139 デジャヴ
全身に伸し掛かってくる重圧に耐えながら、ルーダは必死に周囲の状況を探った。
聴覚は当然として、五感の全てを使う。【万魔の城】はレベル8の宝物殿だ。基本的に宝物殿のレベルはマナ・マテリアルの蓄積量と比例しており、高ければ高い程生息している幻影の質も量も上がる。レベル8の宝物殿ならばこの間探索した【白狼の巣】の数倍の数の幻影が生息していても不思議ではない。
しかし、不思議な事にルーダの感覚に生命の気配は捉えられなかった。
隊列の先頭を行くのは最もレベルの高い《霧の雷竜》のメンバーだ。その中にはルーダよりもレベルの高い盗賊もいる。副リーダーであるエイ・ラリアーがそうだ。
だが、その表情もルーダと同じく訝しげなものだった。
罠もなければ敵もいない。
城型の宝物殿は数が少なく、総じて適正レベルが高い傾向にあるためルーダはこれまで探索した事がない。だが、聞いた話だと高度に統率された幻影が現れると聞く。
よしんば、そうでなかったとしても、宝物殿で幻影が全く出てこないなど、にわかに信じがたい。
判断を誤ったかもしれない。宝物殿を遠目に見た瞬間から、本能が激しい警鐘を鳴らし続けていた。それに従うべきだった、と、今更ながらに少しだけ後悔する。
《霧の雷竜》の目的がルーダ達と異なるのはガレスト山脈で知っていた。それでもルーダ達がアーノルドについてきたのは、ルーダが受けた依頼をまだ達成できないのもあるが、交戦を止めなければと思ったからだ。
レベル7の《豪雷破閃》とレベル8の《千変万化》がぶつかりあったらどうなるか、ルーダでは予想もできない。ルーダが見た感じでは前者の圧勝だが、《千変万化》が高度な擬態を施しているのは明らかなのでそんな予想に意味はないだろう。
いや、本音で言おう。個人対個人ならばともかく、ルーダは《霧の雷竜》と《嘆きの亡霊》がぶつかれば前者が敗北すると考えていた。ルーダにはクライの実力はわからないが、その仲間の質の違いは良く分かる。《霧の雷竜》のパーティメンバーも皆、弱くはない。安定した実力を誇っているが、しかしそれでも、《絶影》を初めて見た時の衝撃には遠く及ばない。
シトリーについては詳しくは知らないが、同じパーティなのだから同格なのだろう。アーノルドは湖畔でリィズと交戦したが、あそこでシトリーかクライが混ざっていたら敗北していたはずだ。
《霧の雷竜》がやる気な以上、衝突は止められないだろう。何度か説得したが、トレジャーハンターは面子を重視する。その理由もわかる。
つまるところ、ルーダがついてきたのは、《霧の雷竜》が敗北した後、間に入るためなのだ。
《霧の雷竜》のメンバーは粗暴で一般市民がトレジャーハンターと聞いて想像する姿そのものだったが、決して悪人ではなかった。道中、絶体絶命な状態になってもルーダや《炎の烈風》を見捨てることはなかったし、何度か助けられた事もあった。借りは返さねばならない。
クライの元にはティノもいる。ルーダだけでは止められなくても、ティノと一緒に慈悲を乞えば最悪でも命は助かるだろう。
そんな事を考えていた。今思い返せば甘いと言わざるを得ない。
確かにルーダが慈悲を乞えばクライは頷くだろう。クライが頷けば《絶影》も首を横には振るまい。だがしかし、それが成立するのは、対面できたら、の話だ。
対面する前に――死ぬかもしれない。
クライ・アンドリヒの向かった宝物殿の難易度はルーダの予想し得る外にあった。
まだ幻影と交戦していないが、交戦するまでもなくわかる。ここと比べれば、以前探索した【白狼の巣】など天国のようなものだ。
青い顔をしながら必死に精神を集中するルーダの後に、更に顔色の悪い《炎の烈風》が続く。
ルーダ達は十五人という、本来の宝物殿の探索で組むメンバー数を遥かに越えた大人数だが、そんなの何の慰めにもならない。この地獄のような地に住み着く怪物たちを前に、恐らくルーダやギルベルト達は手も足も出ないだろう。
