ることだけだった。何故ならば僕の幼馴染たちは決して謝罪しないし、したとしても悪びれないからである。
今回だって、リィズは勝手についてきただけで僕が頼んだわけではない。たとえばルークが問題を起こしたとしてもそれは無差別人斬りを警備に入れた剣聖が悪いのだ。そもそも、僕は彼らの保護者ではない。
だが、そんな事言っても仕方がないのである。僕はひたすら頭を下げて許してもらうのだ。
これまでも様々な不祥事を土下座一つでもみ消してきた。中には何故か美談になっているものもあるし、相手を泣かせたこともある。
しかしまさか由緒ある会合で皇帝の眼の前で土下座してしまうとは……なんか余りにも酷い状況で逆に楽しくなってきた。
冷や汗でおろしたてのシャツが張り付いて気持ち悪い。
舌を出せば床に触れそうな距離からふかふかの絨毯を睨みつけていると、ざわめきが少しだけ収まり、頭上から落ち着いた声が振ってくる。
「……そのように頭を下げられても、な。まだ挨拶も済んでいないが……《千変万化》、頭をあげよ。まずは事情を説明するべきだ」
皇帝陛下のお声である。どうやらすぐさま切り捨てられるような事はないようだ。
さて、どうすれば許されるだろうか。いや……ルールを破った以上、罰を受けるのはもはや免れ得ないだろう。
皇帝陛下は随分寛容な方のようだし、正直に言うべきだ。僕は頭を上げると、心を込めて謝罪する。
「申し訳ございません、陛下。僕のパーティメンバーが勝手についてきてしまったようです。しっかり連れていけないとは言ったのですが、いつも僕の後ろをついてくる性格で……いえ、悪気はないんです、ただお祭りごとが大好きで……うっかり」
本当にリィズの勝手気ままっぷりには困りものだ。
そりゃこれまでも何度も似たような事はあったが、まさか皇帝の催しにまで侵入するほど奔放だとは思っていなかった。
「うっかり…………? …………城の警備はどうなっている? いくら無礼講でも、素通りという事はあるまい」
皇帝陛下が眉を顰め周りを見回す。
集まっていた警備担当の騎士たちの顔から血の気が引く。
だが、僕は別に警備の騎士達の責任を追求したいわけではない。リィズは盗賊だ。いつも暴れまわっているから忘れそうになるが、彼女は戦闘能力だけでなく、高い索敵能力を誇るし、身を隠す能力だって一流なのだ。
騎士たちが口を開く前に言う。
「いえ、警備には問題ないかと思われます、陛下。彼女は盗賊です。城の警備が彼女の侵入に全く気づかず中に通してしまったのもやむを得ないでしょう。…………あぁ、確かに僕も、厳重な警備が敷かれているはずのこの会場で、彼女がテーブルの下にいるのを見つけた時は驚きましたが。はははははは……」
珍しいことに、リィズが静かだ。目を見開き荒い呼吸をしているが、暴れる気配はない。
ガークさんが顔を真っ赤にしている。恐らく随伴してきたのであろうカイナさんにも、いつもの笑顔がない。
陛下が目を細めた。鋭い視線に身体が強ばる。
「なるほどな……つまり……こう言いたいのかな? この城の警備が、うっかり入れるくらいザルだったのが、悪いと」
なんでそうなるんだよ。そんな事言ってないじゃん。
警備が無能なわけではない、僕が見た限りこの城の警備は相応であった。ただ、うちのリィズが凄すぎるのだ。
騎士たちがそれだけで人を殺せそうな目つきで僕を睨みつけている。激昂していないのはここが陛下の御前だからだろう。
この国は絶対君主制である。皇帝陛下は最高権力者で、その言葉は何者にも優先される。
必死に頭を回転させる。悪いのはこちらだ。
だが、傷を浅く……できるだけ浅くするのだ。最悪、全員でこの国から逃げるだけの時間が欲しい。
「い、いえ……そのような事は…………あぁ、ただ……そう。確かに、彼女は招待状を検められたりはしていないでしょうね」
「!?」
会場の出入り口はしっかり騎士に固められていて、僕も入場時に招待状を確認された。どうやってリィズが入ったのかは知らないが、良く考えたら警備が無能である可能性も……いやいやいや、謙虚にいこう。敵を作っても良いことはなにもない。
皇帝陛下はしばらく眉を顰めたまま沈黙していたが、やがて重々しく頷いた。
「…………どうやら、後ほど……警備長官に話を聞く必要がありそうだな」
「陛下ッ! 僭越ながら……まずは彼らを捕らえるべきです」
「しかし、この場にはゼブルディアを代表するハンターが何人も出席しているはずだ。本当に誰も気が付かなかったのか?」
立派な鎧を装備した騎士からの進言に答えることなく、ぐるりと陛下が周りを見回す。
その声に篭っていた感情は怒りよりも呆れの方が強かった。
それはそうだろう、気づかない方がおかしいのだ。リィズが不審者だったら皆死んでるよ? 僕たち無罪じゃない?
