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嘆きの亡霊は引退したい 〜最弱ハンターは英雄の夢を見る〜【Web版】  作者: 槻影
第四部

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147 バカンスの終わり②

 幅の広い廊下を、浴衣が乱れないように早足で歩く。

 この旅館にやってきて一週間以上経っているので、旅館の構造はわかっていた。既に旅館のスタッフもほとんどが顔見知りだ。


 足元まで丈のある浴衣は非常に走りづらいが、これも訓練だと思う事にする。

 

 畳の上でごろごろしたり、お茶とお菓子を一緒に食べる事がティノにとって何のメリット(もちろん、これは『幸せ』以外の、だ)になるのか全く想像できないが、疑問は置いておく。

 ティノはただのレベル4ハンターである。ますたぁの深慮などわかるわけがないし、できることは忠実にその指示に従うことだけだ。

 これまでもそうしてきたし、これからもそうする。ティノはますたぁの言葉は良くわからないが、ますたぁの事を信じているのだ。


 誰もいない木張りの廊下を抜け、フロントに向かう。頭の片隅ではずっと数を数えていた。

 十分以内と言われたのだから、十分以内に戻らねばならない。時間など越えてもますたぁは叱ったりしないだろうが、そこはティノのプライドの問題である。


 丁度、ロビーにたどり着くと、受付のカウンターの裏から浴衣のスタッフが出てくるところだった。

 専用の灰色の浴衣を着た女性スタッフだ。濃い化粧に、短く切られた髪。見覚えのないその顔と佇まいに、一瞬、ティノは目を見開く。

 スタッフの方もティノの登場に驚いたのか、その整えられた眉がピクリと動いた。


 ロビーには他の客はいなかった。いつもエントランスに立ち、警備をしている警備員の姿も無ければ、竜殺しを達成したティノに尊敬の視線を向けていた顔見知りのスタッフも一人として姿が見えない。

 風景自体は平穏そのものだが、何故かティノは今の状況に何か不審なものを感じた。


 対面していた女性スタッフがにこやかな笑顔を浮かべ近づいてくる。


「これは……お客様。何か御用でしょうか?」


「……お菓子とお茶を分けて欲しい。甘いお菓子で」


「承知しました。すぐに部屋にお持ちします」


「助かる」


 高級な旅館だけあってサービスの質は確かだ。すぐに届けられるだろう。

 ほっと息をつき、後ろを向く。


 ――そして、そのまま止まることなく、流れるような動作で背後を確認した。


 予想外の動きだったのか、にこやかだった女性スタッフの顔が強ばる。その右手には先程までなかったはずの小さなナイフが握られている。


「ッ!」


 ナイフはそのまま振り下ろされるが、眼の前で下ろされた刃を身に受ける程、ティノは鈍重じゃない。


 一步背後に下がり、刃渡り十センチ程のナイフを容易く回避する。刃は黒く塗られ、柄も短く、リーチはほとんどない。

 その武器は、明らかに近距離戦闘で使う事を想定していなかった。幻影や魔物を相手に使用される物ではないが、ティノ達、ハンターは刃渡りが小さく携帯性に優れ、且つ投擲用ではないナイフを『アサシンナイフ』と呼んでいる。

 魔物や幻影を倒すためではない、人間を不意打ちで仕留めるための暗殺用の武器だ。


 女の顔が驚愕に歪む。

 動揺はない。ただ、訓練でやっているように無意識に裂帛の気合を込め、踏み込むと同時に拳を放つ。

 胸にそれを受けたスタッフの眉が一瞬歪む。ティノは自分の未熟に唇を噛んだ。


 浅い。失敗した。


 後ろに一步飛んで衝撃を緩和した『敵』が、胸を押さえながら改めて構え直す。

 ほとんどダメージがない。動きづらい浴衣のせいで踏み込みが甘くなっていた。いつもの格好だったら少なからずダメージを与えられたはずだ。だが、ティノがお姉さまだったら、同じ格好、同じ立場だったとしても一呼吸の間に無力化出来ていたはずである。


