135 にこにこバカンス③
「ねえねえ、クライちゃん。あのねえ、一緒に温泉ドラゴン倒しに行かない? 近くに巣があるみたいなの」
「え……行かないけど……」
部屋でのんびりしていた所を、リィズの甘えるような声に一瞬で素に戻る。
温泉ドラゴンって何だよ……名付けた人が適当過ぎる。
シトリーの取った旅館は、さすが大商人向けの旅館だけあって、全てを高いレベルで備えていた。
部屋の広さはもちろんだが、布団はふかふかだし、食事についても、量こそハンターのリィズ達には足りなさそうだが、山海の珍味をふんだんに使った贅を尽くした物だった。
温泉は源泉かけ流しらしく、大浴場も存在するがそれぞれの部屋には露天風呂が備えられており、まだ入っていないが、やろうと思えば一日部屋から出ずに快適に過ごす事ができるだろう。
どうして初日から温泉ドラゴンなんて倒しにいかなくてはならないのか。
シトリーの膝枕のおかげか、それとも一眠りしたおかげか、気力は回復している。だが、それは温泉に入るための気力なのだ。大切な気力なのだ。
「えー? せっかくの大物なのにぃ……クライちゃん、何のためにここにきたの?」
最近思うんだけど、外出る度に大物出過ぎだろ……。
昼間に町中を散策して僕よりよほど動いたはずなのに、このちっこい幼馴染は元気いっぱいだった。
リィズが唇を尖らせ、僕の腕を掴んで揺らしてくる。ルーク達がいないと、リィズの遊び相手が僕しかいないから困る。遊び道具ならティノがいるんだけど――。
「先に言っておくけど、僕はここで有意義な事をするつもりは一切ない! 二週間、温泉に入って食っちゃ寝して時を待つだけだ」
「既に手は打った、と、そういう事ですね?」
「え? …………うんうん、そうだね。全て計画通りだ」
情けない宣言に、すかさずシトリーがフォローを入れてくれる。
手は打ったと言うかなんと言うか……まぁ色々あったが、概ね僕のバカンスに大きなズレはない。
温泉だ。温泉が眼の前にあるのだ。それ以外はどうでもいい。アーノルドや白剣の集いや指名依頼についても今は忘れる。未来の僕に託す。
いつの間にかシトリーはいつものローブ姿から、青地に花柄の浴衣に変わっていた。
露出量が大きく増えているわけではないが、普段の姿が分厚いローブのせいか、その姿は新鮮でどこか色っぽい。姿勢がいいのもあって、誂えたようによく似合っている。
このバカンスで一番、負担がかかっていたのは間違いなくシトリーだろう。最後の最後くらいは是非、羽根を伸ばしてほしい。
ちなみに、男用の浴衣も用意されていたが、僕は全身に宝具を仕込んでいるので残念ながら浴衣とか着られないのであった。命優先である。風呂入る時も指輪してるからな、僕。
「シトぉ、あんたいつの間に着替えたの? 何? 私の分は? まさか服装を変えて、私のクライちゃんに迫るつもり?」
「もう、お姉ちゃんと一緒にしないで! そんな事しないから! 大体、何度も言ってるけど、クライさんはお姉ちゃんのものじゃないし……浴衣は宿の人に言えばもらえるから、貰ってきたら?」
「……リィズさ、浴衣着たら蹴りとかだせないんじゃない?」
シトリーの反論と僕の指摘に、リィズが難しそうな表情をする。温泉で蹴りを出す機会があるかどうかは置いておいて、彼女は昔から動きにくい格好が大嫌いなのであった。
弟子のティノの方は着てみたいのか、そわそわしたように左右を見回している。
「今日は人が少ないみたいなんで、温泉も貸し切りになりますよ、きっと」
「そりゃいいね」
他にお客さんがいてもそこまで気にはしないが、人がいないなら……泳げるかもしれない!!