「やれやれ、全く不甲斐ない……いつからゼブルディアはゲストに警備をさせるようになったんだい?」
人混みの中から、呆れたような声があがった。嗄れた声だ。
出てきたのは、炎のように赤いローブを着た老女だった。背筋はピンと張っていて、身長も女性にしてはかなり高い。だが、その容貌には深い皺が無数に刻まれていて、それに埋め込まれたような真紅の双眸の奥には燃えるような光が灯っている。
皇帝に対して一切の敬意が見えない女性に、しかし周りは誰も口を挟まなかった。僕も思わず身を縮める。
女性は卓越した魔導師である。紅蓮の申し子、僕とは異なり実力でレベル8に認定された、帝都でも屈指の魔導師――《深淵火滅》。
つい先日も帝都を半壊させたばかりらしいのに、その声には一切、そのことを気にしている様子はない。この老魔導師はどれだけ権力があっても、燃える相手に対しては敬意を払っていない節がある。
その化物じみた瞳に見つけられないようにずりずりと後退る。
口より手が先に出る代表格だ。どうしてこんな危険人物が『集い』に毎回、招待されているのかは知らないが、恐らく招待しないと皇城を燃やしかねないから、とかだろう。
歯向かうものを一切灰燼に帰す事で知られる魔導師は、無数の非難の視線の中でも平然と続ける。
「安心おし、警備に参加するつもりはないが……くっくっく……あんたの命だけは……守ってやるよ。私がいる場で万が一、ホストが暗殺されちゃ、私の沽券に関わるからねえ」
彼女がパーティメンバーじゃなくて本当に良かった。隣では随伴なのだろう、見覚えのある少年魔導師が額を押さえている。
リィズよりもこの婆さんの方がよほど礼を失していると思う。
「《深淵火滅》、ゲストといえど、少しは口を……慎むべきだ。貴方の性根は知っていますが…………」
その言葉に真っ先に口を開いたのは白いタキシードを着たアークだった。《深淵火滅》は口を挟んだアークにちらりと視線を向けたが、一度鼻を鳴らし深い笑みを浮かべる。どうやらアークは不燃物のようだな。
前に出るアークに出席者の一部がほっと息をつくのが見える。
ロダンは帝国貴族とも特に関係性の深い家だ。ハンターがしゃしゃりでる事を是としない帝国貴族でも納得させる人物だ。
「しかし、陛下。彼らを捕らえる前に警備を厚くし……話を聞くべきかと」
「レベル8ハンターがそうしようと思ったのならば、そうなる。私には性が合わないが、その小僧はそういうのが特別得意だ。穏便な方法で侵入してきたことを感謝するべきだろうねえ。私だったらそんな面倒なことはしないよ」
死体が残らなければ殺しにならないと思っているような人間と一緒にされたくない。
《深淵火滅》がこちらに節くれだった人差し指を向けてくる。
「時間の無駄だ。こんなくだらない事、私がさっさと終わらせてやるよ。小僧、正直に言いな。侵入することは、可能だろう。だが、何故見つかるような真似をした」
「僕が間抜けだったからです」
「…………冗談を言えと言ったつもりはないんだけどねえ……小僧。一度目は許そう。私は…………手加減は苦手なんだ」
そんな事言われても……手加減が苦手な事は知っているが、僕は冗談なんか言っていない。
なんと答えれば消し炭にされずに済むだろうか……。
騎士の一人が震える声で言う。
「陛下、この者は……テーブルの下の仲間に、何かを受け渡しておりました」
どうやら全て見られていたようだ。そこまでわかっているのならば、理由など簡単にわかりそうなものだが……もしかしたら僕を衆目の中辱めるつもりなのだろうか。ならば、甘んじて受けようではないか。仮にそれでレベルが下がったとしても、それは仕方がない。