 眼の前の敵の姿は最初から変わっていなかった。人好きのする顔立ちからは殺意や戦意は見えず、しかしその立ち振舞は一般人ではありえない程洗練されている。


「……あらあらどうしてわかったの?」


「十分で、戻ってこいと言われている。余計なお喋りをしている暇はない」


 わかった理由は言うまでもない。教育の賜物である。ティノは常日頃からいつ何時、周りが敵になっても戦えるように注意しろと教育を受けているのだ。

 そして、それは実際にお姉さまであるリィズ・スマートの体験談でもあった。

 さすがに温泉にドラゴンが現れた時は驚いたが、見えない警備兵、見覚えのないスタッフと、ここまで違和感が積み重なれば未熟なティノでも身構えもする。


 幸い、目の前の女はそこまで強くはなさそうだ。少なくともティノと一対一で戦えば、たとえいつもの力を出しきれなくてもティノ側に軍配が上がるだろう。

 殺気を消す能力は大したものだが、もともと暗殺者は一撃で格上を倒し得る反面、正面からの戦いに向いていないものだ。対人に慣れていないハンターならば少しは目もあるかもしれないが、ティノはお姉さまに散々殴られ対人戦闘に慣れている。


 構え呼吸を整え睨みつけるティノに、女は困ったように言う。


「参ったわ……まさかこんな小さな護衛がいるなんて――気づかなければ…………無駄に痛い思いをさせずに済んだのに……」


「……」


「ねぇ、もし、よければ教えてくれない? 貴方…………《嘆きの亡霊》でしょ? リィズとシトリー、どっち?」


「名乗るつもりはない」


 見当違いの言葉に少なからず衝撃を受けたが、それを表には出さなかった。相手に理由なく余計な情報を与えてはいけないのだ。

 女は、鋭い目つきで睨みつけるティノに、小さくため息をついた。


「…………まぁ、いいわ。この程度なら、想定の範囲内だし……おい、お前らッ!」


 カウンターの裏からぞろぞろと現れた増援に、眉を顰める。

 その数、十人。年齢も性別もバラバラだが、強面の者はほとんどいない。帝都で道を歩いている者からハンターを取り除き、適当に十人連れてくれば今目の前に現れたようなラインナップになるだろう。


 大きな組織だ。ティノは武者震いを抑え、頭を回転させる。


 一人一人の能力はティノと比べ高くないが、佇まいはごく自然で洗練されている。訓練なくして、こうはならない。

 おそらく、能力がそこまで高くないのも人の目を欺くためだろう。マナ・マテリアルの量を絞り、残ったそれらも擬態に振っているのだ。そうでもなければここまでの擬態は得られない。《千変万化》レベルの擬態を目の前の連中が持っているとは思えない。


 素人じゃ……ない。他者を警戒させない、周りに溶け込めるような人間をここまで揃えられるのだ。だが、ティノを《嘆きの亡霊》と勘違いしている様子からは情報に不備があるようにも見える。


 増援の一人――ティノよりも年下に見える少年が、意外そうな顔で女を見上げた。


「失敗ですか」


「さすが《嘆きの亡霊》ね。凄く……勘がいいみたい。平和ボケした騎士団とは違うわ。いや…………十分で戻ってこい、だったかしら?」


「《嘆きの亡霊》の名を知りつつ、襲ってくるなんて――」


 なんて、命知らず。


 ティノでも勝てるような相手だ、何人いたとしてもますたぁの小指一本で制圧されるだろう。

 確かに、人数は多い。人数は多いが、【万魔の城】を見た瞬間に感じた絶望感と比べれば、たかが人間などなんだろうか。


 ティノだって、これまで千の試練をくぐり抜けているのだ。


 覚悟を決める。ここまで多人数を一度に相手した経験はないが、十人いたとしても十人全員が一度に攻撃してくるわけではない。ティノ・シェイドならばできるはずだ。


 準備だって万端だ。右手を浴衣の合わせから入れ、体幹に巻きつけていたベルトから短剣を抜く。この間までは持ち歩いていなかったが、大浴場の戦いはティノを成長させていた。