頼みの綱は先に宝物殿に入っているはずの《千変万化》だった。緩いような表情をしながら全てを手の平で転がすあの男ならば、ルーダ達がここに来ている事もわかっているだろう。いや、ここまで来た以上はそう願うしかない。
エイは、少し様子を見るだけだと言った。ここで死ぬつもりはない、と。
場に満ちるマナ・マテリアルはこれまでルーダが見たことがないほど濃く、ルーダの肉体に蓄積し、徐々にだが確実に能力を強化しているのを感じる。
いい経験だ。そう笑い飛ばせたらどれだけいいか。
戦場に絶対はない。攻撃がエイとルーダの気配察知を抜け、前方を固める《霧の雷竜》の陣形を貫き、ルーダが気づく前にその生命を刈り取る可能性だってあるのだ。
【万魔の城】の内部は想像とは異なり、どこか荘厳とした雰囲気があった。
石を組み上げられて作られた外壁と高い門は景観と調和が取れており、まるで今まさに作られたばかりのように劣化がない。
アーノルド達を待っていたかのように自然と開いた扉は金属に見えて、触れれば不思議な質感が感じられた。この城が丸ごとマナ・マテリアルからなっている証左である。恐らく、全力を使えば崩せそうな門や破れそうな扉も、見た目からは想像できない硬度を誇っているだろう。
慎重に門の周囲を確認するが、本来兵士が詰めるべき部屋は空っぽで誰もいなかった。テーブルや椅子、火の灯ったランプなどが残されているのが酷く不気味である。
エイが、窓から部屋の中を覗き込みながら、殿を務めるギルベルトに尋ねる。
「おい、ギルベルト。この宝物殿について何か知らないのか?」
「知らない。調べたこともあるけど、ほとんど情報はでてこなかった。探索したハンターが少なすぎるんだ」
事前情報のない宝物殿はハンターにとって忌避すべき対象である。恐らく、それもまたこの宝物殿が長らく探索されなかった理由の一つなのだろう。
門を抜けると、地面には滑らかな石が敷き詰められ、道を作っていた。左右に細い道が、正面に太い道が伸びている。
周囲にはよく手入れされた木々が均等に植えられていて、分厚い雲に遮られ光がまともに届かない中、少しばかり歪に見える。
アーノルドが大剣を握り、いつでも戦闘に入れる体勢で言う。
「……戦闘の跡がないな」
「上書きされたのかもしれやせんが――」
まだ門を通り過ぎただけだ。ここまで一度も接敵しなかったというのは不思議だが、常識的に考えれば、城の建物に入ってからが本番だろう。
アーノルドが険しい表情のまま、堂々と正面の道を歩く。仰げば暗雲を纏い聳える漆黒の城が見えた。
「…………クライの足跡も……ないわね」
「…………」
暗にいないのではないかとほのめかしてみるが、誰も何も答えない。
城には入っていないとは思いたいが、《千変万化》には何をしでかしてもおかしくない危うさがあった。クライ含めた三人はともかく、恐らく強制的につれてこられたであろうティノの事が少しだけ心配だ。ティノは確かに強かったが、レベル8の宝物殿に挑めるようには思えない。もしかしたら今頃酷い目にあってしくしく泣いているのではないか。
自分の事を棚にあげるような考えだが、そんな余計な事を考えなければ緊張に押しつぶされてしまいそうだった。
ここまで生命の気配は一切ない。一戦もしないうちは《霧の雷竜》は撤退を選ばないだろう。
幻影が出るのならば、できるだけ出口の近いうちに――できれば、城に入る前に出て欲しい。相手が単体だったら尚の事いい。最善は、戦闘に入る前にクライが戻ってきて、偶然顔を合わせる事だが、何故だろうか、そうなる未来が全く見えない。
「おい……お前ら、大丈夫か?」
「あ、ああ……少ししんどいが問題ない」
「まだ幻影すら見てないしな」
エイの言葉に、《炎の烈風》のリーダーであるカーマインとギルベルトが答える。だが、その表情には深い疲労が滲んでいた。
もしかしたら自分も同じような表情をしているかもしれない。
