164 白剣の集い④
「クライさん……ど、どういうつもりですか」
「…………え? いやぁ、助けて貰ってよかった、よかった」
余り周りの目につかないように注意しながら、クランマスターに詰め寄る。
血相を変えて早口で尋ねるエヴァに対して、クライ・アンドリヒはまるで白旗でも上げるかのように両手を上げて笑みを浮かべた。
その笑顔に、エヴァは視線だけで抗議をする。だが、クライはまるで自分はミスなんてしていないと言わんばかりの表情だ。
最近は(エヴァから見たら)大人しくしていたが、《千変万化》――エヴァを困らせるレベル8の本領発揮と言える。
そうなのだろう。この男にとっては、ミスではないのだろう。ゼブルディアの皇女の顔と名を知らない者などいるわけがないのだから、ミスであるわけがない。そして当然、いくら周りから詰め寄られても平気なのだろう。
だが、随伴者で、そして同じクランの副マスターであるエヴァとしては堪ったものではなかった。
エヴァではどうにもならなかった。止める間すらなかった。
エクレール・グラディスが庇ってくれなかったとしたら、叩き出されていたかもしれない。
会合が始まる前から叩き出されるなんて、前代未聞だ。ついでに、皇女にお土産を渡したなんて話も聞いたことがない。
やはり、緊張しているなんて絶対に嘘だ。
視線が集まっていた。その中でニコニコすることなんてエヴァではとてもできない。
『白剣の集い』に於いて、皇帝の息女がメイドに扮するのは、第一回からの伝統である。
第一回目の『白剣の集い』にて、時の皇帝はハンターの資質を試す一環として、自らの娘に使用人に変装させ、その列に紛れさせた。
客の一人であったハンター、ソリス・ロダンは即座にその正体を見破り、皇女に対しても礼を尽くし、皇帝はその様子に深い感銘を受けたと言われている。
その話は帝都での有名な逸話だった。
現在では半ば形骸化し、皇女の変装も服装を変えるだけのおざなりなものになっているが、そこには暗黙の了解が存在している。
今の皇女は皇女であると同時に使用人の一人でもある。だが、それでも皇女であることには変わりないのだ。お土産を渡すだけならばまだしも、『頑張っているお嬢さんにお土産をあげよう』なんて不敬以外の何者でもない。
何を考えているのだろうか……隣でテーブルに並んでいるご馳走の方に視線を向けているクライからは何を考えているのか察することは出来なかった。美味しそうなご飯とか考えていそうな顔だが、まさかそんな呑気な事は考えていないだろう。
名だたる貴族たちが、無遠慮に皇女に近づき、あまつさえ無数の視線の中平然と媚び(恐らくクライにそんなつもりはないが、周りからはそう見えるだろう)まで売った《千変万化》を睨みつけている。当然、影響は隣に立つエヴァにまで波及していた。
しかもエヴァは知っている。その手渡したお土産がドラゴンの卵ではなく、ただの『温泉ドラゴン卵』という商品名の温泉卵である事を。
それが何の意味を持つのかはわからないが。
「クライさん、今更ですが……私では荷が重い気がします」
「そんな事言われても困るよ……ほら、多分僕に近づく大半の人はエヴァ目的だと思うし……」
思わず小声で出した泣き言に、クランマスターは眉をハの字にした。
そんなわけがない。《始まりの足跡》の副クランマスターという地位は普段はそれなりに意味があるが、ここは名高い『白剣の集い』の場だ。エヴァの地位は出席者の中では最低だろうし、何よりクランマスターがいるのだ。
ここで問題を起こせば、いくら破竹の勢いで発展を続けるクランでもただでは済まない。
ずっと、パーティの場についてきてくれたらと思っていた。ハンターでもないエヴァ一人で海千山千の商人達や他のクランと渡り合うのは並々ならぬ苦労があった。
だが、こうして実際に随伴していると……今までついてきてくれなくてよかったのかもしれない。
その眼が見ている物は、思考は、エヴァが見ている物とは違い過ぎた。
思えば、最初にクランを作る際にエヴァを誘いに来た時から、このクランマスターの行いはとにかく豪胆に過ぎた。
先程、場をうまいこと収めてくれたエクレールの元に、クライが近づいていく。そして、まるで旧友に会ったかのように馴れ馴れしく話しかける。
「いやぁ、さっきはありがとう。ほら、僕は…………礼儀知らずだからさ。あぁ、敬語を使った方がいいかな」
