143 和解
「許してあげて、クライ。彼は貴方に無礼な事をしたかもしれないけど、それでも私達を何度も助けてくれたのッ!」
ルーダが声を震わせ、まるで嘆願するように詰め寄ってくる。
盗賊用の頑丈なはずの衣装はそこかしこがほつれ、顔色はすこぶる悪い。大きな碧眼の下には隈が張り付いており、アーノルドよりはマシだが、随分苦労したように見える。
多分遭難したのだろう。よくある話だ。僕もパーティの一員として参加していた時はよく遭難していた。
森でも山でも砂漠でも海でも遭難した。何を隠そう、現在、唯一《嘆きの亡霊》に新規メンバーとして参加しているエリザ・ベックは元遭難仲間である。砂漠で一緒に行き倒れた仲だ。
だが、それはまあ置いておいて、僕はルーダが言っている事がわからなかった。
僕はアーノルドに対して何もやってないし、やるつもりもない。むしろ、僕の認識ではこちらが逃げる側である。
恨みも、まあない。何回か剣で切りつけられたが『結界指』の力で無傷だったし、もしも指輪がなければ死んでいただろうが、これまでの経験上、その程度で腹を立てていたらハンターはやっていけないのだ。ストレスが溜まるので忘れた方がいい、まである。
「え……? 僕はまだ何もしていないし、やるつもりもないけど……」
むしろなんでここにいるんだよ。
いきなり眼の前で倒れたアーノルドは仲間たちに宿に運び込まれ、この場にはルーダとギルベルト少年達しかいない。事情を聞くなら今だ。
ティノが固い表情で僕とルーダを見ている。ここまでやってきたのはシトリーの誘導の結果なのだろうが、どうもルーダと僕の間には認識の齟齬があるように思えた。
僕の心の底から出した言葉に、ギルベルトが青褪め数歩後退る。ルーダの表情からも血の気が引いている。
名前も知らない他のメンバーも、総じて僕を化物でも見るような目で見ている。
「ま、ま、ま、ま、まさか、まだ、ここまでやって、まだ――」
「これが……あの有名な――」
またこのパターンか……。
レベル8の地位は僕にとって度々重荷になる。皆が僕に期待し、僕を恐れる。そして、そのどちらの期待についても僕は応えられないのだ。
だが、このまま放置しておくわけにも行かない。ないとは思うが、温泉に入っている最中にいきなり襲撃を掛けられたら目も当てられない。
「……まぁ、ルーダ達が心配しているようなことはないとは思うけど、とりあえず話は聞くだけ聞くよ」
ルーダ達が顔を見合わせる。今の僕にはリィズとシトリーがついているので強気だ。
レベル7のハンターがあんな酷い顔色になった理由についても気にならない事もない。
その肩越しに、アーノルドを運んでいった仲間の一人――恐らく、副リーダーであろう男が覚悟を決めたような表情で近づいてくる。
僕は敵意のない事を示すために、笑顔で手を振った。
§
宿に併設されたレストランで話を聞く。ルーダとギルベルト少年、そして《霧の雷竜》の副リーダーの語る冒険は壮絶の一言だった。
どうやら、彼らは僕たちを追って【万魔の城】まで行ったらしい。僕は外から馬車がない事を確認して踵を返したのだが、アーノルド達は中に入ったようだ。
二つ名持ちが揃っている《嘆きの亡霊》でも適正レベルの外なのに、レベル3とか4の混じったパーティで入るとか、命知らずかな?