僕は両手を上げて降参の意を示し、小さくため息をついた。
「申し訳ない。非常に言いづらい話なんですが、実は、僕、毒や薬には余り強くないんですよ……それで、ワインが少し口に合わなかったもので――」
「!? 毒や……薬、だと!?」
皇帝陛下が目を見開く。ガークさんの表情が険しくなり、《深淵火滅》が目を細める。
そうだよ。情けない話だよね。ハンターの規範たるレベル8がこんな醜態を晒してしまうとは。でも、飲めないものは飲めないのだ。
「本当に情けない話です。ははは、でも誤解しないで頂きたいんですが、ほら、リィズはちゃんと残さず飲んでいるでしょう? 毒が効くのは……僕だけだ」
場が静まり返っていた。先ほど皇帝陛下に進言して無視された騎士の男が、その場で勢いよく跪く。
「陛下、この男を切り捨てる許可をッ! 虚言を弄しこの場を混乱させようとしております。この伝統ある会合で、酒や料理に毒や薬が混じるなど……絶対にありえません。調理中も全て監視し、加えて運び入れる直前に隈なく検査しています」
「ああ、確かにハンターにとってこの程度、毒とも薬とも呼べないかもしれませんね。でも、僕が言うのもおかしい話だが、一般人からしたら十分毒だ。それは仕掛けを施したホスト側が十分わかっている事なのでは?」
「馬鹿な。仕掛け……仕掛け、だと!? 酒や料理に毒を入れるような仕掛けなどあるわけがないではないか!」
おかしいな……話が通じない。
周囲がざわめいていた。お偉いさん達が顔を真っ青にしている。
言い方が悪いのか? 僕なんかおかしな事、言ってる?
「空気が読めなくて申し訳ない。仕掛けという言い方が悪いのならば……伝統とでも言いましょうか」
「……」
「そんなにシラを切らなくても。なんですか? もしもこれが伝統じゃなければ……皇城の警備は、皇帝陛下が出席なさる会合に侵入者を許すほどザルな上に、酒に毒が混ぜられても気づかないほど間抜けという事に……なってしまいますが」
ホームパーティやってんじゃないんだぞ。さすがにそれはありえない。
僕の言葉に、偉そうな騎士が立ち上がり強い口調で反論してくる。
「ば……馬鹿げてる。ならば、なんだ? お前は毒の入った杯を見つけ、それを報告するわけでもなく、自分のパーティメンバーに振る舞ったと、そう言っているのか?」
「はい」
「ッ……ありえないッ、陛下……」
どうやら僕の予想は間違えていたらしい。
皇帝陛下はしばらく目をつぶっていたが、すぐさま判断を下した。
堂々とした様で周りを睨みつけ、指示を出す。
「魔導師を呼べ、全ての酒と料理を調べさせろ。その言葉が真実ならば、何らかの痕跡が見つかるだろう。検査が終わるまで、酒や料理に触れる事を禁じる。異存ある者はあるか?」
出席した者たちは陛下の言葉に、一斉に卓から離れる。
これで万が一、何も見つからなかったら全部僕のせいになりそうだな。
§
そして、全ての飲食物の検査を終え、警備担当の顔色は蒼白を通り越し、今にも死にそうな表情に変わっていた。
「ありえ、ない……」
『毒物探知』という魔法がある。毒物や薬物を探知する有名な魔法だ。
こういった要人が出席するパーティやハンターパーティではなくてはならない初歩的な魔法である。
毒物の種類などを詳しく特定する事はできないが、現存するほとんどの毒物・薬物はこの魔法に引っかかる。推理小説などで人が毒殺されたら間違いなくかけられる魔法だ。