何より、人が少ないという事はリィズが絡まれる可能性も低いという事だ。リィズやシトリーは見た目は可愛い女の子なので、こういう宿に泊まると高確率でお誘いがくるのである(そして、それをリィズがぶちのめす)。まぁ、それはある意味相手の自業自得なのだが、被害は少なければ少ない程いい。
そこで、僕はシトリーに確認しなければいけない事を思い出した。
「そういえばクロさん達はどうしたの? 食事の時にもいなかったけど……」
「クライさんのご命令通り、部屋は取りました。食事も出ているはずです。後は関知していません」
ドライだな……だが、同じ宿に泊まっているなら後で顔をあわせる事もあるだろう。
それをもって彼らの首輪を外し、解放することにしよう。
§
「ますたぁ……その……どうですか?」
ティノが意を決したような表情でくるりと回り、おずおずと尋ねてくる。
紺色の浴衣姿だ。いつも髪を束ねているリボンを外し、白い肌と紺色の生地のコントラストが艶めかしい。シトリーに手伝ってもらったのか、見事な着こなしである。
僕達が成人して帝都にやってきてティノと出会った当時、彼女はまだ十歳だった。だから、どうしても子供のように見てしまうが、こうして見ると、どこからどう見ても立派な大人だ。一部においてはリィズよりも発育がいい。
そういえば、意外と年齢も四、五歳くらいしか違わないんだったな……。
シトリーと違い、普段と比べて露出は少なくなっているはずなのに艶やかに見えるのは何故だろうか。しげしげと観察していると、ティノが顔を赤らめる。
「うん、似合ってるよ。可愛い可愛い……僕一人で見るのが勿体無いくらいだ」
ティノにも随分苦労を掛けているからな。僕の少しばかり大げさな言葉に、ティノが更に顔を真っ赤にして視線をそらした。
唇を強く結んでいるが、その表情から褒められて喜んでいる事は明らかだ。
リィズはあまり人を褒めたりしないから、僕がたっぷり褒めてあげるくらいがちょうどいいのかも知れない。
「そんにゃ、ますたぁ…………」
「クライさん、いくらティーちゃんが可愛いからってジロジロ見るのはあまりにも失礼ですよ」
「!?」
もごもごと語彙力を失っているティノをかばうかのようにシトリーが前に出る。
そういう物だろうか……いや、確かに失礼だったかもしれない。男の僕より女のシトリーの方がティノの気持ちはわかるだろう。
ティノは僕の後輩であると同時に、シトリーの後輩でもあるのだ。シトリーは僕よりも年下なのでティノに近いし、実質的に妹みたいなものだろうか。
「あのー……シトリーお姉さま、私は別に――」
「大丈夫? クライさんも悪気はないの。ティーちゃん。私が守ってあげるから。大体、クライさん、ティーちゃんに何か言う前に……私に言うことがあるのでは?」
……はっきり言うなぁ。
ちょっとした冗談なのだろうが、確かにその通りだ。親しき仲にも礼儀ありとも言う。シトリーの全身を再度、確認する。
深い青色の地に、複数あしらわれた白い花。もともと落ち着いた雰囲気のあるシトリーによく合っている。その佇まいは清楚で可憐でそしてどことなく色気があった。
言うまでもなく、シトリーの着こなしは完璧だった。
トレジャーハンターというのはレベルが高くなればなるほど強烈な魅力を放つ。マナ・マテリアルが強化するのは何も身体能力や魔力だけではないのだ。顔が変わるわけではないが、何かが変わる。特に美に重きを置いたハンターは悪魔的な魅力を持ち、大国を傾けたなどという逸話も幾つも残っている。
宿の人が僕に向けた視線は正しい。正しく、マナ・マテリアルが抜けきった僕とシトリーでは釣り合っていないのだ。
もしもずっと間近で成長過程を見て慣れていなかったら、あっさり恋に落ちていたかも知れない。いや、完全に高嶺の花であった。
ただ、うちのクラン美男美女が多いからな……。
「ごめんごめん……シトリーも、とても綺麗だよ。いつものローブ姿も好きだけど、浴衣姿もいいね」
眼福である。清楚な雰囲気がとてもいい。写真を撮ってあげたら妹思いのアンセムが喜ぶことだろう。僕と比べれば月とスッポンくらい違う。