ルーダはレベル4だが、ソロでレベル4認定を貰ったハンターだ。一般的にソロで高レベルになるのはパーティでそのレベルになるよりも難しいと言われている。
ハンターになって短いルーダにも矜恃というものがある。《炎の烈風》が弱音を吐かないのに、自分が吐くわけにはいかない。
なんとしてでも生きて帰る。冷静に考えると、今回ルーダが受けたのはただのお使いなのだ。こんなお使いの最中に死んでなるものか。
改めて気を引き締め直し、大きく息を吸ったところで、先頭を歩いていたアーノルドが立ち止まった。
不意に、耳にノイズのような物が入ってくる。《霧の雷竜》のメンバーが散開し、素早く陣形を組む。
ルーダ達の進行方向、十メートル程の所で、闇が蠢いていた。
ノイズが強くなる。薄かった闇が一箇所に集まり、色と形を持つ。
《霧の雷竜》の後ろにいたカーマインがそれを見て目を見開き、数歩後退る。
「幻影の……発生!? 馬鹿な……人の眼の前で発生しないのでは?」
「ひっひ……マナ・マテリアルが強すぎるんだ」
エイが冷や汗を流しながらも、半ば引きつった笑みを浮かべる。
詳しいメカニズムは判明していないが、一般的に幻影はマナ・マテリアルが一定量蓄積する事により発生すると言われている。
宝物殿にハンターが居合わせた場合、マナ・マテリアルはハンターの方に吸収されるため、眼の前で幻影が発生する事はまずありえないとされていた。過去の例がないわけではないが、高レベル宝物殿特有の極めて珍しい現象と言える。
《霧の雷竜》の魔導師がぶつぶつと攻撃魔法の詠唱を始める。それを聞き、慌てて《炎の烈風》の魔導師もそれに続く。戦闘態勢に入る味方に、ルーダも冷静さを取り戻す。
驚いたが、考えてみれば目の前で幻影が発生するというのは幸運だ。相手が体勢を整える前に攻撃できる。つまらない戦いではあるが、もしかしたら相手の反撃を許さず、一方的に倒せるかも知れない。
闇が集まり、現れたのは騎士だった。身の丈はアーノルドと同程度。頭部を完全に隠す漆黒のヘルムに、鎧で全身を隠した闇の騎士。
漆黒の剣を腰に下げた騎士。
それが――二体。
まずい、と思う。この宝物殿でかろうじて適正レベルに引っかかっているのはアーノルドだけだ。それ以外のメンバーについては、《霧の雷竜》のメンバーであっても、恐らく適正を大きく下回っている。
まだ幻影の強さはわかっていないが、初戦で二体と遭遇するのは運が悪い。
そして、逆に二体でよかったとも思う。アーノルドが一体、それ以外のルーダ達全員でもう一体相手をすれば数が合うのだから。
やるしかない。覚悟を決める。強敵と戦うのは、命のやり取りをするのは何もこれが初めてではないのだ。
幻影が形を持った瞬間、エイが叫ぶ。
「やれッ!」
二つのパーティ。二人の魔導師が不意打ちに選んだのは、炎の魔法だった。
青い炎の刃が、圧縮された炎の弾丸の嵐が、動き出したばかりの黒騎士を襲う。
黒騎士は回避の素振りすら見せずそれを受けた。くぐもった音が連続して響き、瞬間的に発生した光が視界を阻む。
「やったかッ!?」
「わけ、ないだろッ!」
ギルベルトの声に、エイが叫び返す。
結果を確認するその前に、アーノルドが動き出していた。
その巨体で、巨大な両手剣まで持っているのに凄まじい速度だ。紫電を纏い駆ける様はまるで雷神のように雄々しい。
光が晴れる。咆哮と共に、アーノルドがその大剣を振り下ろす。それを、黒騎士は腰から抜いた剣で迎え撃った。
甲高い音が響き渡る。その結果に驚く間もなく、アーノルドの後ろをついていったエイがもう一体の黒騎士の後ろに回り込み、膝裏を蹴りつける。
騎士は攻撃魔法を正面から受けて、何の痛痒も見せていなかった。ヘルムにもアーマーにも傷は疎か、曇りの一つすらできていない。
攻撃魔法はルーダが見ても十分な威力を持っていた。ルーダがまともに受ければ致命傷ではなくても、重傷は免れ得ない、そんな威力だ。
そんな一撃を受けて無傷とは――何という、硬さ。