だから……食べ物などに毒が仕込まれる場合、最低限この魔法で引っかからない毒物が使われる事が多い。
だが、今、一つの料理が、皇帝陛下の命令で連れてこられた魔導師の『毒物探知』にはっきりと反応を見せていた。
先程までの居丈高な態度はどこへやら、警備担当が僕に助け舟を求めるような視線を向け、震える声をあげる。
「『毒物探知』なんて、基本中の基本だ。確実に……魔法はかけたはずです。それ以外にも、あらゆる探知魔法は使っていた。漏れは……絶対にない」
「だが、こうして実際に反応が出ている……被害者が出なくてよかったと言うべきか……」
さすが、皇帝陛下はこんな状態でも毅然とした態度を崩さなかった。恐らく、皇帝ともなれば毒物への耐性は万全なのだろう。
いや、貴族ならば毒への対策くらいは講じているはずだ。
「どうやら……前代未聞ではあるが、『白剣の集い』はお開きにせざるを得ないようだな」
陛下の言葉に面々がざわつく。
おかしい……おかしいな。
僕の『正しき銀の冠』で反応が出たのは酒だけである。少なくとも、料理には反応がなかった。
『正しき銀の冠』と『毒物探知』では効果が少し違うが、『毒物探知』で反応のある毒物を『正しき銀の冠』が見逃すことはありえない。そして、僕は大体全種類の料理を網羅しているのである。
魔導師の一人が声をあげる。その手にあるのはリィズが使っていたグラスだ。
「し、しかし、陛下。ご覧ください、グラスからは……反応がありません」
「…………毒の種類を詳しく調べろ。仕込まれた経緯も、だ。『集い』に水を差すとは…………いいか、絶対に、下手人を、見つけるのだッ!」
底知れぬ感情を込めた声に、魔導師が震え、配下の騎士たちが、側近らしい貴族たちが散る。
僕の『正しき銀の冠』が反応を見せたのは酒だけだ。
だが、逆に『毒物探知』が反応を見せたのは料理だけ。料理の内の一つだけだ。
何がおかしいって、酒ならばともかく、料理に手をつけている人などほとんどいなかったのだ。毒物を仕込んだって誰も引っかかったりはしないのは明らかである。
僕を狙ったわけでもないだろう。普通の高レベルハンターならば毒物への対策は取っているものだし、解毒魔法を使える者もいる。無駄に場をかき乱す結果になるだけなのは目に見えている。
全員に順番に『毒物探知』がかけられる。
僕に掛けられた魔法は特に念入りだったが、毒など持ち込んでいるはずもない。シトリーだけ少し心配だったが、どうやら無事切り抜けたようだった。
『白剣の集い』での毒物の発見……ゼブルディアにとっては最悪だろう。
まぁ、集いがお開きになるのは望む所ではある。毒物の発見でリィズの侵入も有耶無耶になりそうだ。誰かの陰謀か何かだろうか……狙いも手法もわからないが、それを調べるのは僕の仕事ではない。
同じように検査を突破した《深淵火滅》が唇を歪め、何が面白いのか、不穏な含み笑いを漏らす。
「くっくっく、随分……落ち着いている。何か事情がありそうだね……」
そして、名誉ある会合だったはずの『白剣の集い』は不穏な空気のまま、僕とゼブルディアとの間に禍根だけを残して、幕を閉じる結果となった。
ちなみに、料理の方に毒を仕込んだのはシトリーだったらしい。
このまま何も見つからなかったら僕がピンチになると思い、皇帝陛下が料理から人を遠ざけるその前にこっそりやったそうだ。泣きそう。
活動報告に今週のストグリ通信を投稿しました。
前回活動報告のシルエットクイズの解答と水着SSキャンペーンの話などなどをしています。よろしければご確認ください。