 ティノは体術が得意だが、短剣術も修めている。数を相手にするのならば鋭さが必須だ。


 尋問をするつもりはない。どうせますたぁならば正体を知っているだろう。ティノが言いつけられたのはお茶とお菓子を手に入れて十分で戻ってくる事だけだ。


 眼の前に現れた者たちは、ティノに課された試練の障害物にすぎない。


 ティノを囲む正体不明の『敵』は、武器を見ても顔色一つ変えなかった。それどころか、スタッフの振りをしていた女が嘲笑うかのように言う。


「何も知らず可哀想に――この分だと、《千変万化》の先見も大した事ないわね」


「……」


 下らない挑発だ。耳を貸すつもりはない。

 むっとしたように眉を下げつつも、精神を集中させるティノに、女が信じられない事を言った。


「いいこと、私達は――既に《嘆きの亡霊》の二人を捕らえている。いくら高名なパーティでも、全員が揃っていない貴方達に勝ち目は――」



 極度の集中により、精神が研ぎ澄まされる。女の後ろについていた他の者たちがごくわずかな、最小限の動きで腕を動かすのが見える。



「ない」


 その言葉は刹那の瞬間、ティノを動揺させるが、すぐに雑音に変わる。

 四方から投擲されたナイフの内、四本を後退で回避し、一本を短剣で弾き、ティノは眼の前の無礼な連中に向かって強く踏み込んだ。




§




「おいおい……あの体勢から避けるのか――奇襲は完璧だったのに、ハンターは化物だねえ。一番つええ奴から狙って正解だ」


「ッ……何者、だ」


 男が唇を歪め、笑う。睨みつけるが、その表情は微塵も揺るがない。

 中肉中背の男だった。持ち物は少なくハンターには見えなかったが、その身のこなしは常人のものではなかった。背中の痛みに眉を顰めつつ、背の剣を抜く。男たちの仲間は散開し、《霧の雷竜》の馬車を囲みながらにやにや笑みを浮かべている。


 アーノルドがとっさに身を捩り、その白刃を急所から逸らせたのは幸運だ。背に受けた傷は決して浅くはないが、アーノルドとて歴戦のハンターだ。長く血を流せばまずいが、この程度で戦闘に支障が出たりはしない。


 既に金色の大剣は手の中にある。身のこなしは確かに機敏だが、レベル7ハンターを手こずらせる程のものではない。

 エイ達も既に戦闘態勢に入っていた。武器を抜き身構え、囲むエイ達を見ても、男の飄々とした態度は変わらない。


 何者かは不明だ。このゼブルディアで恨みを買った記憶はない。


「あんた、《千変万化》じゃないよな? 優男だって聞いてる――クソッ、ついてねえ……まさかこんな高レベルハンターがこの街にいるとは……だが、あいにく街を襲う時は全員出さねえのがうちのルールなんでな……」


 《千変万化》、だと!? まさか、またあの男の策略なのか? 鈍い痛みを怒りが消し飛ばす。


 しかし、そんな怒りの中でも、アーノルドは強い違和感を覚えていた。

 おかしい。こんな白昼堂々襲いかかってきた事もおかしいし、そもそもアーノルド達に襲いかかってきた事自体馬鹿な行為だ。

 目の前の男とその仲間は確かにそこそこの腕前だが、《霧の雷竜》より格下だ。実力差がわからない程未熟ではないはず――。


 そこまで考えたところで、視界が不意に大きく揺れた。

 一瞬、地震かと思ったが、違う。

 握っていた大剣を下に向け、突き刺し、何とか倒れるのを耐える。得体の知れない震えが全身を襲い、全身から力が抜ける。


「アーノルドさん!?」


「おいおい、ようやく、効いたか――幻獣用の強力な奴だってのに、本当に頑丈だねえ」


 『毒』だ。しかも、レベル7のアーノルドに効くレベルの極めて強力な毒。


 トレジャーハンターはマナ・マテリアルの力で身体能力が上がりやすいが、反面、耐性系が疎かになりやすい。

 アーノルドはそれでも市販されているような人間向けの毒ならば全て無効化出来るが、受けた毒はそんな生半可なものではない。


 身体の中から熱が消えていく。痛みはないが、それがただただ不気味だ。


 何を受けた? ――余裕ぶっていたのは、俺に毒が効くのを待っていたのか。 

 歯を食いしばり、渾身の力を込め、頭を上げる。男が珍妙な猛獣でも見るような目つきになる。


 いつの間にか、アーノルド達の馬車を中心に、周りにいた観光客達が集まってきていた。

 その数、十人や二十人ではない。そのほとんどは目立つ武器を持たず、中には商人のような格好をしている者もいる。

 皆それぞれ、アーノルド達に興味深げな視線を向けていた。


 何故、誰も声をあげない? 一瞬、そんな疑問が脳裏を過るが、すぐに答えに思い当たる。


 声をあげないのではない。こいつらは全員――。


「名乗ろう。どうせ名乗っても無駄だが、俺たちは影に生きちゃいるが、たまにはあんたらハンターみたいに名を売りたい時もある」


 男が歯をむき出しにして笑う。その目は傲岸不遜にアーノルドを見下していた。

 周りを囲む者たちが各々、その服の下から武器を取り出す。街を守っているはずの衛兵が来る気配はない。



「俺たちは――バレル。影のように忍び、人も物も、炎のように何もかもを奪い尽くす。最強の盗賊団にして――これから最強を殺す者だよ」


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《始まりの足跡》宣伝課@GCノベルズ『嘆きの亡霊は引退したい』公式
※エヴァさんが広報してくれています!

嘆きの亡霊は引退したい、アニメ公式サイト

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