154 終わりと始まり③
魔法というのは、それを使えない者にとっては憧れの対象である。
僕も自分の才能のなさに絶望する前は魔導師になりたかったし、故郷の町で一番最初に適性を探す際、お前に魔法の才能はないと断言された後は、魔導師としての適性を見出され、努力を重ねるルシアに散々つきまとった。
無知だった当時の僕にとって、魔法とは万象を無条件で可能にする奇跡だった。
今の僕はそんな事ありえないと知っているが、当時の僕は何しろ子供だったので、僕の考えた最強の魔法一覧を喜色満面で妹に押し付けて困らせたり、自作の杖をプレゼントして使用してくれなかったらこれみよがしと拗ねたり、やりたい放題だった。
ルシアは真面目だし勉強家だったので、嫌な顔をしながらも一生懸命、既存の魔法を組み合わせて『僕の考えた最強の魔法一覧』を再現してみせた。
僕は凄い凄いと手を叩き喜びながら、細かいダメ出しをしたりしてルシアからパンチを貰っていた。
今では本当に申し訳ない事をしたと思っている。
まぁ、そんな子供のお遊びとは直接的に関係はないのだが、いつしか、彼女は、膨大な魔力と魔術知識、無数のオリジナル魔法を修めた、ゼブルディアでも有数と讃えられる魔導師になっていた。
僕はいつしか魔法に飽き、自分でも使える宝具という存在に夢中になっていた。
シトリーが、小さなガラス瓶を持ってきて、丁寧につまみ上げたティノを入れる。
真っ黒な蛙は透明な瓶の中、うるうるした眼で僕を見上げていた。
「これで、大丈夫です……」
いや、全然大丈夫じゃないと思うけど……。
目を見開き、すっかり小さくなってしまったティノの入った瓶を持ち上げ、眉を顰める。
「『魔女の秘術、蛙編』……完成していたのか」
これはまさしく、昔まだ子供だった頃、御伽噺で出てくるのを読んで眼の前で見てみたくなり、ルシアから無理だと断言された魔法ではないか。
僕の考えた最強の魔導書の第三巻か第四巻かに載っている魔法である。そんな魔法存在しないとか、質量をどうしたらいいのとか倫理観を考えろとか、変えるのはともかく、どう考えても戻せないとか、さんざん詰られた代物だ。
まさか長年の時を経て今この目で見ることになろうとは。実際に目の当たりにすると反応に困るな。
「…………元に戻せるのかな?」
「!???? けろ!?」
「とりあえずこのままでも良いのでは? これはこれで、とっても可愛いですし……」
「けろ!? けろけろけろ!」
シトリーがとんでもない事を言っている。錬金術師にとって蛙はポーションの材料だったはずだ。
ティノガエルがぺたぺたと必死に瓶を叩いている。
『創造の神薬』を使えばいけるのか……? うーん……。
そもそも、なんでルシアがかんかんになるとティノが蛙になるのかわからない。
ルシアとティノは本当の姉妹のように仲がいい。ルシアはスマート姉妹と比べて当たりが弱いので、ティノも随分とルシアに懐いていたはずだ。
シトリーが良いことを思いついたと言わんばかりに満面の笑みで手を合わせる。
「ルシアちゃんをお出迎えしにいきましょうか! 少しは機嫌も直るかと」
「出迎えたいのは山々だけど、籠城中だからな……」
ルシア達が来ているなら動かない方がいい気もする。
ルシアは強い。《嘆きの亡霊》ではレベル7のアンセムに次ぐ、レベル6(しかも、かなり7に近い方)の魔導師だ。特にその力は多対一の戦いで最も発揮され、(魔導師だからある意味当然なのだが)うちのパーティの中では最も高いキルスコアを持っている。
職には相性がある。ルシアなら多数の盗賊など簡単に撃退できるはずだ。倒してもいいし、眠らせてもいい。
いや、ルシアが来ているのならばルーク達も来ているはずだ。アンセムやエリザはともかく、ルークは……やりすぎなければいいのだが。
ティノの髪と同じ色のティノガエルがぺしぺし瓶を叩き、僕に向かって目で訴えかけてきている。
仕方ない、シトリーもいるし盗賊はなんとかなるだろう。
立ち上がったその時、扉を蹴破るようにして、部屋にアーノルドが駆け込んできた。
鎧には返り血が付着し、随分奮戦したように見えるが、その表情は出ていった時と異なり、まるで悪魔でも見たかのように青褪めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ…………あ…………ああ……クライ。ここは…………まずい。何が、起こってるのか、わからない……が…………ああ……どうなっている?」
支離滅裂な事を言うと、太い腕が伸び、眼の前で握られた拳が開かれる。
そこにいたのは、七匹のカラフルな蛙だった。
…………まずい、ティノが交ざる。
§
旅館の周辺で呆然とけろけろ言っている蛙を背負い籠に回収しながら、街を練り歩く。