鎧兜を着ている幻影が硬いのは【白狼の巣】でも知っていた事だが、まさしく格が違う。
ルーダにとっては最も相性の悪い相手だ。
「ぼやぼやするなッ!」
黒騎士が剣を翻す。その速度はルーダの動体視力を以てしても捉えきれない。
超高速で放たれた一撃を、アーノルドは大剣を傾け最低限の動作で受ける。剣を交わす音がまるで一つの音のように繋がって聞こえた。
顔を赤くし、険しい表情で受けるアーノルドに対して、黒騎士側は表情すら見えない。
だが、問題はもう一体に攻撃をしかけたエイの方だ。
そちらの戦闘はほぼ一方的だった。黒騎士が攻撃し、エイが回避する。全身を覆った騎士の装甲はエイの攻撃を一切寄せ付けず、ほぼ不意打ち気味に脚に撃った初撃すら何のダメージも与えられていない。
だが、その目論見だけは成功していた。
エイがアーノルドに続けて突撃していったのは、さすがのアーノルドでも二体同時に相手しては分が悪いと考えたためだろう。
黒騎士の一体はエイを追うのに専念し、もう一体を加勢する気配はない。
エイが目にも留まらぬ剣閃をなんとか回避できているのは、黒騎士の身のこなしがそこまで速くないためだ。剣の速度はかなりのものだが、背後を取れば振り向く必要がある。一步後ろに下がられれば追わねばならない。上手く立ち位置を変え、決して正面からぶつからない立ち回りは《絶影》とは違って盗賊としての王道をいっていた。
その隙に、《霧の雷竜》の剣士が三人、エイに加勢をする。三人の大柄な剣士に包囲され、黒騎士が様子を見るように手を止める。
合図もない鮮やかな動きに、ギルベルト含め、《炎の烈風》のメンバーはまったくついていけていない。
「クソっ、化物め……これが、雑魚かよッ……」
取り囲んだ剣士の一人が、荒く呼吸をしながら黒騎士に剣を向ける。その言葉に、エイが深い笑みを浮かべた。
「ああ、全く大したもんだ。だが……型には、はめたぞ」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
硬直状態に陥ったエイ達だが、一方でアーノルド対黒騎士の戦闘は激化を極めていた。
優勢なのは凄まじい速度の剣閃を見せ、攻撃魔法を一切通さない装甲を誇る黒騎士だ。
大剣は一撃の重さを重視した武器だ。その一撃が容易く防がれた以上、どうしても大ぶりになってしまう大剣を手にしたアーノルドでは苦戦は必至。
――ルーダも、ギルベルトもそう考えていた。
戦闘の展開は予想外の方向に進んでいた。
エイにフォローが入った所で手の空いた魔導師が、アーノルドに短い杖を向け、叫ぶ。
「アーノルドさん、いきます! 『高加速』!」
白い光線がアーノルドを貫く。身体能力を強化する魔法だ。
身体強化系の魔法は諸刃の剣である。特に筋力や瞬発力の増強は、身体の感覚が一変するため、使いたがらないハンターが多い。
ルーダも一度受けて驚いた事がある。
今この瞬間、アーノルドの身体は凄まじく軽くなっているだろう。あまりにも軽すぎて――剣を上手く制御できない程に。
「ッ……!」
だが、ルーダから見たアーノルドの挙動は全く変わらなかった。神速の一撃を最低限の動きで受け止めている。
一瞬、不発だったのかと思ったが、すぐに自分の勘違いに気づく。
慣れているのだ。急に感覚が変わる事に、慣れている。
異様なまでの感覚の変化に順応するには血の滲むような努力が必要だ。恐らく、数えきれないくらい訓練してきたのだろう。何度も何度も身体強化系の魔法を受け、いついかなる時にも対応できるように。
続けて、筋力、持続力、防御力と順番に強化魔法が掛けられている。強化魔法を受けながらも剣を受ける事に終始するアーノルドの姿は凄まじい怒りを堪えているようにも見えた。
現状がまずいことを悟ったのか、エイ達が抑えていた黒騎士が動きだす。防御をほとんど考えない一撃――アーノルドが相対していたものと変わらない神速の一撃を一人が受け損ない、組んでいた陣が崩れる。
それでも、《豪雷破閃》は動かない。