少ないボキャブラリーを駆使して褒める僕に、シトリーが責めるような目をした。一歩前に出ると、僕が口を開く前に懐に入り、背中に手を回してぴったりと身体を張り付けてくる。
「お、お姉さま!?」
「……本当に、そう思っていますか? クライさん。嘘をついたら、すぐにわかりますからね?」
胸元に押しつぶされる柔らかい感触。柔らかい生地を通してシトリーの心臓の鼓動が伝わってくるかのようだ。僕にトレジャーハンター並の知覚があったらはっきり感じ取れたのだろうが、今の僕には体内に聞こえる鼓動が自分のものなのか眼の前の幼馴染のものなのかわからない。
髪から香る甘い香りに、少し頭の中が熱くなり目眩がする。吸い込まれそうな透明感のあるピンク色の瞳がじっと僕を見上げている。
リィズからのスキンシップには慣れているが、シトリーのスキンシップには慣れがないのでどうしても動揺してしまう。
冗談にしては性質が悪い。色香に惑わされ手が伸びてしまうのは十分ありえる話だ。
行き場を失った手がどうしていいやら宙を泳ぐ。突き放すわけにもいかない。
我に返ったティノが震える声をあげ、後ろからシトリーの腕を捕まえ、引き離しにかかる。さすが対人戦闘に慣らされているだけあって、迷いない動きだ。
「シトリー、お姉さま!? そ、そういうの良くないです! お姉さまにいいつけますよ!? マスターも! 私に、似合ってるって、言ってたのに!」
「う、うんうん、そうだね――」
本当にごめん。今度ケーキおごってあげるから許して……。
シトリーはどこか艶のある吐息を漏らし、満足したように頷く。
「……うん、ちゃんとどきどきしていたので、今回ティーちゃんに色目を使ったのは許してあげます」
「いやいや、そりゃドキドキするよ……っていうか、色目とか使ってないし……」
男なら誰だってするだろう。しないとしたらそれは……ルークくらいだ。だが、彼は本当に剣に魂を捧げていておおよそ生物的な欲求とは無縁なので、例外だと思う。
深呼吸して興奮を鎮める僕の右腕に、シトリーが自然な動作でするりと腕を絡めてくる。
「温泉でもいきましょうか。いつまた戦いが始まるかわかりませんし――お姉ちゃんが温泉ドラゴン探しから戻ってきたらうるさいので」
ティノがむくれたように頬を膨らませ、力を込めて左腕に飛びついてくる。
「マスター、そんな、シトリーお姉さまの、冗談に、デレデレして――いつもみたいに、しゃんとしてください!」
……僕、今までそんなシャンとしたことあったっけ?
ティノもシトリーも連れて歩くだけで自慢できてしまうような美人さんだ。今の状況は両手に花と言っても過言ではないはずだが、何故だろう凄まじく居心地が悪い。
アークはいつもこれと同じ状態のはずだが、よくもまあいつも笑顔を保てるものだ。もしかしたらそれも器の差なのだろうか。やはりルーク達を見つけるまでここに来るべきではなかったのだ。
僕は上機嫌なシトリーと不機嫌なティノに両脇を固められ、まるで衛兵に連行される犯罪者の気分で温泉に向かっていった。
§ § §
「おい、本気で――やるのか?」
強面の男が、かつてレッドハンターとして恐れられていた男が、冷や汗を流し震える声をあげる。
恐らく自分も同じような表情をしていることだろう、と、クロは思った。
場所は並のハンターでは手が出ない高級旅館の一室だ。強面の男が顔を突き合わせて話し合うにはあまりにも不釣り合いな場所である。
クロは大きく深呼吸をすると、相方――シロに言った。
「ハイイロはもうダメだ。心が折れちまってる。だが、見ただろう!? このままじゃ、どっちにしろ俺たちの命は、ねえ。やるしかねえんだッ!」
「だ、だが、《千変万化》はもう解放すると言っていた」
「ば、馬鹿なッ! 信じられるかッ! 解放すると言って、行かされた場所がどこだ!? 命知らずのハンターでも忌避する【万魔の城】だッ! くそったれッ!」
遠目で確認した【万魔の城】の城は聞きしに勝る地獄の地だった。
目視しただけで、心臓が止まると思った。もしもあのまま突入しろと命令されていたら、クロは自殺覚悟で馬車から飛び降り、逃げ出していただろう。
クロもシロもハイイロも、ハンターとしてそれなりの実力は備えているが、あの宝物殿はまさしくそういうレベルではなかった。