「――それで、何とか、大群を死骸の山に隠れる事でやり過ごしたの」
「絶体絶命だった。アーノルドさんの適切な指示がなければ全滅していた」
ギルベルト少年の仲間たちがこくこくと必死に頷いている。
そのアーノルドさんが指示を出さなければ中に入ることもなかったような気もするが、今そのような事は言うまい。
余り興味もなさそうな表情で話を聞いていたリィズが目を瞬かせて言う。
「えー、ってことは何? あんたら、私達のキャンプファイヤーの跡でファイヤーしたってこと?」
「し、してないですッ!」
「高レベルの宝物殿では、幻影を構成するマナ・マテリアルが強すぎて死骸も長時間残りますからね……後始末はちゃんとしたほうがいいかもしれません。どう思います?」
シトリーが思案げな表情をするが、僕の感想は、まさか僕抜きのパーティでもキャンプファイヤーをやっているとは思わなかったという、一言だけだ。
確かに昔はやっていたけど、まさか適正外の宝物殿でもやっているとは――楽しそうで何よりだね。
肝心のルーダ達の話は最初から最後までよくわからなかった。
言っている言葉はわかるし、うんうん、そうだねと頷きながら聞いてあげたが、思考回路がよくわからない。
死骸の山に隠れ何とか大群をやり過ごしたルーダ達は、【万魔の城】を命からがら逃げ出し、付近の町まで撤退した。
撤退時に何度も幻影と衝突したことで負傷し、疲労も溜まっていたアーノルド達は避難も兼ねて湯治で有名なスルスを目指した。途中にグラディス領があるのも決め手だったらしい。ルーダは僕たちがグラディス領を目的地にしていると思っていたようだ。
指名依頼出されてるのに行くわけないじゃん……。
相手が意気込み話す程、僕は戸惑いを隠せなかった。
唯一僕に理解できたのは、アーノルド達がもう僕と争うつもりはないという点だけだ。どうやってシトリーが彼らの行動を誘導したのかもわからなかったし、どうして彼らがそうも僕を恐れていたのかもわからないが――それだけで十分である。
副リーダー、エイ・ラリアーがテーブルに両手をつき、頭を深々と下げる。
「全面的に俺たちが、悪かった。レベル8を、舐めていた。すまなかった、慰謝料も払う、アーノルドさんはもう限界だ。どうか、この辺りで手打ちにしてくれ」
「どうします? クライさん」
……何もやっていないのに謝られている。土下座することは多くとも、土下座されるのは珍しい。
シトリーが僕を見上げてくる。リィズが口を挟まないのは、僕の意志に任せるということだろう。
緊張したような表情が幾つも僕を窺っている。和解は望む所である。こちらを油断させる作戦ではないだろう。
僕は何も考えず、満面の笑顔で答えた。
「いいよー。まぁ、ちょっとした認識相違があるみたいだけど、僕は別にアーノルドさんに恨みなんてないし、手を出してこないなら何もしないよ。せっかく来たんだから、温泉でも入っていったら?」
「ッ…………す、すまねぇ」
エイは僕の言葉に、しばらく頭を下げたまま身を震わせていたが、絞りだすような声で再度、謝罪の声をあげた。
ところで怖くて確認できないのだが、本当に彼らは僕が何をしたと思っているのだろうか?
§ § §
考えている事がわからない。まるで肩の荷が降りたような笑顔で話すクライに、ルーダは隔絶した精神を感じていた。
ルーダにとって、【万魔の城】は死地だった。もしもルーダ一人だったらあの異形の死骸の山に埋もれ隠れるなどという選択肢は取れなかっただろう。もしかしたら手っ取り早く、城に逃げ込むという選択肢を取っていたかも知れない。もしもそんな事をしていたら、どうなっていたかわからない。
だが、クライの表情にルーダ達を慮るような物はなかった。それは、クライがこういった試練を周りに与えるのに慣れているという事を示していた。
他にも、アーノルドの思考を――心が折れ、逃避を選ぶ事すら読み切った先見は悪魔じみていて、これがレベル8の標準だとするのならば、ルーダはとてもこの域に到れる気がしない。ましてや、ハンターのレベルにはその先もあるのだ。
ともあれ、試練は乗り越えた。今はそれだけで満足するべきなのだろう。
命からがら宝物殿を脱出し、クライとの遭遇を恐れ強行軍で逃げてきた満身創痍の《霧の雷竜》と比較し、クライ達の顔色は非常によかった。
唯一心配だったティノについても、浴衣なんて着ていて、この間会った時よりも体調も良さそうだ。
ルーダ達には任務がある。本来ならばスルスでアーノルドと別れ、グラディス領に入りクライ達が来るのを待つつもりだったのだが、ここで出会えたのはアーノルド達にとっては不運でも、ルーダ達にとっては幸運だったのかもしれない。
ここ数日の強行軍で疲れ切っていたルーダにとって、スルスの温泉は天国のようなものだった。
死骸の山に潜った事で付着した血や肉は宝物殿を出てしばらくして消失したが、被った泥や埃は消えない。湯治にも向いていると聞いているし、ここまでの疲労を癒やすにはもってこいだ。