ギルベルトがその間に入ろうと駆け出そうとするが、すかさずエイが叫んだ。
「邪魔だ、来るんじゃねえッ! 何かあったときのためにそこにいろッ! まだ大丈夫だ!」
ギルベルトが止まり、悔しげに唇を噛み、地面を踏みつける。気持ちはわかった。実力不足がもどかしい。カーマイン達も同じ気持ちだろう。
《霧の雷竜》の動きは慣れていた。エイの言う通り、部外者のルーダたちが入ったところで、隙を作る結果にしかならないだろう。
「ッ……クソっ、何かできることはないのか――アーノルドは何をやってるんだ? あんなに身体強化魔法を受けたのに」
「…………? ちょっと待って、あれって――」
ふと、アーノルドと剣撃を交わしていた黒騎士の動きが一瞬止まる。わずかにできた隙に、アーノルドが剣を押し込み、黒騎士が後ろに下がる。
疲労――ではない。人外である幻影は総じて人間よりも耐久力に秀でる。
一瞬気の所為かと思ったが、そうではない。
その生じた隙を皮切りに、黒騎士の動きが少しずつ精細を欠いていく。一瞬動きが止まり、重心が揺れ、膝がびくりと痙攣したように動く。
いつの間にか、戦況はアーノルド側に傾いていた。
神がかった剣の冴が鈍っていく。アーノルドの動きが変わったわけではない。受ける側であるアーノルドはもうほとんど身体を動かしていない。
「! あ…………あの剣、か」
ギルベルトが紫電を纏ったその大剣を見る。その言葉で、ルーダも全てを察した。
雷だ。アーノルドの剣の纏った雷が、相手の剣を伝ってダメージを与えているのだ。
相手は鎧兜を装備している。強固な装甲でも電気だけは防げなかったのだろう。一般的に言われる、雷系の魔術のメリットでもある。
恐らく、アーノルドは待っていたのだ。電撃の影響が蓄積し、相手が致命的な隙を晒すその一瞬を。
小賢しいと言われれば、その通りなのだろう。アーノルドの体格と巨大な剣からは想像できない、搦手に近い戦法だ。
だが、ルーダはその戦法からトレジャーハンターならではの靭やかな強さが感じられた。
これが――レベル7。研鑽と経験の末たどり着いた戦術なのだ。
そして、ついに黒騎士の身体がふらつき、膝をつく。ようやく生じた大きな隙に、アーノルドが咆哮した。
空気が震える。凄まじい戦意に、もう一体の黒騎士の動きまで止まる。アーノルドが大きく掲げた剣が輝き、金の光を灯す。
エネルギーの余波で身体が痺れる。
それは、雷だった。自然のものとは違う、竜の息吹を思わせる――金色の雷。
「『豪雷破閃』」
その一撃は落雷を想起させた。
金色の線が、慌てて剣を持ち上げる黒騎士を通り過ぎる。
刃は黒の鎧を貫いただけでは飽き足らずそのまま石畳を数メートル切り裂き、そのエネルギーを撒き散らした。
黒騎士が爆散する。生死など考えるまでもない。
先程の細やかな立ち回りとは一変した豪快な一撃。
目を限界まで見開きその光景を焼き付けていたギルベルトが思い出したように息を吐く。
「す、すげえ……ッ!」
「これが――レベル7……ッ!」
《千変万化》に翻弄されていた姿ばかり見ていたが、その一撃は正しく英雄の一撃だ。
刃を振り下ろしたアーノルドの身体は未だ電撃を纏い、金色に輝いていた。
勝利を喜ぶ気配もなく、細められた金眼が、次の獲物に向かう。
エイ達がじりじりと囲いを広げる。そして、雷を纏った英雄が黒騎士に向かって飛びかかった。
勝負はあっけない程簡単に終わった。
アーノルドの一撃は、速度も込められた力も先程の比ではない。雷を纏った一撃が、それを受ける剣ごと黒騎士を両断する。
先程の苦戦がまるで夢のようだ。
動く物がいなくなった事を確認し、アーノルドがようやく剣を下ろす。
吹き飛ばされた仲間の様子を確認したエイがほっと一息ついた。
「こっちのダメージも大したことはありません。……アーノルドさん、やりましたね。さすがレベル8宝物殿、強敵でしたが――」
「あぁ。だが、こんなものではないだろう」