《絶影》に捕まって強制的につきあわされた旅は辛い物だった。ずっと見張りと馬車を強制され、街についても馬車の管理ばかりでまともに休むことも許されず、森ではさんざん戦わされた。レベル7ハンターにも追われた。こんな目に遭うくらいなら死んだほうがマシだと何度も思ったものだが、あの宝物殿は格が違いすぎる。
《千変万化》はイカれている。
旅を共にしていてもその実力や手口は全くわからなかったが、その一点だけはクロ、シロ、ハイイロの共通認識だった。
この旅は確かにバカンスだ。だがしかしそれは、レベル8にとってのバカンスなのだ。とても付き合いきれるものではない。
【万魔の城】以上の何かに巻き込まれる可能性だってある。いや、クロの見込みでは――かなり高い。
一番最初、旅が始まるその前には一番荒ぶっていたハイイロは既に牙が抜かれていた。
馬車に乗る前には《千変万化》に無礼な口を利きクロとシロに袋叩きにされ、森では《絶影》に蹴り落とされ、助けられた。今思えばそれらも全て《千変万化》の策略だったのだろう。
覚悟していれば違っていたのだろうが、気づいた時には遅かった。既に腑抜けだ。度胸も反骨の精神も全て叩き折られている。もう生きて帰れたとしても荒事に携わる事は不可能だろう。
だが、クロとシロは違う。散々な目にあいながらも爪を研ぎ牙を磨いていた。
《千変万化》に反抗するつもりはない。レベル8に奇襲をかけたところで、小指一本で制圧されるに決まっている。準備を進めてきたのはただ、生きて逃げるためだ。
ネックになっているのは首輪だった。
破壊するのは困難で、どれだけ距離をとったところで電撃を流す機能は無効化できない。まさしく見えない枷である。
鍵を最初に持っていたのは《最低最悪》で、今は《千変万化》が身につけている。
「やるしか、ねえんだ。ハイイロは断った。時間を空けたら、警告されるかもしれねえ」
血走った目で訴えかけるクロに、シロが唾を呑み込む。
もはや、退路は塞がれていた。もしも計画を延期したところで、計画したという事実は残る。その事実を《千変万化》はどう受け取るか、予想ができない。
「滞在期間は一、二週間だと言っていた。事を起こすには早い方がいい。絶対に成功する。絶対に成功するはずだ」
「……ああ、わかった」
《千変万化》について知っていることはあまりに少ない。ただの優男に見える事。ほとんど働かない事。言うことが情けない事。隙だらけな事。威圧感のような物が見られない事。そして――にも拘らず誰もが忌避するような命がけの選択をする事。
しかも、その数少ない事についても、真実なのかそれともただの演技なのか判断がつかない。
だが、唯一わかっていることがある。
「《千変万化》は油断している。盗みは俺たちの専門だ。鍵の保存に限って言えば、あの男よりシトリーの方がマシだった」
シトリーは、あのおぞましい女は、圧倒的優位を自覚していたが、クロ達の前で決して首輪の鍵を見せびらかさなかった。
どこにしまっているのか見当すらつかなかった。そして、それは奴隷を縛る上でまったくもって正しい行いである。
だが、《千変万化》は違う。あの男は圧倒的だが、圧倒的強者故の『驕り』がある。
反抗の芽を摘むためか、それとも本当に解放するつもりだったのか、クロ達の眼の前で鍵を出した。そして今どこにしまってあるのかも見当がつく。
鍵は――《千変万化》が身につけている。ならば、絶対に盗み出せる。
あの男はクロ達を警戒していない。人が普段、地を這う虫けらに注意をしないように。
《千変万化》は確かに最強だ。たとえ首輪がなかったとしても正面からぶつかりあえば為す術もなく制圧されるだろう。
だが、同時に、あの男は人間だった。完全無欠の神ではない。ならば、やりようはある。
幸い、ここは温泉だ。脱衣所がある。シロが息を潜めるようにして言う。
「ロッカーの鍵は見てきた。少し複雑だが、一分もあればあけられる。さすが金持ち用の旅館だ、服泥棒が出るなんて考えちゃいねえ」
「…………よし、やるぞ」
クロとシロは悪党だ。だが、いくら悪党だからといって、このまま潰されるのを黙って待つ程、小心ではない。
恐怖を誤魔化すように歪んだ笑みを浮かべるとクロ達は静かに立ち上がった。