回収係はシトリーの飼っている魔法生物である、キルキル君だ。蛙を見つけては、ぽいぽい籠の中に放り投げている。
キルキル君は今日も元気だった。灰色の血色の悪い肉体はしかし凄まじく発達しており、真っ赤なブーメランパンツがやたら目立つ。被った紙袋といい、申し訳程度のリボンといい、シトリーが以前言っていた、外を連れ歩いていると捕まるというのも無理も無い話だ。
普段連れ歩く時はルシアが幻術で姿を隠しているらしいが、旅館を出ようとした瞬間に高速で飛び出してきた姿は、キルキル君を見たことがある僕が見ても盗賊の百倍恐ろしかった。
シトリーは笑顔で駆け寄っていたが、やはり彼女の感性は少しおかしいと思う。
そして、ルーク達の下にいるはずのキルキル君が来ているのだから、ルーク達がこの街にやってきたのは確かのようだ。
どうしてこの街までやって来たのかはともかくとして、丁度ピンチだったのでとてもいいタイミングだった。
ただでさえ仲間を蛙にされ、血の気の引いていたアーノルドの顔は、キルキル君の登場でとどめを刺され完全に魂が抜けていた。
どうやら完全に理解を越えてしまったらしい。大事に仲間達を瓶の中に入れて、とぼとぼと僕の後ろをついてきている。
宿の周りだけではなく、スルスの街にはそこかしこで蛙の大合唱が発生していた。
どうやら、ティノを狙っていたわけではなく、ルシアの魔法は無差別だったらしい。僕の知るルシアの魔法と比べても桁違いの規模だ。
感心する前に恐ろしくなってしまう。
「さすがルシアちゃん……どこまで飲み込んだんでしょう、相当おかんむりですね」
「……何が悪かったんだと思う?」
「…………バカンスって言われて温泉に入れると思って来たのに、盗賊団の始末をさせられたのが悪いんだと思います」
それは僕のせいじゃないよ。盗賊団に言ってくれ。
「…………グラディス騎士団が間に合ってたら良かったのに、まったく使えない奴らだな。依頼は合同じゃなかったのか!」
まぁ、受けるつもり、なかったんだけど。
街のあちこちには蛙が散らばっていたが、中には蛙にならず人間のままの人もいた。
しかも、盗賊には見えない、武装してない人ばかりだ。戸惑いを隠さず、ふらふらあちこちを歩き回り、助けを呼んでいる。
聞き耳を立てるに、どうやら、盗賊に囚われていた所を、いきなり盗賊が消えたらしい。
「条件があるのかな?」
「非戦闘員を除いて対象としているんだと思います」
「どうやって?」
「……クライさんから、一般人には効果のない魔法を作れと無茶ぶりされたと、ルシアちゃんが愚痴ってましたが……」
……言った。ああ、確かに言ったさ。
僕の持っている、魔法を一個ストックできる宝具――『異郷への憧憬』に込めるために、だ。
『異郷への憧憬』は込めた魔法をそのまま解放するだけの宝具のため、本来術者が制御できる攻撃範囲などを指定できない。そのため、何とか非戦闘員にだけ効かない魔法を込めてくれないか頼んだのだ。
「マナ・マテリアルの量で判別していると聞いた気が。アーノルドさんが変わらなかったのは多分、こういった変化系の術式の耐性は毒などと比較してかなり付けやすいからですね。さすがです、私が見込んだだけの事があります。アーノルドさん!」
「…………あぁ」
なるほど……だから、マナ・マテリアル量が一般人並の僕にも効かなかったのか。
シトリーの称賛にも、アーノルドは何も言わず疲れたような声で返すのみだった。今度、機会があったら慰めてあげようと思う。
しかし……ルシアの事だから心配は要らないと思うが、これで元に戻せなかったら僕たちはバレルなんて目じゃない犯罪者だな。
また変な噂が立ちそう。絶対ガークさんに呼び出し受けるし、ゲロ吐きそうだ。
籠が半分程蛙で埋まったあたり。街の門に近づいてきた辺りで、不意にリィズが空中から飛び込んできた。
声を上げる間もなく、アーノルドを蹴り飛ばし反転、こちらに飛びついてくる。フリーダム過ぎる。
アーノルドが強襲により変な声を上げ、地面を転がる。
軽い身体を抱きしめる。リィズは僕の頬にぴったり頬を当て、元気よく叫んだ。
「クライちゃん、た、だ、い、まぁぁぁぁッ!」
「…………リィズは、今帰って来たわけじゃないだろ」
それ、この間【白狼の巣】でやったし。
「そんな細かい事、きにしないでッ!」
押し付けられた胸から早鐘のような鼓動を感じる。すりすりとその手が僕の背中を撫で、にこにこしたシトリーが後ろでまとめられた髪を引っ張り、引き離してくれる。
そして、僕はようやく、門の上部から飛び出たアンセムの巨大な頭と、斧と大剣をそれぞれの手に持った巨漢と木の棒一本でちゃんばらをしているルークの姿を確認し、手を振りながら大きく声をあげたのだった。