身体に纏っていた光が弱まる。アーノルドの表情には喜びのような物はない。
確かに、こんな何もない所で出現した所を見ると、そこまで強力な個体ではないだろう。常に油断しないのも歴戦の証拠だろうか。
だけど、こうしてレベル8――適正以上の宝物殿で敵を倒せたのだ。もう少しくらい喜んでも――。
と、そこでルーダは不意に何か引っかかる物を感じた。
「やるなあ、おっさんッ! あの技ってどうやってやるんだ? 俺もできるかな?」
「……寝言は寝て言え」
興奮してふざけたことを真面目に言うギルベルトに、アーノルドが呆れている。地面に転がった幻影の死骸を、エイが眉を顰めて見下ろしている。
確かに、油断はしていない。だが、激戦の後特有に緩い緊張感が辺りに漂っている。
アーノルドの放った雷のような一撃に負けず劣らぬ衝撃がルーダの脳を揺さぶった。
目を大きく見開く。これは――既視感だ。ルーダは同じような状況に出会ったことがある。
絶体絶命のピンチを切り抜け、傷を癒やし、一息ついて――。
ルーダは、その時も一緒にいたギルベルトを見た。視線を受けた赤髪の少年が何も考えていない顔でルーダを見返す。
「……ギルベルト、あんた……【白狼の巣】での事、覚えてる?」
「え……?? 何をいきなり…………え……あぁッ!?」
ギルベルトの表情が一瞬で蒼白に変わる。同じことに思い当たったのだろう。それだけ印象に残っているという事か。
戦力も、経緯も、何もかもが違う。だが、状況だけは気味が悪いくらい似ていた。
クライ・アンドリヒに巻き込まれるような形でここに来たという、その点に至るまで。
それを人は――『千の試練』と呼ぶ。
「おっさん、これ、やばいってッ! おかわりが、おかわりが来るッ! 前回も来たんだッ!」
「……狂ったか?」
ギルベルトが慌てたようにアーノルドに叫ぶ。何も考えていないのだろうが、今だけはその勢いがありがたい。
気持ちはわかる。おかわり、そう、おかわりだ。前回もそうだった。一体の強敵と戦い、なんとか倒したところで――武器違いのおかわりが三体追加されたのだ。
もしもあの時、クライが助けに来てくれなかったらルーダ達はあそこで死んでいただろう。そして、アーノルドというレベル7がいる今回、助けに来てくれるとは限らない。
気の所為かもしれない。心配しすぎなだけかもしれない。だが、とても無視することはできなかった。
急に騒ぎ出したギルベルトに戸惑っているエイに、ルーダも進言する。
「エイさん、ギルベルトの言う通り、動くべきだと思う。前回似たような事があった時は――追加が来たから」
「……ふむ。どうします、アーノルドさん?」
エイの言葉に、アーノルドが仲間たちを見て、唸る。
「……戻るか、進むか、か……」
アーノルドの事を誤解していた。彼は間違いなくレベル7のハンターだ。
確かにプライドは強いしどうしようもなく融通の利かない所もあるが、いざという時に判断を誤ったりはしないだろう。
幻影と交戦した。突破はできたが、敵の力量はだいたい把握できた。今回勝てたのは敵の数が少なかったからだ。このまま先に進めば、誰かしらが重傷を負うだろう。そして、その事をこの見た目よりもずっと理知的な男がわからないはずがない。
ルーダは前に出た。真っ直ぐにアーノルドを見上げる。
確証はない。だが、本能が言っていた。ティノを通じてではあるが、ルーダは少しだけ《千変万化》に詳しいのだ。
「進むべき、だと思う」
「何……だと?」
予想外の言葉だったのか、アーノルドが瞠目する。エイもギルベルトも、カーマイン達も、皆がルーダの言葉に信じられないような表情をしている。
だが、知っていた。『千の試練』は逃げようとして逃げられるものではない。
あの《千変万化》とまで呼ばれる男が、アーノルドの性格を理解できていないわけがない。
だからこそ――ルーダは裏をかく事を選ぶ。
全ては直感だ。だが、時には理屈よりも勘を信じねばならないこともある。
そう。《千変万化》ならば、退路に強敵を置く。