「ひっ…………い、いや。競売の件では、借りがある。バレルの件も、あるしな」
「いや、あれは僕は何もしてないんだけど……ほら、競売の時と一緒だよ」
「う、うむ……」
ハンター嫌いと勝ち気で知られていたエクレール・グラディスが完全に怯えていた。クライがニコニコしているのでギャップが大きい。
エヴァの随伴者は普段から、ニコニコしていればなんでもうまくいくと考えている節があった。
「いやぁ、エクレール様。エクレール様の目的はわかっているよ」
「……え?」
「実は持ち込んでるんだ。エクレール様の目的は――これだろ?」
「ヒッ!?」
クライが声を潜め、懐から何かを見せる仕草をする。
表情の変化は明らかだった。エクレールの表情が一瞬で蒼白になり、喉がひくりと痙攣する。ふらふらと数歩後退る。
エヴァは慌てて止めに入った。
ここにいるのは貴族ばかりだ。この図を見られたら何を勘ぐられるかわかったものではない。
時に交渉の上で脅しも有用なのは認めるが、まだ年端もいかない子供にやることではない。
「クライさん、いくらなんでもやりすぎです」
「え……何もしてないけど。…………いらないの?」
不思議そうな顔をしているクライ。
どうしようもなく気が抜けるような表情を見る度にエヴァは自分の力がまだまだ足りない事を思い知らされる。
「いらん、いらんッ! 好きにしろッ! わ、私は忙しい、もう、迷惑かけるなよッ! 騒ぎを起こすなよッ!」
「あ……………」
ごもっともな事を力強く言い放ち、エクレールが足早に離れていく。
間の抜けた顔でそれを見送った同行者は、エヴァを見ると、困ったように言った。
「騒ぎを起こすつもりなんてないのにねえ、エヴァ?」
「…………そう、ですね」
貴族の面々が、特別に招待された各機関の面々が、大商人達が、《千変万化》という目立つ新人にどう襲いかかろうか考えている。
無数の視線を感じながら、エヴァは背筋を伸ばした。
使命感が湧いてきた。
私が……何とかしなくては。クライさんが、全方位に敵を作る前に、場を収めなくては。
と、その時、タイミングよく鐘の音が鳴り響いた。
喧騒が収まる。『集い』が始まるのだ。
静まり返った中、入り口に視線が集まる。
目を白黒させながらあちこちに視線を向けていたクライの腕を軽く叩き、入り口に視線を向けさせる。
大きく開かれた扉の中から堂々たる様子で入ってきたのは、丈の長い闇色の衣装姿の壮年の男だった。
金髪碧眼。歳は五十近いはずだが、その視線は鋭く、その体つきからも老いというものを感じさせない。
服装は簡素で、決して貧相ではないが、装飾の類はほとんどない。何より、その頭には冠がなかった。だが、その佇まいは威風堂々としたもので、たとえどのような格好をしていても抑えきれない覇気が見える。
第十五代ゼブルディア皇帝。
ラドリック・アトルム・ゼブルディア。
このトレジャーハンターの最盛期の到来を誰よりも早く予想し、ゼブルディア帝国にさらなる繁栄を齎した、その人である。
服装が簡素で、冠もなければ護衛も引き連れていない。それもまた、脈々と受け継がれてきた伝統だ。
だが、その腰には現ゼブルディア皇帝の証である宝剣が下がっていた。
(隣のクランマスターを除いて)一斉に跪こうとする面々に、ラドリック皇帝は鷹揚に言った。
「よい。楽にせよ。今宵はよくぞ我が求めに応じて集まってくれた。ここに集められたのは皆、ゼブルディアに繁栄を齎す朋友である。今宵は堅苦しい事はなしにして……楽しむといい」
「なんか思ったよりもただの人だね」
「!?」
喝采が上がる。それに隠れて小声でとんでもない事を言うクランマスターに、エヴァは思わず軽く肘を食らわせる。
そして、剣も魔法も飛び交わない『はず』の戦場が幕を開けた。
§ § §
『いいですか、クライさん。どこまでが本気でどこからが演技なのかわかりませんが、困ったり迷ったりした場合は全て私に聞いてください。最悪、全部私に振って下さって構いません。いいですか?』
やっぱりエヴァは連れてきてよかった。心強すぎる。似たような役割を持っているシトリーでもこうはいかない。
『集い』で出されるお酒はとても美味しかった。高級なのもそうだし、無料なのも素晴らしいが、一番素晴らしいのは、ハンター向けではないので度数が低い点だ。
ワイングラスを片手に、わらわら虫か何かのようによってくるおっさん達に対応する。