クライの言葉に甘え、詳しい依頼の話は後からすることにして、久方ぶりに温泉に入る。
ティノも一緒だ。浴衣という衣装は知識としては知っていたが、見るのは初めてだった。
ぼろぼろの自分達との違いに、自分でも理不尽だと思うが、少しだけ苛立たしさを感じる。
適当に選んだ温泉だったが、浴場はとても広々としていた。
仄かな蒸気が肌に触れ、それだけで余りの心地よさに眠気が押し寄せてくる。それを我慢して、久しぶりに身体を丹念に洗う。
長い旅程で身体を洗う機会などないのは仕方がないのはわかっているが、乙女としてはどうにも我慢し難い話だった。
「あぁ……もうすっごく疲れた……久しぶりに死ぬかと思ったわ」
【白狼の巣】も大変だったが、今回も甲乙つけがたい死地だった。幻影の強さとしては今回の方が上だが、《霧の雷竜》のおかげでルーダの精神的負担は緩和されていたところがある。
いい経験になったとは思うが、二度と体験したくない。
「マスターの見る目は信じていたけど――生きていて、よかった」
隣に座り、丁寧に手の平で肌を擦っていたティノが小さな声で言う。既に何回か温泉に入っているのか、ティノの白い肌はピカピカに磨き上げられていた。
短い言葉には強い実感がこもっていた。その言葉に、この普段無口な少女も自分の事を友人だと認識してくれているんだと、ルーダは少しくすぐったいものを感じる。
「そっちはどうだったの?」
「…………温泉の中で、ドラゴン退治やってた」
「?????」
ゆったり湯船に入りながら話を聞く。その内容にルーダは呆れを通り越して溜息しか出なかった。
どうやらティノもティノで大変な目に遭っていたようだ。全裸でドラゴン退治をさせられたハンターなど、世界広しといえどもティノくらいだろう。
クライやシトリーといった強力なハンター達が他にもいるのに、ティノに戦わせる辺り、スパルタがよく見える。
凄く恥ずかしそうに話すティノは、同性のルーダから見ても随分可愛らしい。
ルーダが同じ立場にいたとしたら、恥ずかしさなど感じている余裕はないだろう。終わった後に指摘されたとしても、(もちろん多少の照れはあるにしても)胸を張って仕方がなかったと言えるはずだ。
眼の前の少女は熟達したハンターだが、変なところで恥じらいが残っている。
と、そこで昔の事を思い出し、ティノを見た。
「…………あれ? でも、貴方、以前クライに体位がどうとか言ってなかったっけ?」
「? ……言ったけど?」
ティノが不思議そうな表情でルーダを見る。
訓練場でギルベルトと戦っていた時の事だ。あの時はそういう性格なのだと思っていたが、肌を少し見られたくらいで真っ赤になる少女が平然と言えるようなセリフではない気がする。
眉を顰めるルーダに、ティノが『ますたぁ』に向ける時とは違う、やや冷たさを感じさせる声で言った。
「あれは……お姉さまの受け売り。狭い所に入る事もあるし、関節の柔軟性は重要。盗賊として当然の事。それをマスターに披露しただけだけど……それが、どうかした?」
「!? …………あ、あなたの、師匠が言ってるのは……そういう事じゃないと思うけど……」
「? どういう事?」
どうやら、お姉さまの真似をしていただけらしい。確かにリィズ・スマートはそういう事を平然といいそうな雰囲気がある。
普通、関節部が柔らかい事を、「どんな体位でもいけてしまう」などとは言わない。
「…………とりあえず、余り皆の前で使わない方がいい単語だと思うわ」
ルーダはお茶を濁すと、口元までお湯に浸かって誤魔化した。
久しぶりの温浴は魂が震える程気持ちよかった。これまでの試練の疲労が全て抜けていくような心地すらある。
クライに依頼票を渡した後もしばらくここに滞在するのもいいかもしれない。何度も死ぬような目にあったのだから、
「いい経験になったとは思うけど……もう二度と試練は受けたくないわ。ねぇ、ティノ。クライにそう伝えてもらえない?」
うつらうつらしながら、隣に座るティノに冗談めかして言う。
ティノはしばらく沈黙していたが、予想外の事を言った。
「………………まだ、今回の試練は、終わってないと思うけど」
「………………え?」
§ § §
「おい、《千変万化》! 本当に、これが修行なんだな?」
「マジだよ、マジマジ。ルークもそれやって強くなったから。僕お薦めの修行法だよ」
「そ、そうか……なんかおかしい気もするけど、なら間違いないなッ! まさか温泉でやる修行があるとは……これがレベル8なのか。うおおおおおおおおおおおおおおおお――がぼがぼがぼッ!!」
ギルベルト少年が湯船の中、仁王立ちになって温泉の滝に打たれている。同じパーティのメンバーが呆れたような微妙な表情でそれを見守っていた。
僕は笑いを堪え、そっぽを向いた。どうやらギルベルト少年はルークと同じくらい単純なようだ。