だが、それをそのまま言えば《千変万化》に恨みを持つアーノルドがどう考えるかわからない。
ルーダは真剣な表情を浮かべ、心を込めて言った。
「私の――勘が言ってるの。今は前に進むべき。退路には――強敵がいる。戻るにせよ、一度前に進んでから大きく回るべきだと思う。お願い、一度だけでいいの。私を信じてッ!」
§ § §
「馬鹿げた話だ。だが、その馬鹿げた勘がパーティを救うこともある」
周囲に気を配りながら、まるで追い立てられるように足早に前に進む。
アーノルドはルーダを信じる事にした。その言葉には実感が篭っていたからだ。もとより、道の外から幻影が来る可能性がある以上、退路に危険がないとは言い切れない。
ルーダはソロのハンターだ。ソロでハンターをやれているという事はすなわち、危険を察知する能力に長けている事を示している。
大切なのはバランスだ。ハンターたるもの、危険に尻込みするようでは務まらないし、また、致命的な危険にがむしゃらに突撃するようでも務まらない。
つまるところ、アーノルドはその言葉にパーティ全員の命を賭けるだけの価値を見出したのである。
「やったッ! 誰もこないぞッ! 正しい道だったんだッ!」
特に追っ手が来る気配はなかった。頻りに後ろを気にしていたギルベルトもほっと息をついている。
根拠の理由は前回同じような事があったからだと言っていたが、どれほどのトラウマになっているのか。
道に沿ってまっすぐ進んでいく。巨大な漆黒の城が近づいてくるにつれ、その異質さがビリビリ伝わってくる。
果たしてその城には何が棲んでいるのだろうか。高レベルの宝物殿に潜った経験が乏しいアーノルドでは予想がつかなかった。
順調に進むこと十数分。城の入り口が見えてきた辺りで、ずっと道の左右に生えていた木々が消え、風景が変わった。
ルーダが目を見開き、小さな悲鳴をあげる。ギルベルトが青ざめ、さすがのアーノルドも息を呑んだ。
そこにあったのは円形の広場だった。
地面に石畳が敷き詰められた円形の空間だ。見晴らしはよく、遮蔽物もほとんどない。城は、広場をまっすぐ通り抜けた先にある。
だが、何よりもルーダ達が絶句した理由は広場の外周に沿うように積まれた黒い山だった。
ギルベルトがそろそろと山に近づき、その正体を検め、大きく身体を震わせる。
「何だ――これ……?」
それは、あらゆる手段で殺された死骸の山だった。
黒い山に見えたのは、そのほとんどを占めているのが黒色の鎧や兜、剣だったためだ。
少しみただけでも、その方法が一種類ではないことがわかる。焼死。圧死。凍っている物もあり、鎧ごとバラバラにされているものもある。かろうじてその鎧兜の形から、その中身が人型だったことがわかった。
いや、違う。それは、先程アーノルド達が交戦した『幻影』と同じものだった。
「ひ、ひでぇ……」
エイが頬を引きつらせ、死骸の山を漁る。剣を突き刺し山の中から取り出した生首は、蛸のような形をしていた。色は黒で、粘液に濡れているが、前面についた二つの緑の目は暗く濁っていて生命の輝きがない。アーノルドが戦った個体は中身を確認していなかったが、人間ではなかったらしい。
ルーダも恐る恐る死体の山を調べるが、その全てが顔も形も、人間とは少し違った形をしていた。放置された防具も考慮すると、異形の兵士と呼ぶに相応しい。
ギルベルトがうず高く積まれた山を見回し、呆然とつぶやく。
「これ、全部、《千変万化》がやった……のか?」
広場は広い。外周に積まれたその数は百や二百ではない。
幻影とは、生命活動を終えればすぐに空気中に溶け消えるものだ。マナ・マテリアルが強ければ強い程消えるまでの時間は長くなるが、これだけ直近で倒したのならばルーダ達があの一戦を除いてここまで素通りできたのも不思議ではないだろう。
アーノルドが全力を出して屠った幻影をここまで並べるなど、まさしく人間業ではない。