ハンターとしての威圧感が足りないのだろうか。他のハンター達によってくる連中も多いが、こちらに来る者の数はその比ではなかった。せっかくアークを見つけたのに会いにもいけない。
ほとんどが顔も名前も立場もわからない人達だ。帝国のお偉いさんである事は間違いないはずなのでコネを作ろうとするのならば絶好の場なのだろうが、残念ながら僕は一切の興味を抱けない。
言葉もいちいちもったいぶっていてよくわからなかった。最近の帝国の事情もよくわからないし、時事ネタを出されてもわからない。端的に言ってくれないのでコミュニケーションのキャッチボールが成立しすらしない。
だが、僕には現実逃避のスキルがある。そして、僕の事を知り尽くしているエヴァもいる。
なんだかよくわからない貴族だか商人だかわからないおっさんに朗らかに笑いながら言う。うんうん、そうだねって言っとけばいいんだよ、こういう奴らは。
「クラン関係含めて、その辺については、全部この右腕のエヴァに一任しています。実は、ウェルズ商会から土下座して引き抜いたんです。僕が言うのもなんなんだが、敏腕だ」
「なんと…………あの高名な《千変万化》が土下座を!?」
おまけに僕は何の役にも立たない滑らないネタを沢山持っているのである。
十人くらいと話しただろうか。エヴァネタは百発百中で話を逸らせている。どうやら皆、僕が隣につれている美女に興味津々らしい。
ウェルズ商会はゼブルディアきっての大商会の一つだ。ビッグネームである。この会合にもその関係者が何人もいるだろう。
まぁ、正確に言うのならば、エヴァを譲ってもらったのではなく、土下座して何とか譲って貰えたのが当時、受付をしていたエヴァ一人だったのだが、なるほど僕の見る目もあるらしい。言ったよ。僕は確かに言った。受付の人でいいのでくださいって言った。
おっさんは何かと難し過ぎる話を断ち切り、目を見開きエヴァを見る。エヴァは顔を真っ青にしつつ、目を泳がせた。
「え……ええ、まぁ…………クライさん、もうやめてください」
「今の僕の成功があるのも彼女のおかげと言っても過言ではありません。こうして、この由緒ある場にもつれてきた、というか、ついてきてもらったと言いますか。公私ともに世話になりっぱなしだ。ああ、絶対にあげませんよ」
美味しいワインのおかげで舌も回る。会話ばかりで、料理に手をつける暇がないので酔いも回っている。
ところで目の前のおっさんはどこの人だっただろうか。
「あぁ、誤解しないで頂きたい。愛人とかではないので…………どちらかというと僕の方が愛人みたいなもので――ッ」
足を踏まれ、思わず息を呑む。
「……失礼しました。少し……クライさんも、酔いが回っているようで」
エヴァの感情を押し殺したような声に、お偉いさんが目を僅かに見開く。
この声は……怒っている時の声だ。今後やりやすくするためにしっかりエヴァを立てたつもりだったのだが。
「…………あぁ、失礼、ちょっとした……冗談です。まったく、僕にダメージを与えられるのはエヴァだけだ。宝物殿でも傷を負った事なんてないのに……」
「…………それも冗談ですか?」
「これは、冗談じゃないよ」
僕は役に立たない結界指を擦り、眉を顰める。お偉いさんがずっと張り付いていた人好きのするような笑みを崩し、困惑したような表情を僕とエヴァに向けている。
そんな僕のすぐ横を、つい先日見た黒いドレスを着たシトリーが颯爽と通り過ぎていった。
「!? な、なんでシトリーさんが……」
「…………知らないよ」
もしかして、皆いるんじゃないだろうな……警備は厳重なはずだがどうやって――。
不安が押し寄せている僕の眼の前で、テーブルの下から褐色の腕が伸びてきた。足をつっついてくるので、飲みかけのワイングラスを渡してあげると、さっと引っ込む。いい具合にテーブルクロスで隠れて見えないようだ。
「!?????」
エヴァが呆然と目を見開いている。僕は笑みを浮かべ、全力で見なかった事にした。
リィズは許可なしだな、きっと。
活動報告にストグリ通信Vol.19を投稿しました。
三巻キャラデザ公開第四弾です。
ついでに三巻で出てくるキャラのシルエットクイズも行っています。よろしければご確認ください。
/槻影
更新告知:@ktsuki_novel(Twitter)
P.S.
書籍版一巻、二巻についても発売中です。
続刊やWeb更新速度に繋がりますので、そちらもよろしくお願いします!