信じられない。だが、信じるしかなかった。他に誰がこのような光景を作り出せるというのか。
多様な死に方をしている死体を見ると、《千変万化》の二つ名も納得できる。
「…………アーノルドさん、み、見てくだせえ。広場の中心にキャンプファイヤーの跡が――こ、こんなところで、なんてイカれた真似を――」
心臓がどくんと強く打った。冷たい何かが背筋を通り過ぎる。その正体を察し、アーノルドは表情に出さず呆然とした。
長らく感じた記憶のないそれは――恐れ、だった。理解不能な者への、絶対的な強者への恐れ。
俺は今――挑むことすら怖れている。
負ける可能性はありうると思っていた。だがそれはパーティ単位での話だ。
アーノルドはいつも自分の最強を確信していた。いついかなる時も、酒場で《絶影》に奇襲を受け倒れた時ですら。
動悸がした。荒く呼気を吐き出し、改めて死骸の山を睨みつける。
これが――レベル8。あまりにも遠すぎる。勝てるビジョンが見当たらない。歯を食いしばり、剣を強く握りしめる。
「…………クソっ、クソっ、クソっ」
だめだ。足りない。今の自分ではあまりにも足りなすぎる。何が足りないのか、わからないくらいに。
エイがアーノルドの様子に気づき、心配そうに見ている。
リーダーたるもの、前に立たねばならない。仲間に強い姿を見せねばならない。
激しい葛藤を意地だけで押し込み、前を見る。表面だけでも揺るぎない姿を演じる。
エイの表情が元に戻る。演技に騙されたわけではない。恐らく、アーノルドの内心を知りつつ、全ての意図を汲んだのだろう。
根本的な解決にはなっていないが、エイの対応に少しばかり冷静さを取り戻す。
そうだ。今は葛藤にかまけている暇はない。今考えるべきは、この地獄のような宝物殿からいかにして全員無事に抜け出すかだ。
どんな状況にあろうと、たとえその意志が挫けようとアーノルドにはパーティを率いる義務がある。それが消えるのはアーノルドが死んだ時だけだ。
《千変万化》を待ち頭を下げるか、あるいは遠回りして出口を探すか……。
そこで、エイが目を見開いた。
ぎくりと身体を動かしたが、すぐに深呼吸をすると、周りに気づかれないよう小さな声でアーノルドに言う。
「……アーノルドさん、やばいッ。…………来る。大群だッ……めちゃくちゃだッ! どうにもならねえッ!」
「…………何?」
エイの視線の方――アーノルド達が今やってきたばかりの方向を見る。
数百メートル先、地平線の先で黒い何かが蠢いていた。
いや、何かではない。それは、騎士だ。黒い鎧兜をつけた異形の騎士の軍団だ。まだ距離は遠いが、まるで押し寄せる波のようにこちら目掛けて少しずつ進んできている。
数はわからないが、間違いなく相手にならない大群だった。先日戦ったオークの大群も同じような規模だったが、今回の相手は質が違いすぎる。
アーノルドが生命力を絞り尽くし、死力を尽くしたところで半分も削れないだろう。
同じように大群に気づいたルーダが目を見張る。
今にも泣き出しそうな、それでいて笑い出しそうな、そんな絶妙な表情で小さく呟く。
「千の……試練……」
これが試練だと……!?
「狂ってる……クソっ……」
広場をぐるりと見渡す。今から逃げたところで逃げ切れまい。
かといって、交戦したとしても万に一つも勝ち目はない。この広い空間では、囲まれて叩き潰されて終わりだ。乗り越える余地のない試練を果たして試練と呼んでいいものなのか。
他のメンバーも幻影の大群に気づいたのか、完全に凍りついていた。
だが、最後まで諦めるわけにはいかない。呼吸を落ち着けながら起死回生の策を探す。
ふと視界が広場の更に先にある漆黒の城を捉えた。
この宝物殿の本丸だ。恐らくその危険度はここまでの比ではない。
だが――ここで飲み込まれるよりはマシか?
異形の集団はどんどんこちらに接近してくる。もう時間はない。
一時は凍りついていた仲間も、今は我を取り戻し、アーノルドの言葉をじっと待っている。
そして、アーノルドは決断を